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西区2
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帷子川下流地帯の開発
1,尾張屋新田
・1751〜1764(宝暦)、
・尾張屋太仲、武平次父子、
・位置、帷子川右岸、平沼新田の西端、いまの尾張屋橋付近で、1901年(明治34年)4月に尾張屋町となったが、1928年(昭和3年)10月に西平沼町に合併された。
2,宝暦新田
・1754年(宝暦4年)に縄入されたので宝暦新田という。
・不明
・位置、芝生村(西区浅間町とその付近)旧字霜の下あたりというが、その範囲ははっきりしない。袖摺山際の道沿いであろうといわれる。いま霜の下公園や霜下橋の名が残っている。
3,安永新田
・1772〜1781(安永年間)に縄入された。
・不明
・大新田とも呼び、南浅間町に大新田の字名が残り、いま大新田公園がある。帷子川を隔てて尾張屋新田と相対したが、その範囲ははっきりしない。
4,藤江新田
・1786年(天明6年)10月着工
・藤江茂右衛門(芝生村)
・位置、西区浅間町と岡野町とのあいだに、新田間川にかかる藤江橋があって、いまわずかに藤江新田にゆかりの名をとどめている。新田間川が帷子川から分かれるところに烏帽子田橋がかかっているが、このあたりの烏帽子田と呼ばれたところが藤江新田の突端といわれ、大新田から東側、浅岡橋通から西方の地域と推定されている。
5,岡野新田
・1833年(天保4年)着工
・岡野勘四郎良親、勘四郎良哉父子(保土ヶ谷宿)
岡野家は屋号を鍋屋と呼び保土ヶ谷宿で商業を行っていたのでこの新田を一名、鍋屋新田ともいわれた。
・位置、南〜東北に流れる帷子川を境とし、北部は浅間町境の掘割川まで、東部は横浜新道(大体浅間町交差点近くから元平沼橋を結ぶ線)まで、西部は藤江新田に接していたが、現在ははっきりしない。
6,平沼新田
・1839年着工
・5代目平沼九兵衛、6代目九兵衛、7代目九兵衛。
平沼家は常陸(茨城県)の出身で、1655年〜1658年(明暦年間)に保土ヶ谷宿に移って代々造酒業を行っていたのでこの新田を麹屋新田とも呼んだ。
・位置、岡野新田と帷子川を隔ててその南側で、南部は旧戸部村の石崎、扇田、塩田にわたる線の掘割川の北岸まで。西端は尾張屋新田に続き、東は1859年(安政6年)に建設された横浜新道までであったが、後にはこれを越えて一部海面も埋め立てられた。
内田四方蔵編、横浜の新田と埋立、横浜市図書館、1972、pp.18-23
※現在の中央2丁目あたりは、以前「扇田」といっていましたが、大正初期まで塩田があったことから、「塩田」といわれていました。
村上博道、にしぶんか、西区文化協会、No.16、2003
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埋立件名、高島町海面(鉄道用地)
着工年、1870年〜1871年
出願人、請負人、高島嘉衛門
属する町名、高島町
A
埋立件名、平沼先海面
着工年、1874年〜1876年
出願人、平沼九兵衛ら
属する町名、仲町、材木町
神奈川区の廃止した町の名前
廃止町名 ・・・・・・・・・・・・・・廃止年月日・・ 設置年月日 備 考
材木町(ざいもくちょう) ・・・S3.9.1.(1928)・・ M22.4.1. 平沼町へ合併
仲町(なかちょう)・・・・・・・・ S3.9.1.(1928)・・ M22.4.1. 平沼町へ合併
尾張屋町(おわりやちょう) S3.9.1.(1928)・・ M34.4.1. 平沼町・西平沼町へ合併
宝町(たからちょう) ・・・・・・ S7.1.1. ・・・・・・ M37.7.12. 栄町へ
高島町(たかしまちょう) ・・・S7.1.1. ・・・・・・・M22.4.1. 高島通・表高島町へ
裏高島町(うらたかしまちょう) S7.1.1.・・・ ・・M22.4.1. 高島通へ
http://www.city.yokohama.jp/me/kanagawa/profile/town/town_05.htmlより
B
埋立件名、南幸町、北幸町(内海)
着工年、1895年
出願人、請負人、茂木六兵衛ら
属する町名、南幸町、北幸町 |
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