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原子力防災 「どうしよう原子力立地給付金」の会 どうしよう防災パンフ いまヨウ素剤が欲しいひとへ 原発は事故が起きなくても もし、原発に事故が起きたら もし、原発に事故が起きたら 松江市の原子力防災体制の現状の問題点 原子力防災対策とヨウ素剤常備 松江市の原子力防災体制に関する公開質問状 松江市の原子力防災体制に関する陳情書 もし、島根に強い地震が起きたら もし、島根に強い地震が起きたら 島根原発は危ないぞ! 中国電力への公開質問状 松江市の原子力防災訓練の実状 松江市の原子力防災訓練の実状 2000年度 生馬ヶ丘団地 2001年度 川津小学校 2002年度 東高等学校 2003年度 松江第二中学校 2004年度 法吉地区住民の広域避難 原子力防災体制に関する要望書の提出 2004年に提出した原子力防災体制に関する要望書 2007年に連名で提出した原子力防災訓練に関する申し入れ 2008年に連名で提出した原子力防災訓練に関する申し入れ 福島原発の震災を受けて さよなら島根原発ネットワーク 松江市原子力発電所環境安全対策協議会公募委員 環境問題 |
2000年10月6日の島根県東部地震の際、まず頭をよぎったのは、「原発は大丈夫か」ではありませんでしたか。運のいいことに、このときは原発が2基とも点検中で稼働していませんでした。原発事故への不安な思いは、2011年3月11日の東日本大震災での福島第1原発の緊迫した状況や広がる放射能汚染に、より一層強まったことでしょう。
いま、松江近辺に住んでいて、「島根原発は絶対に事故を起こさない」、「島根原発のある場所では絶対に地震が起きない」、「どんな地震がきても、島根原発は大丈夫」、「もし、島根原発に事故が起きても、備えは十分だから心配はいらない」などと思っているひとはほとんどいないことでしょう。また、「北朝鮮との関係が悪化したら、1番始めに弾道ミサイルが狙うのは島根原発」と聞いて、不安な思いをしたひとも多いと思います。
東日本大震災が起きるまでは、「事故は起きるかもしれないが、これまで大きな事故は起きていないのだから、自分が生きている間は大丈夫だろう」とか、「心配してもしようがないから、あまり考えないようにしている」とか、「これだけ近くに住んでいるんだから、原発事故のときは即死で苦しまなくても済むかもしれない」とか、「チェルノブイリ原発の事故では300キロも汚染が広がったんだから、どこに住んでいても危険なことには変わりない」とか考えてくらしてきたわたしたちですが、原発の震災で長期の避難もしくは長期の微量放射線被曝に脅える生活を強いられる可能性を知ったいま、どうしましょうか。「心配してもしようがないから、あまり考えないように」しますか?
原発のあることをあきらめたり、考えないようにしたりしてくらしていくこともできます。確かに、誰かに強いられた訳ではなく、わたしたちは自ら島根原発から8キロの地点で住むことを選びました。しかし、我が子は、自分で選んだわけではなく、親の都合でここで暮らしていくしかないのです。わたしは、我が子への責任からも、自分でできることから始めてみることにしました。そして、そのきっかけになったのが、原子力立地給付金でした。
国は、原子力発電施設等の所在市町村、特定の隣接市町村・隣々接市町村に電源立地地域対策交付金の交付を行っています。1994〜2003年度は、この交付金の使い道が雇用促進・産業振興の施設整備などに限定されていたため、松江市は、1契約年額3168円の原子力立地給付金を各家庭に交付していました。(2004年度の制度改正で、ソフト事業を含む幅広い事業に活用できるようになったため、松江市は原子力立地給付金を廃止しました。使った事業他は、電源立地地域対策交付金・補助金制度参照。)給付が決まった1994年、わたしはこのお金をどうしようかと悩みました。もちろん、こんなお金は受け取れないと受け取り拒否することもできました。でも、わたしは7人のなかまと、このお金を年会費として、原発を考える会「どうしよう原子力立地給付金」をつくりました。このなかまは、1994年5月28日〜30日にアピア松江店で開催した「チェルノブイリ写真展」の受付担当のボランティアが中心でした。
「環境問題を考える女の集い」は、1995年の島根県知事選のとき、知事候補への公開質問状提出をきっかけに生まれた、原発、産業廃棄物処分場、ゴルフ場、農薬空中散布などの環境問題に取り組む市民団体に参加し、活動中の女性の集まりです。 原発問題に関しては、「どうしよう原子力立地給付金」、「大気と水と土を守る会」、「反原発ネットワーク山陰」の参加者が集い、このあと「反原発チラシ」作成配布や生越氏を招いての「原発の地震対策」問題などで共に運動することになります。ちなみに、高山幸子が代表になったのは、メンバーの中で1番所属している「環境問題に取り組む市民団体」の数が多かったからですが、それは単に「たべもの」の会の事務局長だったからです。
「たべもの」の会の会員減少に伴い、「どうしよう原子力立地給付金」の会や「環境問題を考える女の集い」も休眠状態に陥りましたが、いますぐ原発を止められないとしても、少しずつでも原発事故への備えを具体化させてすすめていく方向で、やれることから始めることにしました。賛同してくれるなかまと2004年に「原発のある暮らしを考える会」を作りました。まずは、放射能被曝の影響をおとなよりも強く受ける子どもたちの防災体制からということで、「子どもの人権オンブズパーソン」と共に動くことにし、公開質問状や陳情書を連名で提出しました(連名であるもう1つの理由は、どちらの会員もこれらの提出には賛成でしたが、2つの会の会員がまったく重なり合っているわけではなかったからです)。
さらなる「たべもの」の会の会員減少で、2007年、「原発のある暮らしを考える会」も「たべもの」の会から生まれた他の市民団体同様、身近な暮らしの問題に取り組む会として結成した「島根くらしといのちのネットワーク(倉塚香織代表)」に吸収合併されました。