DETAIL……mmy musical life   partZ(1982〜)


New York(レコーディング編)


New York(後編)











初リーダー作










Barry Harris























どてキャン
















Ron・Carter























レコーディング




















パノニカ




























































1982年











































































83年2月10日








































































1980年の初帰国を境に確かに状況が一変しました。
ぼくの中でそれまで殆ど日本との接触が無い鎖国状態から一気に国交回復した感じで、ミュージシャン仲間とは勿論、この僕にも雑誌の取材や、出版社の方からも仕事の依頼が有るようになりました。(当時の日音音楽出版社の秋田直好さん《故人》にはソニ−・ロリンズのコピ−集を、ぼくの怠慢に頼りご存命中に完成させなかった事をこの場を借りてお詫び申し上げます。)天国の秋田さん、ゴメンナサイ!



そして、この前の帰国で知り合った沢井原兒から、リーダーアルバムの仕事が飛び込んで来ました。彼はその当時自分自身演奏活動しながら、テイチクレコードの専属プロデューサ−として日本人アーティストのレコードを意欲的に制作していて、そのシリーズ物の一環としての依頼で、人選、内容全て好きにやって良いと言う、条件としてはこの上ないもので、自分の実力としてはまだまだ早いと思っていましたが、どうせ一生待ってももう大丈夫という時は来ないものとも思い、有難くお受けする事にしました。




さて、人選ですが先ずはPianoということでこれは迷わず音楽的、又人間的にも最も信頼出来るBebopの大御所、Barry Harrisに頼もうと思い、彼が主催するWork Shopへ直接談判に、その日も大勢のHorn Playerが居るのを後目に、楽屋でそお〜っと彼に話を持ちかけました。
少しは心配したのですが、案外すんなりOKしてくれたので一安心。あの大きな二重まぶたの目がとても印象的でした。



それで、サイドメンは彼のお抱えDrumerの,Leroy WilliamsとBassはBarryの助言でGeorge Mrazに決まりました。
兎に角、何もかもが初めてで、先ずアメリカへ来て以来リーダーとして人を使う事自体、しかもこんな人達と…もうあんまり考えない様にして曲作りに専念することにしました。
先ずはアルバムのColorですがBeBop色は当然だとして、いつものBarry Harrisとは違う面も引き出したくて、何か哀愁の有る曲を創りたいと思い、出来た曲が゛To Be Young And Foolish″です。あと、AirejinコードのBud Cityを書き上げました。それに以前創ったM's Lullabyとあと前に触れたGuitarの弾き語りのRay Riveraのオリジナルを一曲、あとはスタンダードにしようと思いました。



ところが、レコーディングを数日後に控えたある日George Mrazから電話で、「ヨーロッパツアーの仕事が入ったのでキャンセルさせてくれ」と言ってきたのです。「え〜っ!それは無いだろうっ、さんざんギャラの交渉もさせといて」と心の中で叫んだものの、ここは合理主義のアメリカ、これくらいの事で怒ってはいけません「I'm Sorry」ともいってるし…さっそく味わったリーダーの試練です。



それで、すぐBarryに電話したら、あっけらかんとしたもので「じゃあ、あいつに電話してみれば、あれあれ…誰だっけほら」、ウム…?「え〜っと、ああ、ろん・かーたー」
そ、そんな!!あのRon・Carter!しかしBarryの「やるんじゃないか、電話してみな」のことばに励まされて一か八か電話することに、大分ダイアル廻すまでに時間が掛かりましたが、しましたよ。



「ハロ〜ウ!」唄うような口調で。あ、ロン・カーターだ!とすぐ分かりました。
心臓ばくばくさせながらも、かくかくしかじかと説明したら、何と言ったと思います?
「OK〜、それでHow much?」で、ギャラが合ったら二つ返事でした。超ビジネスマン!
でも、これは彼の超一流という意識と、どんな状況でも自分の音楽が出せるという自信からのものだと言うことが後で分かりました。
しかし怪我の功名というか…この際言っちゃいましょう、良かったです、かえって。



さていよいよプロデューサ−の沢井原兒が到着、J.Fケネデイー空港に愛車のフォルクスワーゲンで迎えに行きましたが、沢井君先ずぼくのポンコツ車を見て口をあんぐり、こっちではこのくらい普通なんだけど…、
そして早速その日はリハーサルでしたが、やはり問題はロンさんでした。
曰く「おれはぶっつけ本番でも最高の音楽が出せるのだ、リハーサル?なにそれ」…
ハイハイ、それくらいのことは覚悟してましたということで、Bassはぼくの知り合いにトラ頼んでやりましたが、Barry Harrisにはイントロやちょっとした仕掛けのアイデア等随分助けてもらいました。



そして本番の日がやって来ました。スタジオは24丁目にあるVanguard Studioで、すごく広々として気持ち良い響きがしました。エンジニアはDavid Baker(奥さんは日本人)なので極安心。あとはロン・カーターに呑まれない様に…ということが最大の懸念でした。



先ずはオリジナルからやろう、ということで一曲目はTo Be〜から。
ロンが「楽譜見せてくれ」というので渡したら、さっと目を通して「フムフム、OK!これが俺のリハーサル」とかいっちゃって、とことんきざ…
だけど本当に本番はTake OneでOK,ぼくの為にもうOne Take録りましたがそちらも良いんです。やっぱり集中力の凄さを見せつけられました。
兎に角ロンにはぼくも「なめられたらどうしよう」とか色々心配してたのですが、Barryの存在もあってか、いつもより控えめに、真面目なPlayしてた様な気がします。
そんな感じで案外スムーズに進み、6時間の予定の半分位で初日は終了、あまりのあっけなさに、こっちサイドの提案で、なにか思いつきでセッションしてみてくれと言いましたが、やはりロンが「それはしない」と言ってさっさと帰って行きました。



そして二日目,録音のセッティングは昨日済んでるし、わりと楽な曲を残してたので、さらに早く終わってしまいました。しょうがないから早々とパ−ティーになりましたが、それでトピックスを一つ…
ミキシングルームにBarryと一緒に来て居た初老のご婦人がずっと聞いていたのですが、後で紹介されてびっくり、あのパノニカ婦人だったのです。ちょうどその頃は愛するセロ二アス・モンクを亡くした後だと思いますが、これも思い出に残る一コマでした。



兎にも角にも、無事に終了という事で、本当に強力リズムセクションのバックアップのおかげで、予想したよりは遙かにスムーズにレコーディングを終えて一安堵。プロデューサ−の沢井君も納得、またまた降り積もった大雪の中を二人で道々はしゃぎながら家へと帰りました。



(写真は翌朝の雪かき、沢井原兒の手にはワインボトルが…)




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