白バラの出現

白バラのビラ1号 / 白バラのビラ2号 / 白バラのビラ3号 / 白バラのビラ4号

白バラのビラ1号

 1942年5月末から6月はじめあたりに、ミュンヒェン在住の教師、医師、法曹、公務員、旅館や飲食店の主人らに差出人不明の郵便が届いた。その中には謄写版で印刷された紙が入っており、「白バラのビラ1(Flugblatter der weisen Rose)」と名付けられた反ナチのビラであった。ビラの郵送者はミュンヒェン大学の医学生ハンス・ショルとアレクサンダー・シュモレルである。彼らは郵送相手を知人や電話帳から選び出していた。主に知識人層に向けたものだったが、飲食店の主人にも送り客に伝えてもらいたいと期待した。

 ビラは論説調で教養ある人物の手による反ナチス的な内容であった。ナチスに対する抵抗を呼びかけ、その後シラーの『リュクルゴスとソロンの立法』とゲーテの『エピメーニデスの目覚め』を引用している。そして最後に「このビラをできる限り複写し配布することをお願いする」と締めくっている。複写といってもコピー機はまだなかったので、謄写機かタイプライターでカーボン印刷するしかなく、物資も不足していた情勢の中ではかなりの労力を使うお願いだった。

 このビラを受け取った人々は、内容に共感する者も反対する者も戸惑った。当時このような反ナチス的なビラが郵送という手段によって送られてくることはなかったし、ビラを手にし読むだけでもゲシュタポに密告されれば逮捕されてしまうという危険性もあったからだ。さらにこれはゲシュタポが張った罠ではないかと疑う者もいて、ビラをそっと仕舞い込んだりゲシュタポに届け出る人もいた。

 ビラの作成者がハンスとアレクサンダーであることには親しい友人たちの中には気がついた者もいたようだ。ハンスの妹ゾフィー・ショルと、アレクサンダーがハンブルク大学にいたときに知り合い一時ハンスの恋人でもあったトラウテ・ラフレンツだ(トラウテはほとんど間をおかずに送られた1号と2号を見てハンスが書いたのではと疑いを抱いた模様)。だがハンスはトラウテがビラの作成者の件を尋ねた時に「誰がこれを書いたか聞きまわるのはよくない」「君はなるべくなにも知らないほうが君のためにもいい」とはぐらかし関わることをやめさせた。なのでトラウテはビラの配布に力を注いだ。

ページTOP index

白バラのビラ2号

 ビラは1号とほとんど間を置かずに配布されたようだ。ドイツ国民の負うべき義務を記した後、ドイツ軍のポーランドにおけるユダヤ人とポーランド人への迫害について言及し、それを放置するドイツ国民を「誰もが有罪! 有罪! 有罪なのだ!」と厳しく告発。その後老子からの引用を記し、1号と同様にできる限り複写し配布することを願うという言葉で締めくくっている。

 建築家マンフレート・アイケマイヤーはアトリエを持っており、そこを討論会や朗読会の場としてハンスたちに貸していた。そのアトリエでハンスたちは謄写記を持ち込みビラを印刷していた。さらにマイケマイヤーは自身がポーランドで見たドイツ軍の残虐な行為をハンスたちに話し、それを元に2号のビラにはポーランド貴族子弟の抹殺がどのように行われたかが書かれることとなる。

ページTOP index

白バラのビラ3号

 前のビラより間を置かずに(1号〜3号は1942年5月下旬から7月上旬頃)配布される。今回は、ナチスは拒否するが戦争とりわけ共産主義のソ連に勝たねばならないと考え、反ナチ行動はその後だという人に向けられて書かれている。そして具体的にどう抵抗をすればいいかもあげられ、ナチスに関係し戦争を続行させるすべての物事へのサボタージュや慈善目的と銘打たれた街頭募金に寄付してはならないと述べる。慈善目的といっても、結局は戦争を長引かせるための募金であるからだ、と。さらにアリストテレスの『政治学』から引用があり、複写と配布を呼びかける言葉で終わる。

 寄街頭募金を拒否する内容には、ゾフィーの影がちらつく。1941年〜42年にかけての冬、レニングラードとモスクワの手前で陣を張ろうとしていた国防軍は冬の備えをしていなかった。なので彼らのために冬物衣料を寄付しようというキャンペーンが張られた。しかし寄付することをゾフィーは拒否。そこで偶然前線から戻ってきていた恋人で軍人のフリッツ・ハルトナーゲルが、ゾフィーに極寒の地で冬の供えもない兵士がどうなるかと説いた。それでもゾフィーは「私たちは戦争に負けなくてはならない」「寄付して戦争を長引かせてはいけない」と主張。つまり、ヒトラーに反対なら戦争に勝ってはならない。ヒトラー政権を片付けるには軍事的な敗北以外方法はないからだ、というのがゾフィーの意見だった。よってすでに3号ではゾフィーが関わっていた可能がある。

ページTOP index

白バラのビラ4号

 1942年7月15日にハンス・アレクサンダー・ヴィリーの所属する学生中退は23日に実習で東部戦線(ロシア)に赴くことが発表された。これに伴い急いで4号は作られたようだ。

 戦況に触れて、ヒトラーの現時点での「勝利」により生じる国民の戦争の行方に関する楽観を非難している。宗教色が強くキリスト教徒に向かって呼びかけていた。特にヒトラーを「悪魔」に例えたり「地獄」「サタン」といった比喩が使用され、今まで論文調で理性的だった内容とは違い感覚的だった。引用はノヴァーリスの『キリスト教世界あるいはヨーロッパ』と旧約聖書『伝道の書』(トラウテがハンスにあげたもの)からである。最後は今までと少し違い、白バラが外国の傭兵ではないことを指摘し、ヒトラーとその一派の行為にふさわしい刑罰はこの世になく彼らの名を記憶せよと断罪。そして「われわれは沈黙しない。われわれは諸君のやましき良心である。白バラは諸君に休息を与えない!」と結ぶ。

 このビラをもって白バラの活動は一時中断。ハンスたちが東部戦線から帰ってきた後にもビラは2種類作られるが、「白バラのビラ」という名称は用いなくなった。

ページTOP index