・セックスの意味
子供のいる夫婦にとってのセックスの意味について、少し考えてみたい。
私はセックスが大好きである。カミさんも30代半ばに差しかかり、さらに
3人も子供を産んだだけあって、だいぶ緩い身体になってきたが(コレ見ら
れたら怒られそう)、それでも風呂上がりとかに裸を少しでもみれば未だに
興奮するし、セックスをしたくなる。しかし子供がいないころならまだしも、
子供が3人もいるとセックスするのだって簡単ではない。それは子供自体
云々ではなく、子供と接しているカミさんがそんな気分にならないからだ。
カミさんの友達で先日、どうしても奥さんがセックスする気分にならなくて、
ついに旦那さんが「頼む、金はらうからさせてくれ」って泣きついた人がい
たそうな。他人の話を聞いてしまうと何とも哀れな話である。昨年離婚した
私の友人も最初はこのセックスレスが原因だったらしい。お願いしないとさ
せてもらえず、お願いするということはどうしても相手が主導権を握ること
になる。男が求めているギリギリのところで調節していればこれほど男を
上手にコントロールする術はないと思うが、抑制量を誤ってしまうと、その
友達のように「お願いするのがバカバカしい」「なんでこんなに頭を下げな
きゃいけないんだ」ということになり、結局は離婚してしまった(もっとも
これだけが原因ではないが)。まあこれは大げさな例だとしても、どこも子
供がいると同じような状況みたいで、うちもその例に漏れず大変なのである。
まずレイプするわけじゃないんだから、何と言ってもカミさんがその気分に
なることが肝要である。そのためには育児は当たり前として、数日前の段階
からご機嫌を伺うために平日でも進んで洗い物をし、洗濯物を干したり畳ん
だり、カミさんの肩をもんだり足裏マッサージをする。休日になったら昼間
は子供を連れて3〜4時間ぐらい外に遊びに行って、育児から解放してあげ
る。そうすることによって、やっと生活に余裕ができ、晴れて夜に営みを
行おうという気分になる・・・らしい。しかしそこまでしても簡単にいくと
きばかりではなく、この週末のために散々必要以上に尽くしてきたにも関わ
らず、肝心の週末に連チャンで「眠いから」と言われて寝られてしまうこと
もしばしば。昔はこれでよくケンカになったが、さすがに最近は私も人間が
丸くなったのか、昔みたいには怒らなくなった(笑)。
しかしこんな私でも一時期、あまりセックスをしたくならない時期があった。
動機が不純かもしれないが、セックスをしないということはカミさんの機嫌
をとる必要もないわけで、平日の炊事や洗濯など、「リラックスさせよう!」
という強烈な思いが芽生えない。もちろん、それとは関係なしに育児やら
週末の家事やらはやるが、それは普通に生活する範囲のレベルであって、
「それ以上」をする気も必要もない。
このとき、その「それ以上」をしない生活を味わったが、それはそれは何と
も楽な生活であった。ケンカになっても自分が納得できないなら折れる必要
はないし、平日なら夜に洗い物や洗濯物が溜まっていても知らん顔、カミさ
んが寝る前の時間からゲームしたり、あるいは子供を寝かしつける前に俺が
先に寝てしまったりなど、普段では考えられないほど自由な生活だった。し
かしそれは自分だけが楽しい生活であって、何だか夫婦としてはよくない気
がする。だから性欲過多ぐらいが丁度いいのかもしれない(笑)。
子供が二人以上いると、育児、育児に追われている毎日が続く。お互いに
「パパ」「ママ」と呼び合い、つねに子供中心で生活が進んでいく。そんな
毎日の中で唯一、相手を異性として意識し、夫婦として認め合うことができ
る行為がセックスであると思う。これがなくなったら・・・ただの家族に
なってしまう。
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・婿養子とお墓
うちのカミさんのお義父さんは婿養子である。婿養子というのはドラマでは
よく見かけるが、実際にはあまり見かけず、私の周りで実在する婿養子はお
義父さんただ一人である。お義母さんという人は二人姉妹の長女で、昔風の
考え方から婿を取らないとお家が断絶するという理由で婿を取ったのだろう
が、実際結婚してカミさんの実家を見る限り、特に旧家であるとか、超お金
持ちであるとか、広大な土地を持っているとかはなかった。それどころか、
近くに本家があり、カミさんの実家は分家なのだ。だから、結婚当初は婿養
子を取った理由がよくわからなかったものだ。しかし最近、その理由が少し
わかった気がする。その理由の一つがお墓である。
例えば、自分(男)が両親が入るであろうお墓に入るとして、さらに自分に
は娘が二人いたとしよう。当然自分は両親の墓参りをする。そして自分もい
ずれ両親と同じお墓に入る。娘は例え嫁に行ったとしても、私が入っている
お墓にはお墓参りに来てくれるだろう。しかし娘たちの子供(つまり孫)が
大きくなったとき、果たして私たちの入っているお墓に墓参りに来てくれる
のだろうか? それが娘の場合、いずれまた嫁に行ってしまうし、仮に男の
子が出来たとしても、それは娘たちの旦那さんの実家の跡継ぎであって、私
たちとの関係は薄くなってしまうのである。
結婚するとカミさんの両親のお墓ぐらいならお墓参りに行くが、カミさんの
お義母さんのさらに母方の実家となると、到底行くとは思えない。なぜなら、
そんなことをしたら、その私からみたら孫にあたる子たちにとって、配偶者
の分も併せると最大8カ所もお墓参りに行かなくてはならなくなるからだ。
行くとしても、ぜいぜい自分の父方とカミさんの父方(うちの場合は義父が
婿養子なので母方)のお墓ぐらいとなる。そうなると自分に娘しかいなかっ
た場合、両親が眠っている、そして自分も眠るであろうお墓がいずれ無縁仏
になってしまう可能性が非常に高い。そう考えると、婿養子というのは大切
なのかもしれない。
みなさんは、お墓のこと、考えたことがおありだろうか?
もし自分が姉妹のみであった場合、一度そんなことを両親と語ってみるのも
面白いかもしれない。
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・セクハラの定義
私は他社の人から指摘を受けるまで、今まで真剣にセクハラなんて考えたこ
ともなかった。ある時、私は自分より一回り年上のその人に「そちらの職場
には若い女性はいるんですか?」と聞いた。するとその人は「女性を若いか
年輩かで区別するのは、立派なセクハラだ」と言われたのだ。そうなんだろ
うか。
そもそも、セクハラというものの定義自体が難しい。得意先の女性が私に、
あなたの職場には若い男性が多いですか?と聞いてもきっと誰もセクハラと
は思わないだろう。しかし逆はセクハラだという。要は「弱い立場の女性を
権力に任せて性的嫌がらせをする男性から守る」というのがセクハラ法だと
思う。だから確かに管理職が体を触ったり職場でイヤラシイことを言うのは
セクハラであると思うが、しかし先ほどの年齢の件のような言動だけでセク
ハラというのは、あるときは「男女平等」を訴え、ある時は「セクハラよ!」
と叫んでいるようで女性はちょっとずるい気がする。それにその程度をセク
ハラというなら、40過ぎた半獣半人みたいな独身のおばちゃんが、職場で
ショッキングピンクのタイツを履いて歩き回っている方がよっぽど性的嫌が
らせで不快感が募る。わかりやすく逆の例をあげれば、40過ぎのおっさん
がスパッツ履いて仕事しているようなものだ。これをセクハラと言わずに、
何をセクハラと言うのか。
それとキャラの違いが大きいと思う。きっと岩城滉一みたいな上司に「君が
あと3つ若かったらな・・・。」って言われても、「いや〜ん、今でも十分
若いですよー!」と答えるかもしれないが、Mr.オクレみたいな上司に、
「君があと3つ若かったらなぁん・・。」と言われたとしたら「何言っとん
じゃ、このおっさんは? セクハラで訴えるぞ!」と言うと思う。まさに
相手によりけりであり、キャラクタによってえらい格差がある。
今私はまだギリギリ20代。しかしこれからセクハラの加害者になってもお
かしくない年齢になる。だから私は、セクハラしてもセクハラととられない
そんなおじさまになりたい・・・。
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・仕事上の女性差別
最近、私の友人の女の子が会社を辞めたいと言い出した。というのも、その
子の会社では女性はどんなに仕事を頑張っても、やはり差別されてしまうら
しいのだ。
その子の職種はシステムエンジニアである。とにかく仕事が生き甲斐であり
仕事のやる気はすごい。もう結婚している子なのだが、長期出張もあるし、
朝3時、4時まで仕事なんてのが平気で2週間続くこともあるそうだ。それ
なのに差別という壁に当たって、今までやってきたことが何だか空しく思え
たらしく、これからがんばって仕事をしようなんて思えなくなってしまった。
ましてその会社は、外向けには平等ですなんて言っているくせに中身は全然
違うものだから、余計許せないというのである。
しかし女性の仕事というのは難しいと思う。女性しかできない仕事とか女性
向きの仕事ならともかく、男性に混じってする仕事は特に難しい。
まず最初に、会社はせっかくその子を育てても、結婚・出産などで急に辞め
る可能性がある。例え本人が「私は結婚しても出産しても会社はやめません」
と言っても、結婚は相手がいるものだからそうなってみないとわからないし、
特に子供ができた場合、保育園に預けるにしても長期の出張はさせられない
という制限ができてしまう。子供がせめて幼稚園生くらいになれば実家に預
けるとかできるかもしれないが乳幼児だとそれもきつい。まして転勤や単身
赴任を命令されることはないのだから、そういう点でも男性と差がある。
次に深夜などの過酷な労働条件。何度か経験して弱音さえ吐かなければそれ
が普通になるので、これは容易く解決するかもしれない。しかしそれも始め
の一歩があればであり、それがないことにはどうにもならない。
そしてこれが問題。どうしても女性は過小評価されてしまう。これは日本の
悪いところなのだが、「肉体的に劣る女性は能力も劣る」と思う古い考え方
の男性が、まだまだ日本には多い。どんなに経験を積んでも、「でもこの先
はできないんじゃない?」なんて思われてしまう。こればかりはそう考える
男性個人に問題があるので、どうにもならない。日本も以前よりは良くなっ
てきたようであるが今までの男性・女性の立場を考えると、まだまだそう簡
単には直らないと思う。
次に将来性。社員は出世すればいずれは管理職になる。しかし女性の主任や
課長というのはとても少ない。女性はどう頑張っても管理職になれない会社
もあれば、リーダーシップを疑問視されてなれないこともあるだろう。確か
に前述の転勤をされられないというデメリットもあるが、これも女性の過小
評価の一環だと思う。サラリーマンにだって「カリスマ課長」なんてのがい
てもいいと思うのだが(笑)。
最後に接する態度。男性社員なら気軽に接しられるが、やはり女性というの
は最近問題になっているセクハラというのがあるので、どこか慎重になると
ころがあると思う。自分の仲の良い直属の上司ならともかく、その上ならな
おさらだろう。昨年末うちの会社の管理職全員にも「セクハラについての注
意事項」なる書類が回覧されていた。それだけ慎重になっている証拠であろ
う。あとミスについて怒るのも怒り辛いというのもあると思う。実際は今の
女性は強いので(笑)そんなこともないと思うが、でも言う方は「これ言っ
たら会社に来なくなっちゃうかなぁ」なんて、多少なりとも考えると思う。
とかく女性はどこへ行ってもそういう扱いを受けやすいと思う。そうでない
会社もあるとは思うが、しかし入社前にそれを判断するのは難しい。なぜな
ら例え社風がそうであっても、配属されたところの上司によるからである。
だから仕事を生き甲斐に生きたい女性はそんな扱いで弱音をはかず、もっと
コツコツと自分をアピールして、自分の会社の社風を私が変えてみせるとい
う意気込みくらいでないとダメなんだと思う。
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・いじめについて
いじめは、大小の違いはあるがどの世の中にも存在する。いじめている方は
大した悪気もないし時間と共にいじめていたことやいじめていた相手のこと
を忘れてしまうが、いじめられていたほうは絶対に忘れない。しかし小学校
や中学校でいじめられていた人間が自殺することはあっても、いじめられて
いた人間が大きくなってから、いじめた人間を復讐で殺したという話は聞か
ない。ということは、忘れることはないが時間と共に恨みも減少するのか、
あるいはもう必要がないから関わりたくないか、のどちらかなのであろう。
私はいじめる側もいじめられる側も経験したことがある。しかしいじめで自
殺を考えたことはない。だから私に言わせると、いじめを苦に自殺するくら
いなら、手段なんていくらでもあるだろうになぜいじめた人間を殺してから
自殺しないのかが不思議である。自分をいじめていた人間が自分の前で命乞
いをする姿を冥土の土産にすればさぞ成仏すると思うのだが。まあそのくら
いやる気(笑)のある人間はハナから自殺なんて考えないのかもしれない。
しかし何でいじめられるのであろう? 人間には「いじめられやすい人間」
というのが明らかに存在する。では彼らはなぜ「やすい」のであろうか?
私の中学のときの知り合いにO君という子がいた。彼は「ウジ」というあだ
名で呼ばれ、一部の人間からいじめられていた。その彼の母親とだいぶ大き
くなってから話す機会があり、彼の小さいころの話を聞いたことがある。
彼の家はとても厳しかった。小さいころから自分のことは自分でするように
しつけられ、小学校の頃には何も言わなくても自分から家事や洗濯をするく
らい、しっかりした子だったという。なのになぜ?と母親が首をかしげてい
たのが印象的だった。結局のところその母親の場合、自分の子供を自分の理
想の子に育てようと、子供の意志まで押え込みすぎたように思う。そして
「反抗=無駄」と思うようになってしまったのではないか。
結局答えはわからない。わからないまま、きっと今度は自分が子供を育てる
番になるだろう。自分の意見が正しかったかどうかは未来だけが知っている。
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・兄弟と一人っ子
昔は一人っ子というと珍しく「へえ、一人っ子なんだ?」なんて聞き返され
たものである。しかし最近の出生率は2人未満なのだから、近い将来「へえ、
兄弟いるんだ?」と聞かれるようになるのであろうから不思議なものだ。
私は3人兄弟の長男である。うちの兄弟は割と仲がよく、今でも兄弟で遊ん
だり一緒に飲んだりしている。同性の兄弟だから尚更かもしれない。お互い
の友達なんかも共通だったりして、はたからみると、どっちの友達かわから
ないくらいである。ホント、兄弟を作ってくれた両親には感謝している。
さて、私の一番身近にいる一人っ子と言えば私の父である。その他にも、私
の身近にいる一人っ子の人に共通して言えることは(もちろん例外もあるの
でこれを読んでいる方で「俺は私はこうじゃない!」という方もいるかもし
れないが)、人に気を遣えないか、あるいは逆に気を遣いすぎる人が多いよ
うに思う。しかし考えてみれば簡単な話である。一人っ子は親の愛情を一身
に受けて成長する。兄弟同士でおもちゃや親の愛情を取り合うこともない。
幼児期に家庭で他人に気を遣う必要がないのだ。だから自分の敵とのコミニ
ュケーションが少なかったために、気を遣わないマイペースな子に育つか、
あるいは争いごとが苦手なのでやたら他人に気を遣うようになるのであろう。
まあ別にそれが悪いとは言わない。言わないが自分が今、年をとればとるほ
ど兄弟のありがたみを感じている。兄弟は後からはどうにもならないものな
ので、自分の子供には是非同性の兄弟を作ってあげたい。
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・文科系と体育会系
中・高校生時代には、大体の人は文科系か体育会系の部活に入る。
文科系の部活は割と先輩後輩の隔たりが少ないことが多いが、体育会系では
先輩と後輩の間には明らかな壁が存在する。だからこの「壁」のバカバカし
さに体育会系をやめる人間もいるのである。しかし、大学、そして社会人に
なってみると、この文科系出身と体育会系出身の差が顕著に現われるように
なる。先輩などの目上の人との接し方がそれである。もちろん文科系出身の
人でも目上の人との接し方が丁寧な人もいる。しかし多くの文科系出身者は、
気楽に目上の人や先輩に接するために、体育会系出身者にはあまり気持ちよ
く思われないことが多い。まあ部活などで経験してこなかったのだから、
当然といえば当然であるが。帰宅部出身だった人は尚更である。自分や周り
の人間がどの出身かを踏まえて、プライベートでも仲の良い先輩の数を数え
てみてもらいたい。
部活に優劣なんてものは存在しない。しかしこと先輩との接し方ということ
に関しては体育会系の方が多少辛い経験をしている分、社会に出てからは有
利なのかもしれない。
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・フェロモンと藤原紀香
私の友人にY子とH美という子がいる。この二人、顔もスタイルも明るさも
面白さもさほど変わらないのだが、なぜかY子のほうは男性によくモテるの
に対し、H美は男性が嫌いというわけでもないのに浮いた話がまるでない。
一体なぜであろう。
最近、フェロモン女優といえば藤原紀香である。彼女の場合は顔、スタイル、
明るさとどれをとっても群を抜いているが、では彼女の顔をもう少し地味に
してスタイルをもう少し悪くしたらモテなくなるであろうか? 確かに芸能
界ではそうなるかもしれないが、一般では十分男性の目を引くだろう。Y子
にしてもそうだが、では何が違うのであろうか。
Y子は別にいつもミニスカートをはいているわけではない。胸もさほどある
ほうでもないし、器量も普通、顔もアヒル顔(笑)だし、おしゃれという観
点から言えばむしろH美のほうが上である。しかし私がどちらかを選べと言
われたら、おそらくY子を選ぶであろう。うーーん、自分で選んでおいてな
ぜだかよくわからない。わからないからこれがフェロモンなんだろうと思っ
たのだ。
しかし、最近その謎が少し解けた気がする。それは”弱みと媚び”である。
Y子もH美も男性とは同じような接し方をするし、どちらかといえば二人と
も自分の意見をズバズバ言う方だが、H美は最後まで自分の意見を通すのに
対し、Y子は自然な弱さと媚びがある。総じて男性はこれに弱い。女性にこ
の弱さを見せられた男性は、「守ろう」という本能が芽生えるのであろう。
男女平等、女性の男性化・男性の女性化が叫ばれる昨今、やはり女性は女性
の特権である”弱みと媚び”の恩恵を受けたほうが、より得な人生を過ごせ
るのではないであろうか。
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・一目惚れについて
以前読んだ本に、「一目惚れは恋ではない」と書いてあったのが今でも印象
に残っている。本当にそうなのであろうか。
一目惚れは外見に惹かれて起こるものである。外見だけに惹かれて付き合っ
てもそれはアイドルを好きになる気持ちと同じ訳で、相手の中身を知って、
それを含めて好きになってこそ始めて恋なのだ、とその筆者は言いたかった
に違いない。「遠くの美人より近くのブス」「美人は3日で飽きるが、性格
のよい子は一生付き合っても飽きない」など、外見に惑わされるなという
格言は多い。しかしだからといって外見に目をつぶってまで相手に惹かれる
ことは少ない。
私は大学時代にサークルの後輩と付き合ったことがある。付き合うまでは長
い間仲の良い先輩後輩同士であったのだが、その彼女の人柄と、今までに出
会ったこともないような面白さに惹かれて付き合ったのであった。しかし、
最初は気にならなかった彼女のナマズのような外見も次第に気になるように
なり、結局3ヶ月で別れてしまったのである。逆にお互い一目惚れで付き合
った子と6年以上付き合ったこともある。
もちろん恋だから長く続く、恋じゃないから長く続かないというのは関係な
いであろう。しかし一目惚れから始まった恋のほうが長く続くのではないか、
外見も重要なファクターだと、少なくとも私は考えている。
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・愛と恋の違い
この間ラジオで、ある女性が「彼から「君への想いが恋から愛に変わったか
ら結婚してほしい」とプロポーズされた」と言っていた。結局この女性は、
意味がはっきりわからなかったために返答しなかったという。では恋と愛は
どう違うのであろうか?
「恋は一瞬の花、愛は永遠の果実」という有名な言葉がある。恋は花のよう
に、外見などそのときの瞬間の美しさに惹かれるもの、愛はその現在の美し
さが年齢と共に失われた後も、まるで果実から種子になって生命がずっと繰
り返し続くように、変わらず好きでいられることだと言う。
「恋にはいつか終わりがくるけど、愛はずっと続いていくもの♪」という歌
がある。恋の終わり、もし付き合っている段階でこれがやってくれば、それ
は別れであろう。しかし付き合いがずっと続いても恋の終わりを迎えること
がある。それが結婚である。最初は恋人同士のまま結婚することが多いかも
しれないが、一緒に生活するうちに、仕事と家庭の両立、家事、育児、自分
の時間をもっと持ちたい欲求など、さまざまな要因が重なって「相手を想う
恋心」より「自分が楽しく生活するので精一杯」に変化することが多い。
だから子供のいない家庭のほうが自分たちの生活に余裕がある分恋人同士の
結婚生活が続くことが多いし、それが現在の小子化につながっているのかも
しれない。
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・友達以上恋人未満
一時代前、この言葉が流行っていた時期があった。私が高校のときである。
高校の頃、私は水泳部に所属していた。先輩達の素行が悪いのかちゃんとし
た顧問の先生もいないような部活で、水泳自体に人気がないことも手伝って
同学年に正式部員は6人しかいなかった。うち2人が女子であり、他校の水
泳部と比較すると女子の人数が圧倒的に少なくて悲しんだ記憶がある。
さて、部活も入部して半年が過ぎた頃、私は同じ部活の二人のうちの一人の
子を好きになった。彼女は顔もスタイルも性格も地味な子で、私と同じクラ
スであったがクラスでは全く目立たない子であった。しかし部活での彼女は
とても明るくてまるで別人のようであり、私にしてみると「彼女の知られて
いない”明るい”という一面を私は知っているんだ」という変な自慢が余計
に好きにさせたのかもしれない。部活後は大体一緒に自転車で帰っていたし、
一度、部活帰りに彼女の家の近くで夜11時まで5時間も立ち話をして、危
うく彼女の家族から捜索願いを出されそうになったこともあった。そのうち
手紙でもやりとりするようになったし、買い物なんかにも誘われたり、誕生
日にプレゼントをもらったりもした。そうこうしているうちに、もうどうし
ようもないくらい好きになってしまって、何をしていても彼女のことを考え
るようになったのだ。しかし、いざ告白しようと思った時、急に自信がなく
なったのである。
2年になってクラスは変わったものの部活では依然として顔を合わせるし、
私は部長に、そして彼女は副部長になっていた。もしここで告白してフラれ
ても、立場上、私は部活を辞められないし今後の部活生活はどうなるんだろ
う・・・、だったらこのままの関係でもいいじゃないか・・・。きっと向こ
うも自分のことを好きでいてくれている、それだけで十分じゃないか・・・。
友達以上恋人未満でいいじゃないか・・・。
しかし、「友達以上恋人未満」なんてことは私が勝手に思ったことであり、
彼女にしてみると単なる友達であったと思う。男女の関係が10で表される
とするなら、0が他人、1から9が友達、10が恋人であろう。私は彼女に
とって、所詮8か9のあくまで”友達”だったのだと思う。
しかし今考えると、あんなに人を好きになったのは、後にも先にもあれが最
初で最後である。だから今でも私の女性の顔の好みは「どれだけかわいいか」
ではなく「どれだけ彼女に似ているか」で判断されている。それは自分が
「きれい」と思う女性の顔が自然と偏っていることからもわかる。しかしそ
れは付き合うことが出来なかったから余計そう思うのかもしれない。
結局、3年になって私が他の子と付き合ってこの気持ちは一応落ち着くのだ
が、あのとき勇気を振り絞って告白しなかったのが、今となってもよかった
のか悪かったのかはわからない。しかしその結果、今でも彼女とは友達関係
が続いている。
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・友情と恋愛について
中学生の頃、友達同士で「おまえなら友情と恋愛、どっちをとる?」なんて
話をしたことがある。当時女っけのなかった私は友達にそう聞かれると必ず
「バカだなぁ、友情に決まっているじゃん。」と答えていた。時代は流れて
あれから10年以上たった今、考えはかなり変わったようだ。
「友情と恋愛、どちらをとるか」という言葉には、二つの意味があると思う。
一つは友達と一人の異性を好きになってしまった場合、もう一つは異性と
付き合う以前によく遊んでいた同性の友達と、付き合った後もよく遊べるか
ということである。
一つ目の、親友同士で同じ異性を好きになってしまった場合、大抵の人が
「友情をとって自分が身を引く」と言うだろう。しかしそれで本当に幸せだ
ろうか。確かに友達と異性を取り合った場合、自分が勝者であれ敗者であれ
間違いなくその友情関係は終りを告げる。しかしそこで友情をとっていたと
しても果たしてその友達と以前のように仲良く遊べるだろうか。ましてや、
そうまでして優先した友情関係が他の理由で壊れたら、後悔ばかりが残って
目も当てられない状態になる。またその友達が別れた場合、きっと心のどこ
かでほくそ笑むに違いない。ではどうしたら良いのか。やはり純粋に友達と
好きになった異性を天秤にかけ、重かったほうをとるのがよいのであろう、
と今はそう思う。
問題は二つ目。自分に彼女ができると、どうしてもそちらの方を優先するよ
うになる。それで今まで仲が良かった自分の友達にも彼女がいればいいのだ
が、もしいないとその友達は、その彼女に自分の友達をとられたような気に
なる。最初は「なんだ、俺より女を選びやがって」程度かもしれないが、
遊びの約束を断られるたびに次第に大きくなっていく。そしてそれは友情が
強ければ強いほど、その思いは激しい。私も大学の時にそれまですごく仲が
よかった友達と疎遠になってしまったことがある。だから、それ以後は自分
の彼女をどの友達の前にも連れて行くようになったのだ。
結局、どちらをとるかという話は「簡単に答えを出すものではない」という
ことなのかもしれない。
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・オープンとクローズ
オープンとクローズと急に書いても、何のことやらわからないかもしれない
が、ようは自分のことをオープンにするかどうかということだ。
オープンにすると一口で言ってもいろいろとある。自分の本心であったり、
またはプライベートな秘密、例えば小さい頃で言えば「誰を好きだ」みたい
なことも含まれる。
人間には、4種類の人間がいる。自分のことはあまり喋らないのに人のこと
は聞きたがる人、自分のことも喋らないし人のことも気にしない人、自分の
ことはよく喋るが、人にはあんまり聞かない人、そして自分のことをよく喋
る代わりに人の話も聞きたがる人、である。私は最後のパターンなのだが、
私の経験では高校くらいまではこれらの性格はあんまり友達に影響しないが
それ以降は大きく影響してくるように思う。というのも、高校くらいまでは
遊ぶことがいっぱいあるので勢いで付き合っているが、それ以降はじっくり
飲んで語ることが増えるからであろう。友達が語ってくれる本心や秘密とい
うのは、聞くと何だかとても相手と親密になった気になる。だから私の場合、
そうやって語り合える友達は、たとえ普段会えずに離れていても、まるで家
族のように常に心のどこかに住んでいるのだ。私は3人兄弟だったし昔から
私の家は常に誰かが家に遊びに来ているような溜まり場だった。だから仲の
良い友達とは家族のように付き合っていたので、その影響があるのかもしれ
ない。もちろん、その他のパターンが悪いわけではなく、”類は友を呼ぶ”
であってそういう人には同じパターンの友達が残るようになるんだと思う。
ところで、このオープンとクローズは、彼氏彼女、夫婦間にも言えることだ
と思う。私の友達で最近まで5年半付き合っていたカップルがいた。彼らは
本音で語ることはほとんどなく、ただただ「日々の楽しさ」だけを追求して
付き合ってきたのだという。しかし結局、彼女の方に別に好きな人が出来て
しまった。で、別れる寸前に彼女から今の状態について本音トークをしよう
と試みた。しかし慣れていない二人はお互いに気持ちを牽制しあいながら話
してしまい、はっきりと意志表示をして引き止めなかった彼の元から、彼女
は去っていってしまった。彼女いわく「ちゃんと語ってくれない今の彼に
将来の不安を感じていたところに、本音を語ってくれる彼が現われたから」
だそうだ。
まあ性格なので、どれがいいとは言わない。同じ種類の人間同士ならうまく
いくであろうからである。しかしずっと恋人同士でいたいなら、この「オー
プン」は有用だ、と私は今でも信じて疑わない。
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・身体の相性
よくテレビで「わたしぃ〜彼とはカラダの相性が悪くてぇ〜別れたんだぁ」
なんて話をよく聞く。中には40人以上とヤッて「将来、結婚するときに
カラダの相性の悪い人と結婚しないように、今は勉強でしている」なんて答
えている子もいた(まあこういう子に限ってババを引くのだが(笑))。
こんな話を聞くと昔は「ウソだろ、別れる理由に”カラダの相性”なんての
がある訳ねーじゃん」と思っていた。しかし、今では「ああ、それも確かに
あるのかな」と思う。
基本的に男はセックスが好きな動物である。嫌いな人を探すほうが難しいで
あろう。しかし困ったことに男は、相手に飽きたり、お互いがしたいと思う
タイミングがズレて肩透かしを食い続けたり、したがらない彼女に頭を下げ
てまでしたいと思わない、と思うようになると、今度は他としてみたくなる。
これは個人差はあるが女でも同様で、要は相性とは技術云々よりタイミング
が重要な気がする。タイミングさえ合っていれば、飽きることも少ないと思
うのだ。
男女は付き合えば必ずセックスをするようになる。その後、結婚しても同様
である。特殊な趣味のある人間を除いて、普段意地っ張りな人間も体を合わ
せたときは素直に、そして素になれるものである。これが重要なことであり、
たとえ気持ちが離れかけても体を合わせた後に話し合えば、大抵のケンカは
仲直りできる。しかし、付き合って間もないならいいが、付き合いが長くな
ればなるほど最初より体を合わせる頻度が減り、結婚して子供なんかできる
と尚更、仕事や家事、育児など、他の要素が自分の生活の中にたくさん入っ
てくるために減っていく。だからこそ、相性、要するにタイミングが大切な
のかもしれない。
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・恋愛の年月
私の周りには意外と、長く付き合ってたのに別れてしまったカップルが多い。
一番長いカップルで5年半、次が4年半、そして3年が2人。長く付き合え
ば付き合うほどそれだけ情も出てくるし、別れづらいと思うのだが、一体
なぜであろう。
この4カップルの場合、3年のカップル以外は片方に他に好きな人が出来て
別れてしまった。フラれた方が総じていう台詞は「こんだけ長く付き合って
きて、お前には情というものがねーのかよ」である。しかし、そもそもこの
情という考え方がいけない。彼氏・彼女の関係なんて所詮は他人同士。別れ
てしまえば同じ職場でもない限り翌日からは会うこともない全くアカの他人
なのである。
付き合うということは相手のことが好きで、「この世で一番!」と思うから
付き合っている。二股、三股をかける人はきっと一番に好きな人が何人もい
るのであろう(笑)。その”一番”が他の人と入れ替わるのだから、たとえ
長く付き合おうが何しようが、別れるのことは当然といえば当然である。
また共通で面白いのは、みんな本音を言わないタイプだったことである。
「本音を言わない=長く付き合っても別れる」というわけではないが、そう
いう傾向はあるのかもしれない。本音を言わないだけに、相手の考えている
ことや悩みがわからず、「突然の別れ」となるようである。
もちろん別れるのが悪いことというわけではない。むしろ一人の人とずっと
付き合ったまま結婚するより、いろんな人と付き合って結婚したほうがいい
とも思えるし、一人と長く付き合った後の新しい恋の新鮮さといったら、そ
れは格別のものであろう。但し、それはあくまで次のほうが本当に一番であ
った場合である。「前のほうがよかった」なんてことになるとそれこそ悲惨
である。
結局、長く付き合っているなんてものは結果論であり、たまたまお互いがず
っと一番であっただけに過ぎない。長く付き合うためには、お互いがずっと
一番でいられるために努力しなければならないのだ。
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・束縛と無干渉
恋愛や結婚生活には様々な付き合い方があるが”束縛と無干渉”もその一つ
である。束縛とは、自分のために相手に何らかの制限を課せること、無干渉
とは、自分も干渉されたくないので相手が何をしようが向こうのことも干渉
しないという生活形態を指す。束縛するタイプは”いつまでも恋愛していた
い”という気持ちが強く、無干渉タイプは”恋愛や結婚によって自分の時間
を失いたくない”という気持ちが強いのであろう。
ある私の友人の奥さんが「会社から帰ったら1時間はテレビを点けずに二人
で話す時間を設けたい」と旦那に言っていた。これもリッパな束縛である。
もっと強烈な束縛は、大学時代の女友達で「彼氏が私の車の走行距離メー
ターを毎日チェックしに来て日誌につけている」なんていうのもいた。彼氏
はよっぽど彼女のことが信用できなかったのだろう。
ここで注意したいのは、両方ともあくまで自分のためなのである。だから、
「ああ、俺も帰ってから1時間は、お前と話したい」「うん、せっかく二人
で家にいるんだから別々の部屋にいるのは何だか寂しいよね」と二人の欲求
が一致してはじめて、それは苦痛でなくなるのである。これが、片方が束縛
するタイプ、片方が無干渉タイプであったらどうだろう。きっと生活に対し
て窮屈さを感じるに違いない。それが積もり積もれば明らかに苦痛である。
あるソフト屋の先輩に「新婚生活はどうですか?」と聞いたことがある。す
るとその先輩は「インタラプト(割り込み)過多の中で生活している気分だ」
と表現していた。きっとこの先輩はどちらかというと無干渉タイプ、奥さん
は束縛するタイプだったのであろう。
こうしてお互いのタイプが合わないのは辛いが、もし合えさえすれば束縛も
無干渉もどちらが悪いということはない。束縛は二人の恋愛関係がずっと続
くかわりに自分の時間を犠牲にしなければならないし、無干渉は自分の趣味
の時間はたっぷりとれるが、たまに他の恋人気分のカップルを見ると自分達
が何のために恋愛や結婚をしているのかに疑問に感じることがあるだろう。
束縛と無干渉は一長一短。付き合ったり結婚する時は、何のために恋愛、ま
たは結婚をするのかをはっきりさせて、予めタイプを話し合っておいたほう
がいいと思う。
といっても、束縛と無干渉は自分の性格が大きく影響するので、「じゃあ
うちらはこっちのタイプで行こう!」ってなことは難しいかもしれないが。
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・女性の育児と仕事
最近は出産後も働く女性が増えたと思う。私の小さい頃は、乳幼児の子供を
保育園に預けて働きに出ているお母さんの家庭というのは、すごく貧しいか、
よっぽどそのお母さんが要職を任されているかのどちらかが大半だった。し
かし今は不景気のせいばかりでなく、女性自体が「まだ、もっと働きたい」
と思うらしい。そのため現在、保育園はどこも満員だという。
ただ私はせめて子供が幼稚園に入るまでは、母親はなるべく子供に接した方
がいいと思う。というのも、このころの子供は愛情とストレス次第で今後の
能力が大きく変わると信じているからである。特に新しくできるようになる
ことが多いこの時期は誉めることが最も大切で、誉められることの快感を知
っている子のその後の成長力は目覚ましいものがある。またストレスも重要
で、小さいながら彼らもストレスを感じるので、このストレスは外見に強く
影響を及ぼす。要するに、誉めることで内面を、ストレスを溜めさせないこ
とで外見を成長させられるのだ。こんなにいいことはない。
それに、保育園というのは一長一短だと思う。確かに3歳未満から知らない
子と一緒にされるのだから、人見知りをしない、たくましい子に育つだろう。
しかし実の母親でも自分の子供を殺す世の中である。こんなことを書くのは
失礼だが、気に入らない子につらくあたる先生もいると思う。まして誉める
ことやストレスなどは実際に母親が見るのとは雲泥の差がある。
確かに女性が出産後も働くのは経済的にも余裕ができるし、育児にだけ追わ
れて女性にストレスが溜まることも避けられる。それはいい。しかし子供が
せめて4歳になるまでは働いてほしくない、というのが私の考えである。
ただ、4歳以降は今度は是非とも働きに出て欲しい。「家庭」という閉鎖的
空間に閉じこもっていると、人間どうしてもつまらなくなってしまうからだ。
だから世の女性には、子供が4歳までは子供のために、4歳以降は自分のた
めに、仕事を考えてもらいたい。
もっとも女性の立場上、子供が4歳になった時に仕事を再開するためにも、
現在の仕事を辞められないのかもしれないが・・・。
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・遊びと浮気
浮気という定義には個人によって様々な定義がある。女性と二人で食事をし
ただけで浮気と考える女性もいれば、最後までしなければ浮気ではないと感
じる女性、または本気にさえならなければまだ遊びだと割り切れるという女
性などいろいろ。そもそも遊びと浮気を別定義するのがおかしいと思う女性
もいることだろう。だから浮気という言葉は個人によって捉え方が違うので
定説などないということだ。よって、つい本人は遊びのつもりが妻に浮気と
とられてしまえばシャクティパット程度では済まず、家庭崩壊にもなりかね
ない。でも一般的には、どこまでが遊びで、どこまでが浮気なのだろうか。
一番男が浮気したくなるのは、妻が妊娠中のときと、妻が体の要求に応じな
くなった中高年時期だという(ちなみに、うちの課長もそうだったとこの間
の飲み会の時に熱く語ってくれた(笑))。私の知り合いで、妊娠中に「私
は悪いけど出来ないからこのお金でお店でヌイてきていいよ。」という子が
いた。まああんな天使みたいな子は稀だが、普通男なら一度は考えても不思
議ではない。しかし妻が身重で頑張っているときに自分だけが他でいい思い
をするのは不謹慎であるし、妊娠中に女性とのトラブルなど起こそうもの
なら最悪の結果になるとの思いから、普通は自重することになる。だから
中高年時期の浮気のほうがこういう危惧が少ない分多いのであろう。
よって私の考えは「遊びとは、ゲームセンターで遊ぶかのごとく風俗などで
お金を払って遊ぶこと、浮気は素人の女性を口説いて恋愛すること」「異性
との交流は、妻がした事実を自分が知ったときに耐えられる範囲までが遊び
それ以上が浮気」だと思っている。
浮気は男の甲斐性、私も将来、浮気と遊びを上手に使い分けたい。
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・セックスレス1
最近よくこの言葉を耳にする。しかし私には到底信じられない現象である。
普通健康な男女が”一つ屋根の下”で暮らせば、たとえ江口のあんちゃんで
あってもセックスをしたくなるのが普通である。人間には個人によって順番
の差はあるものの普通、食欲、性欲、睡眠欲の3大欲求がある。彼らには
その性欲がないのであろうか。
そもそも夫婦とは一体何のためになるのであろう。相手を好きになり、二人
で一緒に住みたくなり結婚する。一人で住んだり親と一緒に住むより、好き
な異性と住んだほうが当然魅力的だからだ。一緒に住めばずっと二人でいら
れるし、どこへ行くのも何をするのも一緒にしやすい。また”結婚”という
社会的な満足感も得られる。
ようするに結婚は当初”二人が楽しむため”にするものなのである。きっと
彼らも最初はセックスをしていたのであろう。しかしまったく違う家庭環境
で育った二人が一緒に住むのである。日々の生活に追われるし、しかしせっ
かく結婚して一緒にいるんだからどこかにも遊びに行きたくなる。そうこう
しているうちに「するのが面倒くさい」となるのであろうか? また、子供
が出来ると子供中心の生活になってしまい、二人でいる時間が少なくなる。
もちろん子供がいることは、それはそれで楽しいが、本来の”楽しさ”に
”大変さ”も加わってしまう。それによって、本来の”二人で気楽に楽しむ”
という考えから”苦労を伴うが家族で楽しむ”に変わる。だから最近は一人
っ子や、子供を産まない夫婦が増えているのだろう。それで希望しない子供
が出来てしまうリスクを恐れてセックスレスになっているのであろうか。
確かにタイミングの問題などによって、しないほうがモメないこともあるだ
ろう。しかしそれを補って余りあるよさがあると思うのだが・・・。
または性欲自体がないのであろうか・・・。
こればかりはまわりにいないので分からない。謎は深まるばかりだ・・・。
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・既婚と独身
私は技術系の仕事をしている。私が入社した頃、技術系の人の中には思った
より年配の独身者が多いのにびっくりしたものだ。営業のように外を回らな
いためなのかどうかはわからないが、技術系は普通に生活していると確かに
異性との出会いが少ないもの事実である。余談だが私は恵まれていたほうで
仲の良い同期がほとんど営業であったし、うちの職場には同じ年の女性がい
たからそのつてなどを利用して、よく友達と幹事持ち回りで合コンができた。
営業の人間はほとんどが大学時代に文系学科なので女性の友達も多いから、
こういうとき役立つのである。
私の友人で、一番上の独身者は今年51歳になるおじさんである。他にも何
人か年配の独身の先輩がいるが、総じて言えることは皆、よく言えば少年の
心を忘れない、悪く言えば子供っぽい人が多いように感じる。それもそのは
ず、自分で稼いだお金は自分だけが使えるし、誰かを養わなければならない
という責任感もない。家で奥さんや子供に気を遣う必要もないし、自分のや
りたいことを好きな時間だけ費やしてすることができる。だから青年時代の
感覚のまま、ただ歳だけをとったという感じなのだ。その分若く感じられる
のかもしれない。
その51歳の友人は私にこう言う。「いやー、今月の僕のこづかいは20万
だよ」。確かにうらやましい。お金のことを考えても「独身貴族」という
言葉はぴったりなのかもしれない。まあその人の外見は落ち武者なのだが。
でも独身でいると、歳をとってから自分のことを自分でしなければならない
から大変だ、という人もいるであろう。しかし独身者はお金があるので、身
の回りのことなど家政婦を雇えばなんとでもなるし、食事も今の時代、お金
さえあれば何だって食べることができる。でも老後は寂しいのでは?とも思
うかもしれない。しかし必ずしもみんながそう考えているわけではないであ
ろう。
事実、結婚していても妻や子供など家族との付き合いが面倒くさい、一人の
方が気楽でいいと思う人も少なくない。ならば死ぬまで一人で好きなことを
できる独身を”すてきだ”って思う人がいても全く不思議はない。
ただ、これだけは言えるのは、自分の両親が倒れた時が一番大変である。も
ちろん献身的に世話をしてくれる奥さんに恵まれてこそ既婚も意味があるが、
それでも奥さんがいるのといないのでは労力が数段違う。その時がまさに、
それまで「独身は気楽でいいや」と思っていた貴族の方々が「ああ、奥さん
がいたらな」と思う最初で最後の瞬間なのかもしれない。
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・スカート
私はスカートが大好きである。別に私がはくわけではない。はいている女性
の姿が好きなのである。スカートは神様が女性に与えた最高のコスチューム
であり、きっとスコットランド人は、そのあまりの素晴らしさのためについ
男性もはいてしまったのだと、私は信じて疑わない。スカートなら、昔、
スケバン(死語)がはいていたような超ロングスカート以外は全部好きであ
る。コギャルも顔はともかくとして、あの腰から足元までのシルエットだけ
は、世界に誇れる日本の近代文化とさえ思う。もし徳が高くて高尚なコギャ
ルが新興宗教を興して教祖になるなら、私は間違いなく入信するであろうし
ある意味、そんな教祖と同棲できるんだから、高額なお布施を払ってでも
出家信者になりたいくらいである。但し教祖がミニスカートを履いていない
ならすぐ脱会するが(笑)。
しかし何で私はこんなにスカートが好きなんだろうか・・・?
私は3人兄弟の長男で、家庭内に女性といえば母しかいなかった。そして今
まで私の付き合った子はみんなジーパンなどのパンツタイプの格好が好きな
子が多かったからかもしれない。だからスカートを身近で見慣れていないせ
いで、それでこんなにも好きになったのであろう。ようは「ないものねだり」
なのである。
スカートといえば、男性はみんな熱狂的に好きなんだと思っていた。しかし
会社の同期で「俺はジーパン姿のほうが好きだな」なんてヤツもいた。最初
は「きっとこいつは心の病気なんだろう」と思ったが、後から聞いてみると
そいつの昔の彼女や今の奥さんはスカートが好きで、いつもスカートをはいて
いたらしい。結局こいつも「ないものねだり」なのだ。
うーん、趣味の話なのでシメようがない。とにかく男性はスカート好きが多
いのだ。女性は「ここぞ」というときはスカートを履くことをオススメする。
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・不良とヤンキー
不良とヤンキーは同じように「素行の悪い少年」を指す言葉だが、私の持論
では両者の意味合いは違うものである。不良はかつあげや万引き、置き引き
など読んで字のごとく「良くないこと」をする少年であり、ヤンキーはアメ
リカ人のように髪の毛をまっ茶に染めて族などに入ってケンカをする少年だ
と思っている。そういう意味合いでは私も昔は不良だった。酒、たばこは当
たり前、万引きやちょんチャリなどの窃盗をはじめ、近くの小学校に忍び込
んでプールで勝手に泳いだり、盗んだバイクで夜な夜な2ケツで暴走したり
など、いろんなことをやった。当然のことながら少年課のお世話になったこ
ともあるし、家庭裁判所にも行ったことがある。しかしもう今はすっかり更
正しているし、おそらく今私に会ってもそんなことをしていたようには見え
ないかもしれない。そのため、他人の過去もわからない訳で、社会人になっ
てから会社の同期で昔同じようなことをしたことがあるヤツに出会うと、と
ても嬉しい。なぜならそういうやつの昔話は聞いていてすごく面白いからだ。
確かに悪いことは悪いことなので多少反省はしているが、それでもあれはい
い経験だったと今でも思っている。
一応、私たちにもポリシーみたいなものがあって「盗むならルパンのように
美しく」という格言(笑)が暗黙の了解であった。それを思うと最近の少年
の品の悪さは度が過ぎていると思う。オヤジ狩りやリンチなど、やられたほ
うは怪我などの再生に1ヶ月以上かかったりする。これは美しくない。これ
ではただのチンピラである。ヤクザだって素人相手にこんな酷いことはしな
い。まあ悪いことを肯定化するわけではないが、昔悪いことをやっていたく
らいの人のほうが、面白い人間が多いというのが私の感想である。
但し、将来自分の息子が同じ道をたどった時にどうするか・・・。悩ましい
問題ではあるが・・・。
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・トイレと私
私はユニットバスが嫌いである。本来ユニットバスとは風呂釜が後付けでな
くお風呂場と一体式になっているもののことを言うが、一般的にはお風呂場
の中にトイレがあるものをそう呼ぶ。私はこれが大嫌いなのである。
大学生になって初めて一人住まいを始めたとき、私はある選択を迫られた。
「部屋は割と広いがトイレがユニットバス」と、「部屋はウサギ小屋みたい
だがトイレとお風呂は別々」の二部屋が空いていたのだ。さて困った、どう
しようと苦悩した末、私が選んだのは”ウサギ小屋”であった。今でもあれ
は正しい判断だったと思っている。
なぜ私はユニットが嫌いなのか。それは習慣が大きい。お風呂にお湯をため
て入りづらいという理由も確かにある。しかしそれ以上に大きいのは、私は
お風呂に入る前に大きい方をするからなのだ。せっかくお風呂に入ってきれ
いになるんだからその前に済ませておきたい、そう思うのが人情であり、
東京生まれの東京育ちである江戸っ子としては、そうせざるを得ない。そう
なると、その残り香の中で入浴することになる。それが私にはたまらなく嫌
なのだ。私は祖父の遺伝か、耳は遠いのだが鼻がえらく利く。そういうこと
も手伝っての「ユニットは嫌い」なのだろう。また自分がお風呂に入ってい
るときは遊びにきた友達はトイレに入れないし、トイレとを仕切るカーテン
が決まってカビるので、何か不衛生な感じがしてならない。
くだらないことを書いてしまった。とにかく私はユニットが嫌いなのだ。
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