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私はミネソタの小さな田舎町ホプキンスで育ちました。当時、私の大好きな人形は、ミッジ(バ ービーの仲間)でした。私が縫物を母から学ぶ頃には、当時の私は人形の服より私自身の服 を作っていました。その経験が後の人形の服作りに役立つなんて、ほとんど考えもしなかった ことでした。 その後小学校教師になるために、ニューヨーク州立大学に通いました。卒業後、2年間、オー ストラリアに準教師として勤めました。そこで一人のアメリカ人の先生(現在の夫、トニー・イアコ ーノ)と恋に落ちたのです。1976年にアメリカに戻ってすぐ、我々は結婚し、その後、3人の子供 たち(すべての女の子)を授かりました。 最初の子供が生まれた時、この子の為にと人形製作を思い立ちました。最初は単純な布縫い ぐるみを製作することから始めました。そのうちに、人形ショーにこのラグドールを出展・販売す るようになりました。このことはまだ目を離せない子供の育児の傍らの副収入として大変助けと なりました。技量も進歩しだし、私はラグドールの「平らな」顔では飽き足らなくなりはじめまし た。ある日、ショーで大変興味の有る人形を発見し、何か知らずインスピレーションが沸いたの です。顔を立体化するのは大きな挑戦でした。何度も試行錯誤を重ね、私は真に探していた技 術を発見しました。曲面を私の人形の顔に加えることは、私の人形に新しい生命を吹き込みま した。 仕事は進歩して、ますます楽しく、但し、大変忙しくなりました。結局、私の仕事のため、夫が自 分の仕事を辞めて、フルタイムで支えるほど増大しました。 現在、我々のスタジオは、自宅にあります。数人の外部アシスタントの助けを借りて、我々は毎 年70体限定の人形を平均5バージョン製作します。他に、私的に2、3のユニークな人形を非常 に小さな版で製作販売もしています。 私の人形は多数の賞(主な賞では、Doll Reader Magazineのドーティ、DOTY、そして、Dolls MagazineからはExcellenceのDolls賞等々です。)を頂きました。1993年には、国立アメリカのDolls Artists(NIADA)研究所の賞に選ばれたときは最高の光栄でした。更に一部の作品は、パリのルーブルを含む多くのギャラリーと博物館で展示されています。また前述の私の人形は、アメリカ合衆国と海外のすばらしい人形店を通して売られます。 私が思うに、本当に幸せな人は、自分の好きな事をしてで、生計が成り立つ人だと思います。 この思いは、私のために実現しました。それは誇りと共に言い表せないほどの驚きです。私は この仕事に飽きることを経験していません。私は、私の人形を購入し、集める誰にでも感謝 します。それは、私がアーティストとして成長し続けて、私が本当に好きである創造的なプロセスを続けるのを許して下さるからです。 ![]()
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