▼赤っぴの本棚メモ

お客さまへ
リンクの貼ってあるとこだけ、感想とか置いてあります。
ネタバレのあるページもあるのでご注意。
to be continued...

●未読/○途中まで/×処分

山口 洋子(やまぐち・ようこ)

演歌の虫/文春文庫
200205/T先生とT氏と六本木で飲んだときにに勧められた本。男みたいな文章。すげぇカッコイイっす!

山下 悦子(やました・えつこ)

きもの歳時記/平凡社ライブラリー

着物の世界ではどうやら有名な方らしい、山下悦子さんの着物エッセイ集。タイトル通り1月から12月まで季節ごとに、着物にまつわるあれこれを書いている。着物そのものについての伝統についてはもちろんだが、どちらかというと古くからある日本人の考え方とファッション(要はきもの)の結びつきや由来、それが現代にどういう形で継承されているか、といった部分が面白かった。山下さんの、冷静で的確な現代風俗に対するツッコミは貴重だと思う。読むとなんとなく大和撫子に近づけそうな気分になる一冊。

山田 詠美(やまだ・えいみ)

私は変温動物/講談社文庫
晩年の子供/講談社文庫
せつない話/光文社文庫/山田詠美編
せつない話 第2集/光文社文庫/山田詠美編
ラビット病/新潮文庫
風葬の教室/河出文庫

山田 太一(やまだ・たいち)

異人たちとの夏/新潮文庫
丘の上の向日葵(ひまわり)/新潮文庫

山本 一力(やまもと・いちりき)

×あかね空/(出版社どこだっけ?ハードカバー)
T先生お勧め本第1号。この本がとても面白かったがために、先生との話もはずみ始めた。時代小説好きだからねぇ。ちょうど子供が生まれたばかりの妹にプレゼントする(というわけで手元にはない)。まさに彼女のために書かれたような小説。これから家族を持つ…というか子供を持つ人がいたら、ぜひ読んでもらいたい物語だ。

山本 周五郎(やまもと・しゅうごろう)

おごそかな渇き/新潮文庫
映画『雨あがる』の原作本。

養老 孟司(ようろう・たけし)

バカの壁/新潮新書

0307/「話せばわかる」なんて大うそ! …というオビのキャッチコピーにつられる。だって私もそう思うもん、てなわけで。“本来、意識というのは共通性を徹底的に追及するものなのです。その共通性を徹底的に確保するために、言語の論理と文化、伝統がある”(p48)など、なるほど、そう考えれば良いのか! と目から鱗並にバンバン折り目付けていくが、やっぱり読み終わると忘れてしまっているな。困ったものなので、せっかくなので折り目をつけたところを引用しておきます。書き出すだけでも多少、脳みそに残留する期間が長引く気がするので。

“生き物とは、どんどん変化していくシステムだけれども、情報というのはその中で止まっているものを指している。万物は流転するが、「万物は流転する」という言葉は流転しない。それはイコール情報が流転しない、ということなのです”(p54) 近代における個人は己を情報として規定するつまり「私」という同一性を不変の情報と考えるようになった。ほんとは人間て変わるものなのに、自分は変わらない個性を持つ、と思い込んでいる。“知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わって見えてしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも”(p60) 

“意識にとっては、共有化されるものこそが、基本的には大事なものである。それに対して個性を保証していくものは、身体であるし、意識に対しての無意識といってもいい”(p67)…共有化にはタイムラグも存在するのだが。人間の脳みそを、一つの処理装置と考えた場合、外部からの入力だけでなく、“入力を自給自足して、脳内でグルグル回しをする。良く言えば思索と言えるけれども、このグルグル回しばかりやっている人というのは(中略)何も生み出さない人間だということになる。(中略)これだけ巨大になった脳を維持するためには、無駄に動かすことが必要なのです。とはいえ、常に外部からの刺激を待ちつづけても、そうそう脳が反応できる入力ばかりではない。そこで刺激を自給自足するようになった”(p80) 

“実は自分にとって一番身近な身体の扱い方を個人がわからなくなってしまった状態のままなのです。日本の場合、三代、四代遡れば殆ど皆、百姓です。つまり都市の人間ではない。そういう人たちが、近代になって突然、あちこちで自然が都市化したのに伴っていきなり都会人になってしまった。ここでいう「都市」とは、前章でも述べた脳化社会のことです”(p90) 

“近代の戦争は、ある意味で欲望が暴走した状態です。それは原因の点で、金銭欲とか権力への欲望が顕在化したものだから、ということだけではない。手段の点において、欲が暴走した状態である。なぜなら、戦争というものは、自分は一切、相手が死ぬのを見ないで殺すことができるという方法をどんどん作っていく方向で「進化」している。ミサイルは典型的にそういう兵器です。(中略)死体を見なくてもよい。(中略)その結果に直面することを恐れるから、どんどん兵器を間接化する。別の言い方をすれば、身体からどんどん離れていくものにする。”(p184〜185) 

“金には何らかの価値の根拠があるわけではない。その金が何で通用するかというと、私が使った一万円を貰った相手が同じ一万円として使えるという思い込み、でしかない、ということです。(中略)「と思っている構造」の中で通用している。これは実は裏付けがない。だから、別な言い方をすれば、紙幣の発行には限度がない”(p189)

 …以上、非常に偏った考えだなと思うところもあれば、なるほどなと思うこともある本。しかし問題は、私自身にこれらのことを自分の論の中に組み込んで処理していくだけの装置がないことだ。無駄なグルグル回しは結構やっているんだけどな…。無駄なグルグル回しを承知の上で、ちと考えてみよう。

 人間の脳みそは、いろんなことをバーチャル化するという欲望を持っている。金というシステムに始まり、兵器もそうだ。つまり、一握りのバーチャル志向のやつらのバーチャルな欲望に、身体を持った何千万の人間が巻き込まれているのが今の状態とすると、そいつらに巻き込まれないために今後必要なのは、バーチャルな欲望にいかに制限をつけていくか、ということだろう。その存在は法律であるはず。法律はバーチャルと身体の狭間にあるものだからだ。しかしながら、この法律を動かしているのは圧倒的に都市型、脳みそ型、つまり、バーチャルタイプの人間となる傾向がある(学歴社会とはそういうものである)。経験の欠落は想像力によって補うことができるが、身体が最低限の経験ができていない人間はやはりその想像力にも限界がある。というか、少なくとも私はそう思う。…だめだ、どうしていいかわからん。学者にはなれんな。

吉本 隆明(よしもと・たかあき)

共同幻想論/角川文庫

渡辺 淳一(わたなべ・じゅんいち)

桜の樹の下で(上)(下)/新潮文庫
渡辺淳一は後期になると都合のいい女のことしか書いてねぇんじゃねぇのか? 初期の医療ものとか結構面白いのにな。

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