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白バラに関する裁判
裁判の日と場所、被告と裁判の結果をまとめる。
ただ『白バラの祈り オリジナル・シナリオ』ではここに記している「禁固」は全て懲役になっていた。どちらが正しいかは不明。
1943年2月22日 ミュンヒェン
- ハンス・ショル(斬首)
- ゾフィー・ショル(斬首)
- クリストフ・プロープスト(斬首)
1943年4月19日 ミュンヒェン
- アレクサンダー・シュモレル(斬首)
- ヴィリー・グラーフ(斬首)
- クルト・フーバー(斬首)
- ハンス・ヒルツェル(禁固5年)
- スザンネ・ヒルツェル(懲役6ヶ月)
- フランツ・ヨーゼフ・ミュラー(禁固5年)
- オイゲン・グリミンガー(懲役10年)
- ハインリヒ・ボリンガー(懲役7年)
- ヘルムート・ハウアー(懲役7年)
- ファルク・ハルナック(無罪)
- ギーゼラ・シュルトリンク(禁固1年)
- カタリーナ・シュッデコップス(禁固1年)
- トラウテ・ラフレンツ(禁固1年)
- ハインリヒ・グーター(禁固1年)
1943年7月13日
- マンフレート・マイケマイヤー(無罪)
- ヴィルヘルム・ガイヤー(無罪)
- ハラルト・ドールン(無罪、後に射殺)
- ヨーゼフ・ザーンゲン(禁固6ヶ月)
1943年10月7日
- ローベルト・ショル(懲役2年)←外国放送傍受の科で
1944年10月13日 ドーナウヴェアト
- ハンス・ライペルト(死刑)
- マリー=ルイーゼ・ヤーン(懲役12年)
- ヴォルフガング・エルレンバッハ
- フランツ・トレペシュヘートヴィヒ・シュルツ
- ヴァレンティン・フライゼ
- リービロッテ・ドライフェルト (3人は禁固、2人は無罪)
1945年4月17〜20日 ハンブルク
- ハインツ・クハルスキー(死刑、しかし移送中に逃亡に成功)
他にもメンバーの家族などが逮捕されているが、詳しいことはわからないので割愛する。
また禁固と懲役の違いもわからなかったので調べてみた。
禁固→労務を科さず監獄に拘置するもの。
懲役→監獄に拘置して所定の作業を科す刑罰。
参考:『早稲田大学人間総合研究センター「危機と人間」プロジェクト作成「白バラ展」解説(2005年)』