主要メンバーの動きと白バラの活動を中心に年表をまとめているので、重要なことでも省略部分があります。赤文字部分は政治関連。
1月30日 ヒトラーが首相に就任。
ショル家の子供達はヒトラー・ユーゲントに加入。
ヴィリーは「灰色会」に加入。
ミュンヒェンの新実科高等学校がアレクサンダーとクリストフは出会う。クリストフはすぐに転校するが、親交は続く。
3月16日 兵役義務復活。
6月16日 帝国勤労奉仕義務導入。
9月15日 反ユダヤ人種法「ニュルンベルク法」導入。
春 アレクサンダーはアビトゥア(大学入学資格試験)を終え、6ヶ月間の帝国勤労奉仕に就く。
ハンスはミュルンベルク開催された党大会に、ウルムの代表として隊長旗の旗手として行進することを許された。だがこの名誉ある任命により、ヒトラー・ユーゲントへの熱は冷めはじめる。その後、同盟系青年団「d.j.1.11.」を結成。
8月1〜16日 ベルリンオリンピック。
12月1日 ヒトラー・ユーゲント義務化。
3月 ハンス、クリストフ、ヴィリーはアビトゥアを終え、4月〜10月に帝国勤労奉仕に就く。
11月 ヴィリーがボン大学医学部に入学。ハンス、アレクサンダー、クリストフは兵役に就く。
1月初め ハンスは兵役先で非合法性年運動に関わった科で逮捕。
11月22日 ヴィリーも同じ容疑で逮捕。(3月13日のオーストラリア併合の恩赦で二人とも釈放される)
11月8〜9日 クリスタル・ナハト(水晶の夜)。以後、反ユダヤ条項が成立、執行される。
4月 ハンス、クリストフがミュンヒェン大学医学部に入学。アレクサンダーはハンブルグ大学医学部に入学。
9月1日 ナチス・ドイツ軍、ポーランドに侵攻。
9月3日 英、仏対独宣戦布告。第二次大戦勃発。
9月 ヴィリーはボン大学で医師予備試験を受け、ミュンヒェン大学移る。
精神障害者、重度障害者などに対する「安楽死」政策がはじまる。
1月 ヴィリーは衛生兵予備部隊に召集され訓練を受ける。(1942年4月まで)
1940年春 クリストフはヘルタ・ドールンと結婚。6月には長男が生まれる
3月 ゾフィーはアビトゥアを終える。
5月 ゾフィーは保母養成学校に入学。
10月 ハンスとアレックスは同じミュンヒェン学生中退に属し、医師資格予備試験を受けた。このあたりの時期に二人は知り合っていた可能性が大きい。(アレクサンダーは秋以降にミュンヒェン大学に移った)
(1940年秋〜1941年夏の間にはアレクサンダーの紹介でハンスとクリストフも知り合っていたか?)
1月中旬 ハンス、アレックスは医師資格予備試験に合格。
4月6日 ゾフィーは翌年4月まで帝国勤労奉仕に就く。
6月22日 ヴィリーは翌年四月まで衛生兵としてロシア戦線も赴く。
7月〜8月 ミュンスターのガーレン司教が「安楽死」政策を非難し、その説教はタイプされ広まる。
1941年8月 ハンスとアレックスはハルラッヒングの市民病院に実習に入る。この前後からハンスの書簡にアレクサンダーがよく現れるようになる。
10月 ハンスとゾフィーはウルムの友人オトル・アイヒャーの仲介でカール・ムートと親しくなる。
11月 クリストフがシュトラースブルク大学に移動する。
12月 クリストフに次男が生まれる。
4月 クリストフがミュンヘン大学に戻ってくる。
1942年5月3日頃 ゾフィーがミュンヒェン大学に入る。
5月下旬〜7月頃 「白バラのビラ」1号〜3号が作成・配布された。
6月頃 おそらくヴィリーはフーバートを通じてハンスたちと知り合ったか?
6月3日 メルテンス婦人宅の読書会でハンスはフーバー教授と個人的に知り合う。
7月10日 ヴィリーを読書会に招く。この時点でハンスたちはヴィリーを「仲間」と受け入れたか?
7月15日 東部前線(ロシア)での夏季実習の決定。この決定に伴い「白バラのビラ」4号を作成・配布した。
7月23日 ハンス・アレキサンダー・ヴィリー・フーバートたちはロシア戦線に出発。(8月2に到着)
10月31日 実習終了。ミュンヒェンに戻る。(11月6日に到着)
主要メンバーやトラウテ・ラフレンツら協力者が、ミュンヒェンより広範囲にビラを配布しようと動く。
12月上旬 ハンスたちはオイゲン・グラミンガーに資金援助を申し込んだり、ウルムの高校生に協力を依頼した。
11月26日 クリストフはミュンヒェンからインストブルックに転属を命じられ、大学も当地のところに変わる。
12月9日 ハンスたちはフーバー教授にビラのことを打ち明け、協力を依頼。
12月下旬 ヴィリーは「灰色会」の仲間を巡って白バラの協力を依頼。クリスマスに会ったハインリヒ・ボリンガーの協力を取り付ける。
1月13日 ミュンヒェン大学創立470年記念式典で、党間区長ギースラーの演説に学生が反発し、衝突。 おそらく同日ハンスが書いた「ドイツ抵抗運動のビラ」(ビラ5号。ここから「白バラのビラ」という名称は使わなくなった)を作成、配布。
1月28日 再度「ドイツ抵抗運動のビラ」を印刷。ミュンヒェン市内に配布。
1月31日、2月2日 スターリングラードの敗戦。
2月3・4・8・15日深夜 ハンス、アレクサンダー、ヴィリーはタールを用いて、街中に「自由」「ヒトラー打倒」などのスローガンを書いて回った。
2月8日 ハンスの下宿先でファルク・ハルナックとの会合。夜、フーバー教授がスターリングラードの敗退を受け「同胞女子学生諸君! 同胞男子学生諸君!」というビラ(6号)の草稿を書く。(原稿が破れたため「女子学生諸君! 男子学生諸君!」というタイトルのものある)
2月11日 フーバー教授を交えてファルク・ハルナックとの会合。フーバー教授とハンスたちがビラ(6号)の「学生たち、国防軍賛美」について書かれた最終行をめぐって話し合いが決裂。
2月12日 ビラ(最終行は削除)を印刷。
2月15日 ビラのうち800枚〜1000枚を投函。
2月18日 大学内でショル兄弟はビラを配布しているところを用務員に発見され、逮捕。それを見ていたらしいアレクサンダーはヴィリーにそのことを告げ、逃げるように告げ自分も逃亡。だがヴィリーは深夜、下宿に戻りと妹アンネリーゼと共に逮捕。そのときヴィリーは肌身離さず持っていた日記をゲシュタポ(秘密国家警察)から隠すことに成功。
2月19日 ハンスが逮捕時に持っていたクリストフ直筆のビラの草稿により、インスブルックの学生中隊で逮捕。
2月21日 ハンス、ゾフィー、クリストフが「国家に対する反逆と利敵行為」で告発される。
2月22日 国民法廷長官ローレント・フライスラーの指揮により、午前9時頃から裁判が始まる。判決は有罪・死刑。午後4時頃ショル兄弟は家族と面会するが、そのとき家族はこのあとすぐに彼らの処刑が執行されるとは知らなかった。午後5時、収監されていたミュンヒェン・シュターデンハイム刑務所で斬首される。クリストフは死の前にカトリックの洗礼を受ける。
2月24日 アレクサンダーがミュンヒェンで逮捕。(一度はミュンヒェンから出たはずだか戻ってきた模様)ヴィリーは粘って「ハンスに頼まれ封筒を買った」こと以外は何一つ認めなかったが、アレクサンダーが必要以上に容疑を認めてしまったため容疑は確定される。
2月26日 アレクサンダーとヴィリーは対面させられる。そのときの取締官の言葉からハンスたちがすでに処刑されていることを悟ったヴィリーはアレクサンダーや他の関係者を守るために行動を開始する。
2月27日早朝 フーバー教授は自宅で逮捕。
4月8日 アレクサンダー、ヴィリー、フーバー教授と他の関係者が起訴される。
4月19日 アレクサンダー、ヴィリー、フーバー教授は有罪、死刑宣告を受ける。ファルク・ハルナックは無罪。他は有罪。
7月13日 アレクサンダーとフーバー教授が斬首される。同日ハンスの知人やクリストフの義父の裁判が行われる。
10月7日 ローベルト・ショルの裁判。
10月8日 ライペルト逮捕。ハンブルクのグループが続々逮捕され始める。
10月12日 ヴィリーも斬首。(ヴィリーは他にも灰色会といったようなグループに関わっていたため、仲間や友人の情報を引き出そうと死刑がのびた)
11月9日 ライペルトの妹のマリア、クルハスキーなどが逮捕される。
3月14日 トラウテは釈放される。だが3月末にハンブルクグループのことで再逮捕。
7月20日 ヒトラー暗殺計画失敗。
9月25日 「ドイツ民族総動員令」により、16〜60歳の全男子が召集される。
10月13日 ライペルトらミュンヒェン大学化学研究所のメンバーらの裁判。
3月7日 ヒトラーはドイツの全社会経済施設の破壊を命ずる。
4月17日〜20日 クルハスキーらハンブルクメンバーの裁判。死刑を宣告されたクルハスキーは20日に隙をついて逃亡。
4月29日 クリストフの義父ハラルト・ドートン、ミュンヒェン近郊のベルラッハの森で銃殺。
4月30日 ヒトラー自殺
5月7〜8日 ドイツ軍無条件降伏