執事たちの(その後の)恋愛事情


第六章




第一話:

〜中岡が見る景色〜

今日は日曜日。

珍しく旦那さまも奥さまも外出のご予定はなく、訪問客の約束もないので
お屋敷の朝食時間は、いつもより2時間遅めでということになっていた。

必然的に、旦那さまご夫妻のお目覚め時間もいつもより2時間後ろにずれ、
おかげで、俺も真壁も、今朝は少しだけ寝坊が許されて有り難かった。

昨夜はあのあと、俺と真壁は、俺の部屋で酔いつぶれるまで飲んだ。

奥さまご懐妊の件は喜ばしい大きな出来事だったが、でも、それ以上に、
俺たち執事には、樫原さんが執事でなくなるというショックなニュースの方が気になって
飲まずにはいられない気分だった。

俺から真壁をさそって、1杯だけのつもりだったのが、思わず飲み過ぎた。

朝になって真壁に起こされるまで、俺は床に倒れこむように寝ていたらしく、身体の節々が痛かった。


急いで身支度を整えて、ご夫婦のモーニングティーを用意するため厨房に向かう。

すると、そこにはもう樫原さんが先着してお茶の仕度をしていた。

「あ・樫原さん、おはようございます。」

「おはよう、中岡、今朝は少しゆっくりできたかな?」

(樫原さん、いつもの笑顔だ。昨日のことなんて何もなかったように普通に仕事してる。)

「はい、樫原さんに時間を調整していただいたおかげです。」

「ふむ…だが…」

樫原さんがふいに近づいてきて、俺の顔をまじまじと見る。

「かなり飲んだのか?」

「え…!」

(シャワーも浴びたし、酒臭さなんてないはずなのに…!)

「まぶたが腫れぼったくなっている。おおかた、飲み過ぎてベッド以外のところで突っ伏して寝たのでは…?」

「か・樫原さん、どうしてそこまで…!?」

「中岡、わたしを誰だと思ってる?」

そう言った樫原さんの満面の笑顔が……怖い。


「失礼しました、冷水で顔を洗いなおして参ります!」

「あぁ、中岡、急がなくてもいいよ、今朝はご夫妻のお茶はわたしがお持ちするから…」

「あ…し・しかし、それではお嬢さまのお茶が後回しになるのでは…?」

「お嬢さまは、さっき様子を見てきたが、まだ当分お目覚めにはなりそうもない。」

(そうか、昨日いろいろあってお休みが遅くなられたから…)

(でも、樫原さん、今朝は執事で通すんだな…昨日は『春迦』って言ってたのに…)

「中岡…?」

「は・はい、すみません、では、お願いいたします」

そう言って厨房を出ようとすると、また声をかけられた。

「あぁ、真壁に会ったらよろしく言ってくれ。」

「はい?」

「裏の洗面で、今ごろ顔を洗いなおしているだろうからね…」

(う…最初からバレバレか…)

ここには俺より先に真壁がきたのだ。それで樫原さんに同じ指摘をされたに違いない。

(かなわないな、この人にはホントにいつまでも…)

俺は改めて、樫原さんの力を思い知った気がしていた。




第二話:

〜樫原が見る景色〜

ご夫妻に朝のお茶をお届けするのはずいぶんしばらくぶりだ。

慎一郎さまの専属を離れてからは、できるだけそのお世話には関わらないようにしてきた。

『侑人ばなれする』と宣言された旦那さまのご意向もあるが、何より、春迦が…いや、お嬢さまが、
わたしと慎一郎さまの間に流れる独特の空気を感じて寂しがったからだ。


執事のわたしと慎一郎さまの間にある主従の絆は言葉で言い表すのは難しい。

長年の付き合いであるがゆえの、阿吽の呼吸のようなものがある。

夏実さまはそれをご理解くださって、わたしに旦那さまの身の回りをお任せいただいたが、
わたしに対して特別な感情を持ち始めたころのお嬢さまは、そこに、ある種の嫉妬を感じた。

それはあからさまに、お嬢さまの態度に現れたので、推察するに難くなかった。

(………。)

ふと、執事の仮面が剥がれる。

(慎一郎さまとの思い出話をするにも配慮がいるぐらい、春迦はぼくを愛してくれたんだ…)

慎一郎さまにお仕えするのは、ぼくにはとても心地いい…

それができなくなったこともまた、春迦と恋人関係になったことへの代償だったのかもしれない。

けれども、こうして春迦との時間も積み重ね、将来への道筋がはっきりしてきた今ならば、たとえぼくが、
執事ではないにせよ、再び慎一郎さまの元で仕事をしたとしても、もう彼女がそこに嫉妬することはないように思う。


「さて…」

もう一度執事の顔になって、わたしはトレーにお茶の仕度を整えた。

間もなくすることができなくなるであろう執事の仕事。

少なくとも、執事服を脱ぐその日まで、わたしは徹底して執事の自分であろうと決めた。



〜慎一郎が見る景色〜

久しぶりにゆっくり目覚めた朝。

夏実のおめでたがわかって、ぼくは彼女の仕事を大幅に調整した。

望んでいたものの、なかなかできなかった子供をやっと授かったんだ。

まだ安定期に入らないこの時期、激務はくれぐれも避けるようにと医師に言われた。

だから、屋敷でできることは屋敷の執務室でして、長時間の移動を伴う出張は、当分避けることにした。

夏実は、生まれる前から過保護にするなって笑うけど、ぼくには、子どももだけど何よりまず、
夏実のことが心配なんだよ…。


そんなことを考えて部屋でくつろいでいると、侑人がモーニングティーを持ってきた。

「慎一郎さま、奥さま、おはようございます。」

「やぁ、おはよう、侑人…」

侑人が朝のお茶を運んでくるなんて、何年ぶりだろう。

「今朝は侑人が淹れたお茶を飲めるんだね。うん、嬉しいよ。」

「そうおっしゃっていただけると、わたくしも、お茶の淹れ甲斐がございますね。」

侑人はいかにも彼らしい優雅な動きで僕と夏実にサーブしてくれた。

「あ・夏実さまのお茶はディカフェでございます。ご安心くださいませ。」

「ありがとう、樫原さん。」


「あぁ、相変わらず手際がいい、見ていて気持ちがいいよ。」

「おや、慎一郎さま、今朝はやけに誉めてくださいますね。」

「何しろおまえには、突っ込みどころがないからね。」

そう言ってぼくが笑うと、侑人も満足そうな笑みを浮かべた。

こいうやりとりをするのも、すごく久しぶりかもしれない。

「相変わらず慎一郎さんと樫原さんは絶妙なコンビねぇ。わたしはいいけど、春迦が見たらまた妬くわよ、きっと。」

あ・そうだった、そういえばそういう経緯もあってぼくは侑人ばなれを宣言したんだった。

侑人があまりにも普通にしてるから、つい忘れてしまう。

「そうだよ、侑人、春迦ちゃんの方はいいの?」

侑人は、少し離れてベッドメイキングにとりかかっていた手を止めることなく、こちらに視線だけ送る。

「はい、わたくしのご主人さまは、まだ夢の中においででございますから…」


夏実が尋ねる。

「真壁さんや中岡さんはどうしたの?」

「二人は今ごろ、朝食のお仕度を整えている最中かと…」

つまり侑人は、今朝は自分から進んでここへ執事としてきたのか…

「侑人…」

「はい、慎一郎さま。」

「財団設立まで、執事の仕事を思い残すことのないようにやりとげてくれ。」

「…っ…慎一郎さま…」

(図星だったらしいね、侑人…)

「ありがとうございます。そのようにさせていただくつもりでございます。」

侑人が下がると、夏実がすかさず聞いてくる。

「慎一郎さん、どういうこと?」

「言葉通りだよ、夏実、侑人は春迦ちゃんと歩む第二の人生への準備に入ったんだ。心の準備にね…」




第三話:

〜わたしが見る景色〜

「…さま、…お・じょう・さま」

(うん…?なに?呼ばれてる…?だめ、まだ眠いよ…目があかない…)

「…春迦」

「わっ…」

急に耳元でささやかれたと思ったら、耳たぶを甘噛みされてわたしはパッチリ目が覚めた。

「ゆ・ゆうと…さん…!」

そこには、いつも通り、執事服姿の侑人さんがニコニコしながら立っていた。

「お目覚めですか?お嬢さま。」

「もう…侑人さん…起こし方が過激じゃない…?」

ちょっとむくれたように抗議すると、侑人さんは不思議そうな顔で言った。

「はい?何のことでございましょう?」

「だ・だって、いま、耳…!」

「耳?」

(うぅ…とぼけてる…)

「お目覚めの直前まで夢をご覧になっていたようですね。」

確かにわたしは寝起きがいいとは言えないけど、あれは絶対侑人さん。

「わたしが寝ぼけてるのをいいことに…ずるい…」

侑人さんは、可笑しくて仕方がないというような顔で言った。

「はい、ずるさと要領のよさでは少々頭抜けていると自負しておりますよ、以前にも申し上げたかと思いますが?」

「はいはい、そうでしたね―ホントわたしの執事さんは優秀なのに黒いんだから…」

「お誉めに預かり光栄でございます、お嬢さま。」

「誉めてません。」

「おや……。では、これならどう?春迦。」

(わ…)

侑人さんがまだベッドの中のわたしに覆いかぶさるようにしてキスをした。

目覚ましのキスは、甘くて、深くて、それでいて優しくて…とろけそう…

「あ・また目がトロンとしたね、逆効果だった…?」

「いいえっ…そんなことはありません。すっかり目が覚めましたっ…!」

「それではどうぞお仕度を。ただいまこちらまでブランチをお持ちいたします。」

「え…ブランチ?」

ぱっと時計をみたら、もう11時前…!?

恥ずかしいくらいのお寝坊さんじゃない、わたしったら…

「ぼくも朝食がまだなんだ、持ってくるからここで一緒に食べよう、春迦。」

ホントにわたしの恋人の執事さんは用意周到で…でも、そういうところ、大好き。

「うん、なんだか素敵な一日になりそう。」

そう言って笑いかけたら、侑人さんも優しく微笑んでくれた。


第四話:

〜真壁が見る景色〜

俺と中岡は、玄関ホールの吹き抜け天井にある大シャンデリアの電球交換のため、二人で作業をしていた。

本来なら、これは他の使用人に任せる作業なのだが、今日は日曜で、通いの使用人の他、
大木たちにも休みをとらせていた。

海外のメーカーに特注したこのシャンデリアの電球は少し特殊で、一般の電器店では売っていない。

電球の不具合に気づいたのは1週間前だったが、あいにく屋敷に替えがなく、
業者に連絡したら、在庫切れで取り寄せとなり、これほど遅い対応になってしまった。

用意が悪いと樫原さんに叱られての一週間でもあった。

その電球が宅配便でやっと今朝届き、管理不行き届きの責任をとって、
俺と中岡で大脚立を持ち出しての営繕業務というわけだ。


「古手川がいればこういうことはなかったんだがな…」

俺のつぶやきに中岡が反応する。

「こういう消耗備品の管理はあいつに任せておけば安心だったもんな。」

古手川は昨年から海外に留学中だ。

複雑な家庭事情を経てここに来た古手川は、フットマンから執事見習いに昇格したが、
本人の強い希望もあって、今はバトラーの本場であるイギリスへ留学している。

費用は九条院で立て替え、後々、古手川の給与から無利息で返済するそうだ。

「何にせよ、屋敷の備品管理も執事の大事な職務の一つだ。

 前回の交換のあと、担当者が在庫表を更新し忘れたのを見落とした俺たちのミスは言い訳できない。」

昨夜の飲み過ぎと寝不足もあって、俺は普段にもまして無表情だったようで、
中岡が居心地悪そうにしているのがわかる。

「とにかく早く済ませよう、旦那さまのランチまでに片づけないと…」

中岡がそう言って脚立を登り、俺は、階段を上階まで上がって、踊り場から中岡をサポートする。

そのとき、通路の先のお嬢さまの部屋から、楽しそうな笑い声がもれてきた。

「お嬢さまと…樫原さんか…」

樫原さんが二人分のブランチをお嬢さまのもとに運んだのは知っている。

会話の内容までは聞こえないが、時折り聞こえるお嬢さまの声は嬉々としていて、
お二人だけでの食事を楽しまれている様子が伝わってくる。

(樫原さんも、執事になったり恋人になったり、忙しいな…)

そう思ったら、ふと温かな感情が俺の中にわいて、思わず笑みがこぼれた。


「ま・か・べ――っ!何してるんだ、早く電球よこせよ…!」

大脚立の一番上で立ち往生の中岡に呼ばれて我に返る。

「あぁ…すまん…」

願わくは、お二人のこの穏やかで幸せな時間が、永く続かんことを…

俺はそう心の中で祈った。