彼是語り |
{so deepest, I can't see} ジャリッと背後で足音がし、ジュリアは瞬時に体に緊張を漲らせた。 油断しすぎたかと頭の中を後悔がよぎるが、それよりもまずは先制の一撃の衝撃に耐えるべく 体の隅々までの神経を集中させる。 しかしいつまで立っても攻撃の気配は来ない。 訝しく思ったジュリアがそっと背後を振り返ると、そこには顔を蒼白にした先ほどの魔女がいた。 魔女の目は、シゲンだけに注がれている。 なぜかそれを見ていると無性に腹立たしくなることを、心のどこかでジュリアは悟った。 長い金の髪が体の振るえと共に僅かに揺れている。 それが黒い魔女の衣装に映えて、とてもきれいだとぼんやりした頭の中でジュリアは思った。 そんなジュリアの脇をすりむけて、魔女は自らよりも背の高いシゲンの方に手をかけて揺さぶった。 「シゲン!しっかりして!」 呆然と立ち竦むその背中に向かって強く叱咤する魔女を見て、ジュリアも僅かな遠慮を捨てて シゲンへと向き返った。 掠れている喉から搾り出すようにして、ようやく一言だけ発した。 「お願いだから・・・シゲン、しっかりして・・。」 ひどく弱弱しい声だと、我ながら思わないでもなかった。 それでも、必死の思いを込めて囁いた。 こんなにたどたどしく思いを伝えるのもひどく久しぶりだと、心のどこかが軋んだ。 緊張と、そして多分恐怖の為だろうか、ジュリアは我知らず少し潤んだ目で呆然としていたシゲンを 見つづけていた。 その視線の先で、項垂れていたシゲンの頭が少しずつ持ち上がっていくのが見えて、 ジュリアはいつしか握り締めていた手から力を緩めた。 ゆらりと腕を起こしたシゲンは、魔女の肩にそっと手を押えて揺さぶるのを止めさせた。 「シエラ・・・ジュリア?・・・どのくらい経った、俺がこうしている間に。」 「え、ええと・・・・私が来てから20分くらいかしら・・・。」 いきなりの質問に少し考えながらジュリアが答える。 その心中では、いつもどおりのようなシゲンに安堵すると共にシエラと呼ばれた魔女のことが 気に掛かって仕方なかった。 そんなジュリアに頓着せず、シゲンはちらりとシエラを見ると、すっと踵を返した。 何も言わないその行動がらしいといえばらしくもあり、また小憎らしかった。 そんなことをぼやぼや考えている間にもシゲンは既に駆けて行ってしまっている。 ふと気づけば、その場にはジュリアともう一人、シエラしか残っていなくなっていた。 どうも何か気まずいようにジュリアは感じて仕方がない。 それに、ここにいても仕方がないと思ったジュリアがシゲンの後を追おうとシエラに背中を 向けたそのとき、しばらく黙っていたシエラが始めて口を開いた。 「あなたが、ジュリアだったのね。」 表情を窺わせない笑みは誰かとひどく似ている。 居心地の悪さは相変わらずに、ジュリアは仕方なくシエラと正面から相対した。 少し頭を傾げて、ゆらりとつやめく金髪が緩やかにしなだれている。 「私の事・・・知っているんですか?」 ひどく落ち着かない。 下手したら指先が震えてきそうなほどいやに緊張している。 しかし、それでも視線だけは外したくなかった。 迷わない印に、真っ直ぐ正面から強すぎる視線でシエラを見つづけた。 くすっと微かにシエラが微笑んだ。 「そんなに睨まないで・・・別に私とシゲンはなんでもないのよ。ただの、同士だっただけ。」 そう言ったシエラの顔は穏やかで、むしろ感情の起伏が無いようにも見える。 それを不思議に思ったジュリアが声をかけようとしたそのとき、大地が鳴動した。 うねるように地面が揺れ動く。 天を貫くような咆哮が響き渡る。 地下神殿と言う閉じられた空間内に俄かに光が満ち、ジュリアは思わず中央にある少し高くなった 高台を仰ぎ見た。 眩しいほどに溢れていた光は急速に収束しつつある。 何かに急かされるかのように、ジュリアは考える間も無く走り出していた。 それからのことは、余りにめまぐるしくて良く思い出せない。 ジュリアが目にしたものは、グエンカオスのジャヌーラで命を絶たれたはずの四人の巫女たちを 前に、信じられないというような表情で立ち竦む聖剣を持つ三人だった。 エンテが、カトリが、そしてネイファが瞬きを繰り返したり我が手を見たりしている。 自らが死んだ時の衝撃と恐怖、そして今の再び生きているという現実が上手く噛みあっていなかった ようだ。 その側らには、先に行ってしまっていたシゲンがいた。 肩を竦めて少しだけ口を歪めている。 その表情は何かを重ね見ているようだった。 うす暗かった地下神殿からかなり久々に地上に出て、外の空気の清涼さを満喫している人で 一杯だった。 それも無理はない、火の神殿か水の神殿のいずれかから入って以来、ずっと地下を潜り続けて 戦いの連続だったのだから。 リュナン公子の軍とホームズに付き従ってきた人たち、それに加えて土の神殿の方から来た面々も いて、更にカナンの王子もいる。 きょろきょろと随分増えた人を見回していると、不意に肩を叩かれた。 頭だけ振り向いても誰もいなくて、訝しく思いながらもまた前を向こうとしたら、 押し殺した笑い声が聞こえてきた。 くるりと勢いよく、体ごと振り向くと思った通りにシゲンがいた。 「もう、いっつもそんなことばっかりして!・・・何か用なんでしょ?」 「ああ、そろそろ出発だってよ。リーヴェ領内を縦断していくそうだ。」 今いるところは水の神殿にも程近いリムネーの街で、リュナン公子の軍が通ってきた道を 逆に辿るということになるだろうとも言った。 大分長く伸びる隊列の先頭は既に街を出ているようだ。 いつもどおりに殿になるシゲンと結果的に一緒に行くことになって、ジュリアはなぜか動揺した。 よくよく考えればこうしてゆっくりと話すのはアルカナ砂漠以来であるし、それにガーゼルの 地下神殿でのシゲンの事も今更ながらに気に掛かるが、それを聞いてもいいかどうか迷った。 そのためか、晴れた空の下を歩いているのに妙な沈黙があって、それも息苦しい。 リムネーの街を出てしばらくした頃、ジュリアが逡巡している一歩前を歩いていたシゲンが 急に口を開いた。 「俺に聞きたいこと、あるんだろ?」 歩く速さを少しだけ緩めて、シゲンはジュリアの隣に並んだ。 右手で髪をくしゃりとされる。 以前と変わらない仕草だった。 「おまえさ、そう言う時ってかなり顔に出てるの知ってるか?今だってそうだぜ?」 「そう言われても・・・・自分の顔なんてわからないもの。」 そう言って、その場は凌いだものの、まだジュリアには迷いがあった。 シゲンは溜息一つついて、前を向きながら話し始めた。 「どうせお前の知りたいことなんて一つしかないだろ?」 「う・・・・ん、あの・・・・あの人、誰?」 「俺の、実の母親・・・なんだそうだ。お前もヨーダから聞いたんだろ?俺達が血の繋がらない 兄妹だって。不思議だったんだ、俺の両親はどうしているのかとか、どこにいるのかとか。 だから、ヨーダを問い詰めたんだ。そうしたらいとも簡単に『母がガーゼル教団にいる』と 返しやがった。」 「だから、島を出た。お前も大陸に渡ったんなら少しは見ただろう?ゾーア人狩りを。 俺が大陸に渡った頃はもっとひどかったんだぜ。それを見ていて、たまらなくなった。 この剣で、少しでも救えるならばと思ってレダの旧領にあった教団へと行って、そこに あの・・・女もいた。」 淡々と紡がれる言葉は今まで知らなかったことばかりで、ジュリアは押し黙って聞いていた。 ジュリアが聞きたかったこととは少しずれている事ではあったが、それも気になることだったので。 青い空の下、さやさやと風が吹いている中、ざぁっと強く吹いた突風がシゲンの青髪とジュリアの 赤毛、そして長く伸びた草原の青草を乱暴に靡かせた。 「そのとき既にカルラはガーゼルの魔女として知られていた。 教皇グエンカオスの片腕として、教団内では知らない者のないような女だったんだ。 数多くいたゾーネンブルメを統括し、またカナン王を動かして紛争を仕掛け、まさに暗躍と言った 感じだったな。」 「一方俺は、リーヴェの各地で行われるゾーア人処刑に乱入していたんだ。 それは構わなかったんだが・・・・教団内では厳然とした階級制度が敷かれているのが段々 見えてきた。 結局はリーヴェにおいてあったような貴族制度が形を変えただけだった、そう分った時、 教団を脱走したんだ。」 「その少し前に、直接カルラと話す機会があった。 確かに美しいが、だが、冷たい感じだとそのときは思った。 後で聞いた所によると、そう言ったことは珍しいんだそうだ。 今思えば、カルラは俺と知って声をかけたんだろうな・・・・。」 そこでひとたび区切り、それからはいくら待ってもシゲンは口を緘したままだった。 ジュリアは遠慮がちに口を挟んだ。 「それが、あの時・・・・倒れていた人、なんだよね?」 「ああ・・俺が、斬ったんだ・・・・。」 そういうシゲンの表情は苦渋が滲み出さんばかりで、ジュリアは慌てて言い募った。 「あ、あの、あのね・・・・・そうだ、あの人は?金髪の、魔女の格好をした人。」 訝しげに眉を寄せたシゲンは、そのままの表情で口を開いた。 「魔女?シエラのことか?・・・ああ、そう言えばおまえにあいつのこと話したことはなかったか。 あいつは、俺がガーゼルにいた頃に処刑されかけてて、そこを助けたんだ。それ以来一緒に いたんだが、教団を抜けるときに別れてそれっきりだった。 当たり前だな、魔女として教団に洗脳されているような奴が脱走しようとしている俺についてくる 筈もないからな。」 「そのうち戦ってる間に会う事もあるだろうとは思っていたんだが、お前と別れて火の神殿を 目指している途中での戦場でいたぶられている魔女を助けたと思ったらシエラだったのさ。 全く・・・つくづく縁があるものだと思ったものさ。 俺とシエラが会ったのも、処刑台の上でだったからな。 リーヴェの処刑場で始めて会ったんだ。」 「どういう・・・・関係?」 「そんな、お前が思ってるようなもんじゃねぇよ。」 ああ、一緒だ。 あの地下神殿でシエラが言ったことと寸分違わないことをシゲンもたった今、目の前で言った。 その相似は少しだけジュリアに影を落としたが、なるべく気にしないようにしようと思った。 ゆっくりと歩く地上の人々と同じように、はるか高みでも白い雲がゆっくりと流れていく。 なんとなく黙ってしまったジュリアは、話題を変えてみることにした。 「・・・・シゲンは、これからどうするの?」 言ってしまってから、はたと気づいた。 もしかしたら、また離れ離れになるのかもしれないと。 しかしそんなジュリアの心配は今度は杞憂に終わった。 「そうだな・・・・一度イル島に戻るつもりだ。」 「そうなの?!よかった・・・どこかに旅に出るとか言うかと思ったわ。 ・・・また、一人になっちゃうかと思った。」 「さすがにな・・・今までずっとろくに戻ってなかったしな。それに、俺が旅に出るならお前も ついて来ればいいだろ?」 その言葉に、つと胸をつかれたような感覚がジュリアにはあった。 ごく自然に、側にいることを許容してくれている。 そういう響きが伝わってきたのだ。 嬉しくて、つい涙が滲みそうになった。 そんなジュリアの目に、午後の青空は染みるように透き通っていた。 |
{シエラさんに懺悔} 私はすっげー勘違いをしてました。つい昨日まで。 それは! ずばりシエラさんの名前です!! ずっと「しぇら」だと思ってたんです。ホントは「しえら」だったんですね・・・。コンプリートガイド読んでて、初めて気がつきました。<遅いです そっかー、「え」は大きく発音するんだー。シエラかー、うーん。間違ってるのは承知の上だけど、個人的には「シェラ」の方が好きですー(笑)。 響きと言うか、語呂とか語感が。 ってゆーかそもそも何で勘違いしてたんですかね、私は。 きっとアレだ。初回プレイでMAP31で仲間にした私は、訪問したはずのホームズ押し退けていきなり魔道士ぶった斬り、毒がまわって身動き出来ないパツ金ゴージャスなお姉さんに吸い付く(笑)と言うスーパーエロ臭ぇ兄さんにびびってちゃんと会話文読まなかったのが原因でしょうな。 ってゆーかあのシーンを素面でじっくり見れるか−ッ!! 余りにベタな展開にジーク氏とケイト嬢の毒蜘蛛イベントより笑わせていただきましたさ。 兄さんてば、あの調子でがんがん女落としていくんですかね?(笑) それはそれで好きです。<ハイ? |
{祝杯} 紫紺の天一面、銀砂をまいたような綺羅星がまたたいている。 視線を下ろせば、やわらかな灯りをともした街並の彼方に、星空を映してあえかにきらめく大海が、おだやかな潮騒を遠くゆったりと繰り返している。 美しい夜だった。 グラナダの領主館。 戦勝を祝う宴の喧騒を背中に聞きながら、シエラは独り露台の勾欄に身をもたれかけさせ、寄せては返す潮の音に耳を澄ませていた。 「ここにいたんだ」 探したよ。 笑いを含んだ声に振り返った彼女は素っ気なく訊ねた。 「何か用?」 「ご挨拶だわね。せっかくいいものを持ってきてあげたのに」 手にした酒壜とふたつの杯を持ち上げてみせる相手に、シエラは玲瓏とした声で冷たく応える。 「あいにくと、お酒はあまり好きではないのよ」 「そう」 クリシーヌはたいして気に留めた様子もなくシエラの脇に位置を占めた。欄干に置いた杯ふたつともを果実酒で満たすと、片一方を手に取って高欄に背を預け、星空を仰ぎ見る。 皙い咽喉が無防備にさらされる様をシエラはちろりと眺め、ついでまた海の果てに視線を戻した。 クリシーヌは黙って酒を干し続ける。 シエラが彼女の存在を忘れかけた頃、ぽつり、独り言のような、細い、かすかな声が耳に届いた。 「戻ってこないね」 「そうね」 主語が抜け落ちていても、彼女が誰のことを話しているかはすぐに知れた。 黙って続きを待つが、しかしいつまで過ぎてもクリシーヌは口を開かなかった。ぼうと力の抜けた眸を、館の一角に注いでいる。 宵闇のせいだろうか。いつもは釣り上がった目尻が鋭い印象を与える造作が、このときばかりは妙に寂しげに目に映った 少時そうして彼女の横顔を眺めてのち、シエラは目線を手元に移した。縁までなみなみと注がれた酒の表面が潮風に波打つさまを見、そしてまた海へと目線を戻す。 まるでその時を待ち受けていたかのように、クリシーヌがまたつぶやいた。 「あたしさ。あんただったら良いなって、そう思ってたのよ」 「……。何が」 「本命」 無言で顔を向けると、にっと、挑戦的な笑顔を返された。 「まだ気持ちの整理はついてないのよ。まだ、あのひとを忘れることはでないでいるの。できることなら、何をしてでも逢いたいって、そう思う。けれど、予感があったのよ。次に自分が惚れるなら、たぶんあいつだなって」 くつくつ、いくぶん自嘲の混じった嗤いを酒で咽喉の奥に流し込んで、クリシーヌは酒壜を取り上げた。 「その場合、あんただったら、何とかなるのよ」 新たに満たした杯に口をつけながら、続ける。 「あ。何とかなるって云っても、あんたよりあたしが勝ってるとか、そう云うことじゃないのよ」 「そうね」 「そう冷静に返さないでよ。気が削がれるじゃない」 「あいにくと、こんな性格なのよ」 「ふん、それは失礼いたしました」 鼻梁にしわを浮かせてクリシーヌは杯を干す。皙い咽喉がこくこくと細かに波打った。 「とにかく、あんたならあたしにもなんとかなったの。だってあたしとあんたは同じ匂いの女じゃない」 シエラはそうね、とため息に似た声を潮風に乗せた。 「似ているわね」 「あいつとなにかわけありのあんたが出てきたときには、だからちょっと嬉しかったのよ。あんたが本命なら、あたしがそれにすりかわることもできるぞ。可能性はあるぞって。……でもさ」 ふう、と長いため息。 「違ったんだね」 「残念ながらね」 「違いすぎるね」 「あの娘とはね」 少時の沈黙。 シエラは海の彼方を眺め、クリシーヌは干した杯にまた酒を満たす。 「善い娘だよね」 「善い娘なのよ」 顔も目線も合わさないまま、ぽつり、ぽつりと声だけが重ねられて行く。 「血の臭いに怯えてる」 「殺すことに罪悪を覚えているのよ」 「綺麗な娘だわ」 「無垢なのよ」 「もう何度も戦場に出ているはずなのにね」 クリシーヌには、そのことが信じられない。 幾度も、何度も戦さ場の土を踏んで、そのたびに生き抜いて、だのに心が血の臭いに染まっていない、そんな人間が存在することが信じられないのだ。 「生命はなにものにも代えがたいほどに重く尊い」 ひとがこの台詞を口に乗せるたびに、クリシーヌは、腹の底から沸きあがる嗤いを押さえ込むのに一苦労する。 それは半分の真実しか云い表していない、半端な言葉だ。 それをさも大切そうに、世の真理だとして後生大事に抱きこんでいる彼らが、憐れで滑稽で可笑しくてしようがない。 無知はときとして哀しく可笑しい。 たしかに命は尊く大切だ。――が。 貴重なのは自分と、自分の周りにあるごく少数のそれだ。それ以外は羽よりも軽くて塵よりも価値無いものでしかない。 一度で良い、戦さと云う名の修羅場に身を置けば、その事実がしみじみしみる。 貴重でかえがたい自分の生命を護るためには、無数個の生命を摘み取る必要がある。そうしなければ、生き延びることなどできないのだ。そこでは自分以外の生命は無価値に等しい。戦さ場に出会う敵方は、人間ではない、価値ない物だ。そうと思い込んで割り切らなければ、戦さ場を耐えることはできない。 ひとつで良い、戦場を生き延びた傭兵は、だから普通は慣れているはずなのだ。 殺すことにも、血の臭いにも。 そこに罪悪感の混入する隙間はない。 無価値のものを潰したところで痛痒は感じないし、無価値のものが流した臭いも気にならない。 そうして、彼らの性根は血の臭いに慣れ、染まって行く。 それが、自分を含めたクリシーヌの識る傭兵だった。そのはずだった。 だのに彼女はどうだろう。 いつも、いつまでも、血の臭いに怯えている。怯え続ける。 それは、殺すことを厭うている徴だ。そうして殺しを厭うとは、自分と他者の生命の間に価値の差を見つけていない証拠である。 彼女にとっては戦さ場で相対する敵方も、たしかに自分と同じ人間なのだ。 なんと靭くて脆く、そうして哀しいまでにあやうい心なのだろう。 いつまでも相手を人間と見続けるのは、彼女の靭さであり弱さであり優しさでありそしてたくましさのあらわれだ。 今はただおののくしかできない彼女は、やがて重みを受けとめることを知るだろう。自らの手が断った生命の重みをそのままに受けとめて、押しつぶされることなく、前を見て歩いて行くすべを知るだろう。 そうしていつか、クリシーヌが抱いているとは別種の真理に到達するのだ。 彼女は自分と根本からして造りが違う。違う人間なのだ。どちらが正しくどちらが悪いわけではない。ただ、種類が違う。昼と夜ほどに、太陽と月ほどに、ものが違うのだ。比べることができないものなのだ。 そのことに気づいたとき、クリシーヌは、彼が彼女に惹かれていないことを願った。 同じ位置に立って争うには、彼女は自分とあまりに違いすぎる。彼女に惹かれる男は、けして自分を見ない。 けれど、願いながらもクリシーヌは同時にまた知っていた。 その矛盾に満ちた、形を保っていることが奇跡にすら思えるほどに脆いこころとそれが持つ可能性に気づいた人間は、それに惹かれずにはいられないことを。そうして、彼がそれに気づけないほどに鈍感ではないことを。 クリシーヌは、知っていた。 「最初から、さ。勝負すら始まってなかったのよね」 クリシーヌの嘆声に、シエラはそうね、とかすかな相づちを返す。 最初から、決まっていたのだ。彼のなかにはあの無垢でか弱くそして靭い輝きがしかと根をはってあったのだから。 静寂。 潮騒が遠く聞こえる。 宴は終局に近づいたらしい。喧騒に間が入るようになった。 クリシーヌは黙然と双眸を伏せて酒をすする。 悔しくはない。だから、自棄酒ではない。ただ、飲んでいたかった。だから飲み続けた。 杯が空になった。 酒壜を持ち上げる。 傾けた壜が一滴しか内容をこぼさなかったことに顔をしかめて不満を表すクリシーヌに、シエラは、自分の肘の脇に置かれたまま、手付かずで取ってあった杯を顎で示した。 「飲めば?」 「悪いね」 「どうせ私は飲まないから」 「そっか」 なみなみと注がれた酒がこぼれないよう、慎重に持ち上げて一口静かにすすると、クリシーヌは嘆息をひとつ、シエラにしなだれかかった。酒に上気した頬を皙い肩にこてんと乗せる。潮風をすって冷えた黄金の巻き毛が鼻先をくすぐった。 「何?」 相も変らず無感動な声色にくつくつと笑いながら答える。 「こんな綺麗な夜はさ、ひとはだが恋しくならない?」 「あいにくだけれど、私はその手の趣味を持ち合わせていないの」 「そう。実はあたしもなのよ」 残念だわね。 クリシーヌは咲い、星空にかかげた杯を一気に干した。 ⇒Back |