|
|
|
あれからもうだいぶ経ったような気もするし、まだなんか実感が湧かない気もします。 こんな風に時間というのは流れていくものなのかもしれない。なんだか不思議だなぁと思うのは、こうして流れる時間の中にあなたがもういないということだ。つまり、自分が知っていることを共有することはないということ。当たり前のことなんだけど、それはとても奇妙なことだ。 それから、私は「死」というものに敏感になったような気がする。 なんだかんだ言っても、本当に身近な人に「死」が訪れたことがこれまでなかったので、曖昧なイメージ、テレビから流される有名人の御葬式のイメージ、漫画や本で読んだことのあるイメージ、映画で見るイメージでなんとなく「死」が形作られていたのだ。だから「●●さんが亡くなった」と言われて泣いたり、悲しそうな気分になってはいてもピンとこなかったのが実情だ。BOOWYの「モラル」という曲の中に「俺はニヤッと笑っちまった」という詩が出てきてそれが、とても印象に残っている。それは実際ありえることだろう。関係がないというのはそういうことだ。人が一人死のうがどうでもいいのだ。ただ、決まり=モラルだから悲しそうな顔をするだけだ。 ただ、今回はそうはいかなかった。何か自分の中に空洞ができた。それは下に書いたのだが、他の人、つまり今まで関係のあまりなかった人たちの「死」というものにも、胸が縮むような感覚を覚え始めたのだ。特に若い人だった場合はなおさらだ。ここでいう若い、は寿命をまっとうしていないという意味だが。 やはり自分が経験するとしないでは感じ方が全然違う。だから「ありがとう」というのはおかしいが、あなたの「死」は確実に私を変えた。 そしてもう一つ気付いたことがある。それは「死」が回りにあふれているという事実だ。「死」は曖昧なものとして頭にあったので、今まで私の中では曖昧に処理されていたのかもしれない。それがしっかりと輪郭を持ち始めたとたんに、あちらにもこちらにも、「死」はあるのだ。まさに日常茶飯事のことなのだ、と気付いた。そんなこと頭では理解している。人は死ぬものなんだから。でも、実感として感じたのは「あなたの死」以後なのだ。
|
|
今日の朝電話がかかってきて、昨夜あなたが亡くなったことを聞きました。 高校時代から今まで、考えたこともなかったけど、この話を聞いて「ああ親友だったんだな」と実感して涙が出て止まりません。 なぜ逝ってしまったのか? 大学の先生とか、職場関係のおじさんとか、そういう人が亡くなったことはあったけど、おじいちゃんもおばあちゃんも、両親、兄弟、みんな生きている私にとって、「人の死」がこれほど身近に感じられたことはないです。しかも、その中でなぜあなたが一番最初に逝ってしまったのか。まだまだ早すぎるでしょうが。 わからない。 こんなことインターネットに出そうとしている自分もわからない。 あなたのギターが大好きだったよ。マネをしようとしてもどうしてもできなかった。借りっ放しだったワウペダルをこないだ返して欲しいって電話くれたのが最後だったね。「これから人に貸しっぱなしだったものを返してもらおう月間にするつもり」とも言ってたね。 返そう返そうと思って手紙も書いたのに、まだ手元にあります。なんですぐ返さなかったのか、手紙だって読んでもらえたはずなのに。そんなたいしたことは書いてないけど、今朝読み返して、ああ、もうあなたに読んでもらえないのだな、と思ったら悲しくてしょうがなかった。でもごめん、こうなったら返さないで私もらっちゃうから。手紙は持ってってよ。 コーヒーの広告じゃないが、黒で悲しみをきどるのか? でも私が実感した悲しみの色は、黒ではなかった。無色透明だ。白だ。空っぽ。何もない。何も何も何も何も何も何もそこにはない。空しい色だ。ただ、あなたがもういないのか、ということと、あなたの死に対して私が無力だったという事実だけだ。 最近仕事が忙しいからと言って連絡もとっていなかったことが悔しい。ただそれだけだ。 ばかだなぁ、なんで死んだりしたんだよ、あほ。 頭を回るのはこんな言葉ばっかりだ。こんなことしか考えられない。なんでなんでなんで? こればっかりだ。でも理由を聞きたいわけじゃないし、そんなのどうだっていい。ただ、なんで?だけなんだ。 なんでもう生きてないんだ? こんなものを書きながら、また涙が出てきた。あほか。 これから私の目に映る全てのできごとを、あなたが知ることはありえないけれど、あなたの分も生きるなんて言えないけれど、多分私はしぶとく生きていくだろうから報告はできると思います。悩んだり楽しかったり、いろんなことがあったね。絶対に忘れることはないです。 親友のあなたへ、愛をこめて。 こんな個人的な文章におつき合いいただいたあなたにも、愛をこめて。 |