聖 夜
車窓の景色が郷里に近ずくに連れ段々見覚えの有る山、家並みが増えて来る。
彰夫は徐々に高まる胸の鼓動を押える事は出来なかった。
故郷へ帰るのはもう身内が誰も住んでいない今、ほぼ十年振りと言う事もあって、車窓の景色や人影を見つめている自分の目が異常に熱いのを自分でも意識していた。
駅のホームには葉子が来ていた。
「お久し振り、この前テレビ見たわ、このごろ大分ご活躍の様ね」
「う〜ん、でもぼくのはそんな売れる音楽じゃ無いから…」
「そうかもね、でも彰夫さんは無理してないから大丈夫よ」
「そうかな…」
葉子とは高校時代の音楽部で役員同士、一時期彰夫の方が彼女の真面目さに惹かれ好意を寄せていた事もあったのだが、あまりにも優等生であったのと同時に純粋潔癖症の彼女の性格が邪魔して葉子への感情も今一つ進展しないまま彰夫の上京以来音信不通になっていた。
「今日のは子供達も楽しみにしているんだけど、本当はママさん達が本命なの、覚えているでしょ、雅子や聖子それに千代子に直美…皆、子供達を私が教えてるのよ」
一時期ピアノで東京進学も考えた葉子だったが親の説得で近くの短大へ進み、今は地元で子供達に音楽教室を開いていた。
「ふうん、そうかあ、まともに家庭持ってたらそうなんだろうね」
同窓会等と言うものには一度も出席した事の無い彰夫だったが、当時のクラスメイトの女学生達が今日一同に母親となって現れるのか、と思うと何か嬉しさと空しさが入り混じった複雑な感情が沸く、と同時に妙に胸の高まりを感じるのであった。
綺麗にクリスマスの飾りつけの済んだ教室にはグランドピアノが一台あった。
「これ見て」
葉子が取り出した黄色く色ずんだ楽譜は、当時学園祭で葉子の伴奏で演奏したサキソホーンソナタだった。
「今日の演目はこれ?」
「勿論よ」
「参ったな、吹けるかな」
当時音大受験を目指してクラッシックに没頭していた彰夫も進学と共にすっかりJazzに目覚めと言うより犯され、8年もアメリカ修行まで慣行していたのだった。
「よっ!、葉子ちゃん、花はこの辺でいいかな?」
「あれっ、常…?」
それはやはり高校時代のワル仲間の常吉だった、彼はこの街に残り、家業の花屋を継いでいた。
「練習済んだらちょっと彰夫借りるよ」
「う〜ん、いいけどちゃんと時間までには帰すのよ」
「解ってる々」
彰夫は一通りの練習が終わるか終わらない内に常吉のワゴンに乗せられたのだった
「さ、行こ行こ」
「何処へ行くんだよ」
「ま、とりあえず一杯いこ、いいとこあるんだよ」
「おい、今日は演奏あるんだからな」
「解ってるって、一杯だけだから」
常吉は飲み屋街の一画のスナックの前にバンを止めた。
「さ、ここ、ここ」
「こんちは」
「あら、いらっしゃい」
「珍しい人を連れてきたよ」
薄明かりのカウンター越しにママさんらしき女性と目が合った瞬間、彰夫の心臓の鼓動は一挙に高鳴った。
そうだこの心臓の高鳴りは確かに学生時代にずっと片思いだった君恵とたまに偶然街で出くわした時に感じたもの、そのものだった。
20年を経た今も同じ感動を憶える自分が懐かしく又滑稽でもあった。
君恵は薄化粧と髪にウエーブがかかっている以外は殆ど昔のまんまであった。
君恵も一瞬動揺したが直ぐに気を取りなおして平静な口調になった。
「まあ、懐かしい」
思えば君恵とこうして面と向かって話すのは初めてではないか、当時清水の舞台を飛び降りる思いでしたためた手紙で熱い思いを伝えたことが一度有ったが、それへの返事どころかとうとう一度も話せずじまいで卒業の別離を迎えたのであった。
当時の君恵には近寄りがたいほどの気高さがあって、ましてや青年の純な心の中でその存在は壮大に理想化されていたのだった。
しかし彼女ともそれ以上の進展もなく、後に彼女が高校の先輩であった男性と結ばれたと言う噂を聞いたとき、男のエゴでもある嫉妬心から彼女いや女性というものへの敵意、憎悪に近い感情にかられたのも事実である。
「何かつくりましょうか」
「うん、水割り…」
彰夫も大分平静を取り戻していた。
「変わってないね」
「まあ、そんな事ないわ」
「レコードはよく聴いてますのよ」
「え〜、ほんと」
「そうだよ、彼女君のレコード出たとき随分頑張って売ってくれたんだぜ」
男の感情とは単純な物である。そんな一言でも一編に長年の怨念は見る見る消え去り好意へと変化していくのであった。しかも彼女が四年前に離婚し、その後独身を通している事を知るに至っては、再燃もやぶさかでない等ともう内心勝手に思い始めているのだ。
「あら、いらっしゃい」
中年のサラリーマン風の4、5人連れが奥のボックスに陣取った。
「ちょっとごめんなさい」
君恵はお絞りを持ってその馴染みらしき客の方を接待に向かう。
その仕草はもう玄人だった、その立ち振る舞いは昔より優しさを増した大人の女そのもので有った。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「うん…」
「あら、もう?彰夫さん演奏何時頃ですの?」
「8時頃」
「できればあとでお店を抜け出して行きます」
「わあ、私も行きたーい」
ボックスにいたチイママ風の娘が云った。
それから常吉のワゴンはさっきよりは大分けばけばしいネオンのキャバレーの前で止まった。
「あと一軒ね、ちよっとだから」
彰夫はいかにも勝手知ったる馴染みの店という感じの常吉に導かれバンドステージの傍のボックスに座った。
薄暗い店内を見渡すと、あと3組ほどの客がいた。
「あのピアノ誰だか解かる?」
ステージではアップライトピアノとギターのデュオでミスティーが演奏されていた。
「え、あれ渡辺?」
それは彰夫が高校時代組んでいたエレキバンドのドラマーで一級下の渡辺だった。
「あいつ未だやってたんだ」
「そう、あいつくらいだねバンドで生き残ってるのは、しかもドラムではやっていけなくて
ね、今はピアノさ」
確かに上手くはなかったが、僕が来る事を知っていたらしく、こちらに満面の笑みを飛ばしている。
暫くしてバンドは休憩に入り、凄く嬉しそうに握手を差し延べながらやって来た。
「久し振りです、先輩」
当時から人がいい奴で、色々教えたり可愛がったのだが、髭を蓄えて僕より老けてみえる割には、人懐っこい表情で、こういう表情は幼馴染でないと得らるものではない。
「先輩、頑張ってますね」
「いやいや…、でどうなのバンド」
「見てくださいよ、これですよ…、ま飲みましょう」
確かに店に活気は無い、従業員もちらほらだが、殆どのシートボックスは空しく横たわっている。
思い起こせばバンドの仕事を始めた昭和40年代、高度成長期の真っ只中バーやキャバレーが軒を連ねて、どの店もがフル回転、バンドも大体二つは入って毎夜違うショーが廻って来たものだ。そのショーとは、唄有り、踊り有り、曲芸、コメディー、ヌードダンス…と、ありとあらゆる芸能、いわゆる日本の芸を支えてきた底辺を其処に垣間見る事が出来たのだった。
何か人も社会も全体がエネルギーに溢れ、生活も今よりゆとり有る豊かなものだった、今思えばあの時期が日本のピークだった様な気がする。
「ここはやっと一軒だけ残った生バンド入りの店なんですよ」
「……」
そうこうしている内に大音量と共に客の一人がステージ上で歌い出した。
「これなんですよ、今の客はこれがお目当てなんです」
「これがカラオケか…」
彰夫がバンドを始めた頃には考えられない文化が産まれたものである、しかもそれを生み出したのはこの日本なのである。
「もう終わりだね…」
「あ!」
その時彰夫はとっさに腕時計を見た。
とっくに8時を廻っているではないか。
「まずいよ常吉!」
「あ、ほんとだ!」
「先輩後で行きます」
慌てて二人は店を飛び出した。
「おそいっ、心配したんだからもう」
葉子が飛び出してきた。
しかし幸運な事にクリスマス音楽会のプログラムは丁度最後の一人が始まろうとしているところだった。
教室を埋め尽くした50人位の客席には子供達に混じって懐かしい顔が其処ここに見られた。
綺麗に着飾った女の子が奏でる曲はショパンのノクターン、節回しは未だあどけなく淡白なものだったが良く澄んだ音色だった。
彰夫はさっきから知らない内に煽った水割りが徐々に効いて来たのを感じながら心地よく耳を傾けていた。
「皆さん、では今日の最後に、皆のお母さん達も良く知ってるサックス奏者の小林彰夫さんが演奏してくださいます、どうか大きな拍手でお迎えしましょう」
最初の演目はヘンデルのソナタ。会場も厳かな雰囲気に包まれ、昔放課後の音楽室で葉子の伴奏で暗くなるまで練習したのが昨日の事の様に思い出された。
演奏中、子供達も本当に静かに聴いていた。
にわか仕上げで細かなミスはあったものの、子供達の真剣な顔に乗せられて、それは熱の入った演奏であった。
先ほどの君恵も笑みを浮かべて聴いているのが見えた。
曲目もグリーン・スリーブス、そしてホワイト・クリスマスと進んだ時、
「彰夫!ジャズ々」と大きな声が飛んだ、常吉だ。
そうしたら一斉に拍手が沸いて満場のものと成っていった。
「ほんとに!」と、とぼけた彰夫のリアクションにどっと笑いが、そしてホワイト・クリスマスの2コーラス目はスイングのリズムになった、さっきの渡辺がピアノに座っていたのだ、ギターも。
子供達の手拍子は大きくしかも2泊4泊だった。
ピアノソロ、そしてギターソロそして最後のテーマはデキシーになってしまった。
大きな拍手は鳴り止まなかった。
「やあ、今日はとんだハプニングでジャズになってしまったなあ、でもいいよねクリスマスだから」
「おじさん!ジャズってな〜に」
「…う〜ん、なんて言えばいいんだろう…」
「…どんな曲でも自分のその時の気持ちを表現して、自由にくずしてもかまわない音楽ってことかな」…
「だから皆も、もっといい音出せる様になったら、どんどん自分の曲作って、そして自分だけの弾き方でやっちゃってかまわないんだよ」
「へー、じゃあエチュードも練習しなくていいんだ」(笑い)
「そうかもね、でも自分だけの音、創りだすって、もっともっと大変な事かも知れないよ」
「さあ皆さん、では最後にみんなで「聖しこの夜」を歌って終わりにしましよう」葉子が言った。
【完】
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