第十章
| 第一話: |
〜真壁が見る景色〜
お嬢さまのバースデーパーティーに向けて、俺と中岡は朝から手分けして仕事をこなしていた。
幸い、樫原さんが旦那さまや奥さまのお世話のフォローに入ってくれているので、
俺たちは、旦那さまがたの軽めのランチ後、パーティーの準備に専念することができた。
平日は財団関連の外出が増えている樫原さんだが、お屋敷にいればいたで、
離れの改装工事の業者と打ち合わせをするなど、その業務量が大変なことになっている。
(だが、この人の場合、少しも大変さを見せないところがさすがというか…)
「うん?どうした、真壁?人のコトをじっと見て…」
「あ…し・失礼しました。なんでもございません。」
今日のパーティーで開けるシャンパンの購入費を樫原さんに報告にきた俺は、
思わず、思ったことを顔に出してしまったらしい。
「何か言いたげな顔をしているようだが…?」
「いえ、ただ、樫原さんのお仕事ぶりを拝見するにつけ、自分がまだまだということを思い知らされる気がして、
少しだけ…へこむと申しますか…その…」
樫原さんは笑顔を漏らして言う。
「お前も中岡も十分、頑張ってるじゃないか…へこむ必要はないと思うけどね?
わたしは執事としてのお前たち二人を信頼している。何も心配はしてないよ。」
「樫原さん…あ・ありがとうございます…!」
「この前、おまえには嬉しい言葉をもらったからね、そのお返しだよ。」
「あ…あのとき…ですか。」
樫原さんが執事を辞めると初めて知らされたあの夜のことだ。
思い出して俺はちょっと赤面する。我ながらかなり照れることを言ったものだと思う。
「他でもない真壁からあんなふうに言われたのは、嬉しかったよ。」
「っ…お・おそれいります…」
この人はどうしてこういう言葉を何の抵抗もなくサラリと言えるのだろう。
(それがまた、なんともサマになってる…)
「さて、そろそろ会場の飾りつけができたころじゃないかな?」
「は、そうですね、大木たちが庭のバラを切ってサロン全体に飾っています。」
「それは楽しみだね、春迦もきっと大喜びすると思うよ。」
お嬢さまのことを話すときの樫原さんの表情は優しくなる気がする。
それだけ、お嬢さまへの愛情が深いということなのだろう。
少し妬けるが…この人なら仕方ないと思える。
樫原さんがサロンへ行ったので、俺は厨房の様子を見に行こうと踵を返すと、
通路の向こうに旦那さまの姿が見え、俺を手招きしていた。
「?…旦那さま?」
急ぎ足で行くと、旦那さまが小声でおっしゃった。
「ちょうどよかった、真壁、ちょっと頼みたいことがあるんだ」
「それでしたら、樫原さんを呼んで参りましょうか?」
「いや、侑人じゃダメなんだよ、いいからついてきてくれないか?」
樫原さんじゃダメとは、いったいどんなご用向きなのか…
(うん?まてよ…旦那さまのこの表情…これは何か…たくらんでる…とか?)
| 第二話: |
〜中岡が見る景色〜
やっと、お嬢さまのバースデーパーティーの会場準備が整った。
サロン全体に庭のいろとりどりのバラが飾られ、まるでバラ園にいるかのような錯覚をおこす。
俺は、何人かのメイドたちと一緒に、できたばかりの料理を運び入れる。
フィンガーフード中心の軽食だが、お嬢さまのお好きな食材をとりいれて
彩りも鮮やかなオードブルなど、お屋敷のパーティーにふさわしい内容だ。
今回は、使用人の参加が許されているから、朝礼の際、みんなには、自由参加と伝え、
参加の場合は、作業着などのまま出ることがないようクギを刺しておいた。
俺と真壁は執事服のままで、必要に応じて、サービスに回ることにしている。
パーティーの仕切り役を任されている以上、それも当然のことだ。
(あとは、シャンパンをもってくるだけか…)
旦那さまがお嬢さまと1曲踊られるというので、音楽の用意もした。
もし、ここにウォルフさまや山科さまがいらっしゃったら、きっとサロンのピアノと、山科さまのバイオリンで
生演奏になるところだったんだろうが…ま・仕方ない。
そのとき、来客を告げるインターホンが鳴った。
俺は、急いでエントランスへと向かう。車寄せにハイヤーが留まっているようだ。
そしてドアを開けると…
(…え!?)
〜真壁が見る景色〜
旦那さまの部屋を退出して急いでサロンへ戻ろうとすると、玄関が何か騒がしい。
「どうした、中岡…っ!?」
そこには、両手いっぱいに花束を抱えて顔が見えなくなっている紳士がいた。
しかし、俺にはすぐにわかった。
「………ウォルフさま。」
「真壁、出迎えご苦労、姫はいずこにおわす?」
「申し訳ございませんが、決してあなたさまを出迎えに参ったわけではございません。
このように突然のご来訪では、お迎えするご用意さえできておりません…。」
俺の不穏な空気を読んで、中岡が慌てて間に割って入り耳打ちしてくる。
「ま・真壁、ここはいいから、まずは旦那さまにお知らせしてこい。」
「……承知した。」
俺は今出てきたばかりの旦那さまのお部屋へもう一度向かう。
するとそこには、お嬢さまと樫原さんもいた。
お嬢さまは、今日のためにご夫妻がプレゼントされた新しいドレスを着て立っていたのだが…。
(な・なんと…美しい………)
「真壁…?」
「真壁さん、どうしたの?」
気づけば俺は、不覚にもお嬢さまに見惚れて立ち尽くし、旦那さまとお嬢さま、それに樫原さんが、
けげんそうに俺を見ていた。
「はっ…し・失礼いたしました。実は、今、ウォルフさまがご到着になりました。」
「え?ウォルフさん?」
「またずいぶん突然だね。侑人、何か連絡はあったの?」
「いえ、何もございませんでした…」
そこに、中岡もやってきた。
「旦那さま…あ・お嬢……さま…………。」
やはり、中岡も、瞬間、我を忘れてお嬢さまに見惚れたか…
「中岡…。」
樫原さんの凛とした一声で、中岡のみならず俺まで背筋が伸びた。
「失礼しましたっ…えぇ…その…ウォルフさまですが、お嬢さまのお誕生日とおわかりになった上で、
これからニューヨークへ向かわれるトランジットでお立ち寄りになったそうです。」
「ははっ…いかにもウォルフらしい行動だね。」
旦那さまは笑ってウォルフさまの訪問を受け入れられる。
「どこからの立ち寄りかはわからないけど、プライベートジェットだって持ってるだろうに、
わざわざ日本でトランジットなんて、よほどきみに会いたかったんだよ、春迦ちゃん。」
お嬢さまは少し頬を赤く染められて、樫原さんを見上げた。
「いいよ、春迦、行っておいで。」
「はい、侑人さん。」
「あ・ちょっと待って…」
樫原さんはお嬢さまを引き留めると、お嬢さまの肩にシルクのショールをかけた。
「はい、これでよし。真壁、おまえがそばに控えてくれるね?」
「はいっ、かしこまりました。」
(お任せください、樫原さん、春迦お嬢さまのことは、この真壁がガードいたします。)
ウォルフさまは、日本語は日本人以上に流暢だが、行動は欧米人そのものでスキンシップが多い。
樫原さんは笑顔で面会を認めつつ、さりげなくお嬢さまの肌をショールでカバーして、俺にガードを託したのだ。
そう考えたら、フッと笑いがこみ上げた。
(樫原さんも人並みに嫉妬の感情があるということか…)
突っ込みどころのない完璧な上司の人間らしい一面を見られた気がして、俺は少し嬉しくなった。
| 第三話: |
〜わたしが見る景色〜
ウォルフさんに会うのは5年ぶり。
わたしが侑人さんと恋人になって間もなく、ウォルフさんは本国へ帰っていった。
『もうここにいる理由がないから』とお屋敷をあとにしたときの後ろ姿が寂しそうで
なんだか申し訳なくなったのをよく覚えている。
ウォルフさんには未熟なお嬢さま時代、いろいろ支えてもらったし、ダンスの先生もしてくれた。
時間があればサロンでピアノを聞かせてくれたりして、わたしをお姫さまのように扱ってくれたっけ…
(なんだか、懐かしいな…)
ウォルフさんが通された応接室に入ると、彼は立ったままわたしを待っていた。
「おぉ、姫!なんと、お懐かしい!」
かけ寄ってきたウォルフさんとわたしとの距離が急速に縮まった瞬間、真壁さんが間に入ってきた。
「ウォルフさま…まずはどうぞお掛けくださいませ。さ、お嬢さまもこちらへ…」
真壁さん、静かだけどすごい迫力…有無を言わさない感じでウォルフさんを座らせちゃった。
「姫、今日はまた一段と美しくておいでだ。お会いできなかった5年の間に、見事な大輪の花となられましたね、
わたしが持参した花束など、姫の前ではかすんでしまう。」
「ウォルフさん、相変わらず誉めるのが上手なのね。でも、今日はこのドレスが特別なの。」
「ほう、確かに見事なドレスですが、それは?」
「姉さんがデザインして、義兄さんが海外のメーカーに頼んで作ってもらったんですって。」
「それは、素晴らしいプレゼントだ。姫、よくお似合いですよ。」
「今日はこのあと、これを着て義兄さんと一曲ダンスを踊るのよ。」
「なんと…まったく慎一郎がうらやましい。義兄の特権だ…」
そのときウォルフさんが思いついたように言う。
「そうだ、姫、先ほど中岡から聞きました。今日のパーティーはサロンで行うとか…」
「そうだけど…」
「では、ぜひ、このわたしのピアノ演奏で踊っていただけませんか?」
「え?でもウォルフさん、余り時間がないと聞いたんだけど…」
「飛行機は夜なのでそれぐらいの時間はありますよ。ぜひ、そうさせてください、姫。」
というわけで、ウォルフさんもわたしのパーティーに飛び入り参加することになった。
素敵なピアノ奏者として…。
〜慎一郎が見る景色〜
春迦ちゃんのバースデーパーティーが始まった。
屋敷のみんなが集まったところで、主役の彼女が侑人のエスコートで入場すると、
その輝くような美しさに会場がどよめいた。
(侑人はさっきまで離れの工事業者と打ち合わせをしていたから、執事服のままで参加か…)
ウォルフの登場で直前にバタバタしたから、着替える時間がなかったようだね、ちょうどいい。
それぞれがシャンパングラスを手にして、ぼくが乾杯の音頭をとることになった。
「今日は、ぼくと夏実のかわいい妹である春迦ちゃんの誕生祝いに集まってくれてありがとう。
特に、中岡と真壁はいろいろ準備に骨を折ってくれてご苦労だったね。
まもなくうちには子供も生まれるし、春迦ちゃんも来年の誕生日までにはいろいろ環境が変わると思う。
これからも九条院の大切な家族の一人として、この家と、それから初めて母になる夏実のことをよろしく頼むね。
誕生日おめでとう、乾杯!」
ウォルフがピアノ演奏をかって出てくれたので、乾杯と同時にピアノの生演奏がはじまり、
みんなの目がウォルフに集まる。
そこで僕は、会場の隅に控える真壁に目配せすると、真壁は誰にもわからないよう室外に出ていった。
ひとしきりピアノ演奏が終わると、春迦ちゃんはウォルフのところで楽しそうに会話をしていた。
まったくウォルフもいいタイミングで現れたものだ。
大木や高口ほか、みんなが次々と春迦ちゃんのところに行っては祝福している。
本当に彼女は屋敷のみんなに愛されていることがよくわかる。
侑人はそんな春迦ちゃんの様子を、少し離れたところで穏やかに見守っていた。
執事服を着ていることもあって、ここでは脇役に徹するつもりかい?
(そうはさせないよ、侑人。)