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DETAIL……mmy musical life part\(1983〜84年)
New York(完結編)

1.To Be Young And Foolish(A.Omori)1.55MB
2.Ruby My Dear(T.Monk)
3.Bud City(A.Omori)
4.Triste(A.C.Jobim)
5.It's You Or No One(J.Styne)
6M's lullaby(A.Omori)
7.Princess(R.Rivera)
| レコード発売 2度目の帰国 錦…! 決心 あとがき |
1983年4月 同6月 |
そして待ちに待った発売日が来ました。日本からLPそれに関連記事が載ってる雑誌等も到着、当時は全然解ってなかったけど、レコードをプロモートして発売させるのは大変な作業なんですね。ぼくが居ないのにきちんとやってくれたプロデューサ−の沢井君には本当に感謝しています。 それで、発売後の6月プロモーションの為、今度は3年ぶり2度目の帰国となりました。 あらかじめ連絡をとって昔の古巣新宿pit inとあと故郷の大牟田でレコ発を、特に大牟田では昔のエレキバンド仲間や同級生が中心となって市民会館でのコンサートを企画してくれる事になりました。ああいう形で上京して以来初めてのイベントですが、本当に昔の友達は有り難いものです、つくずくそう感じました。 メンバーは昔の仲間、山本 剛(p)岡田 勉(b)それに渡辺 文男さん(ds)に頼み、先ずはpit in、昔のうなぎの寝床みたいだった店から少し動いて広くなってましたが、懐かしいミュージシャン達も沢山来てくれて感無量でした。 それから大牟田でのコンサート、後援会の皆の努力で超満員、楽屋にも親戚、幼馴染、同級生等がぞくぞくと尋ねて来て、アメリカでの現実とのギャップと言うかカルチャーショックに何がなんだかさっぱり分からない状態、今思えば大分変に見えたと思います。 そんな感じで無事レコ発ツアーを終えあとは少し東京で、もらったLIVEの仕事をしました。 東京では山本 剛がコンサートや六本木界隈のJazz clubに色々誘ってくれ、当時渡辺貞夫さんのバンドに居た岡田 勉がFM番組のMy Dear Lifeに、あと音大時代の仲間大井貴司(Vib)もLIVEやJazzスクールのレクチュアーにも呼んでくれ、聴衆も真剣に聴いてくれているのが伝わって来ました。 その当時の日本はフュージョン全盛期で結構若手からベテランまでフュージョンに転向していた時期でもあったので逆に新鮮だったのかも知れません。 こうして日本で演奏する事はN.Yでの演奏とはまた違う意味の手応えを感じました。確かに演奏技術や音楽環境の水準の高さにその中で自分を鍛えるのも有意義ですが、長い歴史で出来上がったアメリカ文化に宿り木(少なくとも自分の代では)する人生より、自分のネイティブな環境の中で自分が何を出来るのかという気持ちが今回の帰国でいっそう強くなり、ついに決心しました。 気持ちが決まったもう一つの理由は親達の老いです。やはり9年の間に確実に親が老けてその上、次姉の死が重なって、かなり心細くなっていました。 それであと一年を向こうでの残務というか、帰国の準備として84年6月で丁度10年間という区切りの良いところでアメリカ生活にピりオドを打つ事にしました。 本当にこの10年間好き勝手にし放題だったのであとどれくらい親達が生きるか分かりませんが、少しは傍に居ないと大きなばちがあたりそうです。 思えば24歳〜34歳という、人生でも最も大事な時期に(そう同世代はこの間に皆そこそこの地位に就いています)何か夢ばかりで雲をつかむような生活、長いような短いような、良かったのか悪かったのか?まあ何とも言えませんが、ただ自分が何なのか、と言うことは解らせてもらった様な気がします。 10年の間にも初期の頃の、なんでもアメリカが優れて見える時期や、今度はアメリカ社会の矛盾、アメリカ人気質の腹立たしさ、そしてまたそれを乗り越えて認め合うと言うように、様々な心境の変化が有りましたが、基本的には人間は皆同じと言うこと、あと真のインターナショナルと言うことは自分の内面を掘り下げる事だと気付きました…という事で再びN,Yへ今度は気持ちも決まって、この10年間の様々な出来事をもう一度体に焼き付けつつも新たに始まる日本での生活に思いをはせる日々でした。 ![]() 月日の経つのは早いもので、帰国して瞬く間に17年が過ぎました。私の方は現在相も変わらずのバンド家業ですが、帰国当初は結構なカルチャーショックで社会勘を取り戻すまで4〜5年は掛かった様な気がします。(今も少し残ってるかな?)私がアメリカに暮らした10年間をざっと振り返ると、74年当時ベトナム戦争の最中で、ドルも350円、何事においても強いアメリカのイメージが有りました。しかし今思えば、〜60年代までのあのPopsそしてJazzの黄金期、それから80年代中頃〜のマルサリス等による若手の台頭のはざ間の丁度フュージョン時代でJazz的には不毛の時代に重なったような、そんな気もしますが、一方当時はまだたたき上げの怖いおじさん達が存在してそこら中で幅を利かせ、往年の歴史上の人物と遭遇することも多かった、そんな懐かしい時代でもあったと思います。 帰国後はそれなりに色んな出会いや様々な仕事を経て、その後2枚のリーダーアルバム他数々のレコーディングにも参加し、勤めて海外のミュージシャンとの共演の機会を増やすよう心がけて、滞米中に学んだ、偽りの無い目的意識を持った音創りを忘れないよう心がけてはいますが、即商業ペース主義の今日の音楽業界となかなか噛み合わないジレンマも有ります。しかしベテランから若手までまだまだ高い音楽性や意識を持って活動している人達も数多くあるので、その方達とより良き音楽環境が日本にも定着する日が来る様これからも活動していきたいと思います。本当に長い間つたない私のMusic Lifeにお付き合いいただきましてありがとうございました。 2001年2月13日 若しご感想など有りましたらどうぞMAILまたはBBSの方へ |