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| コラム エッセー 感じるまヽに・・・ 『自分らしさ』検証への意識 |
高校生活の原風景
愛・燦々というけれど・・・・・
これらの私の言葉は、高校生たちの心に届いていただろうか
1964 ☆担任として3年間、向き合った生徒たちを社会へ送りだした日に
卒業おめでとう!
僕は<蛍の季節>が訪れるたびに、いつも、なぜか、不幸な時代に育ち、稚ないなりにもヒタムキだった〈戦争の中の青春〉を憶い起こす。
新川町の豊和重工業で、機関銃や“零戦”づくりにしか人生の意義をニンシキさせられなかったわれわれには、修学旅行もついぞなく、卒業記念のアルバムどころか、卒業も動員先の近くの小学校で、歯の抜けたような人数の仮卒業式で、いつのまにか卒業してしまっていた。
これはモンテーニュやヴェルレーヌも読めない、ファッシズムの荒れ狂った時代での青春の断層である。
こうして今、あれを思いこれを考えると、、たしかに君たちは、もっとも肝心なところで、《幸福な時代》に卒業できるといって間違いあるまい。
君たちは常に人間という事実の中に立ち帰れるし、まだ少なくとも理性の権利を確立できると思うからだ。
僕はこうした意味で、今の時代に卒業でき、さらには限りない可能性をも探し当てられる君たちを、つくづく羨ましい男たちだと思う。
そして同じ意味で、再び〈おめでとう〉の言葉を、僕なりの最大のハナムケとして贈りたいと思う。
1982 ☆ 教育センターづとめを終わって、久しぶりに生徒の住む現場の学校にもどったとき・・・・・
職員室前の廊下を2人の生徒が雑巾がけをしていた。
“可能性”の大きいE高校にきて、これがまず私の目を惹いた風景の一コマである。生徒のいる学校から7年間離れていて、“今どきの高校生は・・・・・”という耳からだけインプットされる先入観から、なんと奇特な生徒もいるものだと、わが意識のズレに戸惑った。
・・・
しかしそれは“悪いこと”をしたためのペナルティーと知り、彼らも奇特な生徒のハンチュウではなかったことが判り、〈寂しさ〉と〈安堵〉を覚えた。
〈奇特な生徒〉という期待が裏切られたことへの寂しさである。
もう一つは、「意識のズレ」が必ずしもそうではなかったことに対する、私のエゴイスティックな安堵感である。
しかし更に三つめに何よりも嬉しかったことは、“ワル”に対するケジメが、本校では厳然として示されているという指導の在り方である。見て見ない振りをしないアンチニール(反許容社会)の精神である。
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冒頭に書いた「可能性」とは、何にでも成りうる確率の高さを意味するもので、必ずしもプラスの面ばかりとは限らない。生徒や教師や保護者の考え方や実行の仕方によっては、たくさんのマイナスも悪い校風も生れてくるかもしれないということを、忘れてはならないと思う。
・・・
物事のケジメを大切にしながら、勇気ある“奇特な生徒”を、一人でも多く育てていきたい。
本校のプラスの可能性を、キメこまかく探りあてていきたいものである。
1981 ☆ 高校生への読書のすすめ
「おい」と声をかけたが返事がない。軒下から奧を除くと・・・。
『峠の茶屋』と題して、「旧制中学」国語1年の教科書に掲載されていた【草枕】の冒頭の一節である。
・・・・・
昭和15年の昔に遡るが、私の母校の中学に、〔臼井吉見〕という国語の教師がいた。一年生の私は当時、この先生から〔読書のすすめ〕のようなものを教えていただいた。
先生は一学期の終了を待たずして松本女子師範へ転勤され、後日の話になるが東京女子大教授、雑誌『展望』の編集長、文芸評論家となられた。
・・・
先生の国語の授業はわずか三ヶ月でしかなかったが、その授業の迫力は、いまもなお私の記憶の中で鮮明に新しい。
人一倍大きいドラ声は教室中に響き渡った。その丸い童顔、大きな体からほとばしりでる熱気、独特の身振り、個性、蓄積された素材や学識の広さ深さなどを、生徒達は敏感に感じとっていたようである。
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冒頭に紹介した『峠の茶屋』は、次のような一文でしめくくられている。
・・・逡巡として曇りがちなる春の空を、もどかしとばかりに吹き払う山嵐の、思い切りよく通り抜けた前山の一角は、未練もなく晴れ尽くして、老媼の指さす方(かた)に、さんがんとあら削りの柱の如く聳えるのが天狗岩だそうだ。
・・・・・・・・・これが名文というものだ。黙って何回でも読み返せ。
臼井先生は熱っぽい語調で、われわれに教えてくれたものである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私には【草枕】・漱石という蔵書がある。
読書経験もさしてない私には、改まって、〔読書のすすめ〕などという大それた文は書けそうにもない。蔵書といっても見るべき本、見るべき冊数も持ち合わせないが、この【草枕】は、最高の私の“座右の書”となっている。
発行日は私が生まれる以前の大正三年十二月十八日とあり、実価金四〇銭と書いてある。
私の亡父の遺品である。
・・・・・
【草枕】は、いくつもの味わいのある文章で溢れている。
・・・山道を登りながら、こう考えた。・・・智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。・・・那美さんは茫然として行く汽車を見送る。その茫然のうちには不思議にも今までかって見たことのない“憐れ”が一面に浮いている。「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」・・・・・等々。
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いま、情報は山をなしている。人は本の余りにも多いことに選択のスベを失い、茫然自失しているかにみえる。目の前に本の山を見ながら、実は一冊の本さえも見いだせないのが今の世の中だ。
こうした情報過多の時代にあって今日も私は・・・
「まず古典を選びなさい。そして何度もくり返し読み続けなさい」
そう教えてくれた臼井吉見先生の言葉を思い起こすのである。
1982 ☆ 君もあなたも、みんな本校の主役です
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中日ドラゴンズは、いま燃えています。
今日は9月29日ですが、49年度優勝のときの“あの感激を”もう一度この胸に、と文字どおり死力をつくしています。
しかしながら私が心を惹かれたのは、ベンチや選手は勿論ですが、二軍の選手やファームの人たち、マネージャー、トレーナー、寮のおばさんなど、ドラゴンズを支えているすべての人々が、みんなそれぞれの立場で、心を一つにして、V2 の目標をめがけて頑張っている姿です。
・・・目標をもつということが、こんなにも人々の気持を前向きにさせ、チームを一つにまとめ上げる巨大な力を与えるのかを、私は身にしみて教えられたように思います。
“みんなが一つになったから、できたんだゾ”−中巨最終戦第一戦、十回サヨナラの大逆転で、サヨナラ ヒットを打った大島の声が、ひときわ印象的だったと、記者席は伝えています。
私たちのY高校にも、“目標”があります。
総論的に言えば、よいY高校、いつも前進する学校、みんなが気持を一つにしてがんばれる学校、生徒も先生も保護者の皆さんもめいめいが、それぞれの持ち場、立場で、それなりに精一杯気力をもって精進する学校、そういうY高校を創り上げていくんだという目標があります。
そして君たちも、みんな、こうした目標をもったY高校の、まさに主役なのです。一人ひとりの生徒が、先生が、保護者のみなさんが、Y高校を支えている主役です。勝手なことを振る舞ったり、勝手なことを言ったりする傍観者や評論家は、君でもないし、あなたであってもならないのです。
・・・・・ 
こうした目標をもった学校が明日に向かって前進するためには、野球と同じように当然ルールや規律が必要です。
打率No.1を目指す「田尾」の人生訓は“無私”、4番バッターの「谷沢」のモットーは”忍耐”だといいます。
学校から与えられた規律や訓練、授業の中で、まず弱い小さい自分を否定し、忍耐強い自分を育て上げることが大切です。そのことがやがては君たちに田尾や谷沢のような大きな存在、真の強さと価値をもった“君自身の創造”を約束するものではないかと思うのです。
ドイツの哲学者にカントという人がいました。
規律を何よりも大切にした彼の墓碑銘には、彼自身の言葉として、つぎの文字が刻まれているそうです。
「いま、私の心を充たす二つのものがある。それは私の上に輝く天上の星と、私の内にある道徳律である」
哲学者ほどにはとても追いつかないが、君たちに与えられた規律を君たち自身の、いわば道徳律として、自分の心を充たすことができるように、ドラゴンズのV2への闘志にも似た“Y高校のV”への闘志を、君もあなたも、まさに主役の一人として燃え立たせて欲しいと思います。
1986 「あれかこれか」を選べる力を !!
10期生の諸君には、なぜか3年間、どのクラスにも一度も授業を担当しなかったという巡り合わせになりました。
格別行事か何かで必要のあった生徒以外は接触できなかったので、説得力を欠くのではないかと心配です。
いささか感じるところを述べて、卒業する諸君に多少でも参考にしてもらえれば幸いです。
それは自主性についてです。
・・・・・
ある教育懇談会でインドの学者が、
いまの子どもを悪くさせている諸悪の根源は三つある、と言い、
1.テレビの俗悪番組
2.ゲームセンター
3.自動販売機
をあげていました。
・・・
彼の息子が日本にきてから、
@ エログロ・暴力のテレビに汚染されて困る
A ゲームセンターで夜おそくまで遊びほうけ、悪い友達と交わり、悪いことを覚えて困る
B 自動販売機はタバコもアルコールも、いかがわしい本なども、いくらでも供給してくれて困る
日本という国の“自由”は、とどまるところを知らない。困り果てている。何とかならないものか。
・・・
ということでした。 
マスコミ、地域社会、行政・・・など、生徒指導の問題は、教育社会学的に処方箋を書かないと、学校だけの、イタチゴッコの対症療法だけでは、何ともならないところにきている感じもします。
しかし結局損をするのは、テレビやゲームセンター、自動販売機に汚染される生徒自身であることに、生徒自身が一刻も早く気づいて欲しい。
チャンネル選びや、ゲームセンター、自動販売機にかかわる【行動の選択】は、生徒自身の自主性に待つ外ないと思う。
・・・・・
卒業する諸君は、人生を爽やかに生きるための、もっとも大切なキーワードとして、《これかあれか》を自主的に選択できる力を、卒業後はしっかり身につけていっていただきたい。
そのための素地が、本校3年間の、規律と秩序を尊ぶ他律的な教育の中で、整然と培われてきたことを信じます。
・・・
10期生の諸君の、今日を、そして明日も、更には、はるかなるその20年後の未来を信じたいと思います。
11期生の諸君へ
〓 もう一息 〓
まもなく、三年間の学校生活が終わる。
いろいろな生徒がいた。
顔も、性格も、3年間歩いた足あとも、みんな、それぞれに個性をもった、いろいろな生徒がいたようだ。
A君は、遅刻が重なり、何度も雑巾がけをさせられた。
Bさんはメッシュをかけたり、パーマをかけたり、指導部の先生や担任をしつこく手こずらせた。
君たちは、遅刻や服装の乱れを通して、自分の甘えや安易さ、弱さにうち勝つことが、どんなに大切なことかを、しみじみ思い知るときがくるに違いない。
・・・・・・・・・・・・
C君は、自らの目標を立て、意欲的に、コツコツ勉強を続けた。
君は3年間積み重ねた学習の成果を、さらに将来へ向けて、大きく広げていって欲しい。
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Dさんは、たびたび補充授業に呼びだされたが、なんとか卒業できそうだ。
あなたは、進級への山道を、あえぎあえぎ登ったときの、あのガンバリを、卒業してからも決して忘れないで欲しい。
E君は、ラグビーに、高校時代の青春を燃やした。
ボールのあるところ、いつもE君の、泥だらけの顔があった。
君は数学や英語の成績こそ、もう一つ伸びなかったが、人生にとってかけがえのない、大切なもの、闘志や根性、責任感や協調性などを、ラグビーを通して掴みとったように思う。
・・・・・
・・・
さて、卒業する諸君は、この後も目標をもって、仕事や勉強にとり組むためには、少々のこんなんにおじけづいたり、ベソをかいたりしてはいけない。
くじけそうなとき、泣きだしそうなときこそ、ガマンのしどころなんだ。
そんなとき、つぎの詩を思いおこして欲しい。
私が若い頃、読んで、感動して、私自身の支えにした武者小路実篤さんの、『もう一息』という詩だ。
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もう一息。
もう一息、というところで、くたばっては、何事も、ものにならない。
もう一息。
それにうち勝って、もう一息。
それにも、うち勝って
もう一息。
もう一息。
もうダメだ。
それを、もう一息。
勝利はたいへんだ。
だが、
もう一息。
肥った豚。やせたソクラテス。
ガマンの竹千代。ルナアルの目
今日、晩秋の夜、第十二期の卒業生の君にあてて、いま、はなむけの原稿を書いています。
昔も今も、寂然として深い晩秋の夜に向かい合っていると、未来をもつ若い人々のこちら側で、すでに五十余年の過去に刻まれた我が人生の哀歓が、ヒタヒタと胸の奥からこみ上げてきます。この哀歓からにじみ出た、私の“未来への挨拶”を贈ります。
冒頭にしるした四つのフレーズは、この挨拶のキーワード(カギの言葉)です。
かって、卒業生を前に、「肥った豚になるな。ヤセたソクラテスになれ」と言った先生がいました。「豚に真珠」とか「豚に念仏、猫に経」ということわざに象徴されるイミの豚です。物質的に豊かで、満ち足りた“飽食の豚”です。
ソクラテスは「自分自身を知れ、まず、オレは無知なんだという知識や謙虚さをもつことが大切だ」と、青年に説いて歩いたというギリシャの哲学者です。
・・・・・
私は十二期生の君には「肥った豚になるな」とは言いたいが、「ヤセたソクラテスになれ」と言うよりも、「ガマン強い竹千代になれ」と言いたい。

竹千代(徳川家康の幼名)は、六歳から十九歳までの幼年期と青春を、駿府城の今川義元の人質として活きなければならかい宿命を背負わされた人です。
“ろくでなしの男にするために、自由放任、勝手放題の生活をさせろ”―これが、竹千代に対する今川義元の、“生活指導法”でした。
この意図的な策略に対して、竹千代は、三河武士団の厳しさに包まれて、「人の一生は、重き荷を負うて、遠き道を行くが如し」というガマン強さ、その後の竹千代の人生を支えた、極限にも近い逞しい耐性を、この人質の時代に身につけたと言います。
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私は、いま、ヒマを見つけては、山岡荘八の「徳川家康」を読み、300年の太平を築いた“人間・家康”の生き方や考え方を学び、その歴史の奧に、わが日本のフルサト、偉大な日本人の心を訪ねています。
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また、時に応じては、辰野隆の解説による“ルナアルの日記”の世界を散歩します。
豚も、ルナアルの目には・・・
“耳のついた馬鈴薯”に映り、
蟻などは
“みんな数字の3に似ている。そうだ、そら、333・・・・・以下無限に至る”
という風景にもなります。
そして、花が囁きます。
“今日は、日が照るかしら”。
すると、ひまわりが答えます。
“ええ、あたしさえ、その気になれば”。
そこで如露が反論します。
“そうは行くめえ、おいらの了見一つで、雨が降るんだ”。
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世の中が、ムツカシク、せちがらく、見えるときなど、こうした、もう一つの《ルナアルの視点》で、もう一度、君のまわりの風景を、君の日常性を、眺めなおしてみることも大切なことです。
さて、卒業する君 !!
341名の中の、個々の一人一人の君に宛てて書いてきたこのザツ文。
吉田タクロウ、石田エリ、藤本ぎいち、黒田キヨタカ、宮崎ミドリ、瀬古トシヒコ、
山田マサ、渡辺アツシ、林サンペイ、相川キンヤ、その他モロモロの卒業生よ。
《 ガンバレ !! 》
1984 さいきん感じていること
“ マスメディアさんよ、気くばりを ”
最近、私がとくに感じていることに、マスメディアの功罪、とりわけ、その中の“罪”があります。
情報・知識・娯楽などを人々に伝える媒体として新聞、テレビ、ラジオ、レコード、映画などがあります。
このうちテレビ、ラジオ等は、ビデオかテープにダビングしておかない限り、一過性に終わりますが、新聞は記録がそのまま残り、多くの人たちの目に止まりやすく、しかもフィードバックされないから、その影響は測りしれないものがあります。
とりわけ、報道の対象が教育問題、とくに生徒指導領域である場合、コトは深刻です。
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「気配りのすすめ」の著者で、ジャーナリストである鈴木健二がものの本に、
「ジャーナリストよ、驕るなかれ」
という一文をのせていました。その中に
「新聞が、“知らせるのは正義だ”というなら、“知らせないことこそが、正義である”場合が、この世の中にはたくさんある」
というイミのことが書かれていました。
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このことは、教育の中の生徒指導問題を扱う場合、とくに顕著であると思います。
A紙がB校のトラブルや事件を報道します。ひどいときはトラブルの中心人物の生徒の意見を、<単独インタビュー>などと見出しをつけて紹介し、その生徒を英雄扱いします。
おそらくは学生時代、エリートであったであろう記者が、色々な層の生徒たち(中学校は義務教育、高校進学率93.9
% 、うち勉強嫌い37.1%=全国)をも包み込んだ今の学校の表面を、自分のレベルで、なで回し、外からの“観客”として見出しをつけ、編集し、報道します。
“事実”(真実ではない)を報道して、そのことが教育的にかえって次なる問題を、新たなるトラブルを呼び起こし、拡散させるとしたら、新聞はその結果について、どんな責任を負ってくれるのでしょう。
学校や、教育を天職と心得て、そこで生きている大部分の教師達は、どこの学校も、どの教師も、多かれ少なかれムツカシイ問題を抱えながら、次なる時代を背負う人間たちを教え育てるために、日夜、頑張っています。
せめて、新聞に、報道内容を構成する視点について、特段の気くばりが欲しい。
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学校の正常化に関するテーマが、これまでにも、いく度かさまざまな新聞の論説委員によって、カッコイイ言葉で“社説”としてとりあげられてきました。
“道は遠くとも教師に期待する”、“学校に背を向ける中学生たち”、“ここまできた非行対策”等々。
・・・しかし生徒指導の現実は、エリートの論説委員が想像する以上に、はるかに泥くさいものです。
しかも、“学校正常化のために、新聞は、いま、なにをなしうるか”という新聞自らの役割を問うテーマの論説が、私の知る限り、まだどの新聞にも見られないことが残念です。
・・・
新聞社の編集長も体験したという、かのヘーゲル先生も、まずは“新聞意識”の自己否定をすすめています。
1991年の秋・某日
【ふるさと・遠望 シリーズ】
「伊那中時代」への思い (信濃毎日新聞よりの依頼原稿)
『望郷・伊那、高遠』にかかわる私のキーワードは、まずは躊躇(ちゅうちょ)なく【勤労動
員】である。
とりわけ昭和19年9月20日以降半年以上にわたった「豊和重工業(名古屋市外新川町)」での工場生活は多感な私の《伊那中時代》を強烈に彩る、純粋・ひたむき・灰色・学問不在のにがい青春でもあった。
当時の時代相は、卒業学年の少年たちの進路選択にも、いや応なく大きく重くかかわった。
中学3年頃から高遠町近隣農村での“教護区”単位の勤労奉仕がはじまる
田植え、稲刈り、桑の抜根作業や、三義村山室地区での合宿・暗渠(あんきょ)排水作業。
その上、伊那飛行場建設のための土方作業等々。
学ぶことが仕事であるはずの中学生(とくに五年生時代)が、机に向かえたのは、何日であったろうか。
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第二のキーワードは、悪評、好評こもごもの伝統的『風紀総会』である。
風紀総会には“自治”というには余りにも稚(おさな)い少年たちなりのヒロイズムがあった。そのヒロイズムの中で、集団の秩序と規律が、それなりに保たれていたのかもしれない。
私が最高学年の三月、昭和十九年の春、伊那中最後の風紀総会が、物理教室での五年生による討議を経て会場を、雨天体操場から『講堂』に移して実施された。
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第三のキーワードは、五年間雨の日も風雪の日も自転車で通いつづけた、高遠=伊那間、「二里半、10qの通学路」でもあろうか。
中央アルプスの連山を仰ぎ、南アルプスの仙丈岳を望みながらペダルを踏みつづけた。
「草枕」をもじった、当時の少年、伊那中の先輩 H・I君の作文の中の一節を借りれ
ば、「自転車のペダルを踏みながら、こう考えた・・・・・」という風情が、そこには溢れていた。
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以上、三つのキーワードでアクセスできる伊那中時代の青春は、総体として青春というには余りにも苛酷な運命に洗われた青春であったが、少年たちの間にはそれなりに純粋で、明るくやさしい友情の輪や感動やぬくもり、高い価値へのあこがれと情熱が、満ちていたように思う。
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『故郷は遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うもの』
・・・犀星の詩を折にふれ口ずさみながら、少年時代過ごした、その頃の、そのままの故郷の街並み、天竜河畔や三峰川、「高遠・いろく」の山野、薫が岡や高遠の田園が、いつまでも生きつづけられるように、夢はるかに祈っている。
昔のままの故郷が多いほど、それは故郷を遠望する者にとっては、かけがえのない憩いの場となり隠れ家ともなる。
あるがままの静かな過去は、望郷の心に日々常に新しい。
これが異郷にある私の、望郷・伊那、高遠へのメッセージである。
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齢を重ねて今、太平の時代に生きて、私自身、常に人間という事実の中に帰りたいと願うだけに、故郷への想いは深い。(1991.10.17)
2000年の夏・某日
仏教に・・・『四苦』ということばがある。
人生の、「生」・「老」・「病」・「死」のことをいうらしい。
トシを重ねて古希を迎え、いま、「病」を道連れに訪れた「老」を、ヒシヒシと実感している。
それは、「老」について若い時代にもった概念やバーチャルな感覚とはまったく異質なものだということに気がついた。
やがて、「四苦」のうちの最後の「死」が、日、遠からず訪れるに違いない。
万人に例外なく、この限りなく悲しい運命(さだめ)が、現実のものとして迫ってくる。
この「死」を前にして、「四苦」の第一の「生」を、「輝きある終末」にするために、《あなたは子どもに何を伝え残しますか》を自らの心に問うてみた・・・。
2000年の夏・某日
『小説の神様』といわれる、さる有名な作家が、
「70歳で超俗を深め、隠遁(いんとん)の思い、しきり・・・」と書いていたが・・・・・・・・。
新人類は高齢でも、しつこく娑婆(しゃば)にこだわり、世情にかかわり、社会事象一般(個々のにんげんにではなく)とりわけ個人の幸せや人生にも深くかかわる政治のシステムに対して、ヒハン精神とバランス感覚をもちつづける。
2000年の夏・某日
1982年、アルビン・トフラー(米)が予言した第三の波(情報化の波)は、家庭生活から政治、経済、文化や社会の構造までのすべてを一変させつつある。
それは、人間の思考形態の変化にまで及んでいるとさえいわれている。
18年後のいま、情報通信の高度化(マルチメディアとネットワーク)と大衆化はめざましく、日本のインターネツト人口は、98年年度1700万人、米国が、6000万人、世界では、1憶6000万人(通信白書、インターネット特集)といわれる。
押し寄せる「第三の波」、IT革命のネット社会で、高齢新人類も、脳の活性化とボケ防止のためにも、インタ−ネット・ワークを渡り歩き、遊び感覚でネットサーフィンの感動を味わうことができる。
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《いま、高齢新人類に求められる美学とは、なんなのか?》・・・・・。
こののちも、探りつづけていきたいものだ。
2000年の夏・入院中の某日
S看護婦さんと
「森下さん、調子はよろしいですか?」
「おかげさまで、大分よくなつたよ」
「Sさんは、ナースの経験、どれくらいになるの?」
「看護学校出てから四年です。私なんか高卒だから、地道に働いています」
「仕事を大事に、明日を信じてやっていれば、必ず報われるよ」
「もうちょっと、勉強したりとかがしたくて・・・」
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「なにか、モットーにしていること、あるの?」
「月並みだけど、思いやりのある人」
「森下さんは、なに?」
「モットーかね。そうだな、若い頃から好きな言葉は、【和して同ぜず】って言葉かな」
「意味は、だいたい感じはわかるけど、誰の言葉ですか?」
「中国に、<四書>という儒学の本があってね。
これは、大学、中庸、論語、孟子という四つの本から成っていて、その中の論語の、
<子路篇>にある言葉なんだ。」
これは正確にいうと・・・、
〔君子は和して同ぜず、小人は同(どう)じて和せず〕となるらしい。 ![]()
「意味はね、大阪弁で言ってあげようか?」
「森下さんは、大阪生れ?」
「そうじゃないけど。このあたりじゃ京都弁がどうも好きになれなくてね・・・。あの、語尾上げイントネーションってやつがどうも苦手でね。
特に、よその県の“オジン族”なんかに、あの尻上げ言葉というか、語尾上げ言葉を使われると、なんともならんね。
・・・
でも京都の女の人が京都の方言で喋るのはごく自然でいい感じがしないでもない。
やっぱり大阪弁がいいね。なんとなく愛嬌があって。
・・・私は信州の山猿だよ」
「根性、根性、いうたかて、ほんまの強さは、そないな強さばかりじゃないんや。
世の中、ほどほどに仲ようして、流されん。そんな強さもあるんや」
「へえー、森下さん、大阪弁メチャうまいよ。すごい。意味とかもよくわかる」
ナースも明るく話に乗ってくる。何にしても若いということは・・・、
“チョーすばらしい”。
2002年、眼の手術で入院、夏の某日
N看護婦さんと
「森下さん、調子いかがですか?」
今日は、Nナースが、体調を気遣って、私の病室を訪ねてくれる。
「お陰様で気分は上々で、体調も順調です」
「森下さんは、学校の先生なんですよね」
「なにか、私たちのタメになるような話を、聞かせてください」
「タメになるかどうかわからんけど、以前こんなこともあったよ。
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大学の私のゼミの学生が、これから就職試験に行ってくるといって、私の研究室に入ってきてね。いろいろ面接のやり方や要領など話して退室するときに、
「じゃあ、就職試験がんばってきてよ」と言ったら、
「先生、がんばれ、と言われると、わたし、萎縮しちゃってダメなんです」
と言うんだね。
この学生、そのとき、他の学生はみんな10社以上、なかには20社も受けたりなんかしている学生もいるのに、まだ三回目の就職試験で。
私にしてみれば、激励の意味で言ったつもりだが、学生、とりわけおとなしい女子学生にとっては、かえって緊張させるというか、プレッシャーがかかってダメだということを知ったね。
それまでは、“ガンバレ”ばかり言っていたけど、学生指導上貴重な勉強になったよ」
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「まあ、きらくに、落ちたら落ちたで、またほかを受ければいいさ、ぐらいのことを、言ってあげたほうが、こういう学生は、むしろ結果が出せるんだよ」
「“人生、チョボチョボ”のきもちがベストだという考え方がいいね。
チャランポランにも通じる気持ちのもち方だ」
「ガンバレ」よりは「チョボチョボ」の方がいいときもある。
・・・・・後日の話になるけど。
この学生、その就職試験に合格して、私のゼミでは真っ先に就職が決まったよ。
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国会議員の定数
深夜病棟のトイレの前で、患者が用をたすのを、前かがみに坐って待っている病棟ナースの後ろ姿を、まのあたりに見ていたら、雇用過剰の国会議員をリストラして、年間一人6000万円の歳費を、せめてナースたちへのベースアップに振り向けたら、国会への国民の信頼も高まるだろうに、という気がしてきた。
私たち庶民の選良であるべき議員たちの一部の人たちは、己れに都合のいいことは、必要な条件を無視して、国際比較をもちだし、選挙民をだましているかにみえる。
しかし・・・
国会議員の定数について、国際比較を彼らの口から聞いたためしがない。
ちなみに、・・・・・
日本は、500(衆院) 252(参院) 計752 ![]()
米国は、435(上院) 100(下院) 計535
ただし、平成12年2月9日
衆院定数、比例20名減 (自由党の主導)
しかも米国の人口は、日本の約2倍である。
・・・ 経済白書によれば、世に「三つの過剰」があるという。
設備、債務、雇用である。
過剰雇用の最たるものが「国会議員の定数」である
・・・・・
ここで一つ、さらに付け加えておきたいことは、「議員年金」に始まる「議員特権」にかかわる構造改革が、『聖域を設けない』という小泉総理のけたたましい掛け声があったにしては、一歩も前に進んでいない、という情けない日本の現実がある。
新人ナースとの会話
新人のナースが来室。可愛い声で、
「森下さん、調子いいんです、よ、ね」
これまでのナースと違って、少々会話ことばが、イントネーションを含めてヘンチクリンな気がする。
「変わったことはありませんか。頭が痛いとか、目が痛いとか、ないですか?」
「うん、全然調子いいけどね」
血圧、体温を測ってくれる。
血圧152/72(少々高め、平常値は118/59と記憶している) 体温36・2度(平熱)
・・・
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「あなたは若いけど、マニキュアなんかはしてないの?」
「ナースは職場では、誰もしてないですよ」
「デートするときなんかは、してるだろ?」
「人によっては、ね。中には足なんかにもペディキュアとか、してるみたい」
「〈錦三通り〉なんかのコーヒーショップで見かけるけど、茶髪はともかく、マニキュアにペインティング(花)や、フレンチネール、ラインストーン(点)なんかしちゃって・・・・・、あれだけのヒマがあったら、女子大生も、もう少し学校の本でも読んでくれたらなと思うときもあるよ」
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・・・
「それに町を歩いていると、ヒップホップの若者がいやに目につくね」
「ヒップホップって何のこと?」
「ニューヨークのサウスブロンクスに住む黒人、ヒスパニック系の若者たちが生み出した文化らしいんだけどね・・・。
わざと下着を出したり、だぶだぶのジーンズ、野球帽の後かぶりなんかしているファッションだよ」
「ああ、それなら、うちのナースたちも大勢やってるみたい」
「発生源がどこだろうと、パリ発でなくても、ファッションっていうヤツは、瞬く間に流れてしまう」
・・・
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「それにしても、看護婦のユニフォームというかコスチュームは、いいね。
病院によっては、ピンクとかブルーとかに変えたところもあるようだけど、やっぱりナースは白衣がベストだよ。
僕が思うのに、清潔感がピツタリ、という感じだよ」
「でも、わたし的にいえば、ファッションも少しは気になるけど、テンションの高い声で、歩道を歩きながら、ケイタイ(携帯)してる女の子とかみると、超ムカツクよ」
「まあね、ビジネス用とか緊急の連絡とかなんかは別にして、時も場所もお構いなしにってやつね・・・・・。
あれは文字どおり、ムカムカするね。勝手にブレークしてる。僕は“ケータイ文化の申し子”と名付けてるけどね。
ただし、〈申し子〉というのは〈落とし子〉の意味だよ」
白内障物語へ
白内障物語よりもどる
森下ゼミの宿泊研修で・・・
例年、大学の共通必修課題として、各ゼミごとに《ゼミ旅行》が実施される。
森下ゼミでは、企画の一部として、たいていの年度に、〈宿泊ゼミ〉をセットして、ゼミ長の部屋で、ゼミのみんなで、各自の人生を語り合う機会をもった。
以下は、ある年度の、僕の基調講義の一部。
・・・・・・・・・・・・・・・・
いまの一部の若者は、志が低いというより、志がないよ。ロマンがないよ。
・・・人生シャーナイ、シャーナイですんでいく。見た目のよいものばかり求めて、そのくせ他人からは、見た目でヒハンして欲しくないといっている。
また、ガングロ女子高生とかカリスマ探す若者なんかもいるよね。
・・・ ![]()
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これでも僕なんかは、古希を迎えた昔の人間で、志をもたない若者には人一倍きびしいが、青春期の若い娘たちばかりの学校にいるせいか、ケッコウ若い人たちの気持ちには通じているつもりだ。
・・・
『高齢』ではあっても、《新人類》を自負している。
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阪神地区大震災や福井近海の重油流失のとき活躍したボランティアの中に、大勢の
男女の若者が参加していた。
また一見軽薄に見える、“ギャルママ”や“ヤンママ”の中にも、料理を学習し、子育て
を楽しむ健康な女の子がいることは、茶髪や、厚底ブーツやサンダル、ヤマンバメーク、
マニキュア、ジーンズという外見だけで“人”を判断してはいけないことを教えている。
・・・
ガングロ、マニキュアも、ヒップホッブ、茶髪なんかは、自己主張の表れとも見てるし、
デフォルメの一種だと思えないこともない。
・・・また、ほとんどの若者は少しトシを重ねれば、おのずと自己表現のスタイルも変わるという性質のものかもしれない。・・・中には虚勢を張ってみたい、ポーズだけのものもあるかもしれないよね。
・・・
ただ茶髪、ガングロやマニキュア、厚底だけは、不衛生でキケンだし、後遺症が後を引くから、親御さんからのさずかりものを、粗末にする意味で、やっぱり否定せざるをえないね。
また一方ではSPEEDやモーニング娘、安室や宇多田のライブの追っかけギャルや
学校出ても、働く意欲もなくブラブラしてる若者や志をもたないフリーターばかりが増えている。
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・・・・・
「オレは真剣に思うんだが、中二の夏休み(夏季休業日)に、“人間の必修課題”として、
〔社会奉仕・ボランティア体験のカリキュラム〕を義務づける。
これは地方自治体単位(地域主権)で、男女ともすべての中学生に、義務づけるといいと思うよ。
機会をとらえては、このメッセージを発信してるけどね。
いま、古希をすぎて、すでに有余年
ますます進む少子高齢化社会。
「いま、高齢新人類に求められている【美学】とは、なんなのか!?」・・・
ある出版社の編集長にもたずねられたが・・・
私も・・・こののちも、探しつづけていきたい。
・・・・・
『小説の神様』といわれる、さる有名な作家が「七十三歳で超俗を深め、隠遁(いんとん)の思い、しきり・・・」と書いていた。
【美学】の一つとして、新人類は高齢でも、しつこく娑婆(しゃば)にこだわり、世情にかかわり、ヒハン精神とバランス感覚を持ちつづける。
しかし、すべて、アンチテーゼに終わるだけではイミがない。シンテーゼに高められるものでなくては、・・・。
アンチのためのアンチではダメなのである。
・・・・・
辺見庸が言っていた。 ![]()
「何が見えるかでなく、
何が見えないかが重要だ」
だとすれば、トシをとれば、見えなかったものが見えてくるというが、
古希を過ぎた今、
【美学】の一つとして
見えなかったものは何かを
見透せる視力・・・透視力を・・・
【娑婆の現実とはあまりかかわりはないかもしれないが、ニュートリノの小柴昌俊氏
は、トリノの世界で「透過力」という言葉を使っていた】
透視力を育てなきゃならない。
そのためには、もっと、もっと視野を広めないと。確かな目を持たないと・・・
・・・・・
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社会に、周りに、何が起こっても
アホみたいに笑って暮らす
・・・これも【美学】の一つか。
それとも、ボードレールの苦悩や告白のように・・・・・
いつも、鏡の前で生きかつ眠る・・・。
・・・
[ゲーテ街道]というコトバがある。
人生をたのしく生きることは、悪いことではない。
ゲーテは七十二歳で十七歳の少女・ウルリケを愛した。そして晩年まで青春を生きた
ゲーテは温泉が好き、湯治場を愛したという。
時間が止まっているフンイキが愉しいそうだ。
七十歳を過ぎてから、湯治場マリーエンバートで十九歳の女性に求婚した。
・・・
人は喫茶店を三つ、用意しておくと良い。独りになれる場所で非日常が楽しめる。
独りほど賑やかな場所はないからだ。
・・・
「ゲーテ街道」を歩いてみるのも、高齢新人類の【美学】の一つか。
・・・・・
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人類はいま、新しい文明の創造に向かってつき進んでいる・・・
一九八二年、アルビン・トフラー(米)が予言した第三の波(情報化の波)は、家庭生活
から政治、経済、文化や社会の構造までのすべてを一変させつつある。それは人間の
思考形態の変化にまで及んでいるとさえいわれている。 ![]()
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トフラーは、さらに続けて言う。
「その波は歴史を洗い、人々の足下(あしもと)をすくい、家族を引き裂き、経済を揺り動かし、政治制度を麻痺させ、われわれの価値体系をめちゃめちゃにするだろう」
二十世紀を終わり次の新しい世紀を迎えたいま、歴史を動かすもの、歴史を創るも
の、・・・
それはトフラーをまつまでもなく、間違いなく【情報】ではないかと・・・
古希をすぎて、すでに有余年の高齢新人類は思う。 ![]()
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「トフラーの予言」後十八年、情報通信の高度化(マルチメディアとネットワーク)と
大衆化はめざましく、日本のインターネツト人口は、九十八年度一七〇〇万人、米国
が六〇〇〇万人、世界では一億六〇〇〇万人(通信白書、インターネツト特集)といわれている。
押しよせる「第三の波」、I T革命のネット社会で、われわれもインターネットワークを
渡り歩き、ネットサーフィンの感動を味わうのも、これまた【美学】の一つかもしれない。
・・・・・ ![]()
“グラウンド〇”の地点は、ニューヨークだけではない。
イスラエルとパレスチナの報復の連鎖は、なおも続いている。
国連はなんとかできないのか? 国連事務総長の権威は、どこにあるのか?
・・・
ともあれ世界は病んでいるのだ。
明日は何が起こるのか・・・さえもわからない。
大切な人と少しでも長く、もっと一緒にいるようにしよう。
大切な人をもっと大切にしよう。
なにがこわい? 人の顔? 恐怖の顔? いつ、ここが、戦場になるかわからない。
アフガンにも、“グラウンド〇”がある。
・・・
“アフガンのzero” を喚んだのは、米の報復だ。
“ニューヨークのzero” を喚んだのは、アルカイダのテロだ。
アルカイダのテロを喚んだのは、米のグローバリゼーションやイスラム原理主義過激派
ではないかという。
しかし、ともあれ、19世紀的社会、とくに女性蔑視、人権無視のタリバン政権は崩壊し
たかにみえる。 ![]()
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・・・・・
いつだったか、イスラエルの子どもとパレスチナの子どもを、五、六人ずつ日本に招いた。
日本人の家庭にホームステイさせ、遊びやゲームや野外活動を共同学習させた。
はじめのうちは互いにわざとらしく、ぎこちなく振る舞っていた両国の子ども達が、二、
三日もたつうちに、親しくなり、言葉も交わすようになり、最後に別れる頃は、握手をして・・・
「また、逢いたいね」
と言うまでになっていた。
コーディネータは、NGO の若い人たちであった。
高齢新人類としての【美学】も、こんなコーディネートができたら、最高だとも思う。
・・・・・
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読書ずきの妻に勧められて、村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでみた。
村上春樹の小説は、若者に超人気で読まれていると聞いていたが、老人の私が読んで
も、この一冊だけだったが、興味津々で、思わず『海辺のカフカ』の世界に魅(ひ)き込まれ
た。この小説から多くのものを、もらつた・・・・・。

著者は言う・・・
《 ・・・うんざりさせているのは、想像力を欠いた人々が、T・S・ エリオットの言う“うつろな人間たち”だ。
その想像力を欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚なわらくずで埋めて、塞(ふさ)いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで、表を歩き回っている人間だ。・・・・・
・・・
想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ、一人歩きするテーゼ、空疎な用語、簒奪(さんだつ)された理想、硬直したシステム―僕はそういうものを心から恐れ憎む》
《・・・なにが正しいか正しくないか、その判断の過ちは、多くの場合、取り返しがつく。
しかし、想像力を欠いた狭量さや非寛容さは寄生虫と同じ。
宿主を変え、形を変え、どこまでも続く。そこには救いはない・・・・・》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつだったか、以前私が書いたもので、想像力のテーマについて触れたことを連想して、前述の〈村上春樹氏の思考〉と〈その表現〉に興味を持った。
文中に引用されている T・S・エリオツトには、次のような言葉のあることも思い出された。
「わたしが頭髪の真ん中にハゲを見せながら階段を下りていくと、人々はこう言うだろう
『あの男の頭髪はなんと薄いだろう』」
・・・・・ ![]()
医学はもはや単なるサイエンスではない。
【アート】である。
【アート】とは、芸術ではなく、《思いやりの心》である。
医師が読むべき本の、すくなくとも三分の一は専門の医学書以外の本、文学、哲学、
あるいは自然科学、心理学などの本である。
単なる scientist でなく artist であるための医者のテキストは、医学書以外の本
である。
さらに医者は、医療を患者にほどこすとき、教科書やデータだけをみつめるのでなく、患者の心をみつめる目を大切にすべきだ。・・・
・・・・・ ![]()
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医療ミス、医療裁判があとを絶たない今の日本。
冒頭に述べた文は、今年九十一歳で、ますます元気で社会に貢献しつづけている
医師・日野原重明先生が、ウイリャム・オスラーの言葉を参照しながら、若き医学生に
贈った教えの言葉である。
先生のたくさんの著書には、アンドレジイドやハイデッガー、モンテーニュ、ニーチェ、
シェークスピアなどたくさんの哲学者や文学者の言葉が引用され、深い洞察に裏ずけら
れた著述であることがわかる。
・・・
病気をみて患者をみない医者が意外に少なくない。それもトシを重ねた、むかしの医者に多いようだ。
また検査データやテキストだけにとらわれ、患者の心、患者の体質や個性をみない医者が、医療経験の乏しい若い医者に少なくないようだ。
・・・
医者の世界では、セカンド・オピニオンの考え方が、システムとして機能して欲しい。
また医者は刑法総論第三十五条(正当行為、違法阻却事由、故意、過失がない限り
刑法上は処罰されない)に安住せず、マンネリや“慣れ”に陥ることのないように・・・。
【患者の心に、寄り添う医療と看護を !! 】(名古屋大・付属病院副院長)
・・・
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医療ミスに愕然とし、医療裁判に命を削る遺族が多い。
・・・
いまは基本的には、自己決定と自己責任を問われる時代。
このことは、金融のビッグバーンで、自己責任が問われる以上に、《命の尊厳》がその奧にあるだけに、この問いかけは、はるかに重い。
患者は医療の専門性、密室性、封建制にもかかわらず【医療のイロハ】について、インターネットやセカンド・オピニオン、その他いろいろな著作物をとうして自学自習し、自分の責任で、信頼する医者に依頼し、その医者が提案する医療方法のなかで、『自分に合ったもの』を選択し、主張すべきだ。
なんといっても自分の身体は、自分が一番くわしいし、命は間違いなく本質的に『自分
の命』だからだ。
医療審議会が言うように、基本の姿勢を《説明と同意》におくべきだ。
患者やその家族は、誌上で伝えられる、あまりにもふざけたたぐいの医療ミスを除いて、あとで、医療ミスを理由にゴタゴタ言う資格はないことを、あらかじめ覚悟しておくべきだ。
・・・・・ 
・・・
人生の終末を迎えるために、人はいろいろなことを思案する。
作家や芸術家、哲学者、科学者のなかには、宗教の門をたたく人が少なくない。
たとえば・・・
パスカルも、真っ黒い口を開けた魔のような深淵を前に、たえず安息することを知らない孤独の魂におののきながら、ついに宗教の裾に憐れみを乞うていったという。
・・・・・
十一月八日がやってきた。私も、晴れて七十五歳になる。
私が尊敬する日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)が主宰する【新老人の会】は、七十五歳を入会資格条件としている。
・・・ 高齢新人類として、今、とりあえずこの【新老人の会】の会員になりたいと考えてい
る。
人生チョボチョボ 02/02/04
我が家の東側に、狭い空き地がある。
この空き地に、小さな「離(はな)れや」みたいなものを増築して、娘一家が私たち老夫婦と同居してくれることになった。
「お父さん、何坪くらいあるかしら ? 」
名古屋の北区に住んでいる娘が聞いてきた。
「そうだなあ。大したことはないと思うよ。一度メジャーで測っておくよ」
・・・・・
数日後のある日、二人の孫が遊びに来た。
長男の聡介(中1)と長女の理恵(小3)である。
「そうだ。孫に手伝ってもらって、何坪の空き地かしらべてみよう」
・・・・・
5メートルの巻き尺の片方の端を、妹の方の理恵ちゃん(小3)に持ってもらって、私が他方の端をつかみながら、巻き尺をスルスルと伸ばしていった。
母屋の東端から西端の端まで測るのだが、MAX・5メートルの巻き尺を、5メートル少々越えて伸ばしていったら、スケールが『止まり』になって動かなくなった。あわてて、もとに戻そうとしたが、スケールは、静止したままで、"デン"として、もとには戻ってくれない。
スケールは5メートル10センチくらいの長さに伸びきったままである。ドシロウトの知恵を、さまざまにめぐらせて、『ひっかかり』や『留め金』を、あれこれ、引っ張ったり、押しこめたり動かしてはみたが、スケールは、5メートルと少々、長々と伸びたままになってしまった。
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退職後、(現役時代の若い頃は、ライトの故障、その他電気製品、工作物などのこまかい修理などは、けっこう一家の主人たる私がこなしていたが)トシを重ねて古希をすぎるころからは、5歳トシワカの妻に、万事任せきっているので、早速、妻にもきてもらい、修理を依頼してみた。
しばらく、あれこれいじくり回していた妻も、
「こりゃ、むつかしいわ。引っ張りすぎてこわれたんだわ。分解するしかないのかも・・・」
とお手上げの様子。
定価2,000円の巻き尺だったが、戦中・戦後を生きぬいてきた私たち二人からは、なかなか、おいそれと、
「新しい巻き尺に買い換えればいい」という言葉が出てこない。
そこで次の二つの理由で、巻き尺を買った金物屋に持っていって、修理を頼むことになつた。
一つは、・・・引きのばしたスケールが、なぜもとに戻らないかの理由を知りたいと思ったこと。
二つめは、・・・戦中・戦後の貧しい人生を生き続けたものがもつ共通の、物をムダにすること、使い捨ててしまうことへの惜別の情といったものかもしれない。物への執着をすてるには、"もったいない、もったいない"といった心情である。
長く伸びきったままの巻き尺を、30センチくらいの単位に畳んで、ヒモで結わえて、(のびたままだが、適当な長さに折り畳むことはできる)車のトランクにのせ、巻き尺を買い求めた金物店に向かった。
・・・・・・・・・・・
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金物店のおやじさんは、事務所でテレビを見ていた。
「先日はどうも。おやじさん! この間の巻き尺こわれちゃったよ。もっとも私がこわしちゃったのかもしれんが、ちょっと見てください」
おやじさんは、ぶっきらぼうに、言葉すくなに、
「どれどれ」
といって店に出てきて、折れ曲がった巻き尺の束をほどきはじめた。
「わしも、全然やったことア−ねえが、兎に角、分解してみるか」
語り口はぶっきらぼうだが、その実、おやじさんの表情には、人情がこもっているとみた。
まず小さなビスが2本、真ん中の、少し太めのビスが1本、合わせて3本をドライバーではずした。すると、わけなく蓋がとれた。
長く伸びきったスケールを、巻き尺の中に押し込むと、うまい具合に、スケールがくるくると巻き尺の中に巻き込まれた。
蓋をはずしたために、邪魔になっていた『止めがね』や『引っかかり』が自由になり、スケールが巻き尺の中に、はいれたのだ。
「さあ、これからがむつかしいぞ」
『引き金』や『止めがね』を固定して、改めてスケールのふたを、ビスでしめつけようとしたが、『引き金」や『止めがね」が、なかなかうまく、収まるべきところに、収まってくれない。・・・固定できない。
・・・・・・・・・・
「おい、何してるだ ? 」
汗をかいてあれこれやっているおやじさんを、手伝っていた私は、背後からの、その声に振り向くと、近所のおやじか、おやじさんの知り合いかわからないが、ちょうど、おやじさんと同じ年格好(としかっこう)の男が、修理の現場をのぞきこんでいる。
おやじさんは、その声には応(こた)えず、黙々と、あれこれ試行錯誤に夢中で、『引き金』や『止めがね』がうまく、しっくり、固定するように、ビスを何度もつけ変えたりしている。
・・・・・
「お父さん、電話だよ」
おかみさんが、おやじさんを呼びにくる。
おやじさんが、事務所へ、電話の応対に出ていく。今度は、近所のおやじが、黙って引き継いで、ああだこうだと、フタを固定しようと、あれこれいじくりまわしている。
・・・・・
「どれどれ、わしがやるわ」
電話をすませたおやじさんが、事務所から出てきて、修理をつづける。
巻き尺のふたをしてビスを止めて、
「よし、これで一丁、上り(あがり)だ」
おやじさんの声で、私が巻き尺の『取っ手』を押すと、うまい具合に、スケールが巻き尺の中に吸い込まれた。
しかし、何のことはない、途中で適当な(任意の)位置で止めがねを押しても、スケールはその位置に止まってくれないで、スタートの位置まで巻き込んでしまう。
「これじゃ、まだダメだ。やり直しだ」
・・・・・
おやじさんと、近所のおやじと、私も一緒になって、ダメだった理由について、なけなしの知恵を絞って、ああだこうだ、やってみた。
せっかく締めたネジを再びはずして、巻き尺のフタをあける。しばらくめいめいの、経験の回路をたぐりよせて思案を続けた。
だれが言ったか覚えていないが、多分おやじさんだったろうと思う、問題解決の決定打ともいうべきものに気がついた。
「そうだ。! ! 『引っかかり』と『止めがね』を、フタの中に入れなきゃダメだ。」
「成る程」
「そうかもしれんな」
近所のおやじと、私も迷路から活路を見いだしたように感じた。
店のおやじさんが、『止めがね』と『引っかかり』を巻き尺のフタの中に押し込めてから、フタをして、ネジとビス3本を、ドライバーでしめつけた。
「さあ、やってチョー」
おやじさんに言われて、私は早速巻き尺を、適当な(任意の)長さまで引っぱり出した上でいったん止め、『取っ手』を押すと、スケールはスルスルと巻き尺のフタの中に巻き込まれ、途中で止めがねを押すと、正に、その位置でスケールが止まってくれた。再度『取っ手』を押すと、スケールはフタの中に巻き込まれ、適当な位置で『止めがね』を押すと、変わりなくその位置で止まってくれた。
・・・
「よっしゃ−。成功だ ! ! 」
汗のにじんだおやじさんの顔も大喜び。
「できたな ! 」
近所のおやじも、ホッとしている。
私も、
「こりゃ−、一流のエンジニアだ」
「まさしく、以前と同じ巻き尺に戻ったよ」
「こりゃ、大分おやじさんに手間をかけさせたな」
「技術料も払わんといけんがね」
「おいくら払ったらいいね ?」
私は喜びにあふれた声とまじめな表情で、おやじさんの労をねぎらった。
「なに言うだ。そんなもん、いらんよ」
おやじさんは、相変わらず、つっけんどんに言う。
「手間代だけでも、払わんと気がすまんがね」
「少ないけど、これでよかったら、とっといてよ」
私は、1,000円札を財布の中からとりだした。
「いらん、いらん。ほんとうに、何にもいらんよ」
「弱ったな」
「まあ、とにかく、これで手を打たせてくれよ」
再び、1,000円札を机の上にさしだしたが、おやじさんは、一向に、受けとってくれようとしない。
・・・
近所のおやじが、口をはさんでくれて、
「じゃ、100円でも、もらっておいたら」
私は
「100円か、これっぽっちじゃあなあ。手間代と技術料、すくなすぎるが・・・。本当にこれでいいの ? 」
「どうも、申し訳ないね」
おやじさんは、それでも不満そうな表情をのぞかせて、小さくうなずく。
・・・・・・・
そのあと、おやじさんと、近所のおやじを交えて、世間話がつづいた。
・・・・・・・・・
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「この大きな金物屋は、いつからやってるの ?」
「もう5,60年にもなるかな」
「鍋から鎌、釘、小さいものまで、なんでもそろってるね」
「店の経営がたいへんだよ。一人若いのに手伝ってもらつていたけど、去年やめちゃったよ。いま、ばあさんと二人きりで・・・・しょうがねえよ」
「息子さんはいないの? 」
「2人いるけど、ダメだわさ」
「2人とも、こんな商売向いていねえって、こきゃがる」
「跡継ぎがいねえなんて、もったいねえな」
会社で言えば、定年まじかのおやじさんは、お茶を運んできたおかみさんの方を見やりながら、あきらめ顔につぶやくその表情に、一瞬寂しそうなかげが走るのを見た。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、「もったいない」と思って、持ちこんだ巻き尺の修理を、今も失われないで残っているおやじさんたちの人情で、成しとげたという晴れ晴れとした気持ちと、反面、金物屋の跡継ぎに困りはてているこの老夫婦の心情を思いやっての、複雑な気持ちを抱えながら・・・
金物屋をあとにした。
・・・・・・・・・・・

・・・・
家に帰って、巻き尺が無事に、もとのかたちをとりもどせたことを、妻に話していたら、以前、一日に2回、日によっては3回も、妻と一緒に見ていた『すずらん(NHK朝ドラ・清水有生作)』を想いおこしていた。
・・・・
・・・・・・・・・・
昭和16年3月、早春の原野−・・・。
漆黒の闇をついて夜行列車が疾走している。
その列車は上野駅へ向かう乗客で、かなりごった返していた。
・・・・・・・その物語の台本は、こんな書き出しで始まっている。
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上野駅近くに、安くて、マズイことで評判の、小さな食堂がある。その看板には「猫又食堂」とあり、その下には「うどん一杯十銭」の貼り紙がある。
北海道の北端の地・明日萌(あしもえ)から上京した主人公の常磐萌(ときわもえ)は、上野駅の鉄道員が利用してくれるおかげで、ようやく経営が成り立っているという「猫又食堂」のおかみ・「川村とし」に雇われる。
萌は、まだ顔もしらないが、母の匂いを瞼の奧に激しく刻みつけている生みの母親を捜しての上京である。
・・・・・
萌は、明日萌の中村旅館で働いていた経験と自信で、手際よく大根を洗い、しっぽの部分を捨てたとたん、「とし」の怒号が飛んだ。
「なにやってんだ。もったいない。大根はすてるとこなんかないよ」
「大根の皮は千切りにしてキンピラに、しっぽは、ぬか漬け。ヘタは水に漬けて、伸びた葉をみそ汁の具にすればいい」
・・・これはケチではない。まことに理には、かなっている。
しかし・・・。「とし」はケチといえばケチそのもので、身についたドケチ根性、本質的にはやっぱりドケチで、萌が仕込みをしていると、すぐそばにやってきては、
「もったいない。もったいない。」を連発するのである。
・・・・・
おふくろがまだ若くて元気だった頃、私もこの言葉を何度か聞かされた。豆やいもやカボチャのはっぱの入ったご飯を食っていた時代、この時代を生き抜いた、いま60歳頃を越えている世代は、多かれ少なかれ、この言葉、『もったいない、もったいない』が、骨の髄(ずい)まで、はらわたの底まで、細胞の奧にまでしみわたっていたような気がしている。
・・・・ 振り返ってみて、
近頃のご時世。フツーの店では、こんな巻き尺の修理なんかを持ち込んだら、おそらくは即座に断わられるに違いない。かりに修理を引き受けてくれたとしても、
「だんなさん。新しく買うより、かえって高くつきますよ」
と言われるのが、関の山だ。たしかに2000円なにがしかを財布からとりだせば、間違いなく、なにひとつ手数をかけずに、かんたんに、安直に、新しい巻き尺が手に入るのである。
・・・・・
なんでも手に入る豊かな時代。大量生産の経済の巷(ちまた)で、うつつをぬかしてきた私たちは、バブルがはじけ、やがてまた貧しい時代がやってくるかもしれない。しかしなお、私たちは、まだ「使い捨て」の残照の中で、日常を重ねている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
金融正常化論や「聖域のない構造化」も叫ばれている昨今、私たちはそろそろ、「猫又食堂」のおかみ・「川村とし」さんの「もったいない、もったいない」の感性を思い起こしてみてもよい頃かもしれない。
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