私のこと

 性同一性障害は、自覚している性別と肉体の性が違っていて、かつそのことで何らかの困難を抱えているという障害です。
 私の場合は、女に属していると思っていますが、肉体は男なのです。一般には女→男など、私とは違うパターンもあります。

 よく混同されますが同性愛とは別の事柄であり、また、妄想というようなものでもありません。性同一性障害は、それらとは全く別の事柄として、一つの身体・精神状況を成しています。
 この障害は、1998年10月に埼玉医科大学で行われた性別適合手術(いわゆる性転換手術)ともに、多くの人に知られるところとなりました。

 なぜ私がこの障害の当事者となったのかは、まったくわかりません。が、私はこの障害によって、私自身の内側、および、他人との関係、二つの側面で、ハードルを抱えています。

 「内側」の問題とは、男体への限りない違和感であり、嫌悪感、そして「自分の体が見当たらない」という存在の希薄感です。女に生まれ変わらない限り100%の解決はありませんが、外科手術によってかなりの緩和ができると期待しています。現在おもにそのことを目指して病院へ通っており、その記録を、次項の「病院にかかる」で読んでいただくことができます。
 2000年の11月以降の掲載ができていませんが、記録はとっていますので、折をみて記していきたいと思っています。

 二つめの「他人との関係」とは、30数年間男として生きてきた私が、女性の身なりをして街へ出たり仕事をしたりする、ということです。
 こちらの側面はきわめて心理的な問題であり、時に身体の医療よりも複雑だというのが私の実感ですが、私自身は現在、よき友人に支えられ、勇気を得て、女性として社会生活を営めるよう、少しずつ前へすすんでいます。仕事関係の方々へカミングアウトできるところまでも来ました。

 この「他人との関係」については、「タカノ録 ――GIDタカノ、街へ出る」と題して、メールマガジンでお伝えできる予定です。(トップに購読の登録フォームがあります) 現在休刊のため、登録フォームはありません。

 私はこの3年強、自分は何なのだろうと悩んできました。
 ある日、自分は性別に障害のある、障害者だと気づきました。そのときから、いろいろなことがすっきり動き出しました。自分が障害者であるということは、今の私にとって、私の貴重なアイデンティティです。それは、私は何者であるかという、ひとつの解答であったからです。
(記:2000年秋、2005年語句訂正)


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