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ラッケルのこと

 イの兄嫁のラッケルは、アバンギャルドのアーティストである。初めて彼女の作品に出合ったのは、1997年の夏、ソーホーの展示場をケイと訪れた時だった。お兄さんの奥さんが、アーティストであるということは聞いていたが、ここ、ソーホーの小さなショールームのドアを押し、中に入るや、アートと言うにはあまりにきてれつ(失礼!)(言葉が悪い!)なものの展示に、しばし呆然(!?)、発する言葉もなく、ケイの後をうろうろすること暫し。ケイのこれこれ!と言う声に目を上げると、入り口近くの窓のそば、天井から細いバーが下がっていて、それに日本式で言えば、油紙のような薄紙(それも微妙に皺が入っている)で出来た管状のものが、緩く巻き付けられ、所々たるませて、端は長めに垂れて、部屋の出入りによ る空気の移動で、かすかに揺れている。それがラッケルの作品であった。しんとした部屋で、ケイと顔を寄せ合って目録を見ると、インテスティン(腸)2300ドルの文字。驚きの声をぐっと押さえて、店の人に会釈するや、通りへ飛び出した。あービックリしたな、もう(!)。

 美とは何ぞや、芸術とは?アバンギャルド(前衛派)とは?時代は進み、美意識も変わる。新しい感覚を磨く必要あり、かな。古い観念にとらわれず、素直に、いろいろなものの魅力を感じればいいのかしら。

 その後、1998年、ケイに連れられて、フィラデルフィアのヒギンス家を訪れ、ラッケルに初めて会い、暖かい人柄に触れたこと、2000年11月、来日したラッケルと2週間余りを共に過ごしたことなどは、またの機会に記そうと思う。美を追究する鋭い感性も、垣間見ることが出来た。

 11月末から、左手にちょっとした不都合があって入院し、入院先でこの原稿を書いた。10日後退院してみると、ラッケルから、右手を骨折して手術したのという、左手で打ったと見える小文字ばかりの、情けないメイルが入っていた。その後、私の不都合を知り、we could have made a wonderful pair(あなたの左手と私の右手で)と返事が来た。          2001.12 
            
ケイ wtcにて
イサム・野口の作品