インプットとアウトプット

理想としては、犬が生まれた時から美容のツールを少しずつ与え続けるといいのですが、 日本のブリーディングモラルからするとまだまだです。
例えば人間の赤ちゃんは生まれた時から産湯につかり、だれもが優しくそーっと入浴させます。 それから毎日優しさに包まれながら入浴するので、その赤ちゃんが2才や3才になったときには パパやママとお風呂に入るのが好きになります。
これが犬となりますと飼い主さんはだいたいワクチンが終わった生後4〜5か月でトリミングショップにだすことが多いので、 それでは遅すぎるのです。
生後4〜5か月というとだいたい恐怖心が発達しはじめる頃です。
できればその仔犬が生まれて目の開かないうちから、 毎日遠くでドライヤーの音を聞かすとかピンブラシとまでいかなくても豚毛ブラシでなでてあげるとかいう様々な 美容のツールを仔犬に不可なく与え続けるのが理想なのです。(数は少ないのですが、そういうブリーダーさんもいます。)
また生態を扱っているところでは、この美容に少しずつ慣らすというチャンスが毎日あるわけですから、 パピーのうちに美容というツールに沢山慣らしておくと、その子がお客様のもとで育てられ、 成犬となってから再びトリミングとしてご来店いただいた際にはとても美容がやりやすく、作業効率も捗るのではないかと思います。
犬はだいたい生後8ヵ月までをインプットの時期と言い、だいたい8ヵ月までは人間に対して攻撃行動にはでないものです。
生後8ヵ月以降に今まで受けた経験を外にあらわすので、 生後8ヵ月に満たない子のトリミング中に甘がみをしたきたら、まださほどに痛くない噛み具合なので、 その甘がみを無視して美容をしつづけるとその子が生後8ヵ月以降に必ず本気で攻撃してくるものです。
その時の甘がみはその子にとってみれば必死な抵抗なので無理な美容をしなければいいのです。
生後八か月までに受けた経験を生後八か月以降に始めて表現するという理論を頭に残してパピーと接してあげてください。

陽性(積極的)と陰性(消極的)の繰り返しの危険性

グルーミング中にトリマーが犬に陽性を強化し続ければ、 その犬はグルーミング作業の許容量が増え、どんどん状態が良くなるものです。
それとは逆に犬に陰性を強化し続けてしまうとその犬のグルーミング中の状態は益々扱い難い子となりますが、 犬のグルーミングに陽性〜陰性〜陽性〜陰性を繰り返しても、その犬の状態は悪くなってしまいます。
陽性強化法は犬に対して「ノー」とも「いけない」とも言わない、その犬に陽性を与え続けるものなので、 今日のグルーミングでその子に対して陽性を強化し続け上手くいったとしても、 次回その子のグルーミングに担当者が代わり、そのトリマーさんがその子に対して陰性を入れてしまったら、 その犬はトリマーの何を信じていいのかわからなくなってしまい、 グルーミングのトリマーを信用とする許容量が益々狭まる事により状態が悪くなるものなので、 中途半端な陽性強化を犬に覚えてもらう事は危険です。
前途お話した様に、我々人間も犬も強化の原理からすれば、少しずつ前に進む事しかできないので、 あなた様のできる範囲で、またあなた様のお勤めになる職場の許される範囲で作業をして下さい。

音なき声

音なき声というのはその犬のトリミングテーブル上での体の傾け方やその犬の視線、 またその犬の足を持った時の視線や筋肉の膠着具合によりわかります。
犬の気持ちはその犬の視線の先にあると思って下さい。
足を持った時にその持った足をその犬が見るようであれば、その犬の気持ちは今そこを触ってほしくないと思っているのです。
その時ほど余計に柔らかい感触を犬に与えたり、違う作業に切り換えるとその犬は安心を覚えて 今まで抵抗していた作業が無抵抗でできる時が必ずあります。
コツはその犬がそのトリマーを安心であると理解するまでに柔らかさを作業を通じて伝えることです。
その犬をトリミングテーブルに乗せ、トリマーから一番遠い場所やおすわりをして隠れている場所、 またフセをして体に隠している場所がその犬が今最も作業をしてほしくない場所なので、その時ほど違う作業をし、 その違う作業でいかに優しさと柔らかさをトリマーの手の感触やブラシやコームを通して伝えるかによって、 その犬が安心を覚え、今まで隠している場所をトリマーがちょっと手を添えてあげるだけで、 その犬は受身の状態でトリマーに心を開き、その犬の意志で今まで隠そうとしていた場所をトリマーに向けてくれるものです。
この時もその犬がトリマーを安心であると思ってくれるまでいかに優しさと柔らかさを提供できるかで、 その後の作業の犬の状態の良し悪しが決まります。
トリミング中にフセをしてしまう癖のある犬にも同じ方法で対応できます。
犬がトリミング中にフセをしてしまうのは、殆どの犬が肥満や体力からの問題ではなく、 トリミング中に嫌だと抵抗することのできない犬が、このフセをすることにより精一杯の抵抗を示しているので、 その犬の作業でいかにトリマーやトリミング室が安心であると覚えてもらうかにより、 犬はトリマーがちょっとお腹に手を触れただけで自らの意志で立ってもらえるものなのです。
私は究極の攻撃性を持った犬をトリミングする時は、トリマーとして綺麗に仕上げなければならないとか、 何時までに仕上げなければならないという気持ちは一切なくしてトリミングを行います。
むしろその犬に対して、ごめんねとか嫌だったら抵抗して教えてね。 というくらいの謙虚な気持ちで犬に接しながら作業をしていくと、その犬の状態が良くなるものだと思います。

許されるところから少しずつ(1)

遺伝子疾患や病的疾患のある子を除いて、 極度にトリマーに対して攻撃行動を覚えてしまった子以外は(極度に攻撃行動に及ぶ子の対処方法は後で記します。) トリマーはその子の体のどこかは触れる事ができると思います。
特に顔やお尻、足先にトラウマのついてしまっている子が多いので、だいたいの子は背線部分ならば触れるのではないでしょうか。
その犬自信が「触ってもいいよ。」と許してくれる場所を柔かく優しさを手の感触に伝えながら時間をかけて触っていくと、 その子はそのトリマーを安心な人だと理解してくれて、今まで触る事を許してもらえなかった足先や顔を触らしてくれる様になります。
もしそれでもその子がまだ体の一部を触らせてくれなかったら、それはその人の手の動きが早かったり強かったりと、 その犬に対して無理を与えているか、まだまだその子が許してくれる場所で、 その子に安心をアピールしてほしいというサインだと思われて、 もう一度その子が認めてくれるまで柔らかさと優しさをアピールし続けます。
この一連の作業が私の行う美容の基本中の基本であります。 私はこの基本をシャンプーやドライヤー、カット、爪切りに至るまで全ての作業に応用し役立てています。
前途お話させていただいた応用とは、例えばシャワーは始めから勢いのあるシャワーを使わずに シャワーヘッドからだらだらと流れ落ちるくらいのシャワーの弱さにし、 その犬がシャワーの勢いを強くしても安心して受け付けてくれるまで、だらだら勢いのシャワーをあて続ければ、 その犬の許容量は増し、勢いのあるシャワーを受け付けてくれる様になるものです。
それでもシャワーを抵抗するのであれければ、小さなタオルで時間をかけてシャンプー剤を拭う作業をすればいいのです。
またそれでもシャワーがだめならば、その子の下地を作っている最中にシャワーの音を聞かせ、 シャワーは君に対して攻撃はしてこないと自然に覚えさせればいいのです。
また、ドライヤーでも最初から勢いのある風をその犬にあてるのではなく、その犬の表情や体の傾け方に注目して、 ドライヤーの風の強さと距離をその子が安心を覚えるところまでもっていき、その犬の許容量を少しずつ広げていけばいいのです。
爪切りにしても、いきなりバシッと爪を切るのではなく、 その犬の足をどういう角度と高さがその犬が許してくれる範疇なのかを観察しながら作業をしていき、 少しずつスライスして切ればいいのです。
顔部のカットも、ハサミを近づける角度や場所、 またハサミを持っていない手ではどの様な触れ方をその犬が求め認めてくれるのかを観察しながら、 犬に安心を与え続けるかによって、トリマーが作業しやすい形に犬が自らなってくれるものなのです。
体にバリカンをあてる時も、最初からオクシパットあたりから入れるのではなく、 尾の付け根あたりから並ぞりで犬の落ち着き方を見ながら徐々にオクシパット付近にもっていけばいいのです。

許されるところから少しずつ(2)

そんな悠長な時間はトリマーにはないというご意見も当然あるとは思いますが、 例えば今日の昼間に私が行ったパピヨンを例にあげてみますと、その子は攻撃性が強く、 飼い主の方にも頻繁に噛み付き、あまりにも攻撃性が強いために、他のトリミングショップからお断りを受けた子で、 本日私とは初対面の子ですが、私は前途お伝えした様な、 犬が認めてくれるまでトリミングの許容量を少しずつ広げていく作業に徹した結果、 一度も攻撃というスイッチが入らずに、二時間でそのグルーミングを終える事ができました。
たかだかパピヨンのグルーミングに二時間もかかったのかと思われるかもしれませんが、 私の経験では毛量の比較的多い子なので、今日の様な作業を続けていけば、 その子があと10回くらいのご来店のうちに、グルーミングの作業時間は恐らく40分程度で仕上げられると思います。
その日に行うトリミング頭数が多いために、そんなに時間はとれないと思うかもしれませんが、 やはり一頭の犬との長い犬生に付き合った長期的なトリマーとの付き合いを考えると、 今は時間がかかっても一年後には時間をかけずにグルーミングができるという 長期的な考えの方がそのお店自体も利益が上がるのではないかと思います。
それに陰性を入れ続けて、その犬がシニアとなり、グルーミング中の抵抗が危険な事に繋がるのでお断りをしてしまったら、 その子の残された犬生はどうなってしまうのでしょうか?
現代の犬は汚く臭い状態ではなかなか人に可愛がられないものだと思います。
その犬が天寿をまっとうした時に、飼い主の方から抱きしめられ見守られながらお星様となる事の手助けができるのも、 トリマーの大切な役目であると思います。
前途お話した様な悠長な作業をしているだけで本当に犬から攻撃されなくなるの?とお思いになるかもしれませんが、本当です。
私は犬から攻撃は殆ど受けずに毎日グルーミングをしています。
極度に人間不振な犬で、体のどこも触らせてくれない犬には、飼い主の方に説明をして、 その日はグルーミングをせずに、飼い主の方に毎日来てもらうか、 こちらから送迎の合間などにそのお宅へお邪魔をさせていただき、 その子の大好きな食べ物を与えるとかお散歩をして、 その犬がトリマーを受け入れる許容量を広げていく作業に徹していれば、 おそらく2〜3か月後にはグルーミングができるようになるものだと思います。
その様な行為をお客様がお認めにならない場合は、エリザベスや防刀グローブをしながら陽性を少しずつ強化していけば、 その子の10回〜20回くらいのグルーミングのうちに、お互いの気心も知れて、 ノーエリザベスで防刀グローブも使わずに作業ができるものだと思います。

強化の原理に基づいた陽性強化

”強化の原理”とは元々イルカのトレーニングからきた言葉で、哺乳動物であれば共通して使うことのできる考え方です。
強化の原理を簡単に説明致しますと『できない事もできるところから始めるとできる様になり、 できる事でもできない経験をしてしまうとできなくなってしまう』という考えです。
つまりできない事でもできるところから少しずつ自信をつけていくとできる様になるし、 その逆にできる事でもできない経験をしてしまうと、できたはずの事ができなくなってしまうという考え方です。
みなさんには子供の頃に体育の授業で習った跳び箱を思い出して下さい。
誰もが最初から八段の高さは跳べないもの、でも一段目から少しずつ跳べるという自信をつけていくと、 あれほどに怖かった八段が跳べる様になったという経験をお持ちの方も多いのではと思います。
それとは逆に八段を跳ぶ事のできる人が五段目あたりで転んでしまったら次に八段を跳ぶ事が怖くなってしまうと思います。
これが”強化の原理”の考え方です。
正を強化すれば正は発展し、負を強化すれば負が発展してしまうという考え方です。
私はこの考えを犬のトリミングにあてはめて応用し、毎日犬とのトリミングに活かしています。
そんな事を言われても犬に少しずつなんて、私達トリマーには時間がない、と思われていらっしゃる方も多いかと思いますが、 私の考えでは強化の原理に徹した作業をしていけば、その犬の来店回数が増えるにつれて、 トリミングの作業時間は短縮されるものと考えます。
例えば、Mダックスのグルーミングに最初二時間もかかったとしても、次回のその子のグルーミングには一時間半で、 そして来店回数を重ねるにつれて30分でグルーミングができるようになると考えます。
日々時間がないからといって犬に陰性を入れてしまっては、その子の来店回数が増えるにつれてどんどん状態が悪くなり、 結局長い時間をその子のために使ってしまい、作業効率が悪くなってしまうものと考えます。
強化の原理に基づいた陽性強化法の美容は作業効率を高め、トリマーさんの精神的、肉体的疲労を和らげ、 犬の負担をなくすものであると考えます。

口輪の是非

口輪を使う事はそれ自体犬に陰性を強化してしまう事になるので口輪は使えば使う程に犬の状態が悪くなるものと思います。
ただ口輪をしながら陽性を強化する事もできますので、口輪の使い方次第により犬の状態が良くも悪くもなります。
ただ口輪をしての陽性の強化のし方は非常に難しく、私は自信がないので口輪は使いませんし持っておりません。
そして私の手に噛み傷は一つもありません。
前途お話したような作業を犬の気持ちに同化する事に努めなが作業をしていくと噛まれないものなのです。
なんて生意気な事を申しましたが、私も駆け出しの頃は美容学校で教わった通りのやり方をし、口輪も使っていた経験があります。
その時はやはり手に傷は耐えなかったですけどね。
あまりに凶暴性が強い犬を相手にする時は、私も生身の人間ですから恐怖に脅えて足がわなわな振るえる時もあります。
その時私は口輪ではなく防刀グローブを使います。
防刀グローブとは文字通り刀や刃物を通さない手袋です。
もともと軍司用や警察の護身用に作られた物なのでその性能は完璧です。
犬の歯も当然通しません。 ただ噛まれた時に骨を圧縮される痛さは残りますが、極度に噛まれても致命的にはいたりません。
私が十年以上も前に防刀グローブを購入した時、右左両方で三万円くらいして、ちと高いとは思いましたが、 一生使える程に丈夫なので、非常に役立つ物かと思います。
それに防刀グローブはハサミこそ握れないもののコームやブラシならば 簡単に持てる程に柔らかい素材でできているので非常に便利だと思います。
一度、防刀グローブと検索してみて下さい。 ただ気をつけていただきたいのは、人はえてして防刀グローブなどの便利な道具を手にすると 作業が強引になりがちなので、防刀グローブを使った時程柔らかさと優しさをアピールしてあげて下さい。

上下関係と中立関係

トリミングにおいてトリマーが犬に主従関係や上下関係を振りかざすと犬は抵抗を示します。
作業犬ならば、明確な主従関係が必要ですが、愛玩犬の場合、 犬達はトリマーに対して厳格な上下関係は微塵も求めておりません。
皆さんのご経験から考えてみて下さい、トリミングの最中に犬に厳しく接した時程、その犬の状態は悪くなると思いませんか?
犬に厳しくトリミングをして、その時は従順さを犬が示したとしても、 その犬のトリミング回数が増えるにつれどんどん状態が悪くなるという経験をされた事はないでしょうか?
犬がトリマーの厳しさに堪えうる子ならまだしも、その厳しさというザルからはみ出てしまった子という子の末路は、 結局鎮静を投与しないとトリミングができなくなってしまうのを目の当たりにした事はありませんか?
特にパピヨンやマルチ、シーズー、コッカー、シュナウザーといった犬種は人から受けたトラウマを攻撃という形で 表現する子が多いために注意が必要です。
私は犬をトリミングするにあたり、その犬に対して中立である事、 もしくはその犬よりも私の方が下位にある事を示しながらトリミングしていきます。
そうすると犬は、このトリマーなら安心だと理解し、結果的に”あなたについていきます。”という主従関係が成り立ちます。
立場を変えて考えてみて下さい。
あなた様に誰かがこうして欲しいという要求を高圧的な態度で言ってきたら、あなたは言う事を聞きますか?
一時は、しかたないなと思いながら従ったとしても、二回目からは、なんとかその高圧的な人から逃れようとするか、 反抗に及ぶものだと思うのです。
それよりも優しさに満ちて、その人が真剣に自分の事を考えてくれる人ならば、その人についていこうと思うはずだと思うのです。
犬のトリミングでは同様の事が言えると思うのです。
ましてやトリミングに来る子達はトリマーにとって一緒に生活をする家族ではなく、 ほとんどの子が家族でもない一過性の関係なので、誰が一過性の人に対して高圧的な命令を聞きましょうか?
私のこの中立関係の考えに反論がおありの方はそれはそれでいいと思います。
前途お話した様に、私は皆さんに私の考えを強要するつもりはありませんし、皆さんは皆さんでこの問題提起を、 犬にその答えを求めて下さい。

ラルフ