今日はいきなりだが「ローリング・ストーンズ」について思うところを書いてみようとおもう。



そもそも私が現物を見た(聞いたとは書いていないここがミソ!)のは例の90年初来日の東京ドームでのコンサートである。
一応2度目?も福岡ドームで聞いているがその時の事はあまり印象に残っていない。
すでに1度聞きに行っていたので安心していたのだろう。

初来日当時はバブルの最後期という社会状況であった。わたしは広島に勤務していて
「ストーンズ来日か。チケットも手に入らんだろうし、しょうがないか。」
ぐらいに思っていた。
しかし、日増しに「現存する世界最高のライブバンド?」を見ておきたいという気持ちは高まり、
チケットを探したのだがすでに発売後で当然のごとく全て「SOLD OUT」。
ひょんなことから社内の広報部長?と雑談中、このチケットの話になった。

私:ローリングストーンズ来日えらい人気ですね。チケット手に入らなくて困ってますよ。
部長:ん!?ストーンズ?チケット?いくらでも手に入るよ。
私:またまたご冗談を。すでに発売後でプレミアム状態だし、ここは辺境の地「広島」ですよ。
部長:(きっぱり!)まかせなさーい。何枚でもOKよん。
私:・・・・・(まったく信じていない)。
部長:わたしがまた「ほら」吹いてると思ってるね。枚数言いなさい。ただし正規の代金は払ってよ。
私:では10枚お願いします(きっぱり!)。
(でもまったく信用していない。本当は自分の分1枚だけでよいのだが、まあ良いだろう。別に捌けば損するわけでもないし。)

こんなやりとりの中でとりあえず会話は終わりました。
1週間ほどしてこの雑談のことも忘れかけていたころ、わたしの前に一枚の厚めの封筒が。

部長:はい。取れたよ。チケット。現金と交換だよ。お金なければ他の人に行っちゃうよ。
私:そのまま静かに。他の人には黙っていてください。3分以内に金下ろしてきます。

ということで本当にこのプラチナチケットが10枚手元に転がり込んできました。
うわさではダフ屋での当時のプレミアム価格は1枚20万円。
ということは20万×10=200万円!?

早速東京の友達へTEL。
オーディオジャンク王を名乗る今、冷静に考えるとこのやりとりが非常に甘い!

私:今度休みとってそちらに行くんだけど泊めてくれない?
友人A:もちろん良いけど今回は何しに来るの?
私:実はストーンズのチケットが手に入って・・・
友人A:えーっ。うそだろ広島で!?もしかしてまだあるの?
私:実は全部で10枚。残りどうしようかなと思って。
友人A:ということは私の分はあるということか。しかし信じられん。
どうしても行きたい人いるんだけど分けてやってくれる?
私:まあいつもお世話になっているし、いいよ。

という会話を交わして30分。全てのチケットはなくなっていました。

週末小倉の実家に帰る用事があり、寮に置くのも無用心なので一応実家に持って帰ることに。

友人B:ストーンズのチケット持っているんだって?
私:ああ、あるよ。でも手元にきて30分でなくなっちゃった。
友人B:そうだろうな。しかし惜しい。夜、鉢巻してその間にチケット差した状態で飲み屋に行っておけば「入れ食い状態」だったのに。
私:なるほどそういう使い方もあったか。うーん残念。
友人B:はははは。まあ良いじゃないか。本物しっかり見てきてくれよ。

という会話をして、一応広島に帰りました。それから1週間位たって当日となりました。

朝起きて
「コンサートは夜だからゆっくり新幹線で行くか」
と用意していると・・・なんと、
「チケットが無い!」
顔から血の気が引きました。
「無い、無い、無い!」
落ち着いて考えてみると
「もしや実家の机の上では!?」

すぐ実家にTEL。

私:「机の上にこんな形の封筒ある?」
実家の母:「あるよ。」
私:「がーん。そこか。でもあってよかった。今から取りに帰るから。」
実家の母:「あんた広島じゃないの。」
私:「説明している暇は無い。とにかく取りに帰る。それからすぐ東京だ。」
実家の母「???」

というやりとりの後、なんと逆方向の新幹線に飛び乗り、一路北九州・小倉へ。
タクシーに飛び乗り、実家へ戻り、またすぐ小倉駅へ。そこから新幹線で逆方向博多へ。
ああ、東京ドームは遠い。物理的な距離はどんどん遠くなる。
福岡空港に着いたのはすでに午後3時前。果たしてコンサートに間に合うのか。

定刻10分前。会場近くの待ち合わせ場所で友人たちと落ち合いました。
どうやら間に合ったようです。しかし恥ずかしいので今日の出来事は友人たちには黙っていました。
本日は広島→小倉→博多→東京と日本を半周近くしてしまいました。

さてコンサート開幕です。あっ。ミックがでてきました。
一曲目「スタート・ミー・アップ」から総立ちの会場。
異様な盛り上がりを見せています。
キースがこれまた異様なオーバーアクションで観客に応えています。
コンサートはあっという間に終わりました。

帰り道、友人達は皆、興奮気味でした。

友人C:いろんな奴(芸能人)来てたな。斜め前に「KONISHIKI」いたろ。
その他全員:えーっ。全然気が付かなかった!

といった調子でそのあとはあまり覚えていないのですが食事を兼ねて行った居酒屋で果てることなく盛り上がりました。

で、ここまで書いたところで
このコンサート日記のどこがジャンク王的「ローリング・ストーンズ論」なのか?
ということですが私にも良く判らなくなってきました(汗)。

ひとつだけいえるのはこれだけの手間をかけて行ったコンサートですが損したと思わせることが全然無かったということ。
先ほども書きましたが個人的にはキースのギタープレイ。たまりませんでした。とにかく。見てるだけで。
キースはテクで言えば当然ロン・ウッド、脱退したミック・テイラーに表面的には劣っているように見えます。
が、そういう風に分析的に聞いてもキースの場合意味が無いと思われます。
キースのギタープレイを表す一番近い表現は普通「ヘタウマ」ですがその言葉一言で括るのは非常に危険だと感じます。
毎年スイスにて全身の血を入れ替えながら(うわさですよ?)プレイするキースの存在感はライブではとても大きかったです。
でもキースのソロ曲になるとみんな一息入れ、トイレへ行ったりするのですが(笑)。

音楽的にみて、ビートルズはもちろん凄いのですが「アビーロード」を最後にバンドは解散してしまいました。
ところがストーンズはメンバー交代を繰り返しながら70年代を乗り切り21世紀までやって来てしまいました。なぜ?
とにかくストーンズは名前の通り「転がり続けて」存在しているわけです。
リズム&ブルースを根元に「変化しつづける音楽」。ROCK’ROLLそのものではありませんか。
彼らの存在は日本人で言えば「黒人になれなかったでも日本人には聞きやすい久保田利伸」みたいな物ですか?ちょっとたとえが違うか(汗)。
また、いきなりですが私にとってのストーンズは「70年&80年代初頭」に尽きます。なぜかというとその頃の曲は今聴いても古く感じないですので。
MSウィンドウズのCM等で90年代に聞いた「スタート・ミー・アップ」がそのことを証明しています。
ただし、その70年&80年代初頭以降は、そのロックの変化の成功法則の中でシステム的に対応しているに過ぎないかもしれません。

私の大好きなスティーリー・ダンなんかもある意味同じ「変化」の手法のROCK’ROLLなのでしょう。
ドナルド・フェイゲンのJAZZへの傾倒は有名ですね。
もし彼らのアルバムを聞いてJAZZの影を感じることが出来なければあなたはリスナー失格かもしれません。

またキースのプレイだけでなくストーンズの音楽はオーディオ的(分析的?)に聞いても意味が無いかもしれません。
矛盾しているようですが先日出たSACDのリマスター盤を知り合いのところで聞いた時、なにも考えずに夢中に聞いている自分を発見しました。
余談になりますが私にとっての良いオーディオとはあまり分析的にならずに良い音で聞ける物のようです。

いろいろ書きましたが、まあなんといっても「現在のところストーンズは最高だ。」
ということで本項は締めようと思います。最後までお付き合いありがとうございました。

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