不定期連載
笹野的映画感想記

僕が見た映画の感想を書く場です。
上映中に限らず、過去に見た作品も機会があれば書こうかな、と思ってます。

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第七回:「man−hole」


・man−hole(2001年 監督・企画・原案:鈴井貴之 主演:安田顕、三輪明日美、大泉洋 他)

 鈴井さんと言えば北海道では若者を中心に絶大な人気を誇るラジオパーソナリティであり、タレントであり、またこれまた道内で人気の大泉洋や安田顕らを擁する事務所社長でもあります。そんな鈴井さんの長年の夢だった映画監督、それも北海道を発信源とした作品。それが本作品です。テーマは「現代の日常生活の中に潜む光と影(或いは表裏一体)」「希望なき時代だからこそ希望を」。鈴井さんのファンである僕も、いち映画ファン(“えせ”ですが)として見させていただきました。
 見終わって第一に思ったのは登場人物の性格付けがしっかりしているなぁ」という事です。それぞれ個性が出ているのですが、それがステレオタイプというか極端な感じにならずに自然に「ああ、いそうだな」という人物で構成されていて、それにキャスティングがしっかりハマッているのが見ていて気持ちよかったんです。たまにあるじゃないですか。キャラクターのアクが強すぎて作品の中で浮いちゃってケース(もちろんキャラクターのアクが強かろうが良い作品も多々あります。そういうの嫌いじゃないし)。ストーリーの流れ的には現代生活の中での光と影の部分をちょっとズレてるくらい真面目な警官・小林(安田顕)と家族の絆を失いかけている状況の中で自分の居場所を探そうとしている女子高生・希(三輪明日美)を中心に描き、そこに少し泥臭い(ポップさとかを敢えて避けているという点で)ファンタジーをからめている構成です。率直な感想としては、ストーリー自体は派手ではなくとも面白かったのですが、編集とかの構成的な部分で損してる印象でした。場面によってはテンポが悪い感じがするのです。逆に「ここ、もう少しじっくり見せて欲しいな」って所もありましたし。そこら辺を考えると素直に面白い映画だったとは言い切れなかったです。満足度的に60〜70%くらいかな?
 ただ、初監督作品としては監督のやりたいことやカラーが出てたと思うのでそこは良かったと思います。実際二作目以降も見てみたいと思いましたし(もちろんファンと言うことを抜きにしてです)。強くまではオススメしませんが、見て損する類の映画では無いと思いますよ。
 最後に、一番この映画で良かったのは(これもファンと言うことを抜きにして)大泉さん演ずる寒河江純です。パンフレットで監督も言ってましたが、この映画のテーマをもっとも象徴しているのが彼だと思ったし、それを演じることが出来たのは大泉さんならではだったと思います(バラエティでの彼をイメージして見に行ったら良い意味で裏切られると思いますよ)。



第六回:「アンブレイカブル」


・アンブレイカブル(2001年 監督・脚本:M・ナイト・シャマラン 主演:ブルース・ウィリス、サミュエル・L・ジャクソン他)

 前作「シックス・センス」の特異な点は物語の前提になっているモノを徹底的に隠し続け最後に明らかにすることにより、映画全体の仕掛けを一気に見るものの頭にフィードバックさせる手法にあったと思う。そこに東洋的な視点(霊的・超常的)を加味することによりストーリーとしての深みを与えていた。監督一作目としては並はずれたモノを感じたし、他のハリウッド的な映画とは一線を画していたと思う。
 そんな監督が再びブルース・ウィリスと組んだ本作品は(元々映画のストーリー内容を暴くのは好きじゃないので抽象的なものの言い方になっていたらカンベンして欲しい)「自分の役割とは何か?」というのが主題に来ている。そこに東洋的な陰と陽の視点とある意味でアメリカの象徴の一つである“あるもの”(敢えて明かさない方がいいと思うので書きません。劇場かソフト化されるのを待つかして見て下さい)をからめている。それらとストーリーが複雑に絡み合い、ラストに一気に明かされる。手法的には前回と同じパターンだ。だがそのラストはやはり意外だった。前作ほどの驚きは(前作があるからつい構えてみてしまうからね)無いけど、知ってしまう悲しみを主人公と客に共有させる技法はさすがだと思う。やはり作品全体がヒントになっているのだが、それでも予想からついハズしてしまうところからガバッと持ってこられる印象だ。
 監督は人の弱さをよく知っていると思う。登場人物は何処か心の弱さを持っている。そんな彼らに監督が与えるのは希望の光の筋と事実と言う名の残酷さだ。一方で今作品はアメリカ的な世界を一歩視点を変えてみた面白さがある。こういう人材を受け容れるハリウッドの懐の深さにも感心するし、またハリウッドも変わって行きつつあるのではないだろうか。



第五回:「クリムゾン・リバー」&「BROTHER」&「アヴァロン」


・クリムゾン・リバー(2001年 監督:マシュー・カソヴィッツ 主演:ジャン・レノ、ヴァンサン・カッセル他)

 まず最初に、虫とか嫌いな人は最初の一分程度は目つぶるかした方をオススメします。
 カソヴィッツ監督作品は前作「アサシンズ」も見ました。前作は三世代の殺し屋の美学というか哲学の隔絶みたいなところが描かれてました。特にゲーム世代の殺し屋志願者の少年の描写は現在の少年犯罪とかなりシンクロする部分があって考えさせられる作品でした。で、今回の作品は一見CMとかで見ると「セブンもどきのハリウッド作品か」と思いそうですが、そこはオールフランスメイド。人間関係の絡み方とかはなかなか楽しませてくれます。ジャン・レノもヴァンサン・カッセルもはまり役!って感じで存在感のある演技を見せてくれます。肝心のストーリーに言及すれば、連続殺人の犯人が起こすその手口。学園都市に潜む闇の部分、そして恐るべき陰謀。二十年前の交通事故死した少女の遺体と記録の紛失。これらが一つに結びつくときそこに見えてくるのは…クリムゾン・リバーとはある真実の暗喩、その流れの赤は暗く底の見えないどす黒い欲望の赤。また、舞台の中心の一つである氷河の白さは全てを隠す白。清らかにも見え、全てを消し去りもする白。そんな白の猛威(CMでも出てるから判るかも知れませんが)が消し去った向こうに真実は報われたのだろうか?
 映画全体で言えば途中だれることも無いのでオススメできますよ。個人的にはラストがイマイチだった「セブン」より好きですね。

・BROTHER(2001年 監督・脚本・編集:北野武 主演:ビートたけし、オマー・エプス、真木蔵人他)

 北野映画で描かれる暴力は透明な水に落とされた液体の絵の具だ。唐突に進入したかと思うとあっという間に透明な空間を支配していく。でもその色が何色かは限定できない。それは見る人間によって変わっていくから。だが共通して言えるのは例えその絵の具がどんなに美しくとも、その支配力に見るものは心を奪われてしまう。
 BROTHER…その言葉に内包されているのは単に血縁による繋がりだけではない、ある種直感的な心の結びつきだ。腹違いの弟(真木蔵人)は兄である山本(ビートたけし)に日本語で“兄貴”と言うのを弟の異国の仲間達も自然と使うようになる。そこに込められているのは暴力性だけではない、山本から滲み出ている言葉に出来ない何かへの畏敬の念だ。それをもっとも強く感じていたであろうデニー(オマー・エプス)は、最後には弟ですら感じ取れなかった“BROTHER”の繋がりを嫌と言うほど感じてしまう。それが彼の失ったモノとどれくらい重さが違うかは判らないが。
 この映画では従来の北野映画でも描かれた自我を守るための暴力的感情の爆発の他に、“キズナ”(あえてカタカナで書きます)というものが裏社会の人間達を通して強調されているように感じた。でもその二つ(に限らず映画全体、北野監督の思想的なモノか)に共通しているのは「自分の気持ちを貫くのは生やさしいことではない」点にあると思う。それを証明する為に映画は“演じること”を削ぎ落とし、選択肢も与えないが明確な答えも与えていない。だが提示するモノに責任を持っている。そこが海外、特にヨーロッパ人にも評価されている点だろう。暴力を扱ってもそれを美しく着飾ったりしないのだ。それが美輪明宏がたけしを指して「品を感じる」と評する所以だと思った。
 最後に僕個人がこの映画で良いと思ったのは寺島進の演ずるヤクザだった。(大杉漣にも言えるが)彼の存在感が山本という男の存在感を際だたせていると思う。

・アヴァロン(2001年 監督:押井守 主演:マウコジャータ・フォレムニャック、イエジ・クデイコ他)

 まずやっぱり映像に触れなければいけないと思います。「マトリックス」のウォシャスキー監督が影響を受けたと公言するその映像センスはやはりさすがと思いました。まるで、マトリックスという形で提示された自らへのリスペクトを受けるかのごとく、それをふまえて未来と過去を同時に内包した現実世界、また、中盤までのセピアカラーでの映像を統一した意味、何故か生気を感じさせないゲーム参加者以外の人々の意味、徹底的にこだわられたアニメ的視点・ゲーム的視点と編集の意味、それらが終盤に待つ出来事に受け継がれたとき、正直、僕自身の中にあった「凄いけど何処か理屈っぽい感じ」のあった押井守作品像が吹き飛びました。これはアニメーションでは再現が難しい。実写だからこそ成し得た衝撃だと感じました。
 この映画で描かれた「本当の自分の在処」という一つのテーマは現在の僕らにも当てはめられる問題だと思います。本質的に僕らは明確な自分の存在意義みたいなモノを何処かで見失いかけているのかも知れません。自分の居場所は一つの枠に閉じこもることではなく、辛く不条理でも外と真剣に向き合うことが答えの一つだと感じました。
 面白い映画ですが、情報量が多いからDVD向きの作品かも知れませんね。



第四回:「エクソシスト・ディレクターズカット版」&「バトル・ロワイヤル」


・エクソシスト・ディレクターズカット版(2000年(オリジナル版は1973年公開) 監督:ウィリアム・フリードキン 主演:エレン・バースタイン他)

 正直に言ってしまえば、オリジナル版を僕は通しで見たことがありません。断片的にしか覚えてないので、今回の上映に関してある種新鮮な感覚で見に行くことが出来ました。
 今回見に行って思ったことは、今のホラーモノと一線を画していたのはストーリーのプロセスの確かさと、人間像の深さが浮き彫りになっていたこと、そして何より、今見ても決して色あせない映像の完成度の高さが僕の印象です。
 此処に出てくるエクソシスト=二人の神父は決してスーパーヒーローなんかじゃありません。老いた神父は衰えにどこか怯えを持ち、若き神父は母の死に苦悩し続けます。悪魔(ここでは便宜的にそう言った方がよいでしょう)に取り憑かれる少女も彼女が特別な何かという訳じゃありません。確かに有名女優の娘ではありますが、“それだけ”の事です。この中で描かれる人間群像は誰もが持ち得る弱さ。そこに悪魔と言う要素が絡まります。だが、此処は現代でもあります。人が生み出した医学の前では少女は異常なだけ、と片づけられてしまうのです。…ま、ここら辺の所はオリジナルを見てる人には今更語るまでもないことなのかも知れませんが。
 監督は元々ノンフィクション畑の人らしいです。だからあのラストに繋がったのでしょう。そこには勝者などいたのでしょうか?敗者は?
 ただ、出来事は終わり、人は出会い、別れてゆく。良いことも悪いことも又、出会ったり離れたりするのでしょう。
 最後に僕の感想をもう一言。
 この映画はホラーとしてだけじゃなく、素晴らしかったと思う。ただ怖がらせるだけじゃ、無かった。

・バトル・ロワイヤル(2000年 監督:深作欣二 主演:藤原竜也、前田亜季、ビートたけし他)

 何かと色々騒がれていたこの映画ですが(苦笑)、僕が関心があったのは、原作で感じた今の日本(に限ったことでは無いかも知れないけど)潜む心の隔絶がこういう事態を引き起こすとも限らないという警鐘、極限状態において人は何を信じてゆけるのか?などのポイントをどこまで描いてくれるのか?だったので、見に行くことを決めていました。世間が問題にするような作品になっているのかも含めて興味がありましたし。
 先に書いておきますが、僕は根底に流れている“何か”が同じであるならば、原作との相違は気にしないタイプです。現実的に小説なりコミックスなりと全く同じモノをやって欲しくないと言うのもあります。違うメディアのモノに対して全く同じ表現しか要求しないのはあまり同意出来ないです。それもふまえて原作なりコミック版を見ている人達に僕の感想を呼んで貰いたいですが…。
 先に結論から言えば、原作の根底に潜む部分は再現されていたと思います。それと、世間が危惧するような悪影響をこの映画で受けるのか?という疑念も浮かびました。確かに残酷なシーンが多いです。当たり前です。死は美しくないモノです。残酷な、そして非常なモノです。悪影響とは何なのか?こういう殺人シーンを見てカッコイイと思う事なのか?それは否定します。少なくともこれを見てカッコイイとか思う奴はほとんどいないでしょう。そこにはハリウッド映画的な(こう言うときに嫌な表現ですが)爽快さなど存在しないからです。誰が死のうとやり切れない気持ちになる印象が原作より強く感じました。カッコイイなんて思う以前に自分がこの状況に置かれたら…ということを考えさせられました。
 そう言う空気の映画に感じたのは原作に比べ、コミカル色を廃したからかも知れません。それは教師役のビートたけしの雰囲気によるモノかも知れません。でも、それがストーリーを台無しにしてるとは(少なくとも)僕には感じませんでした。生徒役も違和感を感じませんでした(藤原竜也は頑張ってたと思う。あの映画はアイドル映画として使ったらイメージダウンになると思うよ)。
 最後に。映画館の雰囲気としては、やっぱり高校生ぐらいの人が多かったです(制服なんだもん)。漏れ聞こえる会話から興味本位の人が多いみたいだったけど、映画が始まってからは静寂に包まれました。それも映画に集中しているのが肌で感じるぐらいに。そして、終わってから真面目な顔で「面白かった」と呟く人、涙ぐんでる人…。みんな、神妙な顔をしていた。これが、この映画の全てを表していたと僕は思いました。

*思いっきり蛇足ですが、上映前の予告で流れていた、「デジモン」の映画版を見て「あっ、エヴァだ」と、思ってしまった(笑)。だって、見ればそう思うよ。雰囲気がそんな感じなんだもん。あと、「赤影」を作ってるのかぁ、て。



第三回:「17歳のカルテ」&「グリーンディスティニー」


・17歳のカルテ(2000年 監督:ジェームズ・マンゴールド 主演:ウィノナ・ライダー、アンジェリーナ・ジョリー、ウーピー・ゴールドバーグ他)

 この映画は原作者のスザンナ・ケイセンの実際の経験を元に作られたモノです。
 主人公は一種の鬱状態から半ば強引に精神病棟へ入ることになります。そこには様々な理由でそこに入院している女性達がいます。虚言癖を止められない者、拒食症の者、逆に無茶食いを繰り返してしまう者、常に誰かの心の傷を暴かずにいられない者…。
 でも、彼女たちは理性を失ってしまったわけではなかった。ただ、止められないだけ、と、いうより、自分と向き合い周りと向き合う勇気が無いだけなのです。
 それは誰にでもあり得ること。
 ただ、それによってバランスを崩した人間が“異常”とレッテルを貼られてしまう。貼られた人間はどうするか?主人公は悩み続けます。治して早く出ていくべき場所を安住の地のように感じてさえしまいながら。
 この映画を見て思ったことは、心というものの、人というものの“弱さ”です。
 優しいから、冷たいから、楽しいから、哀しいから、夢を見るから、現実を知っているから、生きたいと思うから、死にたいと思うから、孤独でいたいから、誰かに頼りたいから、若さ故に、老いるが故に、覚えているから、忘れられるから、そして、強くなれるから、弱い。
 だから、学ばなきゃいけない。たとえ、それが取り返しの付かないことであろうとも。
 この映画の終わりの先は見た人それぞれが経験していく人生にどこかで繋がっていくのかも知れません。主人公のように悩み、傷つきながらも。
 
・グリーンディスティニー(2000年 監督:アン・リー 主演:チョウ・ユンファ、ミシェル・リー他)

 ぶっちゃけた話、日本的な中世ファンタジーを観る気分で観てました。
 中国映画のカメラの視点ってどちらかっていうと映像の中の一登場人物ってかんじで、例えば街の喧騒の中だと無邪気に楽しんで観ているような感じなのですが、この映画では何か客観的な視点で撮られてる感じがしました。それで北京の町並みとかを俯瞰で撮ったシーンを観ると、何か(TRPGやってる影響かも知れないけど)その町並みを西洋の町並みに置き換えてみたりして「使えるなぁ」などと勝手に思ったりしてました(笑)。
 そんな話はさておき、この映画のテーマは『自由と宿命』だと感じました。
 宿命に囚われる故、自由を掴みきれず、また、自由であるが故に、宿命を背負ってしまう四人の男女。そしてそれは一降りの剣によってさらに絡まっていきます。
 映画はどこか激しくも静かな炎のように感じました。それは主演のチョウ・ユンファのオーラでもあるかも知れません。
 アクションシーンはスピーディー且つ激しい!ワイヤーアクションフル活用で飛ぶ飛ぶ(笑)。もはや達人じゃなくって、超能力者か?って(笑)。
 でも、あくまでも際物じゃないよ。うん。人間ドラマが面白い映画だと思いました。



第二回:「ダンサー」&「X−MEN」


・ダンサー(2000年 監督:フレッド・ギャルソン 主演:ミア・フライア他 原案・脚本・提供:リュック・ベッソン)

 ぶっちゃけてしまえば、僕はリュック・ベッソン作品が好きで、ほとんどの作品を見に行ってます。
 したがって、この「ダンサー」も当然チェックしてました。
 先ず、今作品で印象に残ったのは、主演のミア・フライア演じる聾唖のダンサー・インディアのダンスのすざましさでした。鍛えられあげた肉体が躍動し、音楽すら飲み込んでいく様は言葉を失ったインディアが己の内にある情熱を吐き出しているかのようでした。
 と、言うより、それが彼女にとっての世界との接点なのかも知れません。交通機関でチケット一枚買うのにも手話が通じない相手にその意思を伝えることが困難な状況、“ダンスを踊るときだけ誰とでも心が通じ合える”、美しい心の持ち主でもあるインディアは踊ることにより女神になっていたのかも知れない。
 ただ、女神は人に幸せをもたらすことが出来ても、自らに幸せをもたらすことは出来ない。彼女は夢であったブロードウェイのオーディションでトップクラスの実力を見せても、聾唖であるためコミュニケーションがとれない、とその夢を断たれてしまう。でも、女神に人が手をさしのべることもできるんだ、と、この映画は教えてくれます。それは彼女の踊りに強い衝撃を受け、自らの発明を利用して彼女に新たな表現の扉を開く科学者であり、同じ障害を持ち、自分達に踊りを教えてくれるインディアを励ます聾唖学校の子供達(このシーンは泣けました・・・)であり、そして、時には劣等感を抱きながらただ一人の肉親として妹のために尽力する兄だったり・・・。
 特撮やセックス・暴力シーンが無くてもこれだけの素敵な映画を作れるんだ、という、ある種のヒューマンパワーを感じさせてくれる快作でした。やっぱ、ベッソンはいい!

・X−MEN(2000年 監督:ブライアン・シンガー 主演:ヒュー・ジャックマン)

 X−MENという作品自体にはアニメやコミックスで触れた程度ですが、そのストーリーやキャラクター、世界観は強く引きつけられるものがありました。それで、映画化には楽しみだった反面、やっぱりアメコミが原作って事で制作側がどういった解釈をするかが不安でもありました。
 で、見に行って来ました。
 結論から先に言えば、「いいぞ、ブライアン!」(俺は友人か(笑)!?)。
 何が良かったかって、ストーリーのアプローチの仕方が良かったです。ヒーローズでありながら、彼ら(X−MEN)はミュータントであるゆえに人々からは疎まれる存在でしかないのです。現に人類を制しようとしているマグニート達はそれゆえに人類を憎んでいるのですから。これは僕たちが抱えるあらゆる形での差別・迫害の縮図です(実際原作のコンセプトもそこにあったようですし)。記憶と共に居場所を失ったローガンことウルヴァリンは心の安住の地をあてどなく彷徨い、ローグはその能力(触れたものの生命力を奪ってしまう。彼女はまだ力に目覚めて間もないのでその力をコントロールしきれない)故他者とのぬくもり・愛情をわかちあうのすらままならないのです。他人と違うための迫害という十字架を背負って・・・。心を描き出すことによって、映画として見応えを増したと思います。
 単純にヴィジュアル的に観てもかっこいい!キャスティングがすごくはまってるんですよ。特にプロフェッサーXやストーム辺りは最高!他も凄く良かったですよ。X−MENスーツは黒を基調にリニュ−アルされていて、それがまた良かったと思います。
 ラストとか観ても続編が製作されるのが決定しているらしいし(現に今回スタッフ及びキャストの契約条項に続編への出演というのも書いてあったらしいです)、まず、見に行ってみても損はないと思います。子供にもちゃんと見せられる作品になってますよ(話を100%理解できるかは別だけど)。日本でもこういうアプローチの映画が見たいなー。平成ガメラシリーズは比較的リアリティがあって面白かったけど。



第一回:「インビジブル」&「五条霊戦記」


・インビジブル(2000年 監督:ポール・バーホーベン 主演:ケビン・ベーコン他)

 ストレートな感想を言うと、「あー、ハリウッド映画だなぁ」って感じでした。どこがって?終盤のジェットコースター的スリルの連続の辺りとか。
 今までの透明人間を題材にした作品って、どうしてもどこかコミカルって言うか道化的な薫りを内包していたきらいがあったけど、この映画に関しては、透明になった生物の不気味さ・恐ろしさや、デメリットなどが良く表現できていたと思う。他人に干渉されにくいことで自分が自由を手に入れてしまったかのような錯覚、しかし、その実は視界を便宜的に遮るモノがない故に(瞼すらも)睡眠さえストレスを感じざるを得ない事など、しっかり話の中に組み込まれていたのは感心しました。
 透明化、またそれを元に戻す血清を打ち込んでからの描写はCGを効果的に使って、リアルに且つ気持ち悪く(ここら辺はバーホーベンらしいかな。あと、変にエロティックな描写が多いのも(笑))見せてくれ、スタッフの力量を感じさせてくれました。
 ただ、題材勝負の作品だからストーリー的に多くのモノを望めないのも事実だし、無理に誘うほど推薦できる作品でもないかな?
 でも、それなりに楽しめる作品ではあります。透明人間になる科学者を演じるケビン・ベーコンはファーストシーンからその魅力を見せつけてくれるので、彼のファンなら見て損はないでしょう。僕は比較的ファンでしたので楽しめました。「いやー濃いなー」って(笑)。

・五条霊戦記(2000年 監督:石井聰亙 主演:隆大介・浅野忠信他)

 題名を見てピンと来た人も多いでしょうが、弁慶と遮那王(後の源義経)の五条橋の闘いをテーマにした話です。
 ただ、それより印象に残ったのは話の中心となった弁慶の人間像でした。
 一般的に弁慶(隆大介)のイメージとしてあるのは、豪放磊落な大男って感じだと思うけど、映画の中の弁慶は、確かに立派な体格の男ではありましたが、それ以上に人としての苦悩を全身に漂わせていました。それは、どこか欲を捨てきれず、一方で過去の出来事から殺生に苦悩を抱き続けて自分の行くべき道を見失いかけている一人の彷徨い人でした。自らの内に潜む鬼を恐れながら・・・。
 一方、遮那王(浅野忠信)は人であって人ではありませんでした。彼は五条橋近辺を中心に平家の者を斬殺し、それが1000人を越えたときには既にその力は人を凌駕していました。
 いつの日かその力は源氏再興より、その力の行き先を求めていたのでしょう。そう、弁慶の内に潜む鬼の力を。彼自身が鬼の力をまとっているのにも気づかないかのように・・・。
 二人の鬼の力はその周りの者を惑わせていたと思います。弁慶との力の勝負を望んだ湛塊(船木誠勝)、餓鬼のように刀を集め続け、弁慶と遮那王の闘いの行方を見つめ続けた鉄吉(永瀬正敏)etc、etc・・・。
 この映画を見ていて感じたのは二人の「削ぎ落とす」さまでした。弁慶はあらゆる苦悩を、遮那王は人としての情を削ぎ落とし、鬼として闘いに望んでいった。その結果・・・あのラストは必然だったと思います。
 非常に面白い映画でした。僕的にはオススメ出来る映画です。ストーリーはもちろん、登場人物も魅力的でしたし、映像的にもかっこよかったです。血しぶきがリアリティに欠けたかな、てところがありましたが、見応えのある映画だと思います。格闘技ファンには船木の演技が気になってる人が多いと思いますが、はっきり言って上手いです。ヘビーな映画ファンで自作で作品も撮ってるだけありました。俳優・船木誠勝の今後が楽しみです。



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