交通事故での入院生活をまとめてみました。

 

あれは高校2年の秋でした。

修学旅行から帰ってきた次の日の日曜日、いったい何してたんだろう?

夜、友達の家から帰る途中に外灯も無い農道を原付バイクで走っていたら

道路の端に止まっていたリヤカーにぶつけてしまったの。

もちろん僕は吹っ飛んでしまってね…

 

ヘルメット(半キャップ)も吹っ飛んだから、そのまま道路に頭を打ち付けてしまった。

右側頭部に10cm以上の切り傷。

意識不明のため急いで夜間救急病院へ運ばれた。

でも、そこでは手に負えないと言われ上都賀病院に回されて…

そこから19日間、意識不明が続いていたの。

 

ベッドの上では寝たきりのまま。

鼻から管を通され、腕には点滴の針が刺されてね…

ホントなら今すぐ手術しなければならなかったが、意識不明では出来ないらしい。

「意識が戻るのを待とう」ということになった。

 

意識不明の状態でも、周りから話しかける言葉には何かしら反応したみたい。

手を動かしたり、足をバタバタさせたりと…

意識がないのに不思議な話だ。

見舞いに来てくれた従兄が、何かの拍子に指をパチパチ鳴らしたの。

すると自分も真似して鳴らしたんだって!

 

従兄が「右で鳴らして」というと右で鳴らし、「左で鳴らして」というと左で鳴らし、

「両手で鳴らして」というと両手で鳴らしたという。

これって不思議なことだよね?

意識不明でいながら耳はちゃんと聞こえている。

そのことを聞かされた主治医は「それなら大丈夫、助かるよ」と話してくれた。

この主治医も初めて見たときは

「治るのに良くても半年はかかる。もしかしたら植物人間になるかもしれない」

と…

 

どうしても助けたい家族は、意識を早く取り戻してもらいたいために

足の裏を思いっきりマッサージしてくれた。

血液の循環を良くするためにね。

それと同じくらいの時期に抗生物質も使った。

これが金額にすると、もの凄く高いのよ。

「患者一人のために購入することが出来ない」とまで言われた。

当時、僕以外に二人ほど危ない人がいて、

「三人のために仕入れるのならいいだろう」と許可が下りた。

今、考えると良かったよね。

 

事故から19日後、意識が回復した♪ 

すぐにCTで頭部の検査をした。(昔だからMRIなどない)

そうしたら手術する必要ないと…

薬だけで治ったらしい。

良かったよ(笑)

 

それからリハビリも兼ねた生活が始まった。

リハビリといっても最初から歩くわけではない。

まずはベッド上で「あぐら」をかくこと。

19日間も眠ったままだと起き上がることも出来ないの。

リハビリの先生がわざわざ病室まで来て体を動かしてくれた。

 

 

入院してからは中学、高校の友達が見舞いに来てくれた。

仲の良い友達や同じクラスの友達がね。

でもね、意識が戻った最初の頃は友達が来ても分かる人、分からない人がいてね…

看護師がわざわざ聞くわけよ。「この人だあれ?」って

あっ、違ったかな? 

最初は「この人、知っている?」って

看護師も憶えていると思ったから、聞いてきたんだろうねぇ〜

意識が戻って直ぐくらいに来てくれた女の子で「分からない」と答えてしまった人がいたの。

(全然憶えていない…当たり前か…)

今でも悪いことしたなぁ…と思っている。

 

ちょうどこの頃、看護師が朝の検温に来ると、

「名前は、年齢、学校、今日は何月何日?」と聞いてくるの。

意識が戻った頃は名前しか言えなかったが、一週間もすれば殆どまともに言えた。

でもね、一つだけ不思議に答えることがあったの。

 

それは…「今は6月」

 

この意識が戻った頃は11月。

部屋の中も暖房が焚かれているのになんで?!

そう!

記憶喪失で事故の4ヶ月前から記憶が無くなっていたの。

だから頭の中は6月のまま、夏休みも2学期も全然判らない。

まだ自分でも記憶喪失だってことを認識していなかったと思う。

 

 

ここまでは記憶が無いときの話です。

(教えてもらった)

この後は全部憶えています。

 

 

128日、この日は平日。

何だか知らないが自分がベッドの上にいて、中学時代の友達三人が見舞いに来ていた。

話していた内容は憶えていないが、自分が入院していることに気づく。

トイレに行くと鏡があり、覗いてみると自分の頭が丸坊主、そして傷があるんだなぁ…

部屋に戻り、ベッドの頭のとこに書いてある入院日を見てみると…

1022日だ。

 

えっ…記憶が無い…

 

テーブルの上には写真がある。

見ると自分で撮った写真だ。

それは修学旅行の…

微かだが記憶が残っている部分もあるが…

いや、残っているのではなく思い出せた部分だね。

やっぱり行ってきたんだなぁと思った。

 

それと同時に周りは知らない人たちばかりなのに、普通に喋っている自分が変に思えた。

昨日までのことはまったく憶えていないのに、何でこんなに普通に喋っていられるのだろうと。

ちょうど看護師の実習生が脳外科の担当時期だった。

2週間ほど僕にも実習生がついていたが、やっぱり憶えているのも2日間くらいだった。

 

何日かして小、中、高校と一緒だった女の子が見舞いに来てくれた。

この日は平日、しかも授業を受けているはずなの…。

そのことを突っ込むと苦笑いしていたかな?

クラスも一緒だったから「見るのが恐くて今まで来られなかった」と。

記憶が無くなったことを教えると、夏休みに遊んだことを話してくれた。

 

不思議なことに思い出せるんだよ!!

全く思い出せなかったことが、

話を聞くだけで思い出せる。

すごくうれしかったなぁ〜〜

 

記憶が残るようになった頃は、リハビリも歩行訓練になっていた。

部屋からリハビリ室までは車椅子を使っていた。

でも、それは最初の3日間だけ。

(自分の記憶では一日しか車椅子を使っていない。多分、歩くようになって記憶力が良くなったのだろう)

そのときの記憶では何故か車椅子がまっすぐ走れず、右か左のどちらかに曲がっていたの。

たぶん後遺症の前兆だね。

同じ力で回しているつもりが、微妙にズレていたから。

そのあとは歩って行けた。

もちろん掴むものが無いと危険だから、一緒にリハビリする人の車椅子を押しながらね。

歩行訓練も最初は棒を掴みながら行ったり来たりの繰り返し。

車椅子から立ち上がって歩き始め、車椅子まで戻ってくるという

普通の人から見たら、何しているの?と思えるようなことだけどね。

 

1215日、外出許可が出たんだ。

久しぶりに実家へ帰ってみた。

家に着くなり玄関から上がろうと片足をあげた瞬間、見事にひっくり返った(笑)

バランスがとれなかったんだね。

あせらずゆっくり上がってみたよ。

おばあちゃんと話をしてから両親が経営している店へ行ってみた。

そこでのんびりしていると、先日お見舞いに来てくれた女の子のお母さんが買い物に来たんだ。

僕の顔を見た瞬間「心配したんだよ」と話してくれた。

この家族とは仲が良くて、高校一年のときから酒飲みに誘われたりしていたの。(笑)

そんなこともあったから、余計に心配してくれていたんだね。

 

病院へ帰った後、リハビリの先生に階段の昇降も追加してもらうように頼んだの。

普通に歩くだけなら今までと変わらないからね。

あとは部屋の中を走り回ったりしてたんだ。

 

1216日だったと思う。

朝、トイレに行って便を出すと軟らかいものだった。

今までは硬くて気張るのも辛かったが、すごく楽だったことを憶えている。

このことを看護師に伝えると主治医に話してくれたみたい。

その後、回診に来た主治医が僕の診察をした後

1218日が大安だから、その日に退院だ」だって。

いきなりだよ…

その日に限って見舞いに来た友達は二人だけ。

ましてやクラスが違っている。

クラスの仲間に連絡できないまま退院となった。

 

1218日の夜、

退院して家にいると中学時代の友達が家に来てくれた。

その人も病院に行ったらしく、看護師に退院したことを告げられて自宅まで来てくれたという。

今、思えば不安そうな顔をしていたかな?

退院してから冬休みの間は毎日リハビリの生活だった。

病院へ行って1時間近くリハビリ室で歩き回って。

 

1226日、この日は二学期の終業式。

リハビリを終えてから母親と一緒に学校まで行ってきた。

もちろん単位がどれだけ取れているか聞きにね。

事務室まで連れてかれ、担任を呼び出してもらい職員室で話をしてきたの。

「単位は大丈夫、保健体育があと一時間しか残っていないけれど、

それさえちゃんと出席していれば進級出来る」と言われた。

そのうち終業式も終わり、生徒はクラスへ帰って行くけど

僕のクラスだけは担任がいつまで経っても教室へ来ないじゃない。

(職員室でずっと喋っているわけだから)

クラスの友達が呼びに来るわけよ。早く終わりにして帰りたいからね。

そんなときに僕がいたから、「教室へおいでよ!」ということになってしまって。

仕方なく教室まで行ったの。恥ずかしかったなぁ〜

途中、他のクラスの友達に会って

「助かって良かったな!」とか「元気になったぁ〜?」とか

いろいろと声をかけられながら…(^^;

教室に入ると歓声がすごい!

廊下をみると他のクラスの友達までいたし。

 

このとき僕は自分がやった出来事の大きさに何も気づいていなかったんだなぁ。

 

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