曹操の護衛。豪傑として知られ蜀の馬超や張飛と互角に刃を交わす一方、普段は茫洋としているため虎痴と呼ばれた。唯一曹操を殿と呼ぶことが許され、また曹操一人が虎痴と呼んだ。曹操の死後、近衛軍の総指揮官となったが、許チョは許チョで在り続け、曹叡の時、老齢により静かに退役した。
許チョ 仲康(きょちょ ちゅうこう?)?〜?年
元袁紹の武将。官渡の戦いで曹操に降る。軍閥に関心がなく、常に前線を志願ししつずけた。街亭の戦いで丘の上に拠った馬謖を破るが、諸葛亮の第4次北伐の際、キ山より撤退する蜀軍を追撃し討たれる。


張コウ 儁乂(ちょうこう しゅんがい)?〜231年
曹操が挙兵したとき、最初にはせ参じて従い、以後篤く信頼を受ける。清廉潔白で、軍民に尽くす。呂布との決戦で左目を射抜かれるが、「親にもらった目玉だからと食べた」との逸話を持つ。曹操の死後、大将軍として軍の頂点に立つが、後を追うように逝った。
字は仲達。18王の一人、殷王司馬仰に連なる名門の生まれ。狡知さ故に曹丕と会い、孫権を扇動し関羽を討つよう曹丕の口を通じて曹操に進言させる。曹叡の死後、クーデターを起こして丞相となる。長子司馬師は父のクーデターに関与、次子司馬昭が蜀征伐を成し遂げ、孫の司馬炎が最後の魏帝曹奐に禅譲を迫って初代晋帝へ昇り、呉を滅ぼして三国統一を果たす。
 
予州沛国礁県出身。字は孟徳、諡を武帝。宦官の家系に生まれ、若くから博学で「孫子」の注訳本を記すほど。黄巾の乱で騎都尉(近衛騎兵隊長)として功を立てるが、董卓と対立。檄を飛ばして連合軍をまとめる。以後、鬼神のような戦で覇道を驀進し魏を築く。民政面でも斬新な政策を進め、屯田制などを実施。広く人材を求め、徳より能力を重視して登庸した。
曹操 孟徳(そうそう もうとく)155〜220年
司馬懿 仲達(しばい ちゅうたつ)179〜251年
夏侯惇 元譲(かこうとん げんじょう)?〜220年
夏候淵 妙才(かこうえん みょうさい)?〜219
夏候惇の従兄弟にあたる。涼州で暴れ回っていた馬超を破るが、首は落とせず取り逃がし、詰めが甘いところも。漢中攻略の際、斜谷道と子午道修復に奔走する。


張遼 文遠(ちょうりょう ぶんえん)169〜224年
元呂布の武将。下ヒ城で呂布に殉じようとしたところを劉備と関羽に説得されて降伏。曹操の下で呂布譲りの軽騎兵を指揮し、、曹操群随一の迅速さを誇った。また関羽が自決しようとしたとき、説き伏せて形ばかりの降伏をさせる。濡須口から撤兵中、襲われた曹丕を庇うために受けた矢傷がもとで死亡