サイバーパンクの源流は間違いなく「ニューロマンサー」であり、全てのSF的サイバーパンクはここから始まったといえる。よってウィリアム・ギブスンの「ニューロマンサー」語らずしてサイバーパンクを語ることはできないといえる。さらに、サイバーパンクをビジュアルで十分に表現しきった最初の作品は、ハリソンフォード、ショーンヤング、リドリースコットの「ブレードランナー」である。これはもちろん、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」が原作である。
サイバーパンクとサイケデリック路線が融合してアキラのような名作が出来上がったものと思われるが、その点はまだ明らかではない。得てして、電脳世界、いわゆるサイバースペースなる世界においては、人間は直接間接か、その情報だけの純粋な世界にエントリーできる。その際には人間は自らマシンナリーとなるか、あるいは直接脳に関与するなんらかを行うのである。それによって通常不可能である電脳世界への直接のアクセスが可能なのである。
サイバーパンクにおいては、サイバースペースへのコンタクトが非常に重要なテーマとして描かれることが多い。また、主人公なる人物も、純粋な人間のみならずアンドロイドであったり、機械化された人間であったり、脳みそだけの人間であったりと多種多様である。彼らが実際の世界に現れるには何らかの電子的・機械的処理が必要であり、十分条件でもある。そして例えば人工知能のような存在ともなると地球上を覆っている全てのネットワークとアクセス可能であり、その知識・情報収集力・仕事量は人間を遥かに超え、神などと近くなるような性能を持つのである。また、自立した判断能力を持ち、かつ人間における知性という部分が備わっており、日常会話程度なら人間とのコミュニケーションが可能なシステムならば、まさしくそれは実態のない人格として把握することが可能である。その人格とは人間とは違い、ハードウェア的な制約こそ持っているが人格を複数にまですることが可能、人格が他所に同時にいるという超越性、人間を凌駕する情報処理能力などという観点から見ても、比類なき存在になっていることが分かる。しかもこのようなシステム、いわゆるハードウェアとソフトウェアの結合が、ただ一つではなく地球上数限りなく設置されている、人間の人口と同数あるいはそれ以上、人間が使用する機器の全てに、莫大な情報量を持つネットと接続した人工知能が付属するなら、その集合体はまさしく一個の有機体を形成するだろう。
これらの世界で珍重される特殊能力とは、以下の数種類である。一つは、電子機器と物理的に接触可能でその操作が容易にできる能力。これは前述の、人間の肉体を介していわゆるコンソール入力なしで、会話するように機器を扱える能力である。一つは、超能力である。超能力の定義は2002年現在でもいまだに不明確である。しかし多少の分類は可能で、それは以下のようになっている。
これらの力は、物理的に表出するものとそうでないものに大雑把に区別できる。以上の能力二つは、人間の肉体改造によって得られることが多々ある。とくに電子機器との接触が可能な人間(サイメビであればビジョネイル、など)は大々的な肉体改造を行っている。また、攻殻機動隊であれば「ゴースト」が封入された機械である。超能力は先天的な能力の有無が大きいのであるが、それは遺伝子工学的に原理がある程度解明され、出生前の遺伝子操作により、能力者を開発することが可能となっている。また、先天的・後天的な能力であっても、その維持には訓練はもちろんのこと、ケミカルな投薬を行ったり装置により脳組織を電磁気信号で刺激するなどの処置が、往々にしてとられるのである。超能力者はかなりドーピングされた存在であり、サイバーパンクな雰囲気にマッチしている人種だといえよう。 さて、第三の特殊能力とは魔力ないし霊力である。これは明らかに先天的、あるいは血統によるものであり、後天的な能力付加は全く望めない種類の能力である。これらの能力を役立てるためには、社会に悪魔あるいは悪霊という、人間の生命をを脅かす存在が不可欠である。魔力・霊力の解明は歩い程度科学的に解明が進んではいるが、その道を極めた人間に機械がかなうはずは無いという一種の「お約束」を踏んで、サイバーパンクの世界の中に新たな花を添えている。
サイバーパンク世界において、高度情報化、集積化、頽廃、混沌が進んでいるのは、現在の大都市である。いわゆる世界の大都市はサイバースペースたるインフラを持って入るが、いくら時代が進んでも、いくら文明が発達しても、世界の全てがネットワークで連結されるとは考えにくい。世界の全大都市はネットでひとつの存在にまとめることが可能かも知れないが、そのサイバーシティから外れた鄙では、おそらく情報化が全くなされていない生活が営まれるだろう。
サイバースペースとは、宇宙空間の生活とは全くかけ離れた対極の概念である。宇宙への興味を失った人類が形成した欲望の坩堝という体を示す。宇宙空間での生活を描くSFには夢や希望が欠かせないが、サイバースペースを描くSFには、明らかにそれが欠如し、人間の欲望の行き着く極限を如実に表現しているのである。電脳空間と宇宙空間、それはどちらかが排斥されうる概念ではなく、やはり平行に存在すべき概念である。ある一定の人間集団は宇宙へと赴き、他の少数の人間集団は電脳空間へと無限の没入を行うのである。
また、宇宙空間にあるのはより直接的な「死」である。いくら科学が進むとはいえ、人間の不注意は決してなくならず、それより大規模な事故へと発展する可能性が残されている。ここでの死とは肉体の死である。一方、電脳空間には「死」が払拭されている、あるいはそのように空間が設計されているのである。肉体的な死の代償に、ソフトウェア的な生存を望むという人間の意志が見事に描画されている。サイバースペースとは、その技術の高度さとは裏腹に、内部を人間の荒廃した精神が占め、ありとあらゆる汚濁が渦巻く背徳の空間なのである。