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更新日 2010年04月02日  不耕起微生物農法          

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牛頸の地名と歴史

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牛頸

日本全国にウシクビという地名は
新潟県に二箇所(牛頸・ウシガクビ/牛首・ウシガクビ)
石川県に二箇所(牛首・ウシクビ)
と大野城市の五箇所しかないとされています。。
いずれも日本海をへだてて朝鮮半島に相対しており、朝鮮半島から対馬海峡を横断するという位置にあります。

現在は、牛頸と書いていますが、享保三年(一七一八)の平野神社再建の時の棟礼には御笠郡牛頭村、明治十七年の内務省の地名索引にも御笠郡牛頭村と書かれています。

そしてここには、六世紀から八世紀にかけて、渡来系技術集団である今来の才伎によってもたらされた数百基の須恵器窯跡群が現在し、牛頸千軒七ケ寺の言葉が残されているように一大窯業地として一つの大村落を形成していた所でもあります。

さらに、平野神社の祝詩『平野祭』の中には〜天皇(スメラ)が御命に座せ、今木より仕へまつり来れる〜とあり、隣接して春日市惣利(ソウリ=ソウル)があること等からこの渡来系技術集団が故国の地名牛頭(ソモリ)を伴ってきたのが、日本語となりウシ
クビとなったのではないかとも考えられる。

文献的にみると、系譜史料も含めて、天皇家ないしどこかの地域の君長の祖先が朝鮮半島から渡来してきたと伝えるものは、『姓氏録』の諸蕃氏族を除くと、殆どない。

では、皆無かというと、そうともいえない記事が『書紀』に見える。それは、その第八段(宝剣出現)の一書第四および第五の記事であり、素戔嗚尊がその子・五十猛神を率いて新羅国に天降り、そこから舟を作って出雲に渡ったとあり、また、五十猛神が天降りの際に多くの木種を将来したが、韓地には植えずに、筑紫より始めて列島内に木種を播いたと記される。そうすると、韓地からの渡来地はむしろ筑紫であったことにもなる。素戔嗚尊の関係の地として、ソシモリやクマナリがこの記事に見えており、ソシモリが牛頭の意、クマナリが熊川・熊津であれば、朝鮮半島内にはいくつか、これに該当しそうな地名もある。
日本でも、牛頭に通じる牛頸・牛頸山が筑前国御笠郡(現福岡県大野城市南部)にあり、同地には伽耶に源流をもつ須恵器の窯跡群(日本の三大窯跡群の一)がある。

朝鮮半島におけるソシモリ(牛頭、牛首)については、中国神話上の炎帝神農氏が人身牛頭の薬神・太陽神であり、素戔嗚尊が牛頭天王と称されたこと等と関係しよう(なお、少彦名神は薬神とされる)。牛頭という地名は、江原道春川の牛頭山ほか、慶尚北道の慶州・金泉、慶尚南道の陜川・居昌、江原道の原州、咸鏡南道の甲山、全羅南道の光州に合計八箇所ある、と朴成壽氏が指摘する(「牛頭山と素戔嗚」『古代海人の謎』)。氏の指摘には、いくつか興味深い点があり、それをあげておくと、

@春川の清平山南方に牛頭大村があるが、これが貊国の昔の都邑地である、
A牛頭山は最高の山、山のなかの山という意味で、具体的には白頭山(太白山)を指すが、その一名を根山、阿斯達ともいう。
 なお、太白山(太伯山)や白岳山阿斯達は、桓雄や檀君に関係深い地名であることに留意される。伽耶の安羅の付近にも牛頭山があり、これは慶尚南道の伽耶山(標高一四三〇M)のことである。このほか、『三国史記』には新羅の牛頭州(巻二)、楽浪牛頭山城(巻二十三)、『書紀』欽明十三年条に「新羅之牛頭方」の記事があり、そのうち後二者は平壌ないしソウルの付近とみられる。

といった資料も参考になります。