最終更新:2006-05-15
1942年7月23日にハンス、アレクサンダー、ヴィリー、フーベルトは東部戦線へと出発した。前夜にアイケマイヤーのアトリエで送別会を行いいろいろと話し合ったが、白バラメンバー以外にも多数いたため白バラの活動そのものには触れなかった模様。
アレクサンダーにとってロシアは故郷であり、自身もロシア語を話しロシアに強い関心を持っていた。そのため占領する側としてロシアに赴く心中は複雑だっただろう。しかしアレクサンダーのおかげでハンス達は現地の農民達と交流を重ねることができた。さらにドストエフスキーに深い感銘を受けたようだ。ヴィリーの日記には「ドイツ人に対するいきどおりがどんなに大きいものであるかに驚く。まさしく嫌悪といっていい」ということがロシアを去る10日ほど前に書かれているのだから、彼らドイツ軍としてはかなり好意的な交流をロシア人との間に実現できていたのだろう。フーベルトの後の報告でも「あれは軍隊生活と呼べるものではなかった」と語られている。しかし戦争であることに変わりはなく、毎日人は心で行くし、ヴィリーとフーベルトは衛生兵として前線に赴くこともあった。
フーバー教授にハンス達の連名であてた手紙にはロシアに対して好意的な内容が書かれていた。ハンスは以前、ロシアに対して激しい戦闘的立場をとっていてそれにフーバーも共感していたにも関わらずだ。ハンスが実際にロシアの広大な大地を踏みしめたことによりかなり考え方が変わったのだろう。
帰りの列車で今後の白バラについて語りながら11月6日にミュンヒェンに帰還した。そして再び白バラの活動を再開する。
(『ショル兄妹の声』及び『権力と良心』の日記や手紙に当時のことが綴られる)