インテリヤクザになる方法2



 第一志望校の入試の日のことでした。
 明け方まで降り続いた雪のため、滑って転ぶという受験生にあるまじき失態をしでかした僕は、その失態を取り返そうと通り道の神社に行って気づいたのです。
 受験票が、ない。
 倒れそうになりながらも慌てて神社の石段を駆け下り、今来た道を辿りました。おそらく転んだところに落ちているんでしょうが、気は抜けません。目を皿のようにして(もう気持ち的には四つん這いで行きたいくらいでした)地面を睨みつけながら歩いていると、人とぶつかってしまいました。
 これがまた見るからに間違いなくアレな方。因縁を付けられて有り金巻き上げられるか半殺しにされるか、と更に血が引いたときです。
「どうした、死にそうな顔してるぞ、何かあったのか?」
 本当に心配そうな声で尋ねられ、まさか、あなたに殺されるかと思いました、とも言えず、つい正直に「受験票を落として」と答えてしまいました。するとその男性は「受験票? 大変じゃねえか!」と目を吊り上げて詰め寄ってきました。
「この辺で落としたのか!?」
 あまりの迫力に頷くしかない僕に、男性はそうか、と頷くと僕と並んで歩き始めたのです。
 正直言って、ありがたいとは露ほども思えませんでした。こういう風体の人は、他の人のように見ないふりで通り過ぎていってくれたほうがよほど嬉しいんです。親切にされているのか脅されているのかわからないような気分でカチコチに固まりながら道を歩いていました。
「お、これか!?」
 僕より先に見つけてくれ、雪を払って差し出してくれたときは、さすがに本当にほっとしましたけど。
「で、だいぶ時間食ったけど大丈夫なのか?」
 かなり余裕をもって家は出たんですが、神社に寄ったので相当なロス、時計を見た僕は再び青ざめました。予定していたバスは五本ほど前に行ってしまったし、次の発車時刻は不明、運よくすぐに乗れたとしても間に合いません。
「やばいんだな、よし、来い」
 もう抗うだけの力もない僕を引きずり、彼はまた道を戻り始めました。急ぎ足で歩いて数分。目的地にあったのは黒塗りのセダン。
「さあ乗れ」
 ……どこに売り飛ばされるんでしょう?
 言われるままに乗り込むと、彼はシートベルトを締めながら(締めたんです、ヤーさんなのに)大学名を尋ねてきました。答えると彼は何度か目を瞬いてから、
「あー……ちょうどいいっちゃあちょうどいいか。そこなら任せろ、裏道も完璧だ」
 バリバリと頭を掻いて頷くと、制限速度を守りつつ試験会場まで送ってくれました。本当に裏道を駆使して連れてきてくれただけあって、時間にはゆとりがあったほどです。
「ありがとうございました」
 下げた頭の片隅で「一体いくら要求されるんだろう」と戦々恐々していると、彼は
「おう、頑張れよ! これだけ色々あっても間に合ったんだ、そんだけ運が良けりゃ絶対受かるさ!」
と笑って手を振ると、車に乗って去っていきました。まさか何事もなく去っていかれるとは思ってもいなかったので、呆気に取られた僕はそれをぽかんと見送るばかり。
 我に返ってようやく、彼が本当に親切心で受験票を探してくれ、ここまで送ってきてくれたのだと気づいて、もう恥ずかしくて悔しくてたまりませんでした。あんなに親身になって助けてもらい、激励までしてもらって、僕はただの一言も心からお礼を言うことさえできなかったのです。
 この手紙を読んでもらえるかわかりませんが、この場を借りて、お礼を申し上げます。あなたのおかげで志望校にも合格することが出来ました。ご恩は一生忘れません。本当に、本当にありがとうございました。(I大 小谷 一(コタニハジメ))


            *     *     *


「小谷って、あの投書の小谷?」
「はい?」
 講義が終わって十分後。
 その日最後の講義だったので馴染みのゼミ生たちと話し込んでいると、同じくゼミ生の田中と誰かの会話が聞こえ、全員がそちらに注目した。
 田中と話しているのは、平凡だが見覚えのある顔。初々しさからいっておそらく今月入学したばかりの新入生だろう。そういえば新入生挨拶をしていたのがこの顔だったかもしれない。トップ入学の一年生がこの講義を受けようとしているとは末頼もしい。
 そんなことを頭の片隅で考えながらも、教授含めて全員の興味は田中たちの会話に集中していた。
「三月に新聞に投書しなかったか? 受験票落としたって。うちの大学のはずなんだけど」
「あ、僕です」
「やっぱり!?」
 田中は顔を輝かせて身を乗り出す。それに驚いた小谷が救いを求めるように周囲を見回すが、新聞に載ったその日から捜していた人物の発見とあっては、全員興味津々で小谷を見つめるばかりだ。
「あ、あの……?」
「送ってくれた人さ、あれだろ、ちょっとべらんめえ口調でオールバックの、派手なシャツの上から黒のロングコート着た人だろ」
「え!? ご存知なんですか!?」
 今度は小谷のほうが身を乗り出した。
 が、その人物を見知っている面々は「やっぱりー!!」と腹を抱えて大爆笑だ。
「絶対そうだと思った! やっぱな!」
「タク先輩しかいねえよな!」
「やっぱりあいつだったか」
 机をバンバン叩いて笑い転げる田中たちと一緒になって、笑顔でうんうん頷いて納得してしまう。
 目を丸くしている小谷に、教授は笑いながら教えた。
「小谷を助けてくれた人はな、ここの卒業生だ」
「ええええ!? 本当ですか!?」
「ああ。あれほど個性的な人間はそうそういないだろう、間違いなく八幡巧(ヤハタタクミ)だ」
「八幡さん! 素敵な名前ですね!」
 田中たちは笑いすぎて苦しそうに引くついているが小谷はまったく気にしない。
 ……小谷も実はけっこう個性的では? と内心疑問を感じながら、教授は頷いた。頷くしかないだろう。小谷の目は異常にきらきらしている。
「有名な方だったんですか?」
「それはもちろん。なんせ、うちを卒業して進路が迷いなくヤクザだからな。在学中からああいうファッションだったし」
 それなりにネームバリューのある大学なのだ。半数以上は一流企業に就職する中、けっこう成績の良かった八幡はきっぱりと「阿佐比組に就職する」と断言し、実行した伝説の人物だ。
 もちろん、言動も有名だったが。
「あいつはなあ。外見はもろにヤクザだが……中身が警察官だからなあ」
 そのギャップはけっこうすぐに知れ渡った。
 入学式の翌日、食堂で割り込みをした上級生を説教したので。
「むしろ八幡の方が割り込みしそうな外見しているじゃないか。それが律儀に人の後ろに並んで、知らない子が割り込みされてるのを見ては『順番も守れねえような奴は幼稚園からやり直して来い!』って怒鳴ったんだよ。あれで一気に知名度が上がったな」
 特に、上級生のお姉さま方からはなんだか面白がったアプローチを受けるようになり。
 そこでまた八幡の「漢」っぷりが目に見えるようになったわけだ。
「あいつ、いつの時代の男だって感じでなあ。女性は守るもの、って信念があるらしくて。重い荷物持ってたら『女がそんなもん持っちゃ、体に悪いぜ』とかなんとか言って家まで送って行っちゃったりするんだよ」
 それだけだと男女差別だとかでうるさい女性には嫌われそうなものなのだが、八幡は能力的には男女の区別はつけなかったものだから嫌われることもなかった。いわく、「身体的に作りが違うんだから区別はするが、差別はしない」ということらしい。
 認めて欲しいところでは認めて、なおかつ女性らしさを尊重してくれる八幡に、今まで頭の良さが災いして男に縁がなかった女生徒も(うちの大学はそういう子が多い)かなり本気で参っていた。
 あれは天然の女たらしだと思う。
「じゃあ随分おモテになったでしょうね!」
 きらきらお目めの小谷が尋ねるので、教授は頷いた。
「モテたモテた。顔もけっこういいからな。しかし家業が家業だから、想っている分にはいいが実際にアタックするとなると尻込みする子ばっかりで」
「えー、いましたよーたくさん」
「そうそう、今まで勉強一筋だった人ほど惚れこんじゃってタク先輩一筋になってましたもん」
 笑い終わった田中たちが口を挟んできた。
「でもぜーんぶタク先輩断っちゃったんですよ」
「そうそう、先輩の名言集!」
 田中が楽しそうにゴソゴソと鞄から手帳を取り出す。
 そんなものを作っていたのか。
 気持ちはわかるが呆気に取られる教授を尻目に、田中は周囲の期待の目を集めながらページを繰る。
「あった、女性を断るときの名台詞! ……『すまねえが、俺の家業にあんたを巻き込む覚悟が俺にはねえんだ。あんたはカタギの世界で幸せになるほうが似合ってる、見る目のねえ俺なんかやめて、もっといい男を捜してくれ』」
「かっこいいーーーー!」
 かっこいいと言いながら大爆笑だ。断り文句を初めて聞いた教授のほうは開いた口がふさがらなかった。
 八幡よ、お前は本当に天然でキザだったんだな……。
 八幡は一本気な分、冗談やお世辞が言えない性質なのだ。間違いなく本気で、真顔でそう断ったのだろう。しかし。
「それは…………余計深みにはまるんじゃないか?
「そう! そうなんですよ教授鋭い! 逆にこれでファンが増えたんですよ!」
 腹を抱えて笑いながら、田中たちは涙目でコクコク頷いている。
 そうだろう。ただでさえ男に免疫のなかっただろう女の子たちだ、キザな台詞を本気で言われたらひとたまりもあるまい。
「そしてそこで再び名台詞! 『自分を安売りすんな、住む世界が違うんだ、気持ちは嬉しいが、諦めてやってくれ』」
 あれだ。
 一昔前の映画の海の男だ。
 港で別れを告げて去っていく男の背中を泣いて名を呼びながら見つめている女性……というワンシーンが脳裏をよぎる。
 それを素でやる八幡はある意味尊敬に値する。自分にはまずできない。
「それで、収まるのか?」
「女の人のほうも先輩を困らせたいわけじゃないんで、諦めますけどね。でも、一人が諦めるそばから先輩は他の人を引っ掛けちゃうんですよ。それでもう、入れ替わり立ち替わり」
 なんて罪作りな奴だ。
 ゼミの中では数少ない女性である鈴木が、笑い含みで口を開いた。
「あたしタク先輩に真剣な顔で言われたことあるよー。先輩、全然自分のことわかってないからすっごい不思議そうに『なんでみんな俺に告白してくるんだ? ヤクザが珍しいのか? 岩下志○のファンとかか?』ってー」
「天然ー! ありえねえー!」
 天然の王子様は実際に存在すると何故か三枚目に成り下がるらしい。
 それとも八幡だから「面白い」と認識されてしまうのだろうか。それはそれで不憫な話だ。
「八幡さんと直接話したことがあるんですか!?」
 存在を忘れつつあった小谷が何故か興奮したように尋ねた。
「あるよ、そりゃあ。だって俺らゼミ一緒だったもん」
 ね、先生、と話を振られて教授も頷く。
「八幡は本当に外見に反して真面目ないい奴だった」
「じゃあ八幡さんは経営が専攻だったってことですか!?」
「ああ。家業の助けになるからってな。あいつならいい経営者になるだろう」
「先輩、頭も良かったですもんねえ」
 隣で田中たちも相槌を打つ。
「お前たちはよく八幡にレポートを手伝ってもらってたよな」
「そうそう、いっつも締め切り間際に先輩を頼って怒鳴られてたよねー」
 教授にじろりと睨まれ、鈴木に笑われて、田中たちは体を縮める。
 「親に高い金払ってもらってんだからちゃんと勉強しろ! 遊ぶのはそれからだ!」と毎回怒鳴りながら、八幡はきっちり後輩たちを机に向かわせていた。義理人情にあついうえに面倒見もよかったのだ。
 そのうえ目上の者にはとても礼儀正しく、日々の挨拶、気配りはもちろんのこと、筆で書いた達筆な年賀状と暑中見舞いまで毎年届いていた。おそらく今年も届くだろう。八幡は本当にいい奴だった。
 そんな話を、なんだかショックを受けたようにぼんやり聞いていた小谷は、我に返ると全身にぎゅっと力を入れて叫んだ。
「八幡さんと直接触れ合えるなんてっ……もう四年っ、いえっ、一年でも早く生まれていたらっ!」
「…………おーい、小谷くーん?」
 握った拳をふるふると震わせて悔しがる小谷に、笑ってばかりだった田中たちもさすがに異変を感じ始めたらしい。訝しげにその顔を覗き込むが、小谷はまったく頓着しない。
「僕があのときあんな偏見なんて持ってなかったらっ……外見に左右されるなんてなんてバカなことをっ」
「いやまあ、普通はあのスタイル見たら引くって。それが普通だって」
「人は中身ですよね! ヤクザだろうが犯罪者だろうがいい人はいい人なんですよね!」
「いやそれは確かに理想だが現実的にはマズイからっ。待て待て小谷、正気に戻れ!」
 かなり危険なほうに転がり始めた小谷の独白に、田中たちも危機感を煽られたらしい。このままではその辺に歩いているヤクザにも笑顔で話しかけそうな小谷の肩を、焦りもあらわにがっしりつかむ。
「ちょっと考えたらわかるだろ、あれはタク先輩が例外中の例外なんだって! あんな人他にいないって! な!?」
「僕は間違ってました! 職業に貴賎はない! ですよね、先生!」
「こんなときだけ私に振るな! 貴賎はないかもしれんが、普通のヤクザと八幡を同列に扱うことだけは確実に間違ってる!」
「ああそうだ! 八幡さんは特別な方ですよね!」
 ようやくわかってくれたのか!
 安堵のあまり全員でうんうんと勢いよく頷く。
 それを見た小谷はこの上なく輝く笑顔で断言した。
「決めました! 僕は八幡さんについていきます!」
「……ん?」
 ついていくって?

「卒業したら同じ阿佐比組に入ります!」

「………………なにーーーー!?」
 何を言っているのかわからなかった沈黙の後。数拍おいて全員が叫んだ。
 しかし小谷は気にも留めてくれない。
「僕、自分のあまりの個性のなさに絶望していたんです……それなのに八幡さんのあの目を瞠るような個性の輝き! あんな特別な方に出会えるなんてこれは運命です! 僕はあの方を目指して阿佐比組に入ります!」
 小谷は本気だ。
 全員の血の気が引いた。
「待て! 人生投げるな小谷! 運命じゃない偶然だ偶然!」
「タク先輩は特別じゃなくて特殊なのよ! っていうか、君も十分個性的だから!」
「確かにタク先輩はいい人だけど目指す相手としてはなんか違うだろ! もうちょっと無難なとこにしとけよ!」
「ほんっとうにいい方ですよね!」
「他はザル耳か! ちゃんと聞け小谷! 若い身空でそんな間違った方向転換はよせ!」
「ああ、この大学に入れて本当に良かったっ……!」
「実感するところが間違ってるんだよ! 教授! なんとか言ってやってください!」
「だからそういうときだけ私に振るな! 小谷、お前首席合格だろう! 頭いいんじゃないのか!?」
「首席ぃ!? マジで!?」
「成績がちょっと良くったって何の自慢にもならないじゃないですか」
「それが個性なんじゃないのか!?」
「あぁぁ頭痛ぇ……先輩といい小谷といい頭いい奴ってなんでこんなぶっとんで……」
「ちょっと田中くん! こういうときこそ活用しなさいよその名言集! いかにタク先輩が特殊な人かってことを知らしめるのよ!」
「ええ!? えーとえーと…………じゃ、じゃあこれ! ヤクザになりたい理由を訊かれたときの一言! 『男と生まれたからには男の中の男を目指す! 当然だろうが!』」
「当然ですよね!」
「ばっかやろう、逆効果だろうが!」
「えー!? 笑うところじゃねえの!?」
 深みにはめた田中を袋叩きにする先輩方を尻目に、小谷は拳を握り、一人宣言した。
「僕は開眼しました! 男の中の男を目指して精進します! そしてそうなれた暁には八幡さんの弟分に……! 義兄弟の契りなんて、極道の方々はなんて素敵な制度を作ってくださったんでしょう!」
 うっとりと表現するしかない眼差しで言い切った小谷は。
「では早速八幡さんに一歩近付くために真っ赤なシャツを買ってきます! 教授も先輩方もありがとうございました!」
「…………………………………………」
 「そうだ、住所もわかったことだし阿佐比組にお礼の菓子折りも届けなきゃ」という弾んだ声を残して去っていく。
 その背中を、全員無言で見送り。
「……………………田中、責任取れよ」
「俺のせいか!? タク先輩のせいじゃねえの!?」
「ばっかやろう、てめぇ、あれだけ先輩の世話になったくせに先輩に責任なすりつけんじゃねえよ!」
「この恩知らず!」
「男の風上にもおけねえな!」
 爆笑していたわりに、八幡の植えつけていった義理人情の精神はしっかり息づいているらしい、と、またしても袋叩きにされる田中をぼんやりと眺めながら教授は思った。


 素直な人間ほど豪快に道を踏み外すものだということを目の当たりにした教授、五十九歳の春(厄年)。

 第二の伝説が生まれる日は近いらしい。

 


<終>

 

 []  [小説]


 

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