タフに、明るく「脱会社」を指南

 92年12月、結成大会に集まったのは、たったの7人。それがいまや、200人以上に膨れ上がった。結成以来、中高年サラリーマンから1400件もの相談を受け、1つひとつ丹念に対応する。リストラのうねりの中、全員参加の組合活動が休みなく続く。

 「ニューズレターをつくったら、切手くらい貼るの当たり前でしょう」 「指示待ち人間じゃダメだよ」 「ちゃんとした会社なら、あんたクビだよ」 (笑い)
 「そうそう、クビにしないような会社なら、見込みないよ」 (笑い)
 「だから、クビ切られてここにいるんじゃない」 (爆笑)
 全労協・全国一般東京労働組合「東京管理職ユニオン」 の争議対策会議。真剣な話し合いの間を縫うように、笑い、爆笑、また笑い。参加者のほとんどが、解雇されたり、解雇寸前の管理職たち。強風に吹きとばされそうな中高年から、一瞬の間、悲壮感が消える。対策会議というよりは「生き方再発見の会」といった趣き。実に楽しそうなのだ。
 管理職ユニオンは個人加盟の労働組合。メンバーの大半は、その名の通り企業の管理職。会社単位の労働組合では経営側の利益代表者とみなされ非組合員だった人たちだ。終身雇用・年功序列神話が脆くも崩壊したその時、これまで会社に尽くしてきたはずの中高年管理職には、自分の身を守る手段がなかった。管理職の働く権利を守る。その一点で管理職ユニオンは立ち上がった。

 93年末、中高年決起

 93年12月設立。この年の春、NTT(日本電信電話) と日立製作所が大規模な合理化計画を発表、前年冬にはパイオニアが32人の管理職を指名解雇していた。
 設立の立役者は、現書記長の設楽清嗣さん (53歳)。「中高年を対象にしたリストラの大波はすぐそこまで来ている」。全国一般東京労働組合の専従で、長く労働運動に携わってきた設楽さんが、いち早く時代を察知し設立を呼びかけた。
 結成大会は時代を象徴していた。その日までに集まった管理職はたったの7人。ほとんどは設楽さんの知人だ。外部からの応援が7人。それに対し、新聞、テレビ、雑誌とマスコミ関係者は30人も押し寄せた。
 報道が日本を走る。途端に組合の電話回線はパンクした。予想通り、問題はすでに深刻になっていた。
 設立から一年半。95年5月末現在で組合員数は200人を超え、以来の相談は1400件にのぼる。相談内容の内訳は退職勧告が31%で最も多く、次いで解雇21%、配転・出向20%、降格・賃下げ19%と、中高年が追い込まれている状況を如実に表している。
 東京都板橋区。JR碕京線板橋駅の近くに事務所はある。この2月に間借りしていた東京労働組合から独立したばかり。10坪ほどのスペースに、組合員が10人も集まれば、熱気で室内はむんむんする。
 労働組合といっても専従者はいない。上部団体の東京労働組合専従の設楽さんが、本業そっちのけで東奔西走。それを組合員がサポートする。電話番、ニューズレターの発送、来訪者の応対。解雇や退職勧告、無理な配転など、深刻な問題を抱える組合員たちが交代で働く。
 管理職ユニオンの指針ははっきりしている。
@「一人ひとりのテーマを丹念に解決していくこと」。そのため効率は無視する。個人加盟のため、問題を抱えた人しか集まらないから収入は少なく、仕事と経費は多い。が、それにあえて挑戦する。
A「一人ひとりの『わがまま』 を尊重する」。一人に全体が振り回されることをいとわない。全体の利益を尊重し、個人の意見を封殺するのでは会社と同じ。互いに自分の意見を主張することで、みんな元気になる。これまでの労働運動とは適った実験だ。
B「代行主義、権威主義、依存症から脱却する」。組合員が自分の問題を解決するため、執行部に頼りきり、全権委任するという関係をやめる。指導も救済も廃し、ともに考え闘うことを基本とする。

 抗議行動は全員参加

 方針を徹底するには、組合員一人ひとりに組合活動への主体的参加が求められる。既成の企業別組合のように会費を納めるだけというのでは、すぐに活動は行き詰まる。
 団交やビラ配りなどの抗議行動には、当事者以外の組合員の協力が絶対に欠かせない。管理職ユニオンは、それを実践する。
 争議対策会議。出席者13人。議題は、鳥取県に本社のある宝飾品会社元部長の女性Aさんの争議。Aさんは入社以来関東地区に勤務し、営業部長、教育部長まで務めた。家には病弱な母親と二人の子供。それが、突然の降格と鳥取本社への転勤命令。拒否すると、懲戒解雇された。
 「Aさんの抗議行動で今度の土曜日、ピラ配りに参加できる人」 設楽書記長の呼びかけに、さっと7、8人が手をあげる。 「来週は鳥取まで抗議に行くけど、10人はいないと格好つかないな。カニと酒付きでどう」
 笑い声とともに、やはり、7、8人が応じた。
 相談の半分以上は解雇と退職勧告、つまり、クビ切りに関するものだ。これに対し、管理職ユニオンは「退職届よさようなら、解雇通告よこんにちは」を金科玉条としている。退職を強要されても、退職届は絶対に書くなということだ。
 「退職届を書いてしまうと、交渉は難しくなる。退職の強制ではないという客観的証拠になりやすいんです。日本人は体面を気にするから、解雇は避けたいと考えるし、退職届をたたきつけた方が格好いいと思っちゃうんです。特に、自宅で書いたらアウト。後で退職届のサインを強要されたとも言えませんからね」一年半の活動経験から、設楽さんはリストラの対象になりやすい人を次のように分析する。
@四十五歳以上
A年収が中小企業で8百万円以上、大企業で1千万円以上
B性格が従順、忠実、消極的で言われたことしかしない人
C一言居士
のうち三点以上に該当する人は要注意という。つまり、中高年で高収入なら、消極的でもダメ、出過ぎてもダメということ。人間関係をすいすい泳いでいける人じゃないと危ないというわけだ。
 相談には深刻なものも多い。退職勧告を拒否したら、仕事を取り上げられ、レポート作成を命じられる。
 「私のセカンドライフ」 のようなテーマで何度も書かせられる。「普通なら一年も自宅待機になったら精神的なバランスを失うか辞める」 と嫌がらせを言われ続けている人もいる。

 「会社偏愛から脱却せよ」


 では、こうした危機は、どうやって乗り越えていけばいいのか。雇用関係以前に、問われているのは、その人の人生そのものだ。
 設楽さんは亭っ。「まず、会社への偏愛から脱却することです」。長く会社に尽くしてきた人は、自分の境遇を受け入れられない。退職勧告されてもなお、自分は会社に役立つと考えてしまう。「これじゃ、人生の再設計どころか、会社との交渉もできない。僕が 『お前は不要だって言われてるのがわからないのか』 って、怒鳴らないと気がつかないんです」。
 会社に尽くした揚げ句のリストラ。退職後、どう生きていけばいいのか、戸惑う人は多い。設楽さんは、会社偏愛の脱却の次に必要なのは「自己の相対化だ」と続ける。
 「まず、被害者意識を拭い去ること。偏愛から覚めると次には、会社への恨みが出てくる。ここで、半生を振り返り、自分も加害者だったことを反省してみることが大事です。管理職として部下のクビを切ったことはなかったか、家族や地域を顧みず会社にしがみついていなかったか、仕事のほかに何かできることはあるか。仕事と自分、会社と自分、家族と自分の関係を見つめ直す。これができないと、リストラのショックから立ち直ることは難しい」
 管理職ユニオンが強調するのは、「脱会社人間」ということだ。会社人間から脱却しなければ、会社がなくなった後の人生を生きる「新しい自己」 は発見できない。ユニオンには月に一度の交流会がある。また「会社社会を考える会」 「明るい死に方を語る会」といったサークルもある。会社中心の思想にどっぷり洗脳された頭を、仲間との議論の中で洗い直していこうという趣旨だ。
 ユニオンを母体に新会社も生まれた。再就職が厳しい中、異業種の元管理職が集まり、経験を生かして新規事業をというわけだ。95年2月に有志で設立、有機栽培野菜の宅配、観葉植物のレンタルなど、さまざまな事業にチャレンジしている。
 阪神大震災に円高不況。失業率は史上最悪となり、リストラは止まらない。日本のシステムそのものが激変しっつある。そんな中で、管理職ユニオンは、図らずも「労働運動の最前線に立たされた」。
 大学中退と同時に労働運動に飛び込んだ設楽さんは「一番因っている労働者のために何をするか、これが.労働運動の基本」と力説する。しかし、既成の企業別組合の連合体は、しょせん、会社組織の補完機構でしかなかった。根底には会社が良くなれば労働者も良くなるという考えがあり、個人は置き去りにされてきた。
 「これじゃダメだ」。労働運動に就職して30年、設楽さんは、そう思い続けてきた。「どうすれば、会社から独立した労働運動が可能なのか」。管理職ユニオンの奮戦はまだまだ続く。

中高年むしばむ不況下のストレス


 団塊の世代に属するある証券会社の社員は、これまで本社の人事・総務畑を歩いてきた中間管理職だった。それが突然支店の営業職に異動になった。
 ヒラ社員への降格配転ではなく、ある程度リーダー的な位置づけでの異動だった。周囲からは 「飛ばされた」という見方をされたが、本人は慣れない仕事ながらも積極的に取り組み、営業の勉強をするなど努力を重ねた。
 しかし、初めての分野だけにそれほど成績は上がらない。一方、上司からは部下をうまく使って早く数字を上げろとプレッシャーをかけられる。元来がまじめな性格なため、これらが重なって考え込むことが多くなり、気分が落ち込んだ。疲れがたまり夜も眠れなくなった。
 そしてとうとう、うつ状態になり、家族に「会社にいけない」「会社を辞めたい」 と言い出した。そこで病気を理由に会社を数カ月間、休むことにした。休養後は仕事を減らし、役職も降ろしてもらうことで、なんとか会社は辞めずに復帰した。

 エリート銀行員の挫折

 ある都市銀行に勤める30代後半の男性は、業績低迷の中でノルマに追われ、うつ状態に陥った。もともとエリートで部下を指挿し、積極的に仕事に打ち込むタイプだった。
 支店勤務だった当時のことだが、バブルの崩壊とともに成績は悪化。これまでで初めての経験だった。人員を減らされる一方で、客先回りは強化しなければならない。強気に仕事をしてきた本人にとっては精神的にもつらかった。
 また、上層部からは融資先の開拓や預金獲得を迫られる。加えて長時間のサービス残業が日常化したことで疲労もたまり、うつ状態になった。「自分には能力がないんだ」。自責の念が強くなり、身動きできなくなった。
 ここ数年、こうした悩みを抱えて精神科医やカウンセラーに相談を持ちかけるサラリーマンが増えている。
 サラリーマンの心身のバランス崩壊は、バブル期には、過労死問題に象徴されるように、第一に過重な業務と長時間労働が背景にあった。まず、肉体が激しく消耗、これにストレスが加わり、精神的にも破綻をきたすといった例である。当時、ある建築会社の現場監督が激務の中で、工事を誤った責任を感じ自殺した。このケースのように、最悪の場合は、激務とノルマで自殺に及ぶこともあった。
 これに対して、ここ数年は、企業のリストラに伴う配転・出向などで仕事の中身が急変し、それに対応できなくなったことが原因となるケースが目立つ。また、不況の中、同じノルマにしても、成績悪化をどれだけ食い止めるか、マイナス面を少なくするかといった後ろ向きな仕事で消托する例も多くみられる。
 過労死問題などは、バブル崩壊以降あまり取り沙汰されなくなった感があるが、メンタルな危機の大きな原因であるストレスの問題が、依然として解決されていないのは間違いない。
 ILO (国際労働機関) の93年の年次報告は、仕事のストレスについてまとめているが、この中で、精神科医の報告として、日本におけるストレス問題の急増を紹介している。それによれば、この間題を抱えた患者の数は過去10年間で4倍にも増えている。
 仕事のストレスに関する問題が顕著になったのは、70年代後半の石油危機以降だといわれている。企業経営が厳しくなる中で、社員に負荷がかかった結果である。その意味では、昨今の状況と似ているが、最近の特徴は、中高年が強いプレッシャーを感じていることだ。
 会社一筋、仕事一筋で生きてきた中高年層には、変化に対応するのが苦手という傾向がある。

 強い若者、弱い中高年

 「いまの若い人は会社が自分を認めてくれないなら、さっさと会社に見切りをつける。これに対し、中高年は評価されないことに挫折感を覚え、悩んでしまう人が多い。バブルがはじけて、仕事でもより柔軟性を要求されるようになったが、中高年は対応できないことが多い」。毎年2、3百人のサラリーマンのカウンセリングにあたっている早稲田大学講師(臨床心理士) の高塚雄介氏はこう指摘する。
 また、中高年には、若い社員との考え方のギャップから「どう若手社員を扱ったらいいのかわからない」 という悩みもある。それがひどくなると、上司としての自信のなさからふさぎ込んでしまう。
  しかし、ベテランサラリーマンたちは、こうした内面の危機を表に出さない。「自分を抑えることに慣れているため、カウンセリングでも心の問題として話さない。身体に変調が出てから問題にするが、実は、その背後には精神的なストレスがある。そして、それを指摘すると一応は認めるが、なかなか根本的な原因を直視しようとしない」と高塚氏は言う。
 また、ストレス問題を研究してきた精神科医の墨岡孝・成城豊岡クリニック院長は「欧米企業では法律意識が強く、解雇にも慣れているが、日本の場合、それらの点でどうしても弱い」と指摘している。

サラリーマンの危機管理
その1(突然のリストラ解雇に最後の抵抗、出向4回の思い教訓)
その2(配転ショックで2度の辞表、失業給付も払えない、会社の不正を指摘懲戒解雇に)
その3(知識ノウハウで身を守る)
その4(タフに明るく脱会社人間を指南)