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幼い頃から、空を飛ぶ夢ばかり見ていました。 はじめて空を飛んだのは、3歳くらいの時のヘリコプターの遊覧飛行でした。 今でも、ヘリコプターに乗りこもうとした時の、すごい風にふきとばされそうだったことを 鮮明に覚えています。 この世界に足を踏みいれたのは、社会人になってからのことです。 学生時代の友人の知り合いが、パラグライダーの大会に出場する…というので、仲間4人でキャンプをはりながら 見にいったのです。 パラグライダーを一目見るなり、「これは観るスポーツじゃない。自分が飛ぶスポーツだ…」と思い、すぐに講習に通いました。 その後、パラから翼をハンググライダーに変え、ばりばりのコンペティターを(?)をしておりましたが、出産後はたまぁ〜に飛んでいる程度でした。 そして、第2子出産の為、長〜いお休み中に入り… 05年5月21日、5年ぶりになんとか第1回復帰フライトをしました。 |
![]() 一応今も、私の愛機よ | ラミナール12
1997年〜 当時最新鋭、コントロールが軽く、スピードもあり、申し分ないグライダーでした。 このグライダーで、1997年に開かれたコンペのいくつかでいい成績を残し、翌98年のランキングが、日本女子4位になりました。 出産で、女子の世界選手権には行けませんでしたが、10年フライトをしてきて、満足のいく結果になりました。 | |
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スーパースポーツ143
-ウイルスウイング- 1994年9月〜 コンバットとは、性格が違うグライダーで、コントロールが軽く、初心にもどって、練習するにはいい選択でした。 コンペで、遥か彼方を飛んでいるグライダーが見えるようになったのが、飛躍的な進歩でした。 グライダーの性能を落しても、成績が上がったことが皮肉でした。 | |
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COMBAT2
-エンタープライズウイングス- 1992年6月〜 直進安定性が強い分、曲がるのに気合がいりました。池田山で毎日飛んでいた頃、長時間フライト記録 をつくったり、クロカンに出たり…かと思へば、一緒にひっくり返ったり…まさに、天国と地獄を見たグライダー。 私のハング人生でもっとも危ない時代を共に生き抜いた、戦友です。 | |
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サイクロン
-ファルフォーク- 1992年〜 私にはサイズが大きかったので、翼面加重が軽いせいか、ぶかぶか飛んでいました。パラグライダーから転向した私には、あつかいやすい グライダーでした。 | |
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ファントム
-NOVA- 1991年6月〜 私物ではありませんが、当時勤めていたパラグライダーショップ所有のグライダーを、使わせて頂いておりました。大会中、八方尾根に山沈し、 自力回収してヒッチハイクでランディングに戻った思い出もあります。○ニーベンダーに高速で前を横切られ、潰されたと今でも思っています。文句を 言ってやりたかったけど、ドイツ語も英語も話せなかったので、せめて英語を話せるようになりたいと思いました。 | |
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アペックス
-ファルフォーク- 1990年〜 当時、ものすごく良く飛んだ、すばらしいパラですが、風にはとっても敏感で、多くの仲間が落ちました。潰れるのが恐かったので、地形や風向きを 真剣に考えながら、キャノピーを潰さないよう、命がけで飛びました。フラットスピンに入り、落ちそうになった事もありますが、目前でライザーがグルグル回っているのに気付き、掴んだら 止りました。 雲に吸い込まれそうになると、翼端を折って降下したり、フロントライザーをフットコントロールで加速するように改造してコンペに出ていました。 ゴールした時の感動は、忘れられません… | |
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アスリート
-ファルフォーク- 1989年10月〜 色がキレイで、とっても気に入ってたパラです。講習もこのパラで受けました。春までに、50本は飛んだかな… ログブックを探したら、もうすこしちゃんとコメントが 書けると思います。 | |
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