DETAIL……my musical life   partX(1980)


帰国編

Brooklynへ








VISA




























初めての帰国


































日本のJazzファン




















カラオケ

























































































1980年6月











































































































4年間住んだEast VillageからBrooklynへ引っ越す事にしました。慣れ親しんだEast Sideのゲットーでしたが、少し気分を変えてみたくなりました。
そこはManhattanからは地下鉄で15分位の所ですが、近くにMusiumや図書館、それに大きな公園があって少しは郊外の雰囲気が楽しめる処でアパートも15階で少し広くなって、あと車を止めるのが楽になりました。
ちなみにその引越しを手伝ってくれたのは、当時なにかと付き合いがあった中村誠一(Tenor Sax)元岡一英(Piano)沢田治行(Trumpet)…の各氏でした。


そういえば、未だVISAについて触れた事がありませんが、僕達外国人居住者にとってVISAは大きな問題でした。僕らが取得できるVISAには大きく分けて次の物が有ります。
@(観光VISA)
犯罪等の逮捕歴が無かったら誰でも得ることができますが、当時は最大三ヶ月ごとに更新させられその度にImmigrationで審査を受けますが勿論働く事は出来ません。
A(学生VISA)
学生の間と卒業後確か1年間位滞在できますが、これも働く事は出来ません。
B(MarriageVISA)
アメリカ国籍の人と結婚すれば無条件にいただけます。
C(グリーンカード《永住権》)
アメリカ政府が「この人はアメリカに必要だ」と認めた人のみ(例えば寿司職人とかの特殊技術を持った人)には与えられます。



とりあえず申請中は滞在の権利が有ると言うのでいちかバチか、グリーンカードを申請することにしました。
ただミュージシャン特にJazzミュージシャンでは絶対無理、(当時あのジョン・レノンでさえもなかなか取れないで苦労していたくらいです)かみさんのウエイトレスの職権をひっさげてのトライだったのですが、申請から三年目にやっと念願かない取れることになったのです。本当にオーナーの和田さん(故人)は恩人です。これで安心して仕事も出来る様になったし(今までの仕事はことごとく法律違反でした)またこれで自由に日本とも行き来できるようになりました。



それで手続きの事もあって六年振りに初めて帰国することになりました。それまで日本に関しての情報は週一回放送される日本のテレビ番組(NHKのニュースや大河ドラマ等)で得てはいたものの、親達や友人、風景、食べ物…これはもう、ちょっとした浦島太郎でした。



アメリカのような多民族国家に長年住んでいるとどうしても皆Identityが問われ、又廻りがそうなのでそれを意識せざる得なくなります。おりしもちょうどその頃アメリカでは゛ROOTS″という黒人奴隷の歴史を題材にしたテレビドラマ
が大変な話題で、この帰国も自分の中では゛ROOTS探訪″的気分もありました。



久し振りの日本で先ず感じたのは゛単一民族の平和さ″でした。アメリカでは大体人種によって職種も限られていますが、日本ではパイロットからスチュワデス、入国審査官、掃除のおばさん、バスの運転手、ポーター…皆日本人なんです。(当たり前ですね)感動しました!…ということは誰もにチャンスがあると言う事です。なんと平等な国なんでしょう。
あと、荷物を盗まれる心配もないし、タクシーも正直。向こうでは先ず空港で日本人観光客お目当てのぼったくりタクシーの客引き、メーターをガムテープで隠したり、地下鉄とかでもつり銭ちょろまかすなんて事は日常的です。又あのチップ制もネ、いつも余計な気を使わなきゃならないし、またそれによって態度が変わるのを見るのもあまり良いものでは有りません。それに比べるとなんとクリーンな社会、先ずはそんな良い部分が目立ちました。



あと感動したのは、日本の女の子は可愛いです。服装も可愛いけど、やっぱりおしとやか(1980年当時)アメリカよりは圧倒的に平均レベルが上です。なのに、わかんナインだけど、なんで日本の広告のモデルは皆外人なんでしょうね?それでよく向こうの地下鉄とかで日本の雑誌見るときに恥ずかしい思いをしました。例えば黒人向けの雑誌のモデルは全て黒人です。その辺の意識がどうも…
やはりこれはマッカーサーによる占領政策の成功ということなのでしょうか?



当時の日本の音楽シーンも昔の仲間を聞きに行ったり、時々飛び入りしたりして少しずつ分かって来ました。
Jazzファンの多さは世界随一かも知れません。これはもう自信をもって言えます…アメリカ以上です!
ただ気になるのはちょっとミーハ―が多い、雑誌の扱い方もアメリカに比べるとアイドル的、本当に内容のある人はすみっこにいるんですよね…??
Jazzだけはそうなってほしくないと思うのですが、何でかな〜?



あともう一つ、ジャズフェスの観客が馬鹿騒ぎするのは、あれは良くないと思いました。たまに出演者も過剰に盛り上げるのもありますが、あれはいやだなぁ!゛真夏の夜のJazz″ってフィルムありますよね、あれですよ、Jazzの聴き方は。演る方も聴く方もCOOL…これがJazzのかっこよさだと思うのですが日本のJazzフェス見ているとなにかパンダを見に来た人間が実はパンダに観察されてたのにきずいてないみたいな、そんな思いがフッとする時があります。




それから、夜の盛り場事情に大きな変化が…
生バンドが入ったハコ(いわゆるキャバレーやナイトクラブ)が激減、当然仕事が減って転職したMusicianも多いとか、その原因はあのカラオケ、その爆発的なブームで殆どの店が費用の掛からないカラオケに切り替えたということで、盛り場のあちこちからバンドが奏でるJazzやラテンの代わりに酔っ払いのダミ声が聞こえて来る風景へと様変わりしていました。



ブームと言うものは人々のNeedsにそれがかみ合ったときに爆発的に起きるもので、これは致し方ないというか…全体的に、プロの芸を楽しむことより、自分等で演って騒いだ方が楽しいという傾向が確実に強くなっている感じがしました。そう言えばTVの番組も然り、渋い芸より素人、又は若い人の使い捨てという感じがします。日本独特のこの現象、いつかそのつけが廻ってくるのでは?と思われてなりません。



日本滞在中は、グリーンカードの手続きの合間を利用して、貪欲に外へ出て、沢山の人に会う事が出来ました。先ずはBostonで仲良くなった山本剛の出演する六本木のMistyや,なつかしのPit inでは高瀬あきグループに飛び入りしたり、あと九州ではかみさんの実家がある熊本で急遽地元のミュージシャンとライブが組まれ、当日の口コミでも超満員になりました。本当に日本のJazzファンは熱心だなあと思いました。



それとあと,音大時代の旧友松風鉱一、梅津和時、それに新たに知り合った沢井原の三人のAltoのユニットのツアーに急遽僕を加えてくれてPit in,静岡、合歓の里のJazzフェス…で演奏できたのは、思いがけない経験と収穫で、特に沢井原兒との出会いが後の初リーダーアルバムのレコーディングにつながるとは予想もしませんでした。



そうして1ヶ月位の滞在を終え、再びNYへ戻りましたが、今回本当に十二分に有意義な帰国だったと思います。勿論いろんな新鮮な目で日本を再発見できたと思いますが、同時にアメリカも一度外から見ることで、又少し見え方が違ってきたような気がしてその後の考え方に大きな影響を及ぼしたと思います。




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