まだ明けきらない山道を軽自動車のエンジンを吹かして登って行く。
高度を稼ぐにつれて霧が密度を増し、みるみるあたりが暗くなった。
さっきまで海と空の隙間からオレンジ色の光が覗いていたのに、再び
夜に逆戻りしたようだ。
街灯も対向車の灯りもない山道は、このまま何かに飲み込まれてし
まいそうな不安でいっぱいだった。
それでも地球は確実に自転していて、芦川登山口に着く頃には夜は
明けていた。
頭のすぐ上を雲とも霧とも分からない乳白色が疾走している。
これがいつもの山なら確実に引き返しているところなのだが。
ワゴンが一台止まってはいるが、中に人の気配はない。しかし程な
くして、続けざまに車がやって来ると狭い駐車スペースはまたたく間
に塞がり、降り立った人々は一瞬の迷いもなく霧の中へと消えて行っ
た。
弁当屋のおやじが早く行けと言っていたのはこのことだったのか。
しばらく見送っていたが、握り飯を口に押し込むと慌てて彼らを追
いかけた。しかし数10mも歩くと車のロックや忘れ物がないか気に
なり、再び戻る羽目に。
宮之浦岳まで往復およそ10時間と聞いていたので気持ちはすでに
焦り気味に太古の森に分け入った。
小一時間で芦川小屋に到着。まだ新しくて快適そうだ。前夜の宿泊
した縦走パーティーが出発準備をしていた。
俺もそうしたかったが交通の便や荷物の量などから諦めた。日帰り
の方が楽だとも思っていたのだが、翌日縄文杉まで往復してみるとそ
れは全く違っていた。
食べ残しの弁当を食うと、再び先行者を追いかけた。
蒼い川を渡ると急登が始まった。高所は深いガスに遮られて見通せ
ない。そのガスを集めた葉が風に煽られパラパラと大きな水滴を落と
す。
屋久杉とは1000年以上経ったスギのことで、種類は普通のスギ
となんら変わりはないらしい。ただしスギの平均寿命は500年なの
で、恐ろしく長生きのスギなのだ。
ちなみに1000年以下のスギはコスギと呼ぶ。
そんな屋久杉ばかりか屋久樅や屋久楢も負けずと立ちつくしている。
そこにシメゴロシノキが絡み、コケがむし、サルオガセが長くさがる。
たっぷりと湿った海からの風が雨となって降り、葉や幹の細胞ひと
つひとつに水の分子が溢れ、木々はそれを糧にさらに根を張り森を創っ
ているのだ。
はるか彼方の昔から繰り返されてきた営みを考えると頭が痛くなっ
た。手塚治虫「火の鳥」の何千年、何万年もひとりぼっちで生命の進
化を見守る話を思い出して気が遠くなった。
早くももののけの呪術にかかってしまったようだ。
道は要所ごとに階段や木道が着けられていて歩き易い。というより、
やりすぎだ。
ご丁寧に「携帯通話可能地域」などという札さえ掛かっている。激
しい気候の山では、こんなモノは半年も経たないうちにゴミと化す。
自然遺産を謳っているにしてはお粗末な行為だ。
だいたい俺は携帯電話など大嫌いだ。仕事や特別な事情で必要な人
を除けば、普段それほど緊急に他人と連絡取る必要などある訳が無い。
ほとんどどーでもイイ道具なのだ。
だいたい10年前にはどれだけの人間が持っていた?おかげで公衆
電話が無くなり、年寄り達が大迷惑しているのだ。
うん、すると俺は年寄りの仲間か?
そんなモノを持ち歩くくらいなら、本や楽器やカヌーやテントを持
ち歩きたい。
勿論俺の周囲でもほとんどが持っているが、突然割り込んでくるケー
タイに誰一人としてこちらにエクスキューズしてから出るという殊勝
なヤツなどいやしない。
ケータイが人情や思いやりや礼節をどんどん我々から奪っているこ
とに気がついていない。
そんなヤツラの世界遺産なんて所詮こんなものなんだろう。
小花之江河への登りで二人連れを追い抜いき、いつのまにか俺が先
頭になっていた。いきなりもののけが現れたりはしまいかと思わず緊
張してしまう。
小花之江河、河花之江河は南限の高層湿原、霧の中に水を溜めて静
かにただずんでいる。散り遅れたシャクナゲがぼんやりと霞んでいた。
雨が降り出したので落ち着いて休みたいがその場所がない。木の下
に潜り込み、水を一口飲んで先を急ぐ。
投石岳を巻くと風を強く吹きつけるようになった。山の西側に出て、
まともに風を食らいだした。東シナ海から激しく吹き上がっているの
だ。
登山道は川になり、俺の10数年物のザンバランは屋久島の森に負
けぬほど水を蓄え、加重する度にグチュグチュと悲鳴を上げた。
突然、ヤクシカが霧の中から顔を出した。こんな天気の中物好きな
ヤツが来たとでも思ったのか、逃げもせずじっと俺を見つめていた。
やがてそれにも飽きたのかバニーガールのような白い尻を見せてシャ
クナゲの中に消えていった。
休憩に予定していた投石平の岩室は見つからず、安房岳、翁岳と走
り過ぎ、いつの間にか栗生岳まで来ていた。
植生が変わって、低木ばかりになった。それを突き破って大岩がい
くつも空を見上げている。かつての海底が空高く持ち上げられ、長い
間激しく浸食されてできたのだ。
その頂上部はガスの中に消え、登山道はモアイ像の間につけられた
迷路のようだ。
反対から来た縦走パーティーが山頂は飛ばされそうなほど風が強い
言って足早に下って行った。
風は前後の見境無く吹いたが、気温は高く、雨が止んだだけ知床を
縦走したときよりはずっとマシだった。風もその時ほどではない。
最後のわずかな急登で山頂着。岩の間に座り込むと灰色のガスむこ
うに標識がたたずんでいた。
下山も休憩場所がなく、一気に歩きとおしたおかげで昼過ぎには車
に戻っていた。
九州最高峰は意外なほどあっけなかった。
レンタカーの返却時間まで湯泊温泉に行った。手前のは観光客用だ
が、奥にもっと良い湯舟があると地元の人に教えられた。海岸の岩を
ノミで削って作った風呂はその人が子供の頃、60年前からあるとい
う。
湯舟のすぐ向こうで高い波がいくつも崩れていた。
満タン返しのガソリンは1リッター150円もした。
|