インテリヤクザになる方法



「うひゃあああ!」
 素っ頓狂な声をあげて、ばあさんが転んだ。折しも朝の始業前。道行く人たちはばあさんを気の毒そうに見ながらも、会社に向かってまっしぐら、足を止めることはない。
 冷たい奴らだ。
 踵を返してばあさんに手を差し伸べる。近くにいたチョロも手を貸してばあさんを助け起こした。
「ばあさん無事か」
「か、かばんがっ……」
「ひったくりか! どいつだ!」
 ひ弱な年寄りから奪うとは許せん。
 怒鳴った俺をばあさんは一瞬怯えたように見たが、すぐに人波を指差した。今のやりとりの間に五十メートルほど離れてしまっているが、慌てたように走っていくニット帽が見える。あれか。
「チョロ!」
 声をかけるより早くチョロは追いかけている。チョロというあだ名が付くだけあって、チョロチョロと小回りが利く。人波を器用に掻き分けてニット帽に近づいている。
 それに慌てたニット帽は、人波に紛れる作戦を捨てて、思い切り走って逃げられる人気のない道を選んだ。
 バカめ。
「チョロ、避けろ!」
 手頃な石を拾い上げ、足をめがけて投げつける。
 見事に命中し、ニット帽はすっころんだ。が、往生際悪くまた逃げ出そうとする。チョロは追いつくかつかないか、きわどいところだ。
 もう一度投げようかと石を拾い上げたところで、ニット帽が逃げる先からやってくる巨体に気づいた。百九十センチ九十キロ。グラサンをかけ、柄シャツを着たタコ坊主を、周囲はもれなく避けて通っている。
 なんてちょうどいい奴。
 チョロも奴を見つけて歓声を上げた。
「ゴン! そいつ捕まえろ!」
 いきなり呼ばれたゴンはびっくりして立ち尽くしてから、俺たち二人に気づいて笑顔になった。
「あ、兄……」
「挨拶はいいからそのニット帽捕まえろ!」
 ゴンに付き合っていたら間違いなく逃げられる。
 遮って怒鳴りつけると、さすがにゴンも動いた。ぬりかべのようなゴンの圧力に、ニット帽はさすがに負けたらしい。足が緩んだところを後ろからチョロに押さえ込まれて地面に這いつくばった。


*   *   *


「巧(たくみ)、おやっさんが呼んでるぞ」
 書類とにらめっこしているときに兄貴分の徹(テツ)が呼びに来た。何事かと腰を上げる。
「何してたんだ?」
「不動産のほうの書類作り。いい物件が入ったんだけど、業者の見積もりが甘くてさ。あの業者手抜きもいいとこだぜ、変えたら駄目か?」
「そりゃあおやっさんに訊いてみろや」
 幹部級の兄貴分とは言え、徹とはガキのころからの付き合いだ。気安い口を叩いても怒られない。
 ビルの最上階に向かうべくエレベーターに乗り込む。箱に乗ってドアが閉まり、密室になった途端、徹がいきなり大爆笑を始めた。
「な、何だ!?」
ぶはっ! くははっ! はーはっはっはっ!  た、タク坊、おめえよぉ!」
「タク坊言うな!」
 息も絶え絶えにガキの頃からの愛称で呼ぶ徹に、取りあえず反論するが、徹はお構いなしに笑い転げている。目に涙を浮かべて壁をバンバン叩いて大爆笑だ。
 ひいひいと目尻を拭って笑い続けている徹を睨んでいるうちに、エレベーターは最上階に着いてしまった。
 赤絨毯の敷かれたここは、ワンフロア丸々社長室。つまり、由緒正しい中堅極道、阿佐比組組長の部屋だ。
 だから無礼は許されないはずなのに、徹はまだくつくつと身体を揺らしながらドアをノックした。
「お、おやっさん、タク坊を連れて来やしたぁ」
 笑いで語尾が震えている。中からは「入れ」と渋い声が返ってきた。
 挨拶と共に入ると、革張りの社長椅子に座ったおやっさんが呆れた顔で二人を迎える。
「徹、お前はまだ笑ってんのか」
「だ、だっておやっさん……これで五度目っすよ……」
「何!?」
 息も絶え絶えに弁明した徹に、思わず噛みつくように反応する。
 五度目。この数字には嫌と言うほど思い当たりがある。
 まさかまさかまさか。
「ほれ」
 おやっさんが差し出してくれた新聞を奪い取り投書欄を探すと……あった。ありやがった。
《先日ひったくりにあったときのことです。転んだ私に誰も見向きもしなかったのに、一人の青年が声をかけてきました。青年はガラの悪い服装にサングラスで、髪まで撫で上げていました。何をされるのかと怯えていると、その青年は優しく助け起こしてくれ、お友達と一緒にひったくりまで捕まえてカバンを取り返してくれたのです。
 それだけではありません。警察へ行くのをお友達にまかせ、捻挫してしまっていた私を病院に負ぶっていき、さらに家まで送り届けてくれたのです。あまりの親切に何か下心があるのかと怯えていた私に、「捻挫で済んでよかったなあ」「カバンは胸に抱えて歩けよ」などと話してくれ、「達者でな」と手を挙げて行ってしまいました。私はお礼もできず名前も訊けずじまいで、彼を見送ることしか出来ませんでした。
 今でも申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいです。あんなに親切にしていただいたのは初めてなのに、まるでヤクザのような風体に気をとられてしまった自分が本当に恥ずかしい。この場をお借りしてお礼を申し上げます。本当に本当にありがとうございました――――》
「………………」
 ああ……。
 礼よりも黙っていてくれた方が嬉しかったんだが、ばあさん……。
 新聞を握ったまま力なくうなだれる。隣ではまだ徹が笑い転げているがもう突っ込む気もない。
 確かに爆笑するだろうさ。《まるで》じゃねえんだ、ばあさん。俺はまごうかたなきヤクザなんだよ。
 それが五度も《通りすがりの親切な人》と投書されてしまっては……。
「これだけじゃねえんだぜ、タク坊」
「何だってんだよ」
 すっかりやさぐれた俺に、涙目で徹が言う。
「感謝状」
「………………は?」
「ひったくり、捕まえたろ。その前は下着ドロと痴漢捕まえたろ。警察から感謝状が出るんだとよ」
「はあ!? なんだそりゃ!」
 目を剥いておやっさんを振り向くと、おやっさんは重々しく頷いた。
 ちょっと待ってくれ。
「つうか、捕まえたのはチョロとゴンであって」
「あいつらが手柄を自分のものにするわけねえだろ。実際指示はお前から出ていたわけだし」
 …………毎度毎度警察の関わりになるのが嫌で奴らだけ警察に行かせていたのが裏目に出たのか。そんなことになっていたとはまったく知らなかった。自分たちの手柄にしておけばいいものを……。
 忠実すぎる弟分たちに目眩を覚えている俺に、徹はにやにやと笑う。
「表彰式、来週の火曜日だってよ」
「誰が行くかあ!」
 目の前にちゃぶ台があれば絶対ひっくり返していた。
 警察に表彰されるヤクザがどこにいるか!
「四課の山岸さん、笑いを堪えながら電話してきててさあ」
 笑いを堪えてるのはあんただろうが。
 いやでも山岸さんも笑っただろう。四課といえばマル暴(暴力団対応の課)だ。普段から関わり合いがあるからあの人が連絡してきたんだろうが…………なんか、余計恥をかいた気がする。あの人も俺のことよく知ってるし。
「本当になあ」
 黙って俺たちのやりとりを見ていたおやっさんが、溜息とともに吐き出した。
「お前、ヤクザ向いてねえぞ」
「見捨てないでくださいよおやっさん!」
 俺の夢はインテリヤクザになること。
 三つのガキの頃からもう二十年来の夢だ。発端は目の前のおやっさん。
 実の親父がおやっさんと親友だったそうで、俺は赤ん坊の頃からたまにくるおやっさんにかまってもらっていた。親父はカタギだったが、俺は粋なおやっさんにすっかり心酔してしまったのだ。
 病気がちだった親父が中学のときに死んでしまうと、保護者として俺を引き取ってくれたのもおやっさん。「おめえは頭がいいんだからヤクザにならなくともカタギでやっていけ」と大学まで出してくれた。
 しかし俺のほうはハナっからおやっさんの手助けをしたくて大学まで行ったのだ。他の組とショバ代狙ってドンパチなんてのは稀なことで、普段はヤクザも事業主、経営の腕を磨けばおやっさんの役に立てると踏んだ。実際それは間違っていなかったし、儲けも確実に上がってる。
 が。
「そうは言うがな……おめえ、男好きしそうな女子高生が夜に繁華街をうろついてたらどうする?」
「危ねえから家に帰れと説教する」
 思わず即座に答える。おやっさんは頷く。
「弱っちそうな奴がカツアゲされてたら?」
「弱いもの虐めする奴はぶちのめして金を取り返してやるっ」
「ガキにヤクを売ってる売人がいたら」
「ヤクに手を染める外道なんざ東京湾にコンクリ詰めだっ!」
 拳を固めて叫んだ俺にうんうん頷いたおやっさんは、やっぱり溜息をついた。
「……なんでお前は警察官にならねえんだろうなあ……」
 我に返って俺も肩を落とした。
 確かに俺はヤクザの規格からはずれているかもしれない。
 畳みかけるようにおやっさんが呟く。
「下着ドロやら痴漢やらを見つけたらとっ捕まえて警察に突き出すし」
 それは一回目と二回目の投書のネタ。ちなみにどちらも通勤路のことだったので、後日待ち伏せにあってお礼もされた。下着ドロの被害者だったクラブのホステスさんは組の傘下の店に移っても来た。……どうも狙われているような気がするんだが気のせいだろうか。
「受験生が受験票落として半泣きになってたら一緒に雪の中探してやるし」
 それは三回目の投書のネタ。ついでに受験校まで車で送ってやったら偶然にも俺の通っていた大学で、その投書から教授たちにすぐ俺だとばれて、件の受験生からは礼状と菓子折が組宛に 届いた。
「万引きしていた中坊に教師顔負けの説教しては更正させるし」
 それは四回目の……ああもういい。
「表彰状だって山ほど持ってるし」
 ああ持ってる、持ってるともさチクショウ。
 投書されるのは俺の素性がばれていないからだ。その前は学生で制服を着ていたので一発でばれ、投書以前に学校に表彰されてしまっていたのだ。いっそ捨ててしまいたかったのだが、おやっさんが「人からもらったもんをむげに扱うもんじゃねえ」と言ったので綺麗に保管してある。
「誰がどう見たってヤクザにゃあ向いてねえ。悪いこた言わん。早いとこ諦めて第二の人生考えちゃどうだ」
 こんなこと諭されるのは俺くらいじゃねえだろうか。
 なんだかもの悲しくなってきた。
「俺、おやっさんの役に立てねえんですか……」
 今だってちゃんと稼ぎを上げていると自負していたのに。
 うなだれる俺に、おやっさんと徹は慌てたように首を振った。
「そういうこっちゃねえ。お前はよくやってくれてるさ」
「そうそう。頭もいい腕っ節もいい顔だって悪かねえ。お前は立派な男だ、俺も保証する!」
「じゃあなんでヤクザになれないんです?」
 「極道は男の中の男。いわば漢だ!」と常日頃から胸を張る二人は、俺の疑問に笑顔を強張らせた。
「俺、おやっさんに育てられたんだぜ。極道のサラブレッドになってもいいはずだってのに」
「まったくなあ……なんでこんな正義漢になっちまったやら」
「おやっさんが躾けたんだって。『弱きを助け強きをくじく』って」
 それが漢、仁義ってもんだ、と言われたもんだから素直にそうかと感動し、それを実践するべく行動し続けてきたら……こうなったのだ。元凶はおやっさんだろう。
「いや、普通にもうちっと曲がって育つと思ってなあ。ここまで素直にまっすぐに育つとはまさか夢にも思わなんだ。参った参った」
 参ったのは俺だ。
 おやっさんの期待通りに育ったはずなのに、極道に不向き(どころか警察に最適)に育ってしまったのは何故だ、おやっさん。
 普通は極道から足を洗うことが大変なはずなのに、その逆がものすごく難しいとは。
 頭さえクリアすれば、夢は叶うと信じていたところでこのどんでん返し。誰かどうにか俺を堕落させてくれないだろうか。
「というわけで、カタギになれ、巧。心配するな、カタギになったらお前は文句なしにいい男だ。手はじめにお立ち台に上ってこい」
 にこやかな笑顔で渡されたのはメモ用紙。表彰式の日時が書いてあった。即座にそれを握りつぶし、ゴミ箱に剛速球で投げ入れた。
「いーやーだー! 俺はインテリヤクザになりたいんだっつーの!!」
「「無理」」
「声を揃えるな肩を叩くなこっそり吹き出すなー! 今に見てやがれー!!」
 絶対絶対インテリヤクザになってやるんだからなー!

 


<終>

 

 []  [小説]


 

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