akirajaのNew York旅日記 2002年版 PartT
出発2002年 5月22日(水)16:20
何時もは成田まで立川からの直行バスで行くのですが、今回の旅の目標の一つである「倹約」を考え、上野で京成線のしかも一般電車にしてみました。
因みにバス、JR、京成線の運賃と所用時間の比較は
| ●バス:立川→成田 約2時間30分 3500円 ●JR:立川→新宿→成田 約2時間 3500円 ●京成(スカイライナー):立川→上野→成田 約1時間50分 2500円 ●京成(一般電車):立川→上野→成田 約2時間20分 1600円 |
成田空港に着いて、同じ時刻にロスへ発たれるはずの辻バード氏を探しにインターネットカフェへ行くが見当たらず、諦めて機内へ。
座席に付くと、隣は会社を休んで一週間の旅という二人連れのお嬢さん、何とも幸先の良い旅立ちであった。
時折交わされるオジンとギャルのちぐはぐな会話も充分13時間の機内の退屈を紛らわしてくれた。
オジン「NYのケチャップ・スリには気を付けてねぇ」
ギャル「へえ、じゃあマヨネーズでもぶっかけちゃおか」
…(いやあ近頃の若いもんは、頼もしくなりました)。
同日16:30NY着
空港から宿泊先の旧友Richie Vitaleに電話する事になっていたが、小銭が無く売店で両替頼んだら、5ドルのテレホンカード買わされる。
ところが、このカード日本の物とは全然使い方が違って(後で解ったのだが)先ず会社へダイヤルして、次に自分のカード番号をダイヤルするという複雑なもの、その場でとっさには解らないので諦めて直接Manhattanへ向かう事にしたが、このバスがまた大渋滞に巻き込まれて倍以上の2時間かかってやっと彼のアパートに到着、ところがご本人その日はダンス(サルサ)のレッスンが入ってたらしく不在。仕様が無く同じビルディングの住人川崎寮氏を呼び出してもらったら辛うじて奥さんが居て、やっとビルの中へ入れてもらう。
そこからRichieの携帯に電話したら飛んで来てくれて、なんとか所定の位置へ、フウ…!ほんとだったら真夜中の筈(日本時間)のドタバタ劇で、どっと疲れが。
しかしやっとこさ念願のNYに無事?到着、ということで徐々に「来たゾー!」という実感が沸いて旅の疲れもナンのその、早速メシ食いに行こうと言う事で34stあたりのKorean Townへ、焼肉二人でたらふく食べても40ドル、日本に比べれば安いもんです。
その夜は大人しく帰ってRichieの部屋で旧交を温めました。
彼のアパートはタイムズ・スクエア―から然程遠くない43st9thAvにあるマンハッタン・プラザと言って、NYが管理するアーティスト専用の大きなビルディング、家賃も収入に応じた額なので結構格安で、他に日本人の知り合いでチンさん(鈴木良雄氏)川崎寮氏等が住んでいます。
Richieのアパートはステュ―ディオですが、何と家具もその配置も7年前と同じでこれには感激、ひょっとするとそこらに散らかってる書類もそのままではないか?と思えるくらいです。
そうそうRichieについて少しご紹介しましょう。
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彼は僕よりちょっと歳下の40代後半、ボストン時代に知り合ったTp吹きで、ハード・バップ〜モードを得意とする可也の頑固者。 |
ひとしきり近況など報告し合って、明日ここで仕事のリハがあると言うので楽しみに床につきました。
5月23日(木)
時差ボケで朝7時に目が覚める。隣(同じベッドじゃ無いです!)ではRichieはまだ熟睡してるし、もう少し寝ようと試みたが気持ちも高ぶって寝れそうにないので、そおっと起きて、一人で外に出ることにした。
天気は快晴、先ずはVillageへと地下鉄A trainでW4thへ、まだ早朝で人ごみもなく木漏れ日のVillageは最高に気持ちよかった。
昔よくたむろしたワシントン・スクウェアーを抜けカフェテリア横丁を曲がってVillage Gate…あれ、なんとクスリ屋になっている。
その隣にあったLush Lifeもお店に、徐々に時代の変化を実感し始めたのであった。
そうこうしている内に腹がへってきたのでBlue Noteの前のマクドナルドへ、日本でもよく食べるBig Macを注文すると、売り子の黒人女性に
「Big Macは10時半からだ」そんなことも知らないのか、と呆れ顔される。きたきた!これだ懐かしのUSA。
こっちも負けずに「バ〜イ!」といって隣のピザ屋へ1スライスとコークで1ドル50、安い!
腹も溜まってそこからNYユニバーシティーの脇を抜けて昔最初に借りたE9thのアパートに行ってみようと2ndAvへ、これはちゃんと残ってました。しかし当時通りに溢れていたプエルトリコ人は姿を消し、閑静な白人中心の街に様変わりしていました。
フムフムなるほどNYは変わったと聞き及んでいたが少しずつ実態が見えてきたぞと、ひとしきり近所を散策してRichieのアパートへ戻り、お昼過ぎになったらパラパラとミュージシャン達が集まり出した。
3管Bandに男性ボーカルと言う仕事のリハーサル、HornsはVanguardのMonday Night Bandのメンバー達で、なかなかの兵揃い。
Drumsには70年代からずっと居る岡本太郎氏(ニックネーム)で久々の再会だった。
リハの後、デリバリーのグリルド・チキンに舌ずつみを打つ、これは安くて結構いけたので後でも随分世話に成る。
夜はRichieの行き付けのVillageのBar「ATURO’S」へ飛び入りに、Bandはピアノトリオ+男性ボーカルだが、着くなりRichieが楽器を出すので自分もとりあえず出したが、未だ何か廻りの光景が半分夢の様に感じられました。
そしたら一曲目がなんと超馬鹿早い「Just One Of Those Things」、UpTempoは嫌いな方ではないと思っていたが、あの速さは日本でもやらない、何とか必死で音出したら場内から拍手を貰い、これで大分気が楽に成りました。
夜更けにミュージシャンがちらほら来て2,3人知ってる奴がいてセッションの誘いを受ける。とりあえず始まったなあ…という感じで帰りました。
24日(金)
今日は午後からRichieのレコーディング見学、スタジオに着いたが、なんとそこは只のアパート、壁に所々吸音盤が這ってあるが可也手作り風で、大してテストもせずに始まって大丈夫かな?と思いつつ聞いていたがプレイバックを聞いてビックリ。超クリアーで、バランスも良い。
エンジニアを誉めたら「演奏が良いからだ」と謙遜していた。確かに演奏も凄い、テイクの集中力が違う、大体ファーストテイクでOK、随分楽に進行していた。
レコーディングが終わって、Richieが「バイク・ライディングに行こう」と言うので、1時間5ドルで自転車借りてハドソン河縁をUp Townへ、
天気は良かったのだが、ちょっと日差しがきつく、時差ぼけプラス、いつも日本ではそんなに運動してないのにRichieが構わず飛ばすので、
目眩がした、彼は歓迎のつもりだと思うので楽しそうに振舞うのが大変でした。
夜は彼のPCで自分のホームページをアクセスしてみたが、先ず彼のPCの古さに唖然、彼自身「ダイナソウ(恐竜)」と呼んでいたが、日本ではなかなかお目にかかることが無い様な可也の年代物、一つの動作に数十秒かかり、結局日本語は全部文字化けして読むことも出来ませんでした。
Richieと言う奴は、先ずJazzに関してのテイスト、又没頭度が非常に一致している上にチョンガーで…(多分永遠にそうでしょう??)
家族に気を使う必要が無い事もあって、遊び友達としては最高の奴だが、一つ辛い事があります。それは重度の冷房依存症とでも言いますか、部屋は一日中冷房が、それもIce
coldに夜通し効いているので、着込んでは寝るものの長期には身体を崩しそうなので、明日からチンさんのアパートを貸してもらう事にしました。Richieは「何故だ自分はmore
than welcomeだぞ」と言ってくれますがいくら友達とはいえ、そこまでは言えません。その辺になるとやはり造りの違いを感じます。
25日(土)
チンさんのアパートは同じビルの30階にあり景色も良くハドソン河や隣のNew Jersey州まで良く見える。しかもRichieのとこより大分広いOne Bed Roomで、少し出費は嵩むけどやはり旅の真髄は一人旅、と新たな心境に、心うきうきと近くのマーケットに買出しに行く。
晩飯はその都度考えるとして、朝飯用に昔を思い出しながらソーセージやレタス、玉ねぎそれにハニードゥ―メロンを買いこむ。
それから気持ちも新たに、電話帳をめくって昔の仲間に片っ端から電話を掛け、結構色んな奴と再会のアポを取れた、よっしゃ!!
夜は地下練習場を借りてNY初の練習をした。
26日(日)
Richie、岡本太郎夫妻、ボーカルのTAKAKOとチャイナタウンで昼食。
昔仕事の後で夜中によく食べに行った「合記」(ホップキー)で待ち合わせ、久し振りのチャイナタウンだが相変わらず凄い人出だ、しかも益々拡張して昔の倍位には膨れ上がっている。
Richieのリクエストで昔ながらの、チャウファン(きしめんのでかい様なやきうどん風)、イカ料理等…味も昔のまんまでした。
さてここで少し岡本太郎氏をご紹介します。
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彼はほぼ僕と同じ時期1974年に大阪から来たDrumer、歳も一緒でずっと同じ時代を経験し、しかもあれからずーーっとNYに暮らし、暫くはNJ州に住んでまたマンハッタンに戻りNYの変化を身を持って体験してきた、だから今回彼との会話には特別に感慨深いものが有りました。 |
合記にて Little Italy
食事の後Little Italyでお茶する、日曜の午後とあって、こちらも凄い賑わいだRichieとTAKAKOと別れて、僕はPCを使わせて貰うべく太郎宅へ、チャイナタウンから然程遠くないが静かなアパート、しかしPCはやはり文字化けで、諦めてローマ字にて書き込む。
この時点で日本との交信を断念、PCの事は頭から飛ぶ。
夜、Sax吹きのJimmy Cozierを訪ねてBIRD LANDに行く。
そこはToshiko Akiyosi等のBig Bandが定期的にやってる綺麗な店、その日のBandはChico O'farrillというAfro−CubanJazz BigBandで昔OTBに居たPhilip Mossman(Tp)等が居た。
BIRD LANDと言ってもParkerとは何の関係も無く、この前来た時は確か105stにあったが今は44stに在る。
27日(月)
この日もRichieに誘われてバイク・ライディング、今日はDown Townへ行く事に、この前とは違い体調も十分、ハドソン河沿いをスイスイ南下した。
Down Townと言えば、なんといっても9/11のテロ、男性器の様にそそり立つWorld Trade Centerの存在は大きかった。
それの無いNYの景色、人も又心なしか去勢された様に今回感じられる。
正面の空間にはかつてWorld Trade Centerビルが有った
最南端バッテリーパークを抜け、今度はイースト・リヴァ―沿いを北上、サウス・シーポート、ロアー・イースト、Villageを通って帰る。
夜は、RichieとNo1Trainの終点の又その先、Bronxの上にある知られざるセッションBarへ、そこで期せずして昔の仲間John Ray(Bass)Tim Regusis(Piano)と逢う、このTimは居場所が判らない逢いたい奴の一人だった、神のお導きか?また改めてセッションの約束を交わす、これがGigだったら言う事無いんだが…
28日(火)
今日で丁度一週間が過ぎた、Richieとの付き合い、又一通りのRediscovereyで怒涛の様に過ぎていった。
あと二週間、今日は少し部屋に居て、そろそろ今回何を求めて、何を仕に来たのかを考えてみる…が……結局何も浮かばず「これを仕に来たんだ」と納得。
夜、Boston時代からの友、コスタリカから来ているRodrigo Saentsと会って、メキシコ料理を食べる、懐かしのブラウンライスにチリビーンズ、鶏肉、これを続けたらあのドン腹も仕方ない。RodrigoもJazz的なハングリー精神は消えうせてすっかり良いお父さん、スペイン語通訳の仕事もしているらしい。
29日(水)
Sax吹きのDan Blockから電話が入り、リンカーン・センターでBig Bandの無料コンサートに出るというので行く事にした。
それはretireしたおじいちゃんおばあちゃんの憩いの為の午後のコンサート、昔よくこの手のコンサートをやった想い出があるが、本当にアメリカの老人は可愛らしい、まるで小学生の生徒の様に素直に楽しんでいる。
Bandは有名ではなかったが、リード・アルトに往年のサド・メルのJerry Dodgionが居て、各セクションがすばらしい音色をしていた、アレンジも良く、結局今回聞いたBig Bandでは最高のものだった。専属歌手が名前は忘れたけどJohn Hendricksの娘で、彼女も良かった。
さすがにDanも地に付いた良いテナーの音をしていた、思わぬ収穫。
その脚でDan Blockのアパートへ、昔から知ってる看護婦の奥さん、可愛い男女の双子の子供達と会う。
夜は、Knitting Factoryに出演のSam Furneceを訪ねる。ここはLiveの中でも前衛系で、入場料も安く若者が多く集まる。
BandはBlues Band でSamはJazzyな音出していたが他が音量が大きくて、VoがMingusの息子だと言うが、寝ちゃったので殆ど記憶に無い
Knitting Factory前でSam
30日(木)
お昼に23stの新しい楽器店でJimmy Cozierと待ち合わせ、そこで日本人リペアマンのHIRAKATAと言う青年と会う、ぼくの事は知らなかった。
夜名古屋から来ている若手Drumerの倉田大輔君のGigでCornelia Street Cafeへ、穴倉的Live、客もあまり入っていなかったが、そこの白人Tenor Saxがなかなか好きなタイプで良いグルーブしていた、これも収穫。
そこで知り合った日本人の女性二人を誘ってRichieと待ち合わせの「Aturo's」へ、すると日本から来たばかり、と言うPianoの霧生トシ子さんと出会う、思わぬセッション・パーティーになった。
アパートへ帰ると、名古屋の小濱君より留守電が入っており、やはり来ているらしい、日本から次の新しい波、という感じだ。
31日(金)
大分行動パターンが決まりつつある感じがしたので、Village Voiceをこまめにチェックして、あまりメジャーじゃなさそうなDETOURというところへふらりと行ってみた。そこは昔住んでいた所に近いE13thst、ローカルな感じで、チャージも取られないBar、Bandも全然聞いた事もないErick Rasmussen(名前からしてヨーロピアンだろう)というAltoのグループ、客もぱらぱらだが、これがKonitzをもっと機械的にした様な個性派、ワンステージでお腹一杯にはなったが可也の優れ者だった。
何か今回強く感じるのだが、NYの総観光地化、メジャーなLIVEが軒並み観光路線を打出し、始まりも8:00そして2ステージで日本と同じ12:00前には終わってしまい、ステージも毎回に入れ替え制で、日本より性質が悪い。1;00、2:00amからミュージシャンでBarが埋まり始め、時たま思わぬセッションが始まったあの懐かしいJazzシーンはもう過去のものか。
会う人々が皆、口々に昔を懐かしみ急激な変化を嘆くのが目立つ。
一つには前のジュリアーニ市長による社会悪掃討作戦、又9/11以後のReboundも大きいとか。
確かにタイムズ・スクェァーも地下鉄も綺麗に安全になっているが、同時に街の黒人達も昔のあの獲物を捜す様な目、一触即発の雰囲気は消え、皆穏やかに感じられる。そしてWeekdayにも関わらずマンハッタン中をぞろぞろと観光客が行き交う…
Jazzの音にもそれが反映している様に感じられてならない。
新しくお目見えした2階建ての観光バス
6月1日(土)
とは言ったものの、今日は一日徹底的に観光してみる事にした。
今日で丁度半分、随分目まぐるしく過ぎた気がするが、まだあと半分もあると思うとなんとなく空しくなるのは何故だろう。
もうこのあと観光する事もないだろう、と先ずVillageを隈なく歩き、SOHOへ、凄い人出だ。かつてのLoft Jazzのメッカもすっかり様変わり、ファッションのブランド店が軒を連ねる観光地に。暫く散策して南端のバッテリー・パークへ、そこからStaten Island行きのフェリーに乗る…これは僕のお気に入りのコースでその昔、初めてNYへ来た翌日ZENの自転車を借りて偶然発見し、それ以来事有る毎にこれだけは欠かしていない、しかも今回無料になっていた。この辺にはNY市の太っ腹さを感じる。
片道20分位の通勤船で、徐々に遠くなるManhattan、そして自由の女神の直ぐ傍を通りNYのBed Townとしての島への往復、独特の生活の臭いが有る。同じ船でとんぼ返り、しかし見慣れたWorld Trade Centerの無いManhattanはどうも淋しく、古びて見える。
再び船着場に着き、今度はWorld Trade Center跡へ向かう、瓦礫の撤去作業は大分進行して広大なお堀状態になっていた。時折風に舞ってくるほこりは犠牲者の分身かと思うと感慨深いものがあった。
さて明日からいよいよ後半戦だ。
SOHOで9/11の投稿写真を展示するギャラリー
●NY式歩行@…ニューヨーカーの歩行は速い、特に地下鉄連絡通路などを行き交う人々の歩く速さは殆ど競歩に近い。地上を歩く人々もゆったりのんびり、と言う人は先ず居ない。
Richieなどと歩く時も初めは息切れしそうだったが段々慣れて知らないうちに自分も速くなってきていた。そしてすれ違う時、寸前でひょいと体をねじって絶対ぶつかる事が無い。あのエネルギッシュな歩きがひょっとするとあの上がったお尻の形状に関係しているかもしれない、と思いつつしげしげと眺める。日本人、もっと歩くべし!お尻だけは負けてるよ!!
●NY式歩行A…前も触れたがNYの歩行者は信号を守らない、信号は車の為に有るという観念が定着している。
もっとも全ての信号を正直に守っていた日には、10ブロック歩くのに何十分かかるか解らない、それで歩行者は信号は見ずに車の流れてくる方向だけ確認してどんどん渡って行く、この技も1週間位で身についた。
●肥満体…もう一つNYで目に付くのが肥満人だ、ちゃんと割合を数えた事は無いが、半数近くは何らかの肥満人と言えるだろう。特に下層階級にその割合は多く、小錦級も稀ではない。良くぞあそこまで…と感心する程の度合いの人も多々有り、これはやはり性欲、名誉欲を放棄して、あと一つの欲望に突っ走った結果である事は間違いない。人間は何かに満たされないと生きて行けない、しかし何事にもよくよく欲望の強い国民です。
●女の子…外見のみで語るとすれば、今や日本人の女の子は世界一だと思う、今NYではヘソ出し(下腹出し)Lookが流行ってるみたいだがあまり美しく決まっている者は見ない。Bodyのサイズ、肌の清潔感、これは断然日本人、お洒落センスも最近は随分Upして、今や世界のTreasure的存在と言っても過言ではない。
あと残るは……これはお互いに未熟者、一緒に磨いて行きましょ!!