第十二章
| 第一話: |
〜樫原が見る景色〜
着替えのため自室に戻ると、ぼくはドアを後ろ手に閉め、大きく息を吐いた。
(今日は慎一郎さまにしてやられてばかりだ…)
本当は春迦へのプロポーズは、パーティーが終わって落ち着いたら、庭にでも出て、
二人だけの間で、静かにする予定だった。
まさか屋敷中の人間の注目の中ですることになるとは、夢にも思っていなかった。
だから、慌てて真壁に、ここに置いておいた白バラをとりにきてもらったのだが…
あれを見た瞬間の真壁は、どんな表情をしただろう?想像すると、少し可笑しくなる。
(それにしても…春迦と出会う前のぼくならありえない行動だったな…)
そう思うと、自分の変わりように自身で驚き、そして笑ってしまう。
(たしかに、この舞台衣装の効果は大きかったですよ、慎一郎さま…)
真新しいフロックコートをハンガーにかけ、手早く自前のスーツに着替える。
携帯電話で専属の運転手に連絡をとり、屋敷のリムジンを車寄せに回すよう指示した。
そして、隣の春迦に声をかけてから再びサロンに戻り、片づけに入っていた中岡と真壁を呼ぶ。
「二人とも申し訳ないが、あとを頼むよ。」
中岡が言う。
「樫原さん、本当に、おめでとうございます。どうぞご心配なくお出かけください。」
「ありがとう、中岡。それに真壁にはいろいろと面倒をかけたようだ…。
まさか慎一郎さまのはかりごとの片棒をかついでぼくをはめるとは思わなかったよ。」
「(ぐっ)…か・樫原さん、はめたなどと、そんなっ人聞きの悪い…!たまたまです!
それに…当主命令ですから、わたくしに選択の余地などございませんっ…」
「もちろんそうだろうとも、おかげでぼくは春迦に無事にプロポーズできたよ。
それでなくても照れることを、屋敷のみんなの注目を浴びながらね。」
「あぁ、か・樫原さん、あの、真壁には決して悪気はなくてですね…」
慌てる二人をみてぼくは笑いをこらえきれなくなる。
「ははっ…わかっているよ、冗談だ。」
そして、まじめになって改めて言う。
「おまえたちには本当に感謝しているよ、とにかくこれで、
ぼくは春迦と歩む新しい道の一歩を踏み出せたわけだから…二人とも、ありがとう。」
「樫原さん…」
そのとき春迦が後ろから声をかけてきた。
「侑人さん、お待たせ。」
「では中岡、真壁、あとをよろしく。」
そう言って、ぼくは春迦とともにウォルフさまの見送りのため屋敷を発った。
| 第二話: |
〜わたしが見る景色〜
空港に向かうリムジンの中で、ウォルフさんはずっと思い出話をしていた。
特に、みんなで一緒に南の島の別荘へいったときのことは印象深いようで
わたしがバカンスの最終日に着たドレスのことなど、わたしよりよく覚えてるみたい。
「考えてみると、あのときすでに、姫の心は樫原にかたむいていたのでしょうね。」
「え?」
「樫原は、その日のディナーで新調したドレスを着たいという姫の願いを、
まるで魔法使いのようにたやすく叶えてしまったのですから…。」
「…ウォルフさま。」
「あの芸当はまさに樫原ならではだったが、きっと樫原自身も、他でもない姫のためだからこそ、
少々の無理を通したのではないのかい?」
「そうだったの?侑人さん?」
そのとき侑人さんは、家令のときの微笑みでウォルフさんに応えた。
「さぁ、どうでしたしょうか…本当の魔法にはタネも仕掛けもございませんからね。」
「そうやってはぐらかすところは相変わらずだな…執事はもうやめるのだろう?」
「そうですね、けれども、これから進むのは虚飾も良しとする上流の世界ですから、
このままでよろしいかと…それはウォルフさまもご存知のはずではありませんか?」
ウォルフさんは少しだけ眉根をよせていう。
「たしかに、それはわたしの国でも日本でも同じだ。姫には余り染まってほしくない世界ではあるが…
しかし、樫原がそばにいるならもう何の心配もないだろう。」
「はい、春迦のことはわたくしが守りますので、どうぞご安心を。」
侑人さんが自信に満ちてそう言ってくれたので、私はなんだか嬉しくなって、
そっと横に座っている彼の腕に自分の手からめた。
それを見たウォルフさんは…
「あぁ、これはなんとも、ヤブヘビというものだったか…!」
と少し大げさに嘆くそぶりをみせてから、おもむろに言った。
「だが…つまり樫原は、姫のナイトになったということか…そうであればもうわたしは本当に必要ないわけだ…
寂しいかぎりですが、姫、樫原とお幸せに…」
「ウォルフさん、ありがとう。ウォルフさんも素敵なお相手を見つけてね。」
「はい、いずれ姫以上のプリンセスを見つけて、結婚したらご紹介しますよ。
問題は…そのようなプリンセスがこの世に存在するか…なのですが…」
「だいじょうぶ、ウォルフさんならきっと見つけられるはず。」
「お優しいですね、姫は。本当に樫原がうらやましい。」
ウォルフさんとの会話は、空港に着くまで途切れることはなかった
| 第三話: |
〜わたしが見る景色〜
それから、わたしと侑人さんは、ウォルフさんの飛行機が飛び立つのを見届けて、
空港に近い、九条院で契約しているホテルに入った。
最上階のコーナースイートからは、飛行機の離着陸がよく見えて、わたしは窓に張り付くようにして外を見ていた。
「夜の空港の景色って、きれい…」
侑人さんは、スーツのジャケットにブラシをかけてクローゼットにしまうと、
わたしのところに歩み寄ってきて、そっと背中から包むように抱きしめてくれた。
「これぐらい大規模な空港になると、夜の滑走路は誘導灯の明かりがまるで宝石を散りばめたように見えて、
ぼくの好きな光景なんだ。」
「そうなんだ…侑人さん、ロマンチストだもんね。」
「うーん…それもあるけど…慎一郎さまの海外出張にお供するとね、
だいたい、夜の便で帰ってくることが多かったから、飛行機が着陸して、この光景が見えると、
旦那さまを無事に連れ帰る責任を果たせたような気がして、ホッとしたんだ。 だからかな…」
(あ…)
そうか、そうだよね、ただきれいだから好きなんていうのは、女子の発想よね…
「侑人さん、わたしと会う前から、九条院家のたくさんの責任を背負っていたんだよね…
のんきなことを言って、反省します…。」
「…?」
侑人さんは、わたしの背中を離すと、肩に手を置いて、静かに、わたしに正面を向かせる。
「どうしたの?春迦、別に反省することなんて何もないよ?」
「ううん、そうじゃない。だって、もうわたしは、侑人さんの奥さんになるんだもの。
だから、これからは、侑人さんに甘えるばかりじゃダメなの。
ちゃんと、侑人さんのしてきたことや、これからすることをわかって、
侑人さんが何を考えて、何を悩んで、何が嬉しいのか、 そういうこと、わからなきゃいけないと思うの。」
「…春迦。」
「だからね、侑人さん、わたしに隠し事はしないで。心配かけたくないとか、そんなこと考えないで。
疲れたときは疲れたって言ってほしいし、キツいときはキツいって言ってほしいの。
わたしは、侑人さんのパートナーだから…」
〜樫原が見る景色〜
いつの間に彼女はこんな大人の女性に成長していたのだろう。
ぼくと一回りも年が違うのに、気づけばこんなふうに、ぼくの上をいくようになった。
少女のように夜景に見とれていたかと思えば、次の瞬間にはぼくの心を丸ごと包み込むレディーになる。
きみと一緒にいれば、ぼくの人生は活気に満ちた日々で彩られるだろう。
「ありがとう、春迦…。」
ぼくは、それ以上は何も言えず、ただ春迦を抱きしめた。
どうしようもないほど愛おしく、沸きあがる思いが、彼女を抱きしめる腕の力をつい強めてしまう。
「侑人さん…苦しいよ」
「ごめん、でもちょっと我慢して。これが今のぼくの気持ちだから…何も隠してない、本当の気持ちだから。」
「うん、じゃ、このままでいい…」
慎一郎さまから託された『お嬢さま』を、妻として、一生守り続けるのがぼくの新しい使命。
でも、彼女は、そんなぼくを夫として生涯、支えてくれる覚悟を示してくれた。
ぼくは、彼女に誓約のキスをして、深く、熱く約束を結ぶ。
(春迦、一緒に歩いて行こう、この先ずっと、どこまでも…)
聞こえてくるのは、遠くの飛行機の音と、耳元に届く互いの吐息。
ぼくたちは、夜の帳の中、時を忘れて愛を交わした…。