招き声

 

私は読書が好きで、特に寝る前布団に入り、ブックライトだけでその本の世界に浸る一時がたまらなく好きでした。しかし、そんなささやかな楽しみでさえ奪われる出来事がありました。

 高校三年のある夜、いつものようにブックライトの中、少し開けた大きな窓に頭を持たれ掛け、読書に集中していました。窓を開けると細い私道になっていて、道をはさみ向かいにマンションが建っています。私の部屋は一階で、かなり大きなその窓からよく出入りしていました。その夜は小雨が降っていました。夜の静寂さもより一層で、心も穏やかでした。

 読書をはじめてどれくらい時間が経ったでしょうか、外で誰かの「鼻歌」が聞こえてきました。最初はあまり気にもしなかったのですが、いやに楽しそうです。その鼻歌は男の低い声で、どちらかと言うと甘い声でした。

「マンションの人かな?」

 読書をしながらぼんやりそんな事を考えていると、その声はもっと近くから聞こえて来る事に気づきました。

「マンションにしては近いな・・・・」

 何処だ?真上が兄の部屋だったので、兄が気分良く鼻歌を歌っているのかなと思い、また読書に集中しました。しかし、五分くらい経ったでしょうか、鼻歌はまだ続いており、再度読書を中断しました。今度はその声に集中してみました。どうも私の真後ろ、つまり頭のすぐ後ろで聞こえます。「友達が来てからかっているのかな?」とも思いましたが、その私道に入るには門を開けなければならず、その門は開ける時「キィーーッ」とかなりの金属音がします。静かな夜で、いくら小雨が降っていようと門の音も聞こえなかったし、まして足音などは全く聞こえませんでした。

「これはちょっと変だぞ・・・」

 私がそんな事を思った矢先、突然「さぁー、さぁー」と低い声が私を招きました。瞬間、頭の先から電気が走ったような衝撃でしたが、勇気を振り絞り、窓を開けざま振り返りました。

 案の定そこには誰もいません。ひどく怖くなった私は、しばらく動けずにいました。隣の部屋に祖母が寝ているのを思い出し「おばあちゃんの顔を見たら落ち着くかも」と起き上がりました。祖母は寝ていましたが、寝顔を見たらすぐにスゥーと落ち着き、冷静さを取り戻しました。その時、急にトイレに行きたくなり、用を済ませ部屋に戻ろうとしたのですが、不思議な事に襖が透けて部屋の中が見えます。もちろん部屋の襖は閉まったままです。何故か二重に重なった感じで見えるのです。呆気に取られていると、もうひとつの窓、隣家との隙間で人が一人横になってようやく通れる位なのですが、そこの窓が開いてゆくのが見えます。実際には閉まっているのですが、閉まっている窓と、開いてゆく窓が二重にダブって見えるのです。

 なんとその窓から「モヤモヤした人の形をした物」が入ってきました。それはグルグル部屋の中を歩き回っています。その足音、気配をはっきりと感じたまま私は愕然としてそれを見ていました。

「さっきの奴が入ってきてしまった!」

 私はどうしてよいか分らず、怖さで体が固まっていたのですが、どうした訳か突然激しい怒りが湧いてきて「この野朗!調子に乗りやがって!」と裂帛の気合を握り拳に込め、思いっきり襖を開けました。開けた瞬間、それまで独特で異様な気配を出していた物が、パッと消えました。

 普段と同じ部屋です。いつもの部屋、いつもの雰囲気、静かな夜でした。私は、すぐに布団を頭からかぶり、まんじりともせず夜が明けるのを待ちました。

 こうしてあの夜の事を振り返ってみると、何か分らない者にからかわれたのかな?と思うのですが・・。

 

 



工事現場半透明招き声終電坂の途中舞う声