akirajaのNewYork旅日記 PartU
6月2日(日)
今日から後半、今回の目的の一つだった、仲間と連絡取り合って、旧交を暖めると言う事は十二分に果たされた様な気がするが、未だ今一つ古き良き時代のあのNYの音に触れていない。Mingus、Blakey、そしてStittが居ない今、もうあの半端な奴は寄せつけないギラギラした、しかもあの奥深いNYSoundは消滅してしまったのか?
新聞をめくっても、この前まで一緒にセッションしてた様な奴等の名前しか出てこない。時代の流れは致し方ないと思いつつも、一つだけIRIDIUMでSam Riversとあり、これは行きかな、と初めてメジャーな店にちゃんと金払って行って見る事にした。
minimum30ドルはやはり高い、凄くお洒落で綺麗なHouseはやはりSam Riversの音楽とはミスマッチだが、そのTenorの音は本物だった。
やっと60〜70年代を生き抜いて来た音と巡り逢う、リズムセクションも真っ黒、あのシャープさとアイディアの出所が計り知れない。
初めて知っているNYと再会出来た気分になった。
3日(月)
この前「Aturo's」で霧生さんと会った夜、ある日本人の女性Voにチラシをもらい「今度ハーレムでやるので」ということだったので太郎氏を誘って行く事にした。ハーレムには昔も時々Jamに行ったが、大体オルガンが置いてあって一種独特の熱い雰囲気があった事を覚えている。
そんな所で日本人も頑張っているのか、と未だ会っていない小濱君ともそこで会う約束をして出かけた。
125st、あのアポロシアターも有るハーレムのど真ん中である。店に着くやステージをみてビックリ、なんと日本人の女の子Bandであった。
客席は半分が日本人、あとは黒人と日本人のカップル。日本でも近年女の子Bandという不純なニーズに応えるGigが横行しているが、まさかハーレムにまで…、「是非楽器を持ってきてください」と言われてたのだが、このショーの片棒担がされるのには耐え切れず、そそくさとその店を出て、その脚で前行ったBronxのセッションBarへ行き、思いっきり吹いてきた。小濱君には悪い事したが結局会えずじまいだった。
●女の子バンド…女の子バンドの何がいけないって?別にやってる女の子達を非難する気は無い、全てのエンターテインメントはニーズを満たす処に基本動機が有るとすれば立派な出し物である。ただ問題はその仕掛け人である、大体そこには安易で不純な発想を持ったオヤジの影がちらつく。それも寄生虫みたいなジャズ界の逸れ者のオヤジ、又は業界人間のCheapな発想に踊らされ、使い古され、ポイ棄てされて潰れて行く。その芸能界紛いの繰り返しに群がるオヤジも女の子も後を絶たない。…一種独特な日本ジャズシーンの一面である。
4日(火)
今日は最初にアメリカへ来た時に頼った、ZEN松浦夫妻と会う事になっている。
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ZENは僕が初めて東京でLIVEを始めた頃70年頃からの付き合いで、僕より半年位先に来て当時としては先駆者的存在、それだけに人一倍苦労して、その後アメリカ人女性と結婚、Drumsをやりながらアパートの大家もしてBlooklynに住んでいる。僕等の最後のアパートの大家でもある。 |
十代の小娘だった頃から知っているカミさんのTanyaもしっかり塾女に,なかなかいい女になっていた。
アパートの廻りも黒人は少なくなって静かな住宅街に、近くの通りもお洒落な店が増えてずいぶん様変わりしていた。
彼ら曰く、今はNYのCultureはManhattanからBlooklynへ移って、昔の臭いも辛うじてこちらに存在すると言う。
彼らの案内で僕が昔、通りで襲われて金取られた時のアパートへ、そこもゴージャスな高級マンションになっていた。あの時買っていたら凄く儲かったと言う。
それからわりと近くに「Up Over Jazz Cafe」というLive Houseが出来ていて覗いてみたが結構良い雰囲気、スケジュール表にMonday Night Jam
Session with Vincent Herringとあり、ウンこれは又来なくちゃ!とManhattanに戻る。
そのあとSmall’sでJoshua Redmanがやるという情報をcatch行く。
Small’sといえば今度7、8日Richieが自分のクインテットでのGigがあり、ぼくもゲスト出演する事になっていたので、偵察の意味もあった。
ここはチャージ10ドルで飲み物は持ちこみ、という若者に人気のLive House、この日も若者で超満員だった。
Joshuaも伊達に人気者では無い、テクニック、音色、アイディアどれも遜色なくぐいぐい迫ってくる、満場大盛りあがりの熱演であったが、
何故かその流麗なフレーズは頭上をグルグル廻り、ついにはもったいないと思いながらも寝入ってしまった。
Small'sのステージ Joshua Redman
5日(水)
この前、道端で立ち話してたら、通りかかった奴に「AKIRAじゃないか?」と声掛けられ(さすが元ニューヨーカー)、昔NJ州でよく仕事を一緒にやったBassのJohn Arboだった。
彼は今ブロードウェイShowのオーケストラをやっていると言う、そっち系も少し見ておくか、と出かける。
Bwayは歩いてもすぐだ、「42nd street」というShowだった。オケピットに入れてもらえることに、どれどれと思いきや、Saxセクションは殆ど顔見知りばかりだった。Mingusの時一緒だったKen Hitchcockとトラで来ていたDan Blockの間に座って一幕聞いて来た。
この場所からはステージのショウは見えず、時々頭上にタップダンスの音だけドスドスと響いてくる。彼らの話ではこの仕事ははとても良いギャラでおまけに保険、年金も付くと言うが、何年も同じ譜面吹いて全部覚えているから、殆どの連中は譜面も見て居らず、あそこで若し10年も過ぎた日にゃ…兎に角自分とは全然別世界、NYミュージシャンの違う側面を見た。
John Arbo Ken Hitchcock
6日(木)
今日は午後からこの前Bronxで再会したTim Regusisとセッションの約束になっている。
24stに面したJeff BrillingerというDrumerのアパートへDan Blockを誘って行った。今日は朝から非常に蒸し暑かったのだが、これがそこには冷房が無く、しかも音が漏れないように閉めきってやるもんだから、いささか参った。Richieのような冷房漬けが居るかと思えば今時冷房無しの奴が居る…。
Timとお互いオリジナルを出し合ってのセッションだったが、こっちは勿論ARIAKE、Trust in
Blue,NOCTURNEで迫った。初見であれらの曲をやってのけられたのには参った、日本であれらの曲をやる時はあ〜だこ〜だ説明が必要だが、この違いはナンだろう?と思った。
夜はまたRichieと「ATURO’S」へ行く約束だったが、夕方から雷雨、初めてのどしゃ降りだったので、中止して部屋に居る事にした。
手作りの日程表をかぞえると、あと一週間。部屋に居るとついつい日本の現実を思い出したり、自分は今ここで何をしているんだろう…?とかイヤーな事考えそうになるので極力外に出るようにして来たが、あとは終盤、やり残した事を片付けるだけでも過ぎて行きそうだ。
7日(金)
午後Hisayo Fosterと会う。
| 彼女は日本に居る時女性ボーカルとしては珍しくいわゆる夜店をやらず、コンサート等で独自の活動をしていたが、独特の感性の持ち主で熱心な支持者も多かった。96年PianistのHerman Fosterと結ばれて以来渡米、二年前夫を亡くしている。 |
彼女のアパートは69stセントラルパークウエストの落着いた住宅街にあった。
今回Up Townを歩くのは初めてだが、この辺はさすがに観光客も見当たらず、道行く人もなんとなく品がある。
彼女とは去年一度日本で会って以来だった、夫を亡くして暫くはやはり落ち込んだそうだが意外と元気にしていた。いきなりアメリカ社会に飛びこんで、まもなく夫を送り出す事になり、苦労も並大抵ではなかった様だ。
彼女の案内でインドレストランで食事し、Museum of Natural Historyと言う大きな建物の中のホールで無料Jazzコンサートに行く、T.K.BlueというAlto吹きのカルテットだった。
夜は今日、明日といよいよSmall’sでRichieのグループに参加、その日も若者でごった返していて、呼びこまれるまでは緊張したが、ステージの雰囲気は適度に解れて良かった。自分も「野球やサッカーにゃ負けとられん」とフンドシ締め直してやった、曲はQuasimodo、Short Story…等。
8日(土)
お昼に、又太郎夫妻に誘われてチャイナタウンで飲茶、結構彼らは外食が多い人達なのだ、これで三度目。
それからMid TownのMacy’sに買い物に行くというので、おみやげ買いに丁度いいか、と付き合う。家族にTシャツ一枚ずつ、一辺に済んで助かった。
夜はまたSmall’sだが、その前にSMOKEでRenee Rosnesがやっているので行ってみた。そこは昔Orgey’sと言って若手Bandに開放されたBarで休憩時間になるとメンバーの一人が帽子を持って周って来ると大体皆1ドル札を入れてたユニークな店として好きだったのだが、しっかり改装してちゃんと20ドルチャージを取る店に、今回のNY現象を顕著に表している。
店は観光客で埋まっていたが演奏も雰囲気もいまいち乗りが悪く、2〜3曲でSmall’sへ向かう、こちらは相変わらず若者で熱気ムンムン、ざまーみろだ。
今日はRichieが「Bouncing W/ Budからやろう」と言った、ついこの前うだちゃんのリクエストで覚えたばかりの曲だ、あぁ良かったと言う事で無事役目を果たして一安堵、開放感もあってその日は夜中のセッションまで残った。
9日(日)
ゆっくり出来るのは今日を入れてあと三日、今日は太郎夫妻にぼくのわがままを聞いて貰ってLong IslandにあるCaptree Basinに連れていってもらった。
ここはマンハッタンから車で約1時間半だが結構地の果ての雰囲気漂う釣舟の船着場、昔夏に毎週の様に釣りにきた思いでの場所、今回太郎夫妻のお陰でここまで実現できたのは予想外で感激だ。
ひとしきり潮風に当った後レストランでクラムチャウダー等を食べて帰る。
夜はフクシ・タイナカ、シズコ・ヨコヤマ夫妻がGigする日本レストラン「SEKKU」へ、着いて早速飛び入りするが、久し振りに彼らに混ざってやっていると日本のGigの様な錯覚に、しかし妙に気持ちが落着くのはやはり血か?
そこでも昔Paul JeffreyのBandで一緒だったDave Jackson(Bass)と会い、昔話に花が咲く。
そのあとやはり来ていた倉田大輔に誘われて、Up Townにある「Cleopatra’s Needle」というJam Sessionへ行った、結構広いBarで、ミュージシャンも沢山居たが、約半数は日本人、取り仕切っているのもドド君とか言う日本人Pianistだった。
今回のNY現象の一つとして、(昔もある程度は有るには有ったが)日本人客のLive Houseの売上の貢献度、つまりこれが無しにNYJazzは成り立たない、と言うところまで来ていると言う事だ。
そして一つの策として日本人ミュージシャンに場を与え、それが集客に繋がる…何処の店も愛想が良かった事がこれで納得できる。
それから大体何処のJamにも日本人女性Voが4、5人居て一曲ずつ唄わして貰っていた、…う〜むここは六本木か?(別に唄が良かったらいいんだけどね!…)
10日(月)
お昼又Hisayo Fosterとチャイナタウンで飲茶する。彼女が待ち合わせに45分遅刻したお陰で、道行く中国人をじっくり観察出来た。
国交が樹立されて以来、昔より中国本土との交流が盛んに成ったのか、人々がもっと猥雑に成って、現地直送型が増えている感じがした、チャイナタウンの広さも倍に、しかしあまり可愛い娘は見なかった。(昔はもっと居た様な気がするが、ここもCulture離れか?)
夕方RichieのGigでKnitting Factoryへ、若いAltoリーダーのBandで、客もまばらだったがそのAltoは白人だがBlooklyn派の面白いSoundでオリジナルも結構意欲的なものだった。
ここのGigは7:30位に始まり、1ステージのみで終わる。チャージも8ドルと安く、若手に開放されたミニ・コンサートと言う感じでユニークだ。
帰りにアパートの直ぐ傍のBarに寄ったら、何とFrank Wessがやっていた。RichieとFrankは親しいらしく、快く飛び入りさせてくれて、これは大きな収穫だった。そこはアパートから本当に9thAVを隔てた直ぐに在り、何の変哲も無い鄙びたBarで、こんなところであの往年のBasie Bandの雄と遭遇しょうとは…やっとNYらしい偶然のEncounterだ、聞くところによるとこの近くに住んでいるらしい。
そしてそこでやったMilesの演奏でも有名な「When Lights Are Low」のサビがMilesのはウソでオリジナルはもっと違うChordだと言うのを初めて知った。しかしNYのOldミュージシャンは無条件に良い。
それから又地下鉄に乗って一人でBlooklynへ、この前の「Up Over Jazz Cafe」へ行く。
自分でも何かに執り付かれた様にNYをさまよってる感じになってきた。
その日はVincent Herringが取り仕切るJam、既に4,5人のHorn Playerがいたが、Vincentが僕を名指しでTwo Altoでやろうと言って来た、これも土産話しにいいか、と応じてステージへ、するといきなり凄い速さでCedar Waltonの「Firm Roots」を吹き始めた。「まずい!この曲は殆どやってない、これが来たか…」まあでも、いつも六本木の夜中で知らない曲も適当にやってしまうサバ吹きに慣れていたので何とかここも切り抜けた。あとはSweetAnd Lovery等知っている曲、でも俺だったら、相手に「何やりたい?」くらい聞くけどなぁ…これがNYの世知辛さか?しかしこれも大いに良い思い出となり「誘ってくれて有難う」と握手を交わし、満足して帰宅する。
●Jam Session@…久し振りに思い出した。こういうJamで譲り合いは禁物、黙ってると一方的に曲は決まり、始まる。ソロ順も「次は俺だ」と早々と体で示さないとだめ、「空いたらやろう」等とゆったり構えていると飛ばされて終わってしまう。ここアメリカでは黙っている事は意志が無い事にされてしまうのだ。外交にも似たり!でも俺は日本人、俺のやり方でいくぞー。
●Jam SessionA…色々思い出してきた。こう言うJamにはパターンが有る。大体こんなJamに足繁く通うのはNew Commer(新参者)である。今回一通り覗いてみたが、大部分の処へは先ず自分は二度は行かないだろう。それが何の意味があり、何に繋がる、と見えた時、もう行かなくなるものだ、それからが真のニューヨーカーに近付くと言える。
それから気のせいか今回関西弁を多く聞いた、Jamでの7、80%は関西出身者だった様に思う、これも今回新しい現象だ。
●NYは親切?不親切?@…「ニューヨーカーが気を使う様になったらもうニューヨーカーじゃない」…僕の持論だが、初日Newark空港で制服を着た黒人警備員と交わした最初の会話「すみません、リムジンバスは何処でしょう?」、「Straight ahead!」…と、それだけ。超シンプルな応えだ。うわーっ、来た!「Welcome
to New York!」に聞こえたその一言で一挙に8年のブランクが飛び去り超現実世界へ。
でもそれでいいのだ、ようく注意して見ると、全てサインに示してある。ようするに最低限のシステムは整えてある、あとは自分でベストを尽くせ!それがNY、ここは大人を育てる街なのだ。
●NYは親切?不親切?A…今回実際NYの地下鉄や駅が大分綺麗になってはいたが、まだまだ日本の比ではない。時間もルーズだし、良く止まる。しかし羨ましいのは、何処まで乗っても一律たったの1ドル50、(180円)しかも終夜運転、日本では随分タクシーに無駄金使わされている事になる。空港へも地下鉄を使えば1ドル50で行けるし各ターミナル間のバスは勿論只、日本の新幹線の車両毎にお辞儀していく乗務員や、「有難うございました」と言ってお辞儀する自販機とどちらが親切???
11日(火)
いよいよ最終日、朝同じビルの15階に住む川崎寮氏より「エストニアから戻った」と電話が入り、彼の部屋へ行く。
今彼は1年の半分は旧ソ連だったエストニアに暮らすと言う、人も自然も美しく、何よりも物価が安いからだそうだ。かれはNYの変化に失望しここを捨てようとしている古いニューヨーカーの一人なのだ。
| 彼は僕より少し年上、日野さん、プーさん達と同じ年代の一つのゴールデン・エイジの一人、やはり74年頃にNYへ、近年は自らレーベルを立ち上げ、Guitar奏者兼プロデューサーとして独自の活動を続けている。 |
「もうここにはCultureと言うものは無くなったのよ」殆ど白髪になった長髪を掻き揚げながら言う、NYでのビジネスの修羅場を知った者の重たい言葉だ。昨今来てルンルンしている若者とは一味違う、アメリカの音楽業界の現実等、殆ど愚痴に近かったが、大変為になった。
午後、楽譜等を少し買いあさった後、本気で荷造りに入った。明日の朝七時には空港行きのバスに乗るのだ。
夜、最後の最後にLee Konitzが聴けた。IRIDIUMで今日からなのだ、Sam Furneceも行きたいと言ったので一緒に行く。
BandはやはりPianoレストリオ、客席もまばらで、相変わらず飄々と思いつくまま、スタンダードをテーマも吹かずにやっていた。
何をやっているのか知らない人には全く退屈だろう、山も盛りあがりも無く、曲によっては尻切れ状態で終わってしまう。しかし次に出てくる音を期待させる魔力が、不思議に全然眠くならない。
彼も今はドイツに住むと言う、1ステージが終わりほんの少し言葉を交わして出た。
その脚でSamと「ATURO'S」へ、Richieとの最後のJamだ、今日はPianoのHarry Witekerがやっていた。なかなか年季の入ったBoperだ。
太郎氏、知らない日本女性、あとGuitarのJoe Cohnなどが居た。
ここ「ATURO'S」には何回来たのだろう、従業員もすっかり顔見知りに(いわゆるカオですね!)東京に俺にとってこんな店ってないもんなぁ…本当に楽しませて貰った。
部屋に戻って片付け等していたら既に空は白んでいた。
12日(水)
NYのバスターミナルPort Authorityまでは1ブロック、42stをガラガラとバッグを引いて歩く。
予定通り7:00のBusでNYを後にした。
トンネルを出て遠くに一瞬Manhattanが見えた。
「龍宮城だな…」
何も考えずに、聴いて、吹いて、遊んで…
でもね、一度だけ考えた「いい音って何だろう?」てね。
やはりoldミュージシャンの音は良い、それが黒人だったら尚更良い。
Richieの部屋で見たCount Basieのビデオで感じた、そこには「昔のおとっつぁん」が居た。
本音社会を生き抜いて、全てのトラブルに自分で対処して、全て受け入れる様になった親父像、その音が一番いい…又出直そう。
独断と偏見一杯のNew York旅日記、これにて完結!!!!!
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