不定期連載
笹野的映画感想記
僕が見た映画の感想を書く場です。
上映中に限らず、過去に見た作品も機会があれば書こうかな、と思ってます。
第二十八回:「ゴーストシップ」&「ギャング・オブ・ニューヨーク」
・ゴーストシップ(2002年 監督:スティーブ・ベック 主演:ガブリエル・バーン、ジュリアナ・マルグリース他)
誕生日に見に行ったのがこの映画でしたw
この映画を製作したダーク・キャッスル・エンタテイメントはその名を聞けば察しが付くとは思いますが、ホラー映画を主力として制作するために立ち上げられた会社で、そんな会社が作るだけに、まっとうなホラー映画な印象を持ちました。
最初のシーンからイヤ〜な扉をw開いてくれ、そして、全編を通じて緊迫感と一瞬の開放感が絶え間なく続き、締めもドキッとさせるような。で、個人的にホラーに不可欠なシチュエーションと思う密室性というか、そういうのに舞台である幽霊船がバチコーンとはまっててw登場人物の個性もイイカンジで「あ、最初はこいつだ」みたいなw良い意味でオーソドックスなのがいいですね。肝心の恐怖感というのも、もう嫌ッつうほど味わえるし。もっとも僕自身恐がりな方ですがwただ、洋画のホラーは見られますね。恐くても何とかね。日本のは駄目っす。「リング」や「パラサイト・イブ」みたいななんじゃこりゃと思うか、或いは幽霊モノでも身近に感じすぎて恐くて見られないかどっちかで。近日公開されるらしい「呪怨」(2003年春頃公開予定らしいです)の予告編で「こんなん絶対見に行くかぁぁぁ!何が楽しくてこんなん恐いの見なあかんのぉ」と思いましたし(苦笑)。
話がちとずれましたがwTVとかで流れてた予告で気になった人は見に行っても宜しいかと思いますよ。あそこで流れるあのシーンはやっぱ実際に見てもインパクトがあると言うかぞくっとしますし。あそこに出てる少女も良い演技してますし。名作とまでは言えないけど、チケット代分は楽しめると思いました。
・ギャング・オブ・ニューヨーク(2002年 監督:マーティン・スコセッシ
主演:レオナルド・ディカプリオ、ダニエル・デイ=ルイス、キャメロン・ディアス他)
チケットは前売りで持ってたんですが、上映時間が長いから見に行くタイミングが難しくて、ようやく見に行けました。
これは恋愛映画であり、戦争映画であり、近代歴史物映画であり、そしてある種ヤクザ映画と言えると思う。
何故そう思ったかと言うと、マフィアモノとはちょっとニュアンスが違うと思うんですよね。あくまでも個人的な印象ですが、マフィアって言うのはファミリーと言うか、血縁みたいなモノを強く感じるんですが、ヤクザというかそういうのって任侠とか義侠みたいなものではありますが、基本的に他人同士の集まりだと思うんですよ。どっちが優れているかとかじゃないですよ。なんて言うか仲間と敵との境目がはっきりしてるけど自分の立場が入れ替えやすいと言うか。この話の中では根底にアメリカ・ニューヨークを舞台に借りたアイルランド・イングランド(まぁカトリック・プロテスタントと言い換えても良いのかも知れないけどそこらへんは日本人である僕らには理解しきれない部分だと思うので)の紛争ってのもあるけど、でも、だからって必ず同じ民族同士が必ず徒群を組む訳じゃない。実際主人公のアムステルダム(レオナルド・ディカプリオ)も父の敵であるビル(ダニエル・デイ=ルイス)の元に身分を隠して近づくウチに父に近い感情を憶えたりするし、また、ビルも同様だったり。またボク特有の訳の分からない文になったら申し訳ないけど、人ってのは枠組みみたいのを畏れ、嫌う一方でそこに引き寄せられるモノなのかなって。それは人種であり、民族であり、組織であり、家族であり…。凄く不安定なバランスの真ん中に立ちたい自分が皆いて、自分以外はどちらかに寄せておきたくて上と下を何か作りたがるかのような。それがあの終盤の暴動なのかなって。下にいたくない、またはどちらか一方に追いやられたくない人達の生々しい怒りというか。
誰もが聖と俗の両面を何かしら抱えていて(スコセッシはここらへんの人物描写が上手い監督)理性というのはどこでその二つの中間点をとるかがその人の価値を決めてしまうような気がして、その事に気づいてしまった人ほど苦悩するのではないのかなって。その意味で主軸にいる三人はそれぞれの形でそれを内包する苦悩を抱えてる気がしました(理想と現実、肉体と精神、誇りと欲求…かな)。ホントにわからん文になってしまったかも^^;
そんな理屈は抜きにしても長い作品ですがそれを感じさせない素晴らしい作品だと思います。重厚さもあればダイナミックさと言うかエンタテイメント性も兼ね備えているテンションの高い作品だと思いますね。しかし昔の争いは武器が武器(ナイフ・手斧・棍棒。あと口に指突っ込んで引き裂いたり(!)とか)だけに生々しくかんじるなぁ^^;
第二十七回:「Dolls」&「千年女優」
・Dolls(2002年 監督・脚本・編集:北野武 主演:菅野美穂、西島秀俊、深田恭子、三橋達也他)
事前に入ってくる情報とかで、愛・日本の四季・色・文楽などがキーワード、北野作品としては珍しく、メジャーな名前の俳優をキャスティングしているなど、ちょっと想像が付かない部分が多かったので、それは逆に楽しみでもありました。
見終わってまず印象に残ったのは「赤」でした。
一般的にも今まで北野作品というのは「青」が印象的な映像なのですが、今回は四季を描き出すのも一つのテーマであるためか、その印象はないんですね。でも、その所々で目に飛び込んでくるのは「赤」なんです。それはポスターなどでも見受ける事の出来る紅葉だけではなく、登場人物の衣装であったり、血そのものだったり、玩具や蝶の死骸とかだったり、何よりも主人公の二人(菅野・西島)を繋ぐ紐も「赤」だったりします。恐らくこの「赤」がこの話の中での色んな意味での「命」の象徴何ではないかと思います。目の前を横切る枯れた「赤」、希望を見出したときにその身に「赤」が纏われている一方では死に装束のように「赤」がまとわりついてたり。そのせいか奇妙なほど肌の赤みが印象に残らないんですよ。例えソレが冬の寒さの中であろうと。
あと所々で出てくる文楽人形が生き生きと躍動して存在感を示すのと対照的に、人々は「この世界」の中で動かされ翻弄されてゆくのが印象的だったです。まるで人々の方が人形なのではないのか、何かに動かされているのは実は自分達なのじゃないかって考えてしまう部分とかあって。そんな中で言葉を雄弁に語らない中で自己そのものを表してゆくのが生きることそのものだという肯定的なあがきみたいなのを感じました。そしてその中でもっともそれを体現するためのモノが「愛」だったような気がします。究極まで行き着くと「一途」と「狂気」は紙一重なのかも知れないし、それが正しいのか、それが間違っているのか、判断し得るものではないと思います。
ただ、気持ちを貫くことも。
気持ちを貫けぬ事も。
待つことも、進むことも、戻ることも、正解の無い「愛」の形だと思うから。
しかし、今までもそうだったけど、クライマックスでの感情の溢れるような部分にはいっつもやられるなぁ。下手に友人と見に行けないよ(苦笑)。ただでさえ涙もろいのに…。
・千年女優(2002年 監督・原案・キャラクターデザイン:今敏 声の主演:折笠富美子、小山茉美、荘司美代子、飯塚昭三、山寺宏一他)
予告の雰囲気とか、何となく気になってたんです。この作品。
かつての大女優にインタビューをしてその足跡をつづってゆくって言うのが、その大まかなストーリー(ホントに大まかに言ったらね)なんですが、その話の中にはかつての主演作のストーリーが急にインサートされたりして、しかもそれが(インタビュー部分もそうなのですが)映像としてダイナミックに展開されていって、しかもそのなかに取材してる二人も混じり込んでいってトリップ感覚に入っていくような感じが凄く面白かったですね。
で、その話の中で主題は彼女が女優になる前に出会った「鍵の君」というミステリアスな男性への思い、主演作の中で老婆に囁かれた「呪い」、何故女優を辞めたのか、そして恋の顛末は…など。で、不思議なことにその女優としての主演作の数々と一人の女として思い続けていく過程がシンクロしていって、しかもそれがどんどんひもとかれてゆくウチにさらに色んな事が見えてくる所、例えば取材する女優のファンでもあるディレクターと女優の意外な関係とか、その後も何故か頭を離れない老婆の正体とか、「鍵の君」の行方とか、それらが映像的にもそうなのですが、話として非常に収束してゆくんですね。意外で、そして余りにも切なく。
事前の印象の中で、正直、アニメとして今の中で見ると少々地味かと感じる部分があったんです。でも、実際見たとき、これはアニメだからこそ表現できた世界観であると同時に、ホントに大人の人が見て堪能できる作品になっていると思いました。この映画の一つのポイントは「なぜ、愛は美しく、且つ、残酷で、それでいてこんなにも心曳かれるのか」って言う部分だと思います。彼女が最後に言う台詞はそんな自分の中での一つの結論で、例え生まれ変わっても変わらないモノなのでしょう、と。
最後に。ボクが見に行ったとき、たまたま監督の母親とご親族の方が見えてらして、上映前と上映後に直接一人一人のお客さんと言葉を交わしてくださってとてもびっくりしました。と、同時にその物腰の柔らかさに「ああ、もしかすると監督は主人公のイメージの中にこのお母さんを組み込んでるのかも知れないな」と感じました。複数の名女優をモデルにこの話の主人公をデザインしたらしいんですが、そのなかに自分の母親を重ねてたのかも知れないって。
第二十六回:「サイン」&「宣戦布告」
・サイン(2002年 監督・脚本・制作:M.ナイト・シャマラン 主演:メル・ギブソン、ホアキン・フェニックス、ローリー・カルキン他)
率直な感想は「面白かった。でも…」って感じですね。
テーマも面白いし、話も面白かったし、構成とかもリアルなレベルで「もし宇宙人が…」って言うのを映像的に表現していてさすがだなぁ、と言う部分が随所に感じられました。
で、なぜ、でもって思ったかって言うと、前二作「シックスセンス」「アンブレイカブル」が良かった分、いや、良すぎた分、う〜んって感じになっちゃったんですよね。で、その一因が、作品全体での緊張感が、「サイン」の場合、終盤で切れたような印象があるんですよね。宇宙人そのものを出すよりかは痕跡とかで最後も終わらせる方が良かった気もします。あと、幾つかの謎の収束の仕方もまとまりきらなかったような感も否めませんでした。
ただ、こうやって色々言ってますがそれも贅沢な話なんですよね。そんじょそこらの作品より面白いのは確かなんですから。ひょっとすると、ホントにスピルバーグの後継者としてふさわしい監督になれる数少ない人ですし。
次回作もなんだかんだで注目してます。しかし「最初の三作は全部ブルース・ウィリスで行く」って言ってたはずなのにどしたんでしょ?w
・宣戦布告(2002年 制作・監督:石侍露堂 主演:古谷一行、杉本哲太、夏木マリ他)
今、非常にタイムリーな題材という事もあってか、一部でも話題になってましたが。
非常事態において、政府や自衛隊が直面しうるであろう状況を克明に捉えていて、これは面白かったです!
この映画で見せつけられるのは、僕らが住むこの国の現実の一面だと思います。僕自身はどんな小さな形であろうとも戦争なんて起こって欲しくないし、まして、自分のいる国が戦場となって欲しくない。でも、現状として、テロや何か起こったとき、何らかの防御策を講じなければいけない。眼前に銃を突きつけた相手に話し合いで解決する“奇跡”はそう期待できないのだから。しかし、しかし、今この国ではそう言う状況になったとき、何も出来ず屍を増やすだけになるのかも知れないのだ、と。
監督も言っているけど、ここで言おうとしているのは法律の改正をしろとかじゃない、僕達は大切なモノを護るためのことをホントに考えているか、と言うことなんだと思います。話し合いするにしても何かが起こってからじゃない、起こる以前に徹底的に問題点を話し合うべきだと思うし、何より自分の居場所に無責任であってはならないと思う。絶対。
凄く考えさせられたし、ストーリーも映像的にも役者さん達の演技も良くて、「日本映画もやるじゃん」って感じの骨太な作品だと思います。
第二十五回:「インソムニア」&「チョコレート」
・インソムニア(2002年 監督:クリストファー・ノーラン 製作総指揮:スティーブン・ソダーバーグ、ジョージ・クルーニー他
主演:アル・パチーノ、ロビン・ウイリアムズ、ヒラリー・スワング他)
見る前の印象は、「セブン」や「ボーン・コレクター」みたいな感じの映画なのかな、と想像していました。
確かにそんな要素も感じられるのですが、実際の所、正義、と言うか倫理観というのか、本当に正しい事とは?という問い掛けに近いものがテーマなのかな、と言うのが実際見ての感想です。
アル・パチーノ演じる主人公の刑事は自らの正義感と言うか、罪を許さない気持ちの余り、過去にある逸脱した行為を行ってしまい、それが心の中でどうしようもない重しになっています。それが、この話の中で展開される犯罪を捜査していくウチに、偶然か必然かわからないけど、この事件を主人公と一緒に捜査しに来た若い同僚を撃ち殺してしまうという事態になってしまう(同僚は主人公のした過去の行為を知っていてそれを警察内の内部調査官に打ち明けようとしていた)。主人公は舞台となるアラスカの白夜とその事が引き金になってインソムニア(不眠症)になってしまうのです。そこに事件の犯人の接触がからみ彼の倫理観が揺らいでゆくのですが、その揺らぎとは恐らく、自分の中の正義が引き金になって行った行為が自分の中での許されないと判っている行為だったという一種のパラドックスだったではないかと思います。ある意味自分にとってのアイデンティティだったはずのその思いが、自分を縛り苦しめてゆく。白夜による外のまぶしい光は闇の中で苦しむ彼の心に冷たく射し込んでくるかのように常に入り込んでいて、映画を見てる自分にもその苦しみ、もがきが伝わってきました。
ロビン・ウイリアムズ演じる事件の犯人はまるでそんな陽射しとは違う暖かみのある光を一瞬感じさせるのですが、それは狡猾なまやかしで、彼が主人公に当てた光とはライトスタンドのようなモノで瞬間的な印象は温かく感じるけれど、そこには何も含まれて無く、何時だって気の向くままに消し去ることの出来る残酷な光だったと思います。彼が提示したのは目先のやすらぎでしかない。だから主人公は後に本当の正しい事、現実の苦しみ、そしてどうあるべきかを気づくための贖罪を受けることになる。それがどんな形であろうと主人公は受け入れたのだから。
映像的には刺激を常に与えてゆくと言うより、じわじわとストーリーが心に重く染み込むような感じを受けました。それは劇中、何度もインサートされる布地に血が染み込む映像のように(これも重要な意味合いの映像だったりする)深く、深く。だから、決して地味ではないんですね。アル・パチーノとロビン・ウイリアムズの演技力も大きいのですが。
重い話だと思いますが、見て考えさせられることの多い作品だし、後悔はしないとは思いますけどね。
・チョコレート(2002年 監督:マーク・フォスター 主演:ハル・ベリー、ビリー・ボブ・ソーントン他 ※R−18指定)
ハル・ベリーが2002年のアカデミー主演女優賞を受賞したことで話題になった作品です。
ただ、良く言われるように、アカデミー受賞作と言うのは結構地味な作品が多いというのが定説みたいになってて(かと言って面白くないとは思わないけど)、これも実際の所必ずしも万人向けではないと思うんですよ。劇的に派手な出来事がある訳じゃないし、テーマとして潜在的に重い(人種差別)のもあるし、ま、成人指定もあるけどw
この映画の本当のテーマは、人種差別というのもあるのですが、「愛すること」というのがあると思うんですね。ただ、言葉をささやくだけでなく、SEXという形でそれは表現されてて、前半で出てくる女性にお金を払って事務的にすませるそれと、中盤延々と繰り広げられる短期間に夫と子供を相次いで失った美しい黒人女性レティシア(ハル・ベリー)と父の影響で人種差別主義で、親と同様に刑務所の看守をし、同様の人生を息子に押しつけた結果その息子に目の前で自殺されてしまう男ハンク(ビリー・ボブ・ソーントン)の繰り広げるそれは、全く別次元の部分だと思うんですよ。肉体的欲求を埋めるのか精神的欲求を埋めるのかという意味で。
ただ、「愛される」だけじゃない。話の中では「愛されない」事も深く横たわってて、レティシアは夫が死刑囚だったこと、子供を愛していたと思いこんでしまってたが実はそれは間違いで子供の愛に応え切れてなかったこと、そして何より、黒人であることによる事で恐らく愛を受けてこられなかったのではないかと思うのです(それは終盤の台詞からも窺えると思う)。ハンクも親から受けたのは愛情と言うより強制で、それをまた自分でも気づかずに息子に押しつけていて、そこには親に逆らえない自分の苛立ちが加味されていたのじゃないかと思います。しかし、息子は自分と違い、黒人と友人になり、優しくなれた。だから、息子との最後のやりとりで息子のことを「憎んでいた」と言う自分に対し、「親父を愛していた」と言い残して命を絶った息子に愕然としたんだと思う。息子はある意味自分の憧れだったんだろうし、また、嫉妬の対象でしか無かったのかも知れないから。だからこそ息子の自分への愛情に愛情で返せなかったハンクは衝撃だったのだと思います。
この映画のキャッチコピーが「たかが、愛の代用品」なんですけど、それってある意味レティシアとハンクがお互いを実はそういう感じで潜在的に捉えていたのではないかと思うんですよ。残酷だけど。二人にはそれぞれの無くした家族への思いがまだあって、本人達は否定するだろうけど、まだ、お互いは「代用品」なのではないかと思うんです。レティシアが終盤流す涙はその事に本能的に気づいてしまった涙だと思うし、ハンクが最後に呟く言葉の意味もまた、それを暗に物語っているのだと思います。でもそれらは、後ろ向きの想いではなく、これから、お互いが「代用品」ではなく「真の愛の対象者」として向き合うための痛みという形でのウォーミングアップなんじゃないかと思います。かっこつけたような言葉で恐縮ですが。
これはアメリカが舞台の話だからボクみたいな日本人が全てを知ったようなことが出来るとは思いません。でも本質的な部分で置き換えることは可能だと思います。身近な小さな涙に気づけるように、ね。
しかし、ハル・ベリーは綺麗でしたw個人的にはTOP5に入るくらい好きな感じの女優さんになりましたね。
第二十四回:「燃ゆる月」&「猫の恩返し/ギブリーズエピソード2」
・燃ゆる月(2002年 監督:パク・チェヒョン 企画:カン・ジェギュ 主演:チェ・ジンシル、ソル・ギョング、キム・ソックン、キム・ユンジン他)
「シュリ」も「JSA」「チング 友へ」も見てない僕にとって、初めて見た韓国映画でした。
で、なぜこの映画を見ようかと思ったかと言うと、たまたま違う映画を見に行った時、この映画の予告が入って、その感じが西洋ファンタジーを東洋的な感じに置き換えた様に見えて、それがとてもイイカンジに描かれていたのが気になって決断したのです(そんな大げさなものでもないかw)。
話的には遙か昔の朝鮮を(元にしたオリジナルの世界観を)舞台に、二つの部族の対立のさなかに両方の血を引いて産み落とされた少女・ピ(チェ・ジンシル)が、いずれかの部族のために死ななければいけない運命に苦悩し、また、そんな彼女と共に時を過ごした若者達もまた、運命と愛に翻弄される…と、そんな感じなのですが、まず感じたのが良い意味で昔の角川映画的な感じがしました。例えば、「里見八犬伝」「魔界転生」「戦国自衛隊」などに共通する不思議なパワーが作品全体に満ちているような、そんな感じなんですね。誤解を恐れずに言えば、気取ってないというのかなぁ…。話そのものもファンタジーでもあり、普遍的な愛の姿を描こうとするようでもあり、結構笹野的に好きな感じでしたね。これ一本で判断するのは早計かも知れないけど、韓国映画の人気の一端が判るような気がしました。言葉的にもハングル語そのものが日本語と発音法とかが近いせいもあって違和感がなかったです。
気になったのは、後半の戦闘シーンが何度も連続して出てくるのが多少単調に感じたのと、あと、これは配給会社の問題だと思うけど、字幕が背景が同じ白色になってもなんの配慮も為されてなかった事ですね(せめて黒くふちどって欲しかったなぁ)。
とは言え、これから先、韓国映画という新たな楽しみが増えたのでとても嬉しかった邂逅です。それにしても、これが上映される前まで上映していた、これの前作にあたる「銀杏のベッド」も見ておけば良かったかなぁと今にして思う^^;。
・猫の恩返し/ギブリーズ(2002年 監督:森田宏幸/百瀬義行 企画(猫の恩返し):宮崎駿
主演(声):池脇千鶴、袴田吉彦、丹波哲朗他/西村雅彦、鈴木京香、古田新太他)
姉のかりんが札幌に遊びに来てたので一緒に見に行きました。
僕自身、「耳をすませば」が結構好きな作品だったこともあって同じ世界観と言えるこの映画を楽しみにしてました。姉は「ギブリーズ」の方が楽しみだったらしいですが。
で、まず、その姉が楽しみにしていた「ギブリーズ」から始まったのですが、感じたのは、「遊び」と「本気」の絶妙な(良い意味での)ミスマッチ感でした。軽いタッチのほのぼのとした絵を、もの凄い技術と丁寧さで表現して、そこに郷愁感や日常感を絡めて、不思議な世界観を描き出してるなぁとストレートな驚きを感じました。僕は「となりの山田君」は見てないのですが、あの映画が行き着こうとした先は多分こういう感じだったのだろうなぁと思います。最後の話の気の抜け具合にも別の意味で驚かされましたがねw。
「猫の恩返し」は予告とかでも見られた、今までのジブリ作品と違うタッチの絵が実際に映画として見たときどうかなぁと言うのを事前に考えたりもしましたが、実際見るとそこにh紛れもないジブリの作品がありましたね。作品の上映時間そのものは70分位なのですが、ここ最近の大作にはない小気味よさと楽しさが伝わってきました。良い意味で「軽い」んですよね。あと、「耳をすませば」ではバロンの声を確か露口茂さんがやってたんですけど、今回の袴田くんの声も違和感を感じず若さと凛々しさを感じさせてくれました。
二作品に共通しているのは「作品を提供する側の集中力が高ければ上映時間に関係なくクオリティの高いモノを作れる」ってことだと思います。それはどんなジャンルにも言えることだと思うし、ホントは基本的なことなんですよね。でも、それを改めて気づかされたというか、良い教訓になったというか。
肩肘張らない楽なスタンスで楽しめる良い作品だと思いました。
第二十三回:「穴」
・穴(2002年 監督:ニック・ハム 主演:ソーラ・バーチ、デズモンド・ハリントン他)
最初予告編でこの映画に興味を持ったとき、正直、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」に近い感じの映画なのかな?と感じました。実際見るまで他に情報を得られませんでしたし(北海道はこれって一ヶ月遅れだと聞いてますが…、どこの番組とかでも紹介されてなかったみたいだし…。ま、ありがたい事なのだけど)。
実際の内容は行方不明になっていた四人の学生の内の一人の女の子(リズ:ソーラ・バーチ)がボロボロになって戻ってきた所から始まって、その女の子を含めた四人がいた古い防空壕跡の中で何が起こったのか?って(簡単に言えば、ね)話なんですね。とっかかりは確かに「あ、やはり「ブレア〜」っぽいのかな?」と思わせるのですが、サスペンスであり、スリラー的要素もちょっとあり、若者達の一種グラフィティでもあるし、(歪んだ形の)純粋な愛の悲劇でもあるなかなかの佳作でした。
人の思いって交差こそすれ、交わるとは限らず、一方で傷付け合い、一方で交わり合う。それは一種の木々の様なモノかも知れない。いびつなものに育つとやがて互いを阻んでしまい、光と離れてしまう。あまり内容をばらすような事まで踏み込みたくないので控え目にしますが、リズを演じたソーラ・バーチの好(怪?)演もあって、話の核である愛情というモノに向き合ったとき、人は愚直なまでに一途であり、また、残酷なまでに狡猾でもあるんだと。
穴、と言うのは、単に四人がいた場所のことだけではなくって、きっと誰もが抱えてる決して埋まらない暗部なんじゃないのだろうか?と、ボクは感じました。闇の部分って怖れでもあるし、安らぎでもあったりするんですよね。自分の中にある闇−例えば狂気−に気づいたときの怯えとか転じてそれが喜びに変わるときとか、或いは誰にも知られたくない暗部を他人とお互いに共有したときの悲しいまでの安らぎ、あるいは転じたとき(知られてしまった)の絶望感や怒り…。もしかして見る人はこの映画という穴の中にある鮮明で不鮮明な鏡を覗き込んでるのかも知れない、と。
勘違いして欲しくないのは、特別大作とかではないとは思います(失礼w)。でも、映像的にもストーリー的にもビシっとだれてない感じでまとまってて良かったです。
第二十二回:「ルーヴルの怪人」
・ルーヴルの怪人(2002年 監督:ジャン=ポール・サロメ 主演:ソフィー・マルソー、フレデリック・ディフェンタール他)
個人的にここ数年のフランス産の映画って気になっていて、結構チェックしたりしてるんです。ハリウッド的な大作もフランス的な会話のセンスの面白さとか、ひねりがあるストーリーとかでひと味違ったりして。
今回のはかつてフランスで人気のあったTVドラマをリメイクした作品らしいんですね。かねてから色々噂のあるルーヴル美術館を舞台に、エジプトミイラの呪いとかを絡めた話なんですが…。
登場人物は一人一人のキャラクターが立っていて面白かったですね。それぞれの何気ない素顔みたいな部分の描写とかも悪くなかったし(個人的には老刑事が青春時代を当時聞いていたアーティスト名で語るところがキュートで良かった)。名前を削られてしまったためあの世へ還れないミイラの魂とその力、逸話も面白かったです。
ただ…、全体的に話の組立というのか、流れがあまり面白くなかったかなぁ。だからかも知れないけど、ハッピーエンドなんだけど、あまりそんな感じがしないんですね。別に含みのある暗いハッピーエンドだったわけじゃなくって、話の流れや終わりへの収束の仕方に魅力が足りないと言うのか…。ルーヴル美術館を実際に借りてのロケというのも一つのウリみたいなのですが、あそこの広大な規模だという感じも伝わってこなかったし、なんか…なんか…中途半端な感じがしたと言うのが僕の感想です。
もしかすると、TVドラマ版を知っていると面白く感じるのかも知れませんね。映像センスとかは良かったし、音楽とかも悪くなかったけどね。
まあ…あまり、オススメ出来ないかなぁ?ソフィー・マルソーを見たい人には別だけど。(この連載でここまで低評価なのって初めてかもね)