執事たちの(その後の)恋愛事情



第一章




プロローグ

あれから5年。

そう、わたしと侑人さんがお嬢様と執事だけの関係から恋人同士になって、もう5年。

わたしは高校を卒業して私立の女子大に進学し、充実した学生生活を送らせてもらった。

有名なお嬢さま大学で、学費もとても高かったけれど、その分、施設は素晴らしく整っていて、
教授陣も著名な先生が名を連ねていた。

高校からの推薦枠で、わたしは、大学受験の苦労もせず…

また、ここに通うほとんどの学生は、わたしも含めて皆、いわゆるお嬢さまばかりだったから、
就職活動に明け暮れるようなこともなく…

長期の語学留学をしたり、休み期間中で国内外問わず旅行をしたりと、普通ならば考えられないような、
贅沢でのびのびとした学生時代を過ごせた。

わたしにそんな素晴らしい4年をくれた義兄さんには本当に感謝するしかない。

そして、大学を無事に卒業したこの春、わたしにも、そして恋人の侑人さんにも一つの転機がやってきていた。




第一話:

在学中の日々の生活は、高校のときとそれほど変わらず、わたしは九条院のお屋敷から通学し、そのあいだ、
侑人さんがいつもそばで、執事として、また恋人として、私を見守っていてくれた。

わたしたちの関係は、義兄さんにも姉さんにも祝福してもらって、九条院家の誰もが認めてくれていることだった。

けれど、それは、あくまで内向きのもの…

ひとたび、九条院の令嬢として振る舞わなければならない公の行事のときには、わたしたちは、
春迦お嬢さまと執事の樫原…という役割を演じ続けていた。


そうはいっても、恋人として5年という年月は、長い付き合いの方になると思うし、普通のカップルなら、
もう結婚を意識する頃にさしかかっていると思うのだけれど…

わたしも侑人さんも、お互いに、いつもそばにいることがあたりまえになっているからか、
そこは、余り気にしてこなかったかもしれない。

わたしは、侑人さんがいてくれるだけで幸せだし、現に侑人さんはわたしのことをまるで宝物か何かのように
大切に扱ってくれている。

侑人さんは、家令としての顔とか、わたし専属の執事としての顔でいるときは、柔和な表情の下で
常に全体の状況を慎重に見極めて、シビアに三歩先を考えるような人だけれど…

恋人の顔になると、びっくりするぐらい大胆で、思い切ったことを平然とやってのけてしまうから、
わたしはいつも翻弄されっぱなし。


それでも侑人さん、私が二十歳を過ぎるまでは、大人の男女のデートは控えていた。

5年前、恋人になってすぐの外泊はびっくりだったけど、あのことは侑人さんの歴史の中で、
「ちょっと反省すべき行動」だったそうで、「若気の至り」と振り返る。

でも、反省っていっても「ちょっと」なのよね…。

それに、そう話すときの侑人さんの表情、あれは、悪いなんてほぼ思ってないと思う。

けど、それでいいの。私も、一緒にいたいと望んだあの夜のことは一生忘れられない。

有能でスマートでいつでも完璧なわたしの執事さんが、それとはまったく違う、
もう一人の自分の衝動のままに、私と二人だけになるために行動した。

わたしにもっと近づきたい。ただ、その一心で…


あの時、わたしはまだ子供で、ただもうそのシチュエーションに舞い上がってしまったけど…今考えると、
そこまで強い想いを寄せてくれながら、最後の一線を越えようとはしなかった侑人さんは、
きっと、切なさを抱えてたんじゃないのかな…

そう考えると、恋人といってもあまりに子供だった自分を口惜しく思うし、彼に申し訳ない…

でも、こんなふうに考えるようになったってことは、わたしも少しは大人になれているのかもしれない。

ただ、わたしが22歳になった今でも、侑人さんは、九条院家の家令という立場に変わりはなく…

いくら当主公認とはいっても、やっぱり、お屋敷の中で、あたりまえのように、恋人として振る舞うのは
あまり良くないと考えているようで、彼がわたしの部屋に朝までいるようなことだけは決してしない。

すぐ隣の部屋にいるのにって思わないこともないけれど、そこは二人のお付き合いのけじめにしているみたい。


だから、このまま、まだしばらくはこんな時間が続くのかなって漠然と思っていた。

けれども、状況は、わたしたちの予想外に、大きく変化する時期を迎えたらしい…




第二話:

〜樫原が見る景色〜

週末、久しぶりにご家族3人おそろいでの夕食を終えられた慎一郎さまが、ふいにお嬢さまにおっしゃった。

「春迦ちゃん、このあと少し話があるんだけど、いいかな?」

お嬢さまは、少し首をかしげて聞き返される。

「義兄さん、どうしたの?改まって…」

「うん、春迦ちゃんに、ちょっと相談があってね…」

お嬢さまは一瞬こちらに視線を向けられたが、すぐに旦那さまに応えられた。

「はい、それじゃあ、あとで行きます。」

「よろしくね。それと侑人、おまえも一緒に来てくれるかな?」

「かしこまりました。お伺いします。」

(二人そろってとは…また、お嬢さまへのパーティー出席依頼でも来ているのだろうか…。)


そして、お嬢さまともども、慎一郎さまの執務室へ出向く。

「旦那さま、樫原でございます。春迦お嬢さまをお連れいたしました。」

「あぁ、どうぞ入って」

慎一郎さまはいつもと変わらない調子で、わたしたちを招き入れてくださったのだが…。


「お嬢さま、どうぞ…」

わたしは椅子を引いてお嬢さまを着席させる。すると…

「侑人、きみもそこに一緒に掛けてくれるかい。」

と、声がかかる。

急にお嬢さまと同列で着席を求められて少し迷う。それに今「きみ」とおっしゃった。

それが意味するところは、つまり『執事』としてここに呼ばれたのではないのだろうか?

「は…しかし、よろしいのでしょうか?」

戸惑い気味のわたしの様子をみて、旦那さまはいつになく真剣なまなざしをされる。

「侑人、今日は家令の樫原ではなく、将来のぼくの義弟の侑人として話をきいてほしい。」

「……っ」

わたしは瞬間言葉を失い、お嬢さまも目を丸くして旦那さまを見つめた。





第三話:

〜わたしが見る景色〜

『将来のぼくの義弟の侑人として話をきいてほしい』…

義兄さんの突然の爆弾発言に、わたしも侑人さんも一瞬で思考回路を吹き飛ばされた感じ。

侑人さんも、珍しく動揺しているみたいで、返す言葉に困っている。

確かにわたしたちは恋人同士だし、わたしは一生侑人さんのそばにいたいと願っている。

そしてそれは、侑人さんも同じはず。

だからいつか結婚して、夫婦になれば、侑人さんは義兄さんにとって義妹の夫になるわけで…

そうなれば、『義弟』という表現もわからなくはないけれど…それにしても、いきなりすぎるよ…義兄さん。


少しの間(時間にすれば数秒だと思うけど)、侑人さんは何か考えるような表情をして、それから、
いつもの微笑みを取り戻して応えた。

「はい、慎一郎さま、それでは失礼して着席させていただきます。」

うん大丈夫、侑人さんがいつもの侑人さんに戻ってる。

侑人さんが大丈夫なら、これから何を言われたとしても、わたしも大丈夫。

たぶん……



〜樫原が見る景色〜

まったくの不意打ちだった。

これまでぼくは、慎一郎さまの目の前では、春迦の恋人としての顔をしたことはない。

それは、ぼくなりの慎一郎さまへの配慮のつもりだったが、悪く言えば、建て前の顔を、
主家の当主に対して向け続けていた…ということにもなる。

しかし、慎一郎さまとの付き合いは長い…。

だから、きっと最初からお見通しだったはずだ…

実際のところ、屋敷内でのぼくは、春迦にどうしようもなく惚れ込んだ男としての姿を見られるのが照れくさくて、
あえて執事の仮面を、頑なにつけているのだと…

そして、慎一郎さまはそんなぼくの仮面を、今、たった一言で吹き飛ばしてしまわれた。

春迦の手前、必死に動揺を抑え込んで表情は取り繕ったものの、中身はもう家令の樫原の「わたし」ではなく
樫原侑人という「ぼく」の素に戻されている。

慎一郎さまには、きっとぼくの慌て振りはバレバレだろう。

春迦はといえば……どうやら安心してくれたようだけれど。

とにかくぼくは、今は覚悟を決めてそこに座るしかないと悟った。


〜慎一郎が見る景色〜

侑人が慌てている。でも、すぐに態勢を建て直したのはさすがだね。

きみが動揺すれば、それは春迦ちゃんにも伝わるから…

二人の付き合いを認める…というか、むしろぼくは侑人のような男に、可愛い義妹を託せて
本当によかったと思っている。

こうなることを望んだといってもいい。

にもかかわらず、春迦ちゃんにも侑人にも、九条院の令嬢とその執事というもう一つの姿、
いや、仮面をかぶらせ続けてきたことを申し訳なく思っている。

九条院の令嬢とはいっても、春迦ちゃんは少し特異な位置にいる。

当主の妻の妹であれば、本来なら九条院の家に入ることはなく、
もっと自由にのびのびと暮らすことだってできたはずだ。

それが、この家に入ることになって、まったく違う環境の中、
色々な者から令嬢としての教育を厳しく指導されて、ずいぶん窮屈な思いもしただろう。

特に、侑人は厳しいからね、春迦ちゃんが委縮してしまうのではないかと心配もした。

まぁそれは結局、ただの取り越し苦労にすぎなかったけれどね。

ぼくは春迦ちゃんの太陽のような天真爛漫さが何より好きなんだ。

だから、九条院家令嬢として、取り払うことのできない制限の中で暮らすより、
今の春迦ちゃんのまま、その明るい笑顔のままで思うように生きてほしいと思っている。

だからこそ、近ごろ毎日のように届く彼女への縁談話は、すべてぼくの手元で止めていた。

でも、この手の話はこれからもっと増えるだろう、彼女が、九条院の看板を背負う限り…

それでぼくも、二人の未来のために何をどうできるか、きちんと考えた。

そして、決心したんだ。それを今夜、きみたちに伝えようと思う。