No.19

屈強なアメリカの男達


 1996年の夏、重いスーツケースを引っ張って、ニューヨーク、ボストン間を往復したとき、一番感心したのは、気は優しくて力持ちのアメリカの男性達であった。2ヶ月分の生活用品、辞書などの勉強道具を詰め込んだ私のスーツケースは、車が付いているから何とか運べるものの、階段なら一段持ち上げるのが精一杯という程、ずっしりと重いものであった。基本的には、エスカレーターやスロープなどを利用して、自力で移動することは可能な筈であったが、たまたま、頼みの綱のエスカレーターが故障で止まっていて、立ち往生したことが2度あった。
「あれ!どうしよう?」
と、思う間もなく、そこに救いのナイトが現れて、あの重い鞄を軽々と持ち上げ、20段以上もある階段を一気に上がってくれる。なんと頼もしい男性達よ。ローラーブレードを片手に持った学生、インテリ風サラリーマン、私にとっては、まさに地獄に仏であった。

 困っている人を助けるのは当たり前というこの国の人々の優しさ、また、他人に気軽に声を掛けるという子どもの時から培われた社交性、そして、この体力に感動する。日本人はこの3点から見ても、まだまだ遅れを取っていると認めざるを得ない。

 体力についていえば、どうしてこんなにたくましいのだろう。確かに、ニューヨークの街を歩くと、ガラス張りのスポーツ施設があちこちにあり、夕方になると、勤め帰りの男女がトレーニングに励んではいる。しかし、その後の滞在の中でたくましい男達が育つ環境が他にあることに気が付いた。
 
 家庭である。どこの家庭でも広い庭の芝生は、美しく刈り込まれているが、この芝刈りは男の仕事である。週末ともなれば、ブーンブーンとあちこちから芝刈り機の音がする。庭木の枝切り、家の修理、壁の塗り替えなどなど、何でも、夫、息子達の仕事である。お年寄りや、男手のない家庭では、高校生たちがアルバイトで芝を刈る。子どもたちもよく働く。台所仕事も半分は、夫達の仕事である。『私、作る人、食べる人』ではなく、作る人、片付ける人の構図である。妻が食事を作れば、夫は後片づけをするするのが当たり前という考えである。日本人の私としては、気の毒に思って、ついつい夫達を助けようとすると、
「アキラはお料理を作ったんだから、手伝わなくていいのよ。」
と、いわれる。

 よく働く男達、この勤労がたくましい肉体を作るのであった。なるほど!納得。

ダイアンの二男ジェフ、庭では男が料理する