「君らも、オスカーに騙されて私を殺しにきたのか?」

 ベネディクトはとっくに戦意を無くしているように見える護衛から剣を引くと、今度はそれを平民達へと向けた。動けないでいる私をかばうように、目の前に回りこむ。淡い金髪の襟足が血に濡れているのが見えて、私は息を飲んだ。

「だまされて? ――だまされているのは、あんただろう」

 口を開いたのは、じりじりと距離をつめてくる男達の一人だった。手にしている武器は、他の男達と同じで、兵士のもつような剣や槍なんて立派なものではない。使い込んで刃の欠けた大きな斧は、身に切迫した、生々しい恐怖を感じさせた。

「魔女なんかにだまされて、俺達を裏切るとはな。これまで俺達は、あんたのことを随分と買いかぶっていたらしい。我々を踏みつけて私腹を肥やした先代や先々代と比べれば、格段に分別がある人間だと思っていたが、所詮、かえるの子はかえる。人でなしの子は人でなしか」

 憤りの感じられる口調。彼らにとって、ベネディクトはそれなりに良い隣人だったのかもしれない、と改めて思った。同じ平民でありながら彼らの生活を虐げてきた父達とは違い、ベネディクトは彼らの生活に干渉することはなかったのだ。それどころか、彼を頼ってきた貧しい人々を雇用し、村人に請われるままに金を送っていた。ベネディクトがまともな性格をしていたら、今頃は、付近の住民に慕われる立派な人物だと呼ばれていたことだろう。
 だが、ベネディクトはあからさまに不可解そうな声を出した。

「裏切るという言葉は理解できないな。元より、何かを約した覚えもなければ、志を同じくしたことも無い。だいたい、魔女を囲っただけで何をそんなに騒ぐことがある? 魔女が災厄をもたらすなどという迷信は、何の科学的根拠も無い。そのような考え方じたい、完全に時代遅れの代物だと思うがな」

 どうしてそう、火に油をそそぐようなことしか言えないのだろう。
 男達の顔がみるみる険しくなっていくのを見ながら、私は身を縮めた。ベネディクト、と諌めるように声をかけたが、彼は振り向くそぶりすら見せない。
 代わりに、男達の気を引いてしまったらしく、彼らの視線が一斉に集まった。男達の目に、ぎらりとした異様な光が点る。一人が、私とベネディクトを見比べるようにして、言った。

「あんたには失望したが、あんたに恩義を感じている人間もいるからな。あんたが――もしその魔女を殺して平和を取り戻す努力をする気があるなら、あんたの命は助けてやっても良い」

 魔女を殺す。そんな声に押されるように、私は小さく後ずさった。
 平和を取り戻す努力をと彼は言ったが、私の存在が、いったいどんな争いをもたらしたと言うのだろう。だが、それを言い返すどころか、彼らと目を合わせることすら出来なかった。思わず前に立っているベネディクトの背中を見るが、彼は私を振り返らない。どんな顔をして立っているのか、想像もできなかった。
 しばし流れた沈黙が、不安を掻き立てる。どうしてベネディクトは何も言わないのだろう。もしも、自分の命と私の命を天秤にかけているのだったら――自分の命をとるに違いない。誰だって、私だって、自分に剣が突きつけられていたら、何をおいても助かろうとするはずだ。

 本当にベネディクトが私を殺そうとしたら、私はどうしたら良いのだろう。ベネディクトの上体が微かに動いて、私の体はびくりと反応した。こちらを振り返って剣を向けるのではないかと思ったからだったが、単にふらついただけのようだった。

「君らは要するに、私を殺せば金が手に入ると言う嘘に踊らされてここにいるのだろう。ならば私が魔女を殺しても私が殺されることは目に見えている。真面目に議論するのもばかばかしいな」

 そこまで言ってから、彼は一呼吸おいた。男達を見回したが、勿体つけたというより、単純に息が続かなかっただけらしい。立っているのもつらいといった様子で、剣を持っていない方の手を頭に当てる。

「ついでに言えば、私を殺した君らが殺人罪でオスカーに断罪されることも目に見えている。一応、他人事ながら忠告させてもらうと、貴族の言う言葉を信じるのは愚かとしか言いようが無いぞ。そもそもオスカーが関わっているとも思えないが、本当だったところで、彼は報酬――納税の免除だったか――など渡すつもりは無いし、私を殺した罪をかばうつもりなど無い」

 ベネディクトの言葉に、男達は少しだけひるんだようだったが、それでも殺気のような荒んだ気配が減じることはなかった。逆に自らを奮い立たせるように、強く武器を握るのが分かる。

「命乞いはそれで終わりか? 魔女を殺す気が無いのなら――」
「無いな」

 男の台詞を遮るように、ベネディクトはそっけなく言った。

「だが、自分の命も惜しいと言えば、惜しい」
「動くな!」

 歩き出そうとしたベネディクトに、一斉に男達が武器を突きつける。にもかかわらず、ベネディクトは全く気にした風も無く、くるりと背を向けると私の鎖を引いた。

「逃げる気か……!?」

 いいや、と彼は言ったが、そのまま一番近い部屋へと入った。鎖を引かれていた私も当然後を追ったが、私の背後にいる男達は誰一人として私に武器を向けはしなかった。魔女を畏れているというのは、本当なのかもしれない。だが、さすがにベネディクトを逃がす気はないらしく、彼らはそのまま部屋になだれ込んできた。シンプルではあるが豪奢でもある部屋に、みすぼらしい格好をした男達はかなり浮いた存在に見える。
 ベネディクトは、普段と変わらない様子でソファに腰を下ろすと、優雅に足を組んだ。

「君らにとって最善となる道を提示しよう」
「なに?」
「君らは私を殺して金が欲しい。正確に言えば、私を殺すことで私の金がオスカーに入り、君らはオスカーから税を免除してもらいたいと思っている。実際には、10割の確率でそんなことはないんだが、君らはそう思っている。貴賤を問わず、妄想は自由だからな。勝手にすれば良い。魔女が云々と言っていたが、結局のところ、君らが苦しんでいるのは貧しさに対してだろう。ここから魔女を放逐したところで、君らの生活は何も変わらない」

 だから何だって言うんだ、と男達は訴えた。生まれながらに恵まれたベネディクトなどとは違い、彼らは生きるために必死なのだろう。口々に不満を訴える彼らの様子を見て、ベネディクトは首を傾げようとした。だが、傷の痛みに気づいたのか、代わりに顔を顰める。

「いっそ不思議なんだが、人の屋敷を襲撃しておきながら、それをわざわざそれをオスカーに報告しに行き、僅かばかりの分け前をもらう必要がどこにあるんだ? いっそ、ここの金を皆で山分けする方がよっぽど大金を手に出来るだろう。加えて、殺人や強盗の罪を全てなすり付けられる危険性も減る。賭けても良いが、オスカーに報告しに行けば、全員、その場で殺人の罪で投獄されるぞ」
「……金を盗むのは、盗人の所業だろう。私たちは、領主様の命で動いているんだ」
「それを大義にすれば責任を転嫁できると思っているのかもしれないが、それで逃れられるのは罪悪感からだけだ。罪は罪だし、盗人と殺人はどちらの方が罪が重いか、考えればすぐに分かる」

 ベネディクトはそう言ってから、そういう問題ですらないな、と加えた。必死に話を聞いている男達が、すがるようにも見える様子で問いかける。

「どういうことだ?」
「話が逸れてしまったな。私は、私とソフィアの命を、君らの言い値で買おう。私の財産全てが必要だと言うのなら、それも良い。それならば、君らは盗人にも殺人者になることはないし、オスカーから与えられる予定だった富よりも多くの金を手に入れることが出来る。オスカーや他の貴族から利用されることもない。罪悪感もない。君らにとっては最善の道だろう」
「……俺らがここの金を持っていくのを、あんたは黙って見ていると?」
「死ねば金など必要なくなるからな。金を惜しんで死ぬことほど、愚かなことはないだろう。好きにすれば良い」

 ベネディクトはそう言うと、自らの血がべったりと付いた掌を見下ろした。彼の視線が外れたせいか、男達は強張らせていた顔を困惑した表情に変えて顔を見合わせる。ベネディクトの言った言葉を、どこまで信じて良いのか、ということだろう。そんな男達に対し、ベネディクトは視線を落としたまま、軽い口調で話しかける。

「金庫を開けたいのなら、鍵は隣の部屋のデスクの底だ。ついでに言えば、その辺に転がっている壺を一つ持っていけば、新しい土地で遊んで暮らせるだけの金にはなるはずだ」

 男達はぎょっとした顔で足元にある壺を見下ろした。彼らはしばらく凍りついたようにそれを見ていたが、やがて、一人が恐る恐る手を伸ばす。それを見た瞬間、彼らは火がついたかのように猛然と走り出した。廊下を走っていく音、ドアが開けられる音が色々な場所から聞こえてくる。他の人に盗られてしまうくらいなら、自分が、というところだろう。略奪が開始された音は、派手だった。

 私は全員が部屋から出て行ったのを確認して、ようやくソファに飛びついた。ベネディクトは首に負った怪我を右手で押さえ、体の方はぐったりと力なく背もたれに体重を預けていた。男達と喋っているときは凛として見えたが、彼らの姿が見えなくなると、途端に弱弱しく見える。

「大丈夫? 血は止まってるの? 痛む? 気分は悪くない?」

 矢継ぎ早に言った私に、彼は無言で体を傾けてきた。

「ちょっと……」

 冷たい腕が、私の首に巻きつく。抱きすくめられた格好になって、私は慌てた。身動きをすると怪我に障りそうで、動けない。それ以上に、彼の全体重がかけられているのか、肩にも体にもずっしりと彼の重みがかかっていた。

「痛いに決まってる。体が重たいし、血も足らないのか、くらくらする」

 辛そうな彼の言葉に、私は何を返せば良いのか分からず、彼の背中にぎこちなく手を回した。子供をあやすように、背中を撫でる。それで痛みが和らぐとも思えなかったが、傷を診ることも出来ない私にはそれくらいしか出来なかったのだ。しばらく、彼は力なく私にもたれかかったままだった。眠ってしまったのだろうか。そう思えるくらいの時間がたってから、耳元で柔らかい声が聞こえた。

「ソフィアの体は私の体温より冷たいはずだが、今は温かいな」

 息苦しいような重さが消えた。
 ベネディクトは私の肩から自分の体を引き離すと、私の顔を覗き込んできた。とびきり透明な青い瞳が、私の目をまっすぐに射る。顔が熱くなり、頬まで赤くなっているのではないかと私は焦った。

「命は何度も狙われたことがあるが、これほど真面目に死にたくないと思ったのははじめてだな。おかげで、自分の命の値段が随分と高くついた」

 命はお金では買えないと言いたかったが、実際にベネディクトと私の命は金で助かったし、私なんてこれまでも何度もベネディクトに金で買われている。ベネディクトにとっては、本当に金で買えないものなど何もなかったのかもしれない。
 そう考えると、私は、急に不安になった。何せ彼は、生まれて初めて一文無しになってしまうかもしれないのだ。

「どうするの……? これから」
「私が金を奪われたと聞いたら、皆、私に対する興味を失うだろうな。結婚の申し込みもなくなるだろうし、やたらと国の役人が屋敷を訪ねてくることもなくなる。無駄な時間を割かれることもなくなるから、有意義に時間を使えるか。ふむ。楽で良い」
「楽で良い、って。楽かもしれないけど、これからどうやって暮らすのよ?」

 ベネディクトが額に汗して働く姿など、想像も出来ない。そんな言葉を存外に含めた問いだったのだが、ベネディクトはそんなことは欠片も考えていないようだった。将来に何の不安もない子供のような顔で、軽やかに笑う。

「そうだな。屋敷を片付けるのも面倒だし、しばらく旅に出ても良い。馬車は屋敷の外に所有しているものもあるんだ」
「旅に出るの!? ベネディクトが?」
「外に出るのはあまり好きではないが、死ぬ前に行ってみたいと思っている場所ならいくつかある。百聞は一見に如かずというだろう。それに、ソフィアと一緒なら、旅程も退屈はしないだろうしな」

 さらりと言われた言葉に、どきりとする。

「ふたりで行くの?」
「ああ」

 彼は両手でそっと、私の頭を包むようにした。いつもは温かい指先が、今はひんやりとして冷たい。驚く間もなく、彼は私の頬に顔を寄せた。冷たい唇が額に当てられ、それから唇に重ねられる。触れるか触れないかくらい。だけど、火を飲み込んだみたいな熱さが、体中をめぐっていた。

「ついてくるだろう?」

 絶妙なタイミングで重ねられた問い。
 彼は、実はすごい女たらしなのではないだろうか。私はまともな思考を働かせる余裕もないまま、返答を口にしていた。

***

「このたびは――非常に、ご不幸があったとか」

 粛々とした雰囲気で屋敷を訪ねてきたのは、レーゼル侯爵その人だった。

 屋敷が付近の領民達に襲撃されてから三日後。屋敷の様子は全くひどいものだった。窓ガラスは割れたままになっていたし、赤い絨毯は泥に汚れたままになっている。屋敷中の部屋と言う部屋が荒らされ、クローゼットが壊され、金目の物が持ち出されていた。

「えぇ。不幸と言えば、不幸でした。せっかくの庭が荒らされてしまってね。論文が完成出来なくて困ってます。あそこには、交配実験中のマメを植えていたのですよ」

 ベネディクトは紅茶を片手、論文を片手に、ぞんざいな返答をした。
 彼が客人を迎え入れたのは、屋敷の中では最も被害が少なかった書斎である。男達は現金だけでなく装飾品や家具や調度品といったものまで盗んでいったが、広い書斎を天井まで埋め尽くしている書物には何の価値も見出さなかったらしい。軽く物色した形跡はあったものの、ほとんど何も持ち出された形跡がないと彼は言った。ついでに言えば、何に使うか分からないような実験道具や研究器具も価値無しと判断されたらしく、実験室も被害が少なかった。ベネディクトにとってみれば、何より行幸なことだっただろう。

「屋敷の被害は……?」
「見ての通りですよ。この部屋は無事でしたが、他の部屋はひどいものです。金庫の中の金も全て持ち出されている」
 
 顔を顰めながら、ベネディクトは言った。そんな彼を注意深く観察して、レーゼルは慎重に口を開いた。

「先日、君から使いをもらった。が、正直、意味が分からない。君に対する干渉行為を辞めなければ、しかるべき機関に訴える――そう書かれていたが、干渉行為? 何のことだ? この私が、君のような平民に干渉する意味がどこにある」

 口調では静かな怒りを装っているものの、内心でほくそ笑んでいるのがすぐ分かる。金を失ったベネディクトなど、もはや敵でもなければ利用価値すら無いと言いたいのだろう。一平民が訴えたところで、侯爵であるレーゼルには痛くも痒くも無いに違いない。

「そうですね、先日の手紙には誤りがあったかもしれません。命を狙われたことで、気が動転していたのですよ」

 ベネディクトは顔色も変えずに言うと、さりげなく首もとの包帯に手をやった。

「怪我をしたのか?」
「えぇ。かすり傷ですけれどね」
「それは災難だったとは思う。だが、それで私に対する侮辱が許されると思ったら、それは大きな間違いだ。多少、姫様に気に入られていい気になっていたのかもしれないが、所詮は平民。身の程を知ってもらおう」
 
 そう言った彼の表情は実に楽しげであり、私は密かに眉を寄せた。
 彼ははじめ、ベネディクトの金欲しさに、熱心に彼を娘婿にしようとし、それが無理だと分かると今度はここの領主であるオスカーに罪を着せて彼を殺そうとした。平民でありながら、王族へも深いつながりを持つベネディクトが目障りだったのだろう。だが、それには失敗したものの、いまやベネディクトは金も持たないただの人である。今回の訪問も、それを笑いにきたらしい。屋敷の惨状を目を丸くして見回しながら、内心では笑いが止まらないらしい。実に分かりやすい人物だと思う。
 ベネディクトは、真面目な顔をして頷いた。
 
「えぇ。身の程は良く知っています。私はか弱き市民ですからね。自分の身を守るためには、それなりに手は打たなければならないと思っています。――昨日、姫の使いが私を慰問してくださいましてね。良い機会でしたので、私の身に何かあったら、と、色々と言付けておきました。詳しい内容は申せませんが、あなたにも疑いがかかることはお知らせしておきます」
「な……何を言っている?」
「もちろん、侯爵のように国の役人や王族の皆さんと謁見できる立場にはりませんからね。単なる姫の知人として、お話させていただいただけです。正式なものではありませんが、私が不慮の死を遂げれば、侯爵にも何かしらの目が向けられるでしょう」

 姫の知人として、とベネディクトは言ったが、国王の孫娘であるファンディーヌ姫がもう何年もベネディクトに首ったけであるのは周知の事実らしい。九歳の幼姫であるとはいえ、彼女が騒げば事件くらいにはなるだろう。馬鹿なことを、と言ったレーゼルに対し、ベネディクトは部屋を出て行くように身振りで示した。

「もっとも、侯爵は私などになんら興味は無いでしょう。いまや私は単なる平民に等しい。――ただ、私の身の安全だけは祈っておいてください。王族の皆さんから妙な疑いをかけられないためにもね」

 お金を盗まれたからと言って、ベネディクトが単なる平民に等しいかどうかは、大いに疑問である。実際、侯爵は単なる平民である彼に対し、何も言い返せずにぽかんと口をあけているのだ。

「私はしばらく傷心の旅に出るつもりです。レーゼル候も、どうぞお元気で」

***

「さて、行くか」
 
 ベネディクトはそう言うと、庭に用意した馬車を見た。
 白い大きな幌のついた四頭立ての馬車は、襲撃されたときに乗っていたものである。内装は相変わらず豪奢なもので、最高級の絨毯の上にはソファの他に、寝台や本棚まで運び込まれている。本やら着替えやらはたくさん入っているものの、食料や水を詰め込む様子はない。

「ねえ、食べ物とかはどうするの」
「買えば良いだろう」
「お金は?」
「金か」

 思いついたように言った彼に、そこはかとない不安を感じた。彼と一緒に旅になんか出て、本当に大丈夫なのだろうか。頭が良いのは間違いないが、私よりもずっと世間知らずに違いないし、何よりこれまで苦労をしたことがあるとも思えない。
 ベネディクトは少し考えるようにして、腕を組んだ。

「金ならある。父が多くの埋蔵金を残したようだからな」
「埋蔵金って?」
「埋蔵金といったら埋蔵金だ。庭に埋めてあるらしい。仮に盗人が入ったところで、五重の金庫の中に金があればさすがに庭を掘り返そうとまでは思わないだろう、と考えたらしいな。しかも、それを死ぬ三分前まで息子にも言わないんだから、守銭奴っぷりも徹底してる」

 彼は苦笑しながらそう言うと、屋敷に残った使用人に庭を掘り返すように指示した。
 どうやらベネディクトには人徳があったらしく、給金は要らないからこれまでの恩返しをしたいと屋敷に残った人間もいたのだ。とはいえ、ベネディクトは情やら金の絡まない関係やらはまったく理解出来ないらしい。奇人でも見るかのような目で彼らを見ていたが、やがて肩を竦めた。勝手にしろということらしい。なんにせよ、その内の数名が、旅にも同行してくれるというから、少しは安心していた。
 私は控えめに声をかける。

「いくらお金があっても、少しの食べ物と水くらいは持ってた方が良いんじゃない? いつでも買えるとは限らないし。お水も、場所によってはとっても貴重だから、譲ってくれないかもしれないし」
「なるほど。それもそうだな。用意させよう」

 思いついたように言ったベネディクトに、私の中には不安を通り越して、諦めたような感情が浮かんだ。だめだ、この人は。私がついていないと、本気で何をするか分からない。

 そんな私の感情など、彼は全く気づいてはいないのだろう。ベネディクトは眩しそうに眇めた瞳で青い空を見上げてから、私を見た。楽しそうに口元に笑みを浮かべて、子供のような顔で言う。

「ソフィアはどこにいきたい?」

 ――この瞬間、私は完全に彼に囚われているのだと感じた。見えない鎖に引かれるようにして、私は彼の手を取った。
 

*Fin*

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