正田大観師訳「ブッダゴーサ著『清浄道論』」の最新情報 2008.2.25

正田大観師訳「ブッダゴーサ著『清浄道論』」のご紹介

尊敬する正田大観師が続けてくださっている偉大なお仕事、ブッダゴーサ著「清浄道論」の翻訳が、残すところ後四章まで迫りました。

 昨年12月半ばに第十六章が公開され、続いて、今年1月19日に、第十七章が、更に、2月には第十八章、第十九章が相次いで公開されました。

 URLは、

  http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/

 です。ここは、クリシュナムルティ学友会のページです。このページの中ほどに、正田大観師のスッタニパータ、テーラガーター、イッティブッタカなどの翻訳と、この「清浄道論」の翻訳が公開されています。

 お体に障らないだろうかと思われるほどのスピードです。

 これは、私にとっては唯唯有り難いことです。

 アーガマ全文をパーリ語で伝承しているテーラワーダ仏教のいわば、アーガマに続く聖典のひとつが、ブッダゴーサの「ヴィッスッディマッガ(清浄道論)」です。

 釈迦の仏教とはどういうものか、スッタニパータの実践とはどういうものか、釈迦の仏教を直伝していると自称するテーラワーダ仏教とは本当はどういうもの なのか、などということを知りたいときに原典によってそれらに対する答えを示してくれるのが、この「ヴィッスッディマッガ(清浄道論)」だと思います。

 ぜひ、一度ダウンロードして読んでみて下さい。

 一目この翻訳を見れば、正田大観師の尊いご意思とその多大な労苦の様子がお分かりになると思います。
 
 正しい仏教の普及のために、正田師がまさに骨身を削って、ご多忙の中、この翻訳の事業を続けてくれていることを本当にありがたいと思っています。

 これだけのお仕事の結果を、無料で公開されるということの重大な意義をぜひ知っていただきたいと思います。

 私は、正田師のこの事業は、在りし日のお釈迦様の説法遊行の如くに感じます。

 心から、合掌して感謝申し上げます。

 なお、正田師の「清浄道論」を読むための参考に役立つものと信じ、前田恵学先生の著書「「現代スリランカの上座仏教」(山喜房仏書林)より一部引用させていただき、「清浄道論」の構成などのあらましをご紹介します。(続く)
 

清浄道論の構成(総目次)

*** 以下の文章は、前田恵学「現代スリランカの上座仏教」(山喜房仏書林) 序論 現代スリランカ上座仏教の研究について 第一節 伝統的なスリラン カ上座仏教の綱格 二、上座仏教の教学 buddhaghosaの「清浄道論」 より引用させていただきました。有り難うございます。 ***

引用開始

 上座仏教の根本聖典、パーリ語の三蔵は、膨大な量の典籍群であって、その綱格を簡潔に示すことは、容易ではない。かつまたパーリ三蔵は、原始仏教時代か ら、部派仏教時代にいたる、初期時代の仏教の在り方を示している。もちろんそこに上座仏教本来の立場があるはずであるが、長い歴史の中で、伝統を築き上げ てきた上座仏教の綱格を考えるのに、大寺の系統の教学を総合統一して、大成したとされるbuddhaghosaの「清浄道論」 (Visuddhimagga)をもってすることは、やはり今日においても最善の方法であろう。
 「清浄道論」は全編23章(niddesa)より成り、原始仏教以来の戒定慧の三学の教説を基本として構成している。すなわち戒2章、定11章、慧10 章より成る。論の前には、「因縁等の論」(Nidanadikatha)と、後には「結語」(Nigamana)がある。
「因縁等の論」には、「戒に住し、有慧の人は」云々の一偈を提示し、この偈を敷衍広説して本書を著すゆえんを述べ、この偈が戒定慧によって、清浄なる究極への道を示していること、および戒定慧とは何であるかを説いている。本文23章とは次のとおりである。

<戒について>

 1 戒の章(Silaniddesa)
2 頭陀行の章(dhutanganniddesa)
 
<定について>

 3 瞑想の対象把持の章(kammatthanagahananiddesa)
4 地遍の章(Pathavikasinaniddesa)
5 その他の遍の章(Sesakasinaniddesa)
6 不浄なる対象の章(Asubhakammatthananiddesa)
7 六随念の章(Cha-Anussatiniddesa)
8 随念対象の章(Anussati-kammatthananiddesa)
9 梵住の章(Brahmaviharaniddesa)
10 無色の章(aruppaniddesa)
11 定の章(Samadhiniddesa)
12 神変の章(Iddhividhaniddesa)
13 神通の章(Abhinnaniddesa)

<慧について>

14 蘊の章(Khandhaniddesa)
15 処・界の章(Ayatanadhatuniddesa)
16 根・諦の章(Indriyasaccaniddesa)
17 慧地の章(Pannabhuminiddesa)
18 見清浄の章(Ditthivisuddhiniddesa)
19 疑度清浄の章(Kankhavitaranavisuddhiniddesa)
20 道非道智見清浄の章(Maggamaggadassanavisuddhiniddesa)
21 行智見清浄の章(Patipadananadassanavisudhiniddesa)
22 智見清浄の章(Nanadassanavisudhiniddesa)
23 修慧功徳の章(Pannabhavananisamasaniddesa)

まず第一「戒の章」においては、戒とは何か、戒の功徳とは何か、[戒の]浄化とは何か、等、七種の問いをあげて、順次これに解答を示している。
第二「頭陀行の章」においては、戒の浄化のためには少欲知足であらねばならないとし、それは十三種ある頭陀行によらねばならないという。十三種とは、
@ 糞掃衣支 pamsukulikanga
A 但三衣支 tecivarikanga
B 常乞食支 pindapatikanga
C 次第乞食支 sapadanacarikanga
D 一坐食支 ekasanikanga
 E 節量食支 pattapindikanga
F 時後不食支 khalupacchabhattikanga
G 林住支 arannikanga
H 樹下住支 rukkhamulikanga
I 露地住支 abbhokasikanga
J 塚間住支 sosanikanga
K 随得敷具支 yathasanthatikanga
L 常住不臥支 nesajjikanga

である。
 戒に関しての議論は、以上をもって終り、第三の「瞑想の対象把持の章」以下、第十三「神通の章」までは、定(samadhi)に関説している。そこでまず、定とは何か、定の種類はどうか、定を修めた功徳とは何か、等、八種の問いを掲げて、順次に解答を加えている。
定の種類に世間定と出世間定の二種あるうち、定の修行には、まず世間定から始めて出世間定にいたるべきものである。世間定の修習には、まず戒を清浄にし て、瞑想の対象を与える善知識に近づき、四〇の対象の中で自れの性格に適応した対象を選んで、修習すべきである、とせられる。人間の性格には、

貪行 ragacariya
瞋行 dosacariya
痴行 mohacariya
信行 saddhacariya
覚行 buddhicariya
尋行 vitakkacariya

の六種がある。性格の相違によって、対象の選び方が変わってくる。対象には四〇種あるから、自分の性格に合った対象を選んでくれる善知識を得ることが望ましい。四〇の対象とは、

 十遍 dasa-kasinani
十不浄 dasa-asubha
十随念 dasa-anussatiyo
四梵住 cattaro brahmavihara
四無色 cattaro aruppa
食厭観 ahare patikulasanna
四界差別 catudhatu-vavatthana

の合計四〇である。この四〇種の対象の中に六種の性格に適するものと適しないもの、またいずれにも適するものが分けられている。以下四〇の瞑想の対象の説明が行なわれる。
第四、「地遍の章」は十遍の第一の遍であるが、遍(kasina)とは定の対象(object for meditation)であって、土をもって作るのである。例えば、山腹に土を円型に盛り、蔓草をもって周囲を囲む。これに対して適当の距離と高さを保っ て坐り、次第に定を保って四禅ないし禅定の心安定にいたると説くのである。
第五の「その他の遍の章」においては、十遍のうち、地遍以外の他の九遍すなわち、

水遍 apo-kasina
火遍 tejo-kasina
風遍 vayo-kasina
青遍 nila-kasina
黄遍 pita-kasina
赤遍 lohita-kasina
白遍 odata-kasina
光明遍 aloka-kasina
虚空遍 paricchinnakasa-kasina

について、同様に論じている。
 第六、「不浄なる対象の章」においては、死体が爛壊していく状態を観ずる十不浄の各々を略説し、その行法を述べるものである。十不浄とは、

@ 膨張
A 青お(病の中が於)  *註1参照
B 膿爛
C 断壊
D 食残
E 散乱
F 斬斫離散
G 血塗
H 虫臭
I 骸骨
である。

第七「六随念の章」では、仏・法・僧の各々に関して、起こった随念の三と、戒・捨(施)・天に関する三随念の六随念と、さらに第八「随念対象の章」において、

 死に関して起る死随念または法随念
身体の部分に関して起る身至念(=身念住)
出入息に関して起る安般念(=数息観)
一切の苦の止息に関して起る止息念

の四随念をあげて説明し、これを行ずれば、大果のあることを述べている。
 第九「梵住の章」では、慈・悲・喜・捨の四梵住とその功徳を論じ、第一〇「無色の章」では、空無辺処・識無辺処・無所有処・非想非々想処の四対象(四無色界)と四無色定について述べている。この定を修めた者は、死後四無色界に生まれるという。
また第十一章「定の章」においては、食物を厭う食厭観と四界差別とを説く。後者は、身体が、地・水・火・風の四大にすぎず、その他に我・有情識のないことを知る観法である。
以上のような定を修めれば、五種の功徳があるとする。

@ 現法楽住 ditthadhamma-sukhavihara
A 観(vipassana)をうる
B 神通(abhinna)をうる
C 勝れた世界(bhavisesa)に生ず
D 滅(nirodha)の定をうる

 それに関連して、神変・神通を説明しているのが、第十二「神変の章」と第十三「神通の章」である。
さらに第十四「蘊の章」以下、第二三「修慧功徳の章」まで十章にわたって、慧が説かれる。
まず第十四「蘊の章」においては、慧とは何か、慧の修習法はどうか、慧修習の功徳とは何か、等、六種の問いを設け、これに順次解答を与えている。蘊の章以 下の九章は、慧の修習に関して説かれるもので、慧の修習法には、戒の清浄・定の清浄とを慧の根本とし、蘊(五蘊)・処(十二処)・界(十八界)・根(二十 二根)・諦(四諦)・縁起(十二縁起)等を慧の地(bhumi)とし、見清浄(名色を如実に観察すること)・疑度清浄(三世にかんする疑惑を除いた智)・ 道非道智見清浄(道と非道を知って確立した智)・智見清浄(行智見浄によって次第に有為の行を遠離し、さとりの四段階、預流・一来・不還・阿羅漢が得られ る)の五清浄を説くところから、第十五章以下の章を立てている。最後の第二十三「修慧功徳の章」においては、五清浄によって慧を修得すれば、四種の功徳が あるとしている。すなわち、

@ 煩悩の捨遺
A 聖果の獲得
B 滅尽定の得達
C 応供者たること

等の成就である。
 要するに、buddhaghosaの主著は、古くから大寺に保存されていた伝承を、戒定慧の三学の見地から、資料を秩序立てて分類したものである。独創 性には乏しいと言われるが、その様式は明晰で透徹している。好んで譬喩を交え、伝説や説話を挟んで無味乾燥な議論を生命づけている。この buddhaghosaの示す、仏教の綱格は、特別新しい教理上の発展を示していないとしても、かえってそれ故に、南方上座部の教理の綱格を知るための、 唯一無二の書と言うべく、また古伝の価値ある口碑伝説の材料を数多く伝承している。   」

以上で引用を終了します。
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