第十一章
| 第一話: |
〜わたしが見る景色〜
お屋敷のみんなでお祝いしてくれている、わたしの誕生日。
その宴もたけなわになったころ、涼しげなテーブルベルの音を合図に、
ウォルフさんがまたピアノに向かって、優雅なワルツを奏で始めた。
義兄さんが私のところに来たと思ったら、スッと手を差し伸べられる。
「素敵なわが妹君、踊っていただけますか?」
向こうには姉さんと、侑人さんがいて、笑顔でこちらを見ている。
「はい、義兄さん、喜んで…」
羽織っていたショールを外して、義兄さんの手をとる。
それまでざわついていた会場が静かになって、ピアノの音だけが響いて聞こえる。
隆也くんや誠吾くんが飾ってくれたバラの花に囲まれて踊りはじめると、まるで、夢の中にいるような感じになる。
義兄さんの笑顔がとても優しくて、温かくて、ここまで大切にしてもらってきたことに感謝する気持ちが溢れ出た。
早くに両親を亡くしたわたしだったけど、義兄さんのおかげで、まるで過保護なお父さんがいるような、
幸せな日々を送らせてもらえた。
「義兄さん、今まで本当に本当に、ありがとう…」
「春迦ちゃん、お礼を言うのはぼくの方だよ。九条院に来てくれてありがとう。
きみのおかげでこの家は以前とはまったく変わった。
夏実のおかげももちろんあるけど、きみの影響は大きかったね。」
「え…でも、わたしなんて何もしてないけど?」
「きみはそこにいるだけで、何もしてない以上のことをしてくれているんだ。」
「そ・そうかな…」
「使用人たちはみんな前よりずっと楽しそうに仕事をしてくれるようになったし、
中岡や真壁だって、生き生きとしている。
もちろんぼくも毎日家に帰るのが楽しみになったし、それにね…」
「それに…?」
「きみの侑人が、誰よりも一番変わったかな…」
そのとき、曲が終わった。
すると、義兄さんは私の左手をとったまま、侑人さんのところへ歩み寄る。
「さぁ、侑人、きみの姫君をお返しするよ、踊ってくるといい。」
侑人さん、急に振られて、ちょっとびっくりしてる。
みんなの注目が集まる中、侑人さんは少し戸惑い気味に義兄さんからわたしの手を受け取った。
「では…1曲お願いできますか、姫君?」
そう言った侑人さんの表情は、もう迷ってなんかなくて、いつもの余裕の侑人さん。
「はい」
そう答えたとき、すっと侑人さんの後ろに真壁さんが寄ってきて…
「樫原さん、こちらを…」と、いつもの真壁さんのすました顔で一着の上着を差し出した。
「?…これは…フロックコート?」
「旦那さまから、執事ではない樫原さんのための、新しいユニフォームとのことでございます。」
「慎一郎さま…」
とっさに義兄さんを見る侑人さん。義兄さんはちょっといたずらっぽく笑って言う。
「ぜひとも、今日の演出のための舞台衣装だと思って、受け取ってくれるかい?侑人…」
「義兄さん、舞台衣装って…なんの舞台?」
わたしは義兄さんと侑人さんの間で交わされているやりとりがよくわからず、二人の顔を比べるように見た。
侑人さんは、一つ、大きく息をつくと、
「この場で?…ですか…」と苦笑する。
そして、次には、さっと執事服の上着をぬいで、真壁さんから受け取った新しいその服の袖に手を通した。
(侑人さん…執事服のときとはまた違って…カッコいい…)
と、侑人さんが、真壁さんに何か耳打ちした。
「かしこまりました。」
真壁さんは綺麗に一礼して、サロンを出て行った。
「春迦、では、行こうか。」
わたしは侑人さんと一緒にサロンの中央に進み出る。
そして、ウォルフさんが奏でたピアノ曲は、5年前、わたしが初めて、侑人さんと踊った曲…。
ダンスが苦手だった私が、はじめての舞踏会で何人もの紳士たちと無事に踊りきって、
それを侑人さんは執事として見守ってくれていた。
でも、わたしが本当に一緒に踊りたかったのは侑人さんだけ。
舞踏会の前、ダンスを教えてくれたウォルフさんから、実は侑人さんはダンスが上手らしいと聞かされて以来、
ずっと踊りたいと思っていた。
でも、執事の侑人さんはどうしても聞き入れてくれなくて、それで、舞踏会が終わった夜、
わたしは自分の部屋で侑人さんを待って、告白と同時にダンスを踊ってもらった。
「侑人さん…この曲…」
「うん、覚えてる、ぼくたちの始まりの曲だね。」
侑人さんのリードはスムーズでエレガントで、いつまでも踊っていられそう。
とても幸せな時間…永遠につづいてほしいような、そんな気持ちに包まれた。
| 第二話: |
〜真壁が見る景色〜
樫原さんに頼まれたものを持ってサロンに戻ると、すでにダンスが始まっていた。
そして、俺も含め、そのとき、その場にいた誰もがため息をついた。
それほど、お嬢さまと樫原さんのダンスは美しかった。
お嬢さまのシャンパンゴールドのドレスが樫原さんの黒いフロックコートによく映える。
それに、ローブデコルテ風のデザインが、お嬢さまを年齢より大人の女性に見せている。
豪華で優雅で、まるでヨーロッパの絵画に描かれている世界のようだ…
樫原さんが旦那さまからプレゼントされたのは、フロックコートとはいっても少し丈が短い
ショートフロックコートだと思う。前あわせもシングルの現代風だ。
昼夜を問わない礼服で、執事の燕尾服ほどには目立たないが、格式は高い。
樫原さんの優雅な動作が、服装とぴったり合って、まるで貴族のように見える。
(まさに、紳士と淑女のダンスというにふさわしいな…)
それに、旦那さまと踊ったときとは、お嬢さまの表情が明らかに違う。
恋する女性の目で樫原さんを見上げ、樫原さんも執事のときとはまったく異なる優しいまなざしで
お嬢さまを見つめている。
周りの目をくぎ付けにし、息もつかせないほど引き込まれるお二人のダンスだった。
やがて、曲が終わり、会場の喝采を浴びるお嬢さまと樫原さん。
そのとき、樫原さんがこちらに目で合図した。
俺は、さりげなく歩み寄り、持ってきたものを樫原さんにそっと手渡した。
〜樫原が見る景色〜
まさか、こういう形になるとは思っていなかった。
完全に慎一郎さまの描いた図にのせられた感じだ。
だが…それでいい、ぼくは覚悟を決めた。
| 第三話: |
〜わたしが見る景色〜
侑人さんとの夢心地なダンスが終わった。
わたしったらすっかり二人だけの世界に入ってしまって、周りに人がいたことさえ忘れてしまっていた。
曲が終わると、大きな拍手がわたしたちを包んだ。
サロンの入口近くにいた真壁さんが侑人さんのところに来て何かを渡したみたい。
と、次の瞬間、侑人さんが突然、長めの上着のすそを大きく手ではらって、スッと身をかがめると、
わたしの前で片膝をついた。
(えっ…え?侑人さん?)
周りのみんなもいきなりの展開にシンと静まり返る。
「春迦、本当はもっと早くこうするべきだったと思う。きみに長く切ない思いをさせてきて悪かった。」
侑人さんはそう言って、一輪の白バラを私に差し出した。
それは、今までみたこともないような大輪の白バラ。でもよくみると、そのバラの中心に光るものがついている。
「これ…ダイヤモンド…?」
「そう、きみがぼくの思いを受けとってくれるなら、このダイヤが指輪になってきみの指にはめられることになる…」
「侑人さん…」
「春迦、どうかぼくと……結婚してほしい。」
わたしは、こみ上げてくる嬉しさ以上に、今までのいろいろな思いが一気にふきだして、涙目になっていた。
そして、侑人さんから差し出されたバラを受け取る。
「侑人さん…ありがとう、こんなわたしだけど、これからずっと、よろしくお願いします。」
それを聞いて、周りから巻き起こる歓声と祝福の言葉。
わたしは、立ち上がった侑人さんに飛びつく。
嬉しいのに、あとからあとから涙があふれて、その涙を侑人さんがそっとぬぐって抱きしめてくれる。
みんなの笑顔に囲まれて、わたしは最高に幸せな瞬間にいた。
〜慎一郎が見る景色〜
ついにやったね、侑人。
執事の鑑だったきみがここまで変わるなんて、本当に春迦ちゃんはすごい。
やや強引な展開に引き込んでしまったけど、結果オーライなんじゃないかな?
「春迦ちゃん、侑人、おめでとう。侑人、ぼくの妹を頼むよ。」
夏実もとても嬉しそうだ。
「春迦、よかったね、本当によかったね。樫原さん、あなたが春迦の相手でよかった」
「旦那さま、奥さま、ありがとうございます。最後の一歩を踏み出せたのは、この舞台衣装のおかげです。」
侑人はそういって、着ているフロックコートを見る。
「プロポーズには最高のステージだったろう?だったら衣装もちゃんと整えないとね。」
侑人は「はい」と小さく応えつつ、ちょっと照れたように視線を下にはずした。
「そうだ、このあと主役の二人は、ウォルフを空港まで送ってあげてくれるかい?」
そういうと、二人ともきょとんとしたようになる。
「こっちの片づけはみんながやってくれるから問題ないよ。
ウォルフはわざわざ立ち寄って、結果的に二人の舞台を盛り上げてくれたんだからさ、
そのお礼も込めて、見送ってあげてよ。」
「そうね、義兄さん、そのとおりだわ…ね?侑人さん?」
春迦ちゃんのこの笑顔の問いかけに、侑人がかなうはずもない。
「わかった、それじゃあ行こう。」
侑人の了解をうけて彼女はぼくを見る。
「じゃ、義兄さん、着替えて、行ってきます。」
そう言うなり春迦ちゃんは自分の部屋へ戻っていった。
「侑人も私服に着替えていくといい。ここはもういいよ。」
「はい、それでは車を用意してお送りしてまいります。」
一礼して退出しようとする侑人を呼び止める。
「あぁ、侑人…」
「はい?」
「ウォルフの便は遅いんだったよね?見届けて帰るとなると遅くなるだろうから、
今夜は、空港近くのうちの契約ホテルに泊まるといい。」
「っ…慎一郎さま…。」
九条院グループでは、ぼくが海外に行くときや、来日したゲストのために
空港に近いホテルと年間契約をして部屋を1室押さえている。
「…おそれいります、慎一郎さま。」
侑人が少し赤くなっているのはシャンパンのせいではないね。
「もう婚約したんだから、ぼくに遠慮はいらないよ、侑人。」
そう小声で耳打ちすると、ますます侑人の表情が困ったようになる。
「さぁ、もう行って、さもないと、面白くていつまでもきみをからかいそうだ。」
侑人は苦笑しながら退出していった。
「もう、慎一郎さん、あんまり樫原さんをいじめたらダメよ?」
いつの間にか夏実がそばにきていた。
「うん?そんなふうに見えた?」
「えぇ、可愛い義妹をとられて、ちょっとだけしゃくだ…って感じ?」
「あぁ、それなら否定はしないよ、ホントだもの。でも、それ以上に…
侑人がぼくの家族になったことの方が嬉しくて、ついからかったって言うのが正確だね。」
「そうね、樫原さんが義理の叔父さんになるなら、この子にとっても心強いわ。」
そう言って、夏実は自分のお腹をさする。
ぼくはそんな夏実の様子を微笑ましく見ていた。