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| bR5を2000年6月に付け加えて以来、長いご無沙汰となった。書きたいことはあれこれとありながら、日常の忙しさについつい怠けてしまった。そんな中、本年9月11日のワールド・トレード・センターの惨劇を知り、非常なショックを受けた。アメリカの友人達に見舞いのメイルを打ちながらも、自分自身、ショックから立ち直れないでいた。 1997年7月から8月にかけて約6週間、私は、ワールド・トレード・センターの直ぐそばにある大学の寮で過ごした。8階の私の部屋の前にあるホールの大窓から、ワールド・トレード・センターが直ぐそこに迫っていた。昼間は真夏の太陽に照らされて、白く輝く姿を、また、夕べには背に夕日を受け、黒い巨大な影絵となって迫力ある姿を見せた。 この大学のサマースクール参加の目的は、勿論勉強の為であったが、もう一つの目的は、マンハッタンに滞在出来ること(これの方が実は大きかったのです)であった。寮に入るには、週5日間の授業を受けることが条件である。ところが事務室の有り難い(?)ミスのお陰で、月火、二日間の授業を受けるだけで、寮滞在OKとなった。1週間の滞在費はなんと65ドルである。勿論、部屋はハーバードとは似ても似つかぬ小さな二人部屋(これを一人で使ったのだが)、食事もつかないが、この値段でマンハッタンに滞在できるのはなんとも有り難い。 アメリカの文化及びアメリカの社会問題といった教科を選択した。なかなか興味深い授業で,内容については、またの機会に記してみたい。ただし、宿題は簡単で、水曜日から週末まで、自由の身となり、ピークスキルの友人宅に泊まったり、バーバラとアトランティック・シティ(賭博の町)に赴いて、スロットマシーンなるものに手を触れたり、ケイとソーホーを探訪したりと、大いに楽しんだ。 前年のハーバードと違い、今回はけちけち経済で行こうと決めて、朝は近くのFulton St.の屋台でドーナツとコーヒーで1ドルというのに決めていた。それに65セントでニューヨーク・タイムズを買い、部屋に帰って食べる。昼、夜も、友人たちとの食事はレストランにも行ったが、一人の時は、ビジネス街で、サラリーマンで混雑する安食堂や、ピザ屋、はては、デリーで、プラスティック・ケースに何を詰めても、1ポンド5ドルと言うので済ませた。それに缶ビール1本、リンゴ1こなど加えて。 ワールド・トレード・センターの東側の本屋には、散歩のたびに寄り、また、前の広場で時たま出会うファーマーズ・マーケットで、安い果物を買ったりした。安いと言えば、マンハッタンのあちこちで売っている屋台の果物は、本当に安く、この夏中、ぶどうやバナナを、ただのような値段でおいしく頂いた。ワールド・トレード・センターの2階のホールでは、ブロードウェイのチケットが安く買えたので、度々赴いた。 青春の思い出と言うには、いささか年を取りすぎていたが、それに似た、いやそれよりももっと明るい、晴れ晴れとした高揚感を味わった6週間であった。そんな思い出の地が、一瞬の内に瓦礫の下に埋もれた。今なお現実のこととして受け入れられないでいる。 2001.12 |
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