ブスはなぜ嫌われる?

人間の価値は多種多様である。それは人間の持つ可能性の広範さを示している。それらの能力の一端として、常人ではありえない運動能力を持つ者や、凡人ではとても及びつかない思考・技術の展開を行う者、あるいは倫理的・人間的に優れた価値観を持つ者もいる。それら雑多で分類しても有り余る人間の特性のうち、表面に顕在するのは、人間の美しさである。

人類は古来、美しさに多大な価値を与えてきた。それはこの世の中がいかに醜悪な物体にあふれ、反動として究極の美を追求したかに見て取れる。人間とは美しい対象を選別し創造し、後世に残してきた動物でもあるのだ。そしてここに最も重要な美、すなわち顔面の優劣がある。

人間社会において、他人を判断するときの一つの手段として顔の美醜が確固として存在する。この価値観は、いかに古い体制の社会においても、経済・科学が発達した現代社会においても共通している。そして、我々は俗に「美しい」人間を尊重する傾向にある。これについて解析したい。

総じて、不細工な人間は嫌われる。これは性格の如何に関わらず、外見のみで人間を判断した結果でもある。これは人道的にとても忌むべき行為であるが、それには理由がある。その理由とは、人間の顔面あるいは表情判断の際のコストである。

半導体技術が発達してその途上にあるとも言える21世紀、様々な事がコンピュータにより可能となった。その技術の一つに人間の表情認知がある。これは人間の目、口、鼻という各部分から個人特有の情報を読み取ってストックされた個人情報と一致させる、あるいはそれらの顔面情報と人間感情の際の各部分の動きとを判定して、感情を数値化する技術である。これらの技術は総じて一般的な人間の顔面に適応される。標準的な人間を基本として、目・口・鼻といった要素を読み取るのだ。

ここで、識別の際のコストの問題が生じる。まず、標準的な人間を認知するときはその処理にかかるコストは低いといえる。それは美醜の面から論じれば、誰にでも一定の好感を得られる顔であるといえる。また、我々人間の間で「美しい」と呼ばれている人種はさらに識別にかかるコストは安いだろう。極論であるが、美しい人間は顔面のみで判断すればいわば理想の目鼻立ちをしている。こういう観点から見れば、「一般的な、普通な」顔面は、その理想顔面に少しの揺らぎを持たせた顔、といえる。

さらに論を進め、いわゆる「醜い」人間について分析する。一口に醜い、不細工、ブス、不器量、人間外といっても様々だ。たとえば、あまりに醜く顔面が人間以外の霊長類と酷似しているとき。その人間の表情やら顔面要素を解析すると、人間かサルか判断しにくいだろう。その判別には通常よりも多くのコストがかかることは容易に推し量れる。また、顔面要素、目・口・鼻の各部分の揺らぎが大きくて一般の顔面から大きく逸脱しても、解析には比較的多くのコストが必要となってくる。

頭部表面に付着する器官が目・口・鼻と認識できない場合。本来標準的な位置にあるべきはずの顔面要素が大きくはずれている場合。位置はよろしいのだが、その器官の形状が目・口・鼻とは判断できない場合。これらの不都合は総て例外処理を施すしかなく、その処理には更なるコスト、人間の脳を働かせる動力が余分に必要なのだ。

人間の脳内における表情認知・物体認知がコンピュータのようなコストを考慮していれば、推論が可能である。美しさ・綺麗さが普通の人間は、認識にコストを費やすがそんなに巨大ではなく、コストが抑えられるので処理機構である脳はその人間を嫌わない。また、美しい人間は顔面判断のコストが少なくて済むので大抵は歓迎されるであろう。しかし、醜男醜女はその際のコストが比較的巨大なので、処理機構である脳がその識別を嫌がるのである。

人間に限らず他の動植物、あるいは鉱物に至るまで、森羅万象はエネルギーを低く抑える傾向にある。これは物理学の真理とでも言うべき大前提である。だから水は決して低いところから高いところへは流れず、一度混ざり合った暖気と冷気は再び分離しないのである。エネルギーを余分に使う行為は熱力学の基本法則二つに反している。世界における巨大な法則がエネルギーを低く抑えることにあるのならば、醜い人間を認識することは自然界の法則にすら反した行為とも言える。

これらを総合すると、醜い人間は識別の際のコストが大きいので、嫌われるのである。

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