初夏のような陽気の中、名護から海岸線の道をペダルを漕ぐ。
途中採石場があり、ダンプが小石をばらまきながら疾走するので不
本意だが歩道を行く。
自転車はクルマなのだ!
それでも歩道があるだけましで、突然道幅が細くなり歩道が消えた
りすると、車がすぐそばを通り過ぎてヒヤヒヤする。
沖縄の道は歩行者や自転車には優しく作られてはいない。
本部港、瀬底大橋を過ぎ「紀乃川」と書かれた手作り看板を右折し
た。
これがとてつもなく長い上り坂で、やっと集落が終わりになった頃
にその店があった。
紀乃川は以前は那覇の平和通りに面したおんぼろビルの3階にあり、
それこそ地元でもあまり知る人はいないといったふうで、怪しい雰囲
気にどきどきしながらたどり着いた店だった。
後日、このビルが戦後の経済発展を支えた象徴のひとつであったこ
とを知った。
カウンターと小あがりにテーブルが三つのほどで、まだ沖縄初心者
だった俺が何を頼もうかとメニューを眺めていると後から来たおばちゃ
んがサンマ定食などと注文して力が抜けてしまった。
その後も何度か通ったが、何故か席を供にする人々はサンマ定食を
頼んでいた。
店名は本土復帰に合わせ日本的な名前をと付けたが、今考えると失
敗だったとおやじは言っていた。
今度の店もそれほど大きくはないが、開放的な窓からは潮の香りや
まぶしい光と一緒に唐船どーいが聞こえてきた。
備瀬はフクギ並木が有名な集落で、古い木は300年前の北山の時
代に植えられたものがあるそうだ。防風、防潮、日除けの3役をこな
す並木道を抜けると正面に夕日に照らされて伊江島が浮かんでいた。
この街にはキャンディー売りのバイトをしていたサオリちゃんが住
んでいるはずだ。
午前8時半、開門時間に合わせて「わ」ナンバーの車が集まってき
た。
「美ら海水族館」は今回の旅の目的のひとつである。ジンベエザメ
が縦になって行う採餌行動が是非とも見てみたい。
中では記録映画の上映や飼育員の解説、バックヤード見学、実験や
体験のコーナーと様々な催しものがあり、あっちへうろうろ、こっち
へうろうろと4階分の高さがある水族館を行ったり来たりする。
サンゴの産卵の仕組みを聞き、チンアナゴの一糸乱れぬ集団行動を
観閲し、サメの顎の骨格標本に触れ、水槽と映像のコラボレーション
は感激的なエンディングだった。勿論目的のジンベエザメはまるで自
分がコバンザメになったかように穴の開くほど眺め、1日2回の採餌
行動も観察できた。
そしてそのあれやこれやに参加していると満足な昼食もとれずに閉
館時間になってしまい、顔見知りになった解説員のおねーちゃんにそ
んな愚痴をこぼして水族館を後にした。
朝露のキャベツ畑を抜けて国道に出た。
フクギ並木でおばちゃんと話し込んでいたのでずいぶん蚊に刺され
てしまった。葉にはセミの抜け殻があったがあれはいつ羽化したのだ
ろう。
本部半島の東海岸を一度名護へ向かう。左手には橋で結ばれた古宇
利島、屋我地島が並走する。
この橋は伊是名島や与論島に行く際に工事中の現場を見ていた。海
上に中途半端に架かった姿は危なっかしく見え、無茶するなあと思っ
ていたのだが、とうとう完成したのだ。 宮古島と伊良部島を結ぶ計
画まであるのだから、そのうちに与那国島や波照間島までちょっとド
ライブ!なんてことになるのかも知れない。
半島を4分の3周して今帰仁・与那嶺、この街には以前に来たこと
があるので記憶の地図が繋がった。それにしても沖縄の人は旗好きで、
○○中学同窓会、○○ゴルフコンペなどという横断幕がガードレール
に張られている。
良くも悪くもふるさと意識、同族意識が強く、悪名高い成人式での
揃いの羽織というのもその現れだろう。
58号線をしばらく北上したらそれらの島々を結ぶ道へ左折する。
はじめの小さな橋を渡ると奥武島、ここはまだ名護市だ。小さな島
で人家も無く、あっという間に通り過ぎて次の橋を渡ると屋我地島。
この島はかなり大きく、それだけにアップダウンもある。古宇利大
橋まで観光道路として良く整備されているが、それだけにこの島は通
り過ぎるだけになってしまうだろう。
そんな場面は露骨に現れた。古宇利大橋を渡ったところには物産直
売所ができ、観光客で賑わっていた。
ここからまた今帰仁村になった。
橋ができる以前は対岸の運天港から船で渡るしかなかった島が、一
転観光の島となってしまった。そんな変貌具合や取り残された部分を
探しに円錐形の島の中腹部を廻る周遊道路を走った。
畑と日だまりにアサギマダラが飛ぶのどかな風景が続いた。時たま
橋の開通に合わせて慌てて作ったようなバラックの店があり、ウミブ
ドウ丼の看板が目立つ。
今沖縄はどこへ行ってもウミブドウとラー油が特産品になっている。
ウミブドウなんてちょっと前までは池間島でしかお目にかかれなかっ
たのに。いまは沖縄上げて養殖している。ラー油も石垣で作り出した
と思ったらわずか1年で沖縄中を席巻している。
島の反対側に一軒の農家があり、おじーが採ったばかりの大根の出
荷作業をしていた。
それほど標高もないので島の北側でもたっぷりと日射しがある。
橋ができて変わったかと訊くと、ものすごく変わってしまったとい
うようなことを島言葉で言った。
今まではどこへ行くにも船に乗る必要があったのに今では車でひとっ
走りだ。医者など緊急時は確かに便利になった。外からも大勢人が来
るようになったが小さな島を車でびゅうっと一周、もしくは直売所を
眺めただけで帰ってしまう。
それで本当に良かったのか。
そんな意味を込めてか、島の頂上へ行ってみろと付け加えた。
鉢巻き道路を離れ赤土ダート道を最高点に自転車を押し上げた。サ
トウキビ畑を割った道の隙間から海に浮かぶ橋や屋我地島、本部半島
が少しぼやけた空の下に広がった。
おじーはきっとこれが見せたかったのだろう。
風景に身を沈めるようにゆっくりと畑を縫って下った。
再び屋我地島、奥武島と渡り、国道を北上する。この道は5年前の
クリスマスイブの深夜に、それまで寝ていた名護の公園でホームレス
に絡まれて逃げるように走った。
その夜は風が強くてとても寒く、ライトもなかったために張り出し
た街路樹の枝に何度もぶつかるという、悲しい思い出がある。
それが今日は快適な走りで、空ではサシバが併走している。
大宜味村に入るとカルベナリア吉田の常宿「マリン」がある。ネッ
トで沖縄と自転車で検索すると彼をまねてか、それともただこれから
先辺戸岬を回ってコザあたりまで安宿が無いのでそうなってしまうの
か、たくさんのサイクリストが利用しているようだ。
すぐ右手にローソン、ここは名護を追い出された夜におでん買った
店。暖かい食い物が嬉しかった。
さらに行くと橋を渡って宮城のバス停。おでんを食い、裏の農村公
園にテントを張ったのだ。
道の駅ではいくつもの種類の柑橘類が売られていた。どれも同じ種
類に見えるのだが、地元の人間にはちゃんと区別がつくらしい。
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