牛田鶏村

馬                     Keison Ushida
1966年,年賀状  かつて神奈川区在住の日本画家
赤蕪                 
1967年、年賀状
手鞠
1968年、年賀状
1969年、年賀状
1970年、年賀状
1972年、年賀状
1973年、年賀状
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鶏村の絵はがきについて
『牛田鶏村』、1992,日本放送協会
「数百点にのぼろうかと思われる鶏村の絵はがきを見てわかることは、鶏村がいかに旅を好み、全国各地を旅していたかということである。」
「旅先からだけでなく、自宅から出すはがきにも、鶏村はよく絵を描いた。このように、親しい人々に絵の楽しみを与えた画家は、同時代にも、必ずしも多くなかったのではないだろうか」p.14
鶏村の正しい表記については「牛田鶏村と画家達」にある通りですが、ここではソフト上表記できません。
牛田鶏村 と画家達
牛田鶏村句


001、東京に飛行機雲たち更衣

002、牡丹作る女主を垣間見し

003,紅の凝りたるはての黒牡丹

004,苗束を男投げれば女植え

005,ご先祖の墓が眺むる田植えかな

006,田植え女の隠せし顔を美しと

007,牡丹観て旅つぐ奥の田植え時

008,牛引いて田植え帰りの泥まみれ

009,汽車おりて小一里の道桐の花

010、日もすがら桐の花散る道祖神

011,道の辺の誰が墓どころ桐の花

012、穀象のまことしやかに逃ぐるなり

013,指先のもつれて逃ぐる穀象虫

014、穀象といふ虫はこれ掌に這わす

015,滝までの瀬をあちに越えこちに越え

016,雲のよぎる一枚巖に滝かゝり

017、雲の峰少し赤みを帯びて来し

018,葛飾の干潟の果てや雲の峰

019,紅梅の実は小粒なりこれを干す

020,梅干に乾ける塩の白き粉

021,又一つ盗む子の来る梅筵

022、或時はうち重なりぬ遠花火

023、右陣より揚げ始めたる花火かな

024,庭花火終わりし匂ひのまだ消えず

025,秋の蝿児のうまひ寝につきまとひ

026,小姑も嫁も美くし秋祭り

027,花蓼の濃きくれないの藁屋あり

028,さぐり来て乗る盲あり秋の汽車

029,爽にまわる焙炉の茶の煙

030,濡れ縁に月見る人の掛けて居り

031,ガラス戸のあらぬ所に月英る

032、月と言ふ菓子の出て来る月見哉

033,渓紅葉色のかぎりを投げ交わし

034,落とし来る材木橇に散る紅葉

035、紅葉冷えして嵐山に電車待つ

036,この坂のこゝの紅葉の盛りよし

037、菊枯れて軒かたむきて叟住めり(未確定)

038,筆おいて寒さに耐えし手をこする

039、東京の寒さの中に帰りゆく

040、寒いとてあれもこれもと着せる妻

041,どの人もそそくさと行く寒いから

042,筆おいてこらえし寒さこすりけり

043,皸の手当が済めば寝ることに

044,宿下がり皸の手を見せまじと

045,北風に波立ちさわぐ鶴見川

046,北風に路地の仲木戸閉め忘れ

047,北風の吹く日は見ゆる安房上総

048,このあたりことに北風受けやすく

049,梅咲いてあんな所に部落あり

050、梅咲いて鶏間にあそびけり

051,枝つきし老梅ながら濃い紅

052,梅のこと八瀬の藁屋を忘れ得ず

053,もめ事のどうやらすみし花祭り

054,誕生日花の遅速の何のかの

055,花見えて人住むらしき径あり

056,句碑幾つ立ちて枝たる桜あり

057,春風や都の四方は薄曇り

058、春風にからみ流るヽ煙かな

059,春風に住への歩みはかどらず

060,折れし葉に風情の見ゆる葱坊主

061、熊蜂の点を打ちたる葱坊主

062、流されて草に縋りし蛙かな

063,又しても揺れ始めたる若葉かな

064,セルを着て小ざっぱりして籤を売る

065,いびらるヽ金魚駄々児の金魚

066,接収の解けて枇杷ある館かな

067,盛り上るビールの泡の薄暑かな

068,上衣ぬいで肩にかけたる薄暑かな

069,初なりの枇杷いたずらに種大なり

070、玄関へ夾竹桃の径曲がり

071、しゃんしゃんと夜濯もして母は在り

072、夾竹桃ひとかたまりの花盛り

073、夜濯の雲間をやぶる月明かり

074、夜濯の妻へは無言戻りけり

075,おかしげな腹巻寝冷え除けと言ふ

076、親子して寝冷えとわかり電話きる

077,神路山かけて御手洗河鹿鳴く

078,もち竿の二つがからみ蜻蛉逃げ

079,颱風に耐えし小家の朝ぼらけ

080,飛び石を渉れば蜻蛉先に立ち

081、案外に冷やかなりし磯歩き

082、日々無事な移り変わりや馬肥ゆる

083,冷ややかに鶴の見えざる鶴の檻

084、高声は里人の癖馬肥ゆる

085、芦ノ湖の或る日障子を洗いけり

086,渡舟着く波に障子を洗い居り

087,リヤカーに積み居り障子洗ふとか

088,返り花温泉宿へ渡る橋のもと

089,胡寿鶏の翔ちしあたりぞ返り花

090,初霜になべて垂葉や草も木も

091、藁くずに降りし初霜美しと

092,節分の柊さヽぬ戸に戻る

093,雨戸くれば節分の豆くだけあり

094,豆撒きや天井にはね額をうち

095,春惜しむ心は更に京にはせ

096,春惜しむ多摩の横山まなかいに

097,たんぽヽや葉の鋸と葉の圓

098,蒲公英や空をさヽえて黄色なる

099、たんぽぽの垣に女浪の踊りくる

100,玉虫の舞て来しと妻機嫌良く

101,揺られ来し馬車の立場にラムネ飲む

102,生ぬるきラムネを飲みぬ山の上

103,釣り銭を耳にはさみてラムネ飲む

104,教室のラムネの科学にぎやかに,


「五句集」、1954年発行

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105、石段に椿散り積み実朝忌

106,残雪に我等のみなる法師の湯

107,陽炎に新聞遅きところかな

108,陽炎やなまこ型なる丘が見え

109,苗床に小さき札の影ありぬ

110,春愁や老友二三病むと聞く

111,車窓より見えしは梨の花ならむ

112,春愁や尼一人守る詩仙堂

113,ひょうひょうと伸びて咲きをり梨の花

114,初夏の森五位鷺がきて住み梟も

115、初夏の御所の空ら堀影落し

116,蟻が鳴ひし羽目も柱も百姓や

117,黒門に本山とあり夏木立

118,よき程に流るる風や燕の子

119,蛬が住む藪に新月かかりけり(未確定)

120,そくばくの夏木を切って家普請

121,天道虫眠りこけいて蟻が来て

122,稲妻やかくある事のたのしくて

123,稲妻の甚だ遠く美しく

124,鳳仙花根のたくましく土波に立つ

125,すり鉢に秋刀魚あり一寸した構図

126,秋刀魚買って気安く住みぬ隣どち

127,一チ早く秋刀魚が好きで買わせけり

128,かくばかり赤きものかよ秋入り日

129,金色に塔の小窓の秋日かな

130、むさぼりて苦しきにこりぬ落花生

131,殻かたくあなどりがたし落花生

132、枝々に干し大根かけ日が当り

133,ひそやかに咲く柊の花の○(未確定)

134,目鼻立ちわかねど女大根干す

135,温泉所のいま一斉に大根干し

136、清滝の水涸れし岩面白く

137、いねがてに湯ざめを恐れ入ることに

138,寒鴉猟場はちなぐさきもの

139、一茎の水仙に紅茶喫し去る

140、小鳥水浴び水仙に虹たてる

141,高きより何か落としぬ寒鴉

142,猫の目を知らぬでもなし寒鴉

143,縄跳びのどこやら春の覗きいる

144,飛ぶ鳥の羽むらさきや春の風

145,暖かや施設新たに遊園地

146,暖かやいかに彼女の明るき日

147,春暮の影深々と冠木門

148、春暮の祠小暗く奥深く

149,菜畑に蝶の栄華のむせかへり

150、十方に芍薬空をさヽえ咲き

151、芍薬やあられまじりの雨に伏し

152、あの赤き芍薬ならめ庭はるか

153、麦笛を吹かぬ子も居りついてゆく

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『牛田鶏村』、1992,日本放送協会
「鶏村の俳句
本画集にも抄録しているとおり、牛田鶏村は余技として俳句を作っていた。句歴※も長く、生涯に作った句の数は相当数にのぼるようである。余技とはいえ、鶏村は俳壇の中心的な俳誌『ホトトギス』をはじめ、『雲母』、『誹諧』などと深い関わりをもち、本格的な俳句と俳人にふれながら作句を重ねた」p.32

※鶏村は60年以上俳句を作り続けた。

鶏村が絵を描いた俳誌と主催者
前田普羅、友人、ホトトギス有力俳人、『辛夷』主宰
高浜虚子、俳人、『ホトトギス』主宰
松浦為王、俳人、非新傾向俳句「子規会」を起こす。
飯田蛇笏、俳人、『雲母』を主宰、

鶏村の正しい表記は「鶏村と画家達」の通りです。

03,1,18朝日朝刊
横浜開港当時の風俗を映した土製の「横浜開港人形」は、1927(昭2)年4月、伊勢佐木町の野沢屋呉服店(現在の横浜松坂屋)本館完成記念で売りに出され、浜っこの牛田鶏村(日本画)さんがデザイン、人形師村沢春吉さんが制作した。
平尾榮美、『横浜の郷土玩具』、iブックス


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