ギシギシィッ!
クリスタルインセクトの咆哮にも似た音が響いた時、「水晶の光」の冒険者たちは食堂の椅子を鳴らして立ち上がり、一斉に外へ飛び出した。
「何?」
パンとシチューのトレイを持ったままだったファルラーダは、即座には行動できなかった。しかし周りを見回すことはできた。
クリスタルインセクトは紋章術士が召喚できる、アビリティの生き物だ。しかし「水晶の光」でクリスタルインセクトを召喚できる者はすべて食堂にいた。となると、外部の者が呼び出したのか。
「違う」
レオンがトレイをテーブルに置いて、ファルラーダの手を強く引いて正門に向かわせた。
「門柱のクリスタルだ。誰かがクリスタルを持ち出そうとしている」
旅団「水晶の光」の拠点の門柱には、大きなクリスタルが飾られている。旅団長イライザの家に代々伝わるもので、旅団名の由来となったそれは旅団の象徴として置かれている。
それは自ら光を発し、光を浴びた者はあらゆる病から回復できると言われている。だから悪しき心の持ち主が自らの利益のために盗み出そうとする事件が何度か起こっているが、それらは全て未遂に終わっている。水晶が悪しき心を感じ取って、叫び声を上げるからだ。
ファルラーダが正門に着いた時には、すでに盗人は先行した冒険者たちに取り押さえられていた。
まだ暴れている盗人の顔が、水晶の光に照らされる。その顔に、ファルラーダは見覚えがあった。
「ウェリードさん?」
村に住む薬師のおばばの所に居候している、大きな街の金持ちの坊っちゃんだ。おばばが若い頃に世話をしていた縁を頼り、堅苦しい家での生活に飽きて家出した時に転がり込んだのだ。十八にもなるのに、働きもせず、昔世話をしてくれた乳母に甘えながら、下手な楽器を鳴らしているだけの自堕落な生活をしている。当然、村の人間の受けは悪い。
「どうしてクリスタルを持ち出そうとしたの?」
イライザが詰問した。普段のんびり酒を飲んで笑っているイライザが怒るのは珍しい。その分、一度怒れば恐ろしいほどの感情を迸らせる。だから誰もイライザを怒らせるような真似はしないのだ。
その噂を知っているのか、ウェリードは震えながら言い訳を始めた。
「ばあやが…ばあやが病気なんだ。どんな病気か聞いても苦しがるばかりで、どうしたらいいか判らなくて…」
ウェリードは泣きながら訴える。彼の端正な顔が、涙と鼻水で汚れていった。
「おばばが?」
セルティナが首を傾げる。先日会った時には、病気の兆候も見られず、元気にしていたというのに。
「団長。わらわが行こう。おばばとは知らぬ仲ではないからの」
「いいわよ、セルティナ。でも、クリスタルは置いていってね」
イライザの水晶は、困った人がいつでも冒険者たちを頼れるよう灯しておく目印なのだ。門柱から離す訳にはいかない。
「あ、私も行きます」
ファルラーダが言い、座り込んでしまったウェリードを立たせて、彼の家まで同行した。
セルティナとファルラーダがおばばの家に行くと、おばばはセルティナにだけ話があると言って、ファルラーダとウェリードを追い出した。
ウェリードは泣き続けていた。
「ばあやはいつもそばにいてくれて、俺のやることをいつも褒めてくれた。楽器だって歌だって、同盟の冒険者より才能があるって言ってくれた。何が欲しいのかもすぐに察してくれて、何でも与えてくれた。ばあやがいない人生なんて考えられないよ…」
「それはどうかと思います」
ファルラーダは言った。
「あなたはもう大人でしょう? 自分で働いて、自分で家族を養っていける年齢です。いつまでもおばばに頼ることが許される状態ではありませんよ」
ウェリードはぎくりとした。本人も薄々それに気づいていたらしい。
「同盟の冒険者には、あなたよりもっと若いのに、命をかけて戦っている人が沢山います。あなたも独り立ちしなければいけませんよ」
「俺は…」
戦ったことなどない。それどころか、一般的な仕事すらしたことがない。急にそんなことを言われても、独り立ちなどできはしない。
…いや。いつかはそうしなければならない。その不安が心の底にあった。だが、おばばがそばにいてくれたから、その現実から逃避することができたのだ。
もしおばばが死んでしまえば…その現実に直面することになる。自分だけの力で、たった一人で生きていかなければならないのだ。
「怖いよ…俺。誰にも頼らないで生きていくなんて、できやしない」
ウェリードは自分の肩を抱いて震えていた。
ファルラーダはふと、おばばは坊っちゃんの育て方を誤ったのではないかと思った。本当に坊っちゃんのことを愛しているなら、一人でも生きていけるよう強く育てるべきだったのだ。
あるいは、誰かに頼ることを許される年齢のうちに社会を知らせるべきだったのだ。
そうファルラーダが思った時、セルティナがウェリードを呼んだ。おばばが最期に話すことがあるというのだ。
「最期」という一言で、ウェリードは腹を据えた。
「ばあや。俺、一人で旅に出る。いつまでもばあやに頼ってばかりいられないからな。俺一人で立派に生きてみせる」
ウェリードはおばばの手を握り、宣言した。
おばばは一瞬拍子抜けしたような顔をしたが、苦しい息をしながら微笑んで、ウェリードの手の上に、自分の空いた手を乗せた。
「坊っちゃま。その一言を待っていました。どうか一人で頑張ってください。天国から…」
見守っている。そう続けたかったのだろう。しかしおばばはその前に力尽きてしまった。
「ばあや…」
ウェリードは亡骸にすがって泣きに泣いた。
セルティナはウェリードを追い出すように外へ出し、葬式などは自分でやるので、ウェリードはおばばに誓ったように一人で旅に出るように言いつけた。
頼る者がいなくなり、自分だけで生きなければならないと悟ったウェリードは承諾し、ここへ来たときと同じようにリュート一つ持っただけで旅立った。
それから数ヶ月経った。
ファルラーダは門前で掃除をしながら、ウェリードのことを思い出していた。
無事でやっているだろうか。寒空の下で震えていないだろうか。グドンなどの餌食になっていたりしないだろうか。不安でたまらなくなる。
「…まあ、不安といえば、わらわも同感じゃがな」
セルティナも同意した。日向ぼっこをしながら、イライザもワイン片手に頷いている。
そんな時。
「やあ」
軽い調子で声をかけながら、ウェリードが現れた。
「ウェリードさん?」
ファルラーダは目を疑った。ウェリードの顔からは頼りなさが抜け、服装からもだらしなさがなくなっていた。若干痩せたようだが、それは贅肉が落ちたからだろう。少し傷のある革鎧を纏い、魔楽器と思しき竪琴を背負っている。
「あなた、冒険者になったのですか?」
ファルラーダは驚いて言った。
「希望のグリモアに認められたんだ。楽器もきちんとした教師に教えてもらって、人並みには弾けるようになった。…こういうこともできるようになったよ」
言ってウェリードは門前で走り回っている子犬に目を向けた。そして竪琴をかき鳴らす。
すると子犬はおとなしくなり、やがて眠り込んでしまった。
「眠りの歌…吟遊詩人のアビリティじゃな」
セルティナが目を丸くした。初級のアビリティとはいえ、冒険者にならなければ習得できない技だ。ウェリードは確かに吟遊詩人としての力を身につけている。
「今日は、ここの旅団に入れてもらおうと思って来たんだ。俺も手に職をつけたし、ばあやの墓を守りながら戦えればいいなと思ってね」
「えと、あの…」
ファルラーダは、素直に喜べなかった。何故なら…。
「ばあやも天国で喜んでくれるかな、俺が毎日墓参りに行けば」
「その、のぅ…」
セルティナの言葉も歯切れが悪い。
「悪いけど、あなたの入団は認められないわ」
イライザがきっぱりと言った。
「え?」
ウェリードは意外そうな顔をした。
「どうして…?」
「その、おばばのお墓は、ないのですよ」
ファルラーダは申し訳なさそうに言った。
「私はまだ生きておりますからな」
そう言って薬草庫から出てきたのは、薬師のおばばだった。
「ば、ばあや…」
ウェリードは絶句した。
「その。おばばは、死んだのではなかったのです。あなたに活を入れるために、死んだふりをしていただけなんです」
「得意の薬草術で、仮死状態になってな」
ファルラーダとセルティナは、ウェリードと目を合わせないように言った。
「冒険者になったのは立派だけど、あなたの心にはまだおばばに頼ろうとする気持ちが残っている。そんな人は、『水晶の光』にはいらないの」
イライザが断言する。
「いつまでも私に頼られても困りますからな、坊っちゃま。これ以上この村にいるつもりなら、私は本物の毒薬を飲みますよ」
「そ、それは困る!」
ウェリードは叫んだ。
結局ウェリードは、希望のグリモアの近くで旅団を探すことにして、村から去った。
「きつすぎませんか、団長?」
ファルラーダはイライザに尋ねた。
「冒険者に、温かい寝床は必要ないのよ。自分で探し当てた寝床ならいいけど、子供時代に浸るための寝床は、冒険者を堕落させるの。あなたも誓ったでしょう? 冒険者になった時に」
ファルラーダは頷いた。冒険者としての「誓約の儀」において、宣言したのだ。
ひとつ、自らの民を守り、助けるための努力を怠らないこと。
ひとつ、自らの力を高めるべく努力すること。
そのためには、子供から大人へと生まれ変わらなければならない。
そうして初めて、冒険者は誕生するのだ。