| 治療日数 | |||
|---|---|---|---|
| 初診〜 | 告知〜 | 手術〜 | 日付 |
| 0日目 | 2001.08.29初診 近医で子宮がん検診(細胞診) |
||
| 8日目 | 2001.09.06 細胞診の病理結果発表(IIIa) 紹介状渡される |
||
| 9日目 | 2001.09.07 市立病院で再検査(細胞診と組織診) |
||
| 23日目 | 0日目 | 2001.09.21がん告知 組織診の病理結果発表(浸潤癌) |
|
| 27日目 | 4日目 | 2001.09.25 国立がんセンターで再々検査(細胞診と組織診) |
|
| 34日目 | 11日目 | 2001.10.02 組織診の病理結果発表(浸潤癌) 円錐切除決定 |
|
| 37日目 | 14日目 | 2001.10.5 精神科受診 |
|
| 51日目 | 28日目 | 2001.10.19 円錐切除(術後18日目に大出血/2001.11.05) |
|
| 64日目 | 41日目 | 2001.11.01 円錐切除の病理結果発表(断端陽性) 広汎決定 |
|
| 111日目 | 88日目 | 0日目 | 2001.12.18 広汎全摘 |
| 136日目 | 113日目 | 25日目 | 2002.01.12 退院(入院日数29日) |
| 183日目 | 160日目 | 72日目 | 2002.02.28治療終了 広汎の病理結果発表(転移なし) |
| 術後回復メモ | |
|---|---|
| 術後4日目 | はじめての一服 |
| 術後5日目 | 流動食 |
| 術後6日目 | 五分粥 点滴抜去 |
| 術後7日目 | 全粥食 |
| 術後8日目 | 常食開始 半抜鈎 モルヒネ抜去 |
| 術後9日目 | 全抜鈎 初排便 |
| 術後10日目 | リンパ排出用ドレーン抜去 |
| 術後11日目 | 初シャワー |
| 術後15日目 | 導尿チューブ抜去 排尿訓練開始 |
| 術後21日目 | バスタブに浸かった。階段を下った |
| 術後26日目 | 退院 |
| 術後35日目 | 小走りが出来た |
| 術後3ヶ月目 | 全速力で走れた |
| まとめ |
|---|
|
近医で行った細胞診の結果はIIIa(軽度異形成)だったけど、患部を直接診てくださった先生の長年のカンで「円錐切除が必要だと思う」と言われ、即紹介状を渡された。先生ありがとう。 0期(上皮内癌)で円錐切除だけなら最寄の市立病院で治療を受けようと思っていたが、「I期以上(浸潤癌)」という判定だったため、「県立がんセンター」宛の紹介状を即書いてもらった。一瞬、最寄の大学病院にしようかとも考えたが、医師の「癌なら『がんセンター』のほうがいいと思う」という一言で決定。 自宅でインターネットによる情報収集を行った。 実母の親友が国立病院医師夫人なので、相談してもらった。そしたら「癌なら築地の国立がんセンターがいいと思う」との意見だったので、築地の国立がんセンターを受診することに決定。 そして国立がんセンター婦人科の初診で、「検査の結果は聞きたくありません・・・」とアホなことをほざいた。 自分の病気に対する認識が足りなかったためか、入院待ちの期間は心身症になったりで大変だった。身辺整理とか大掃除とかお墓参りをした。インターネットでホスピスも決めた。「結果が悪くて退院できないかもしれない」と思った。化療のためのバンダナを用意した。他にもデパートで入院に必要なものを買う。妥協せず、気に入ったものを揃えた。 折に触れ、自分の体内に宿った癌細胞に語りかける。「あなたが無尽蔵に増殖し続けると、あなたの為にもならないから増えちゃダメ。おとなしくしていてね。」 一週間の検査入院(円錐切除)があり、運が良ければ治療完了もありえたが、そうは問屋が卸さず、確定診断の判断材料にしかならなかった。後遺症の残る手術(広汎子宮全摘出術)を受けねばならないことを宣告される。 そんなに大きな手術をしなければ助からないなんて・・・。でもそれで治るんなら仕方ないか・・・。 2度目の入院待ちの間、子どもを預かってもらうための学童保育の入所手続きをしたり、入所に必要な物品(防災頭巾とか)を用意。 手術の日程が決まり、早く済ませたい気持ちと、逃げ出したい気持ちとが交錯。でも逃げるわけにはいかない。 退院後、ホームページ作成に着手。Yahoo!カテゴリに登録されることを目標に頑張った。目標はあっさりクリア。 そうだ、自分にご褒美しよう。と思い立つも、物欲が消失していることに気付く。。だって「生きてるだけで丸儲け」・・・ですよね! といいつつ・・・ |