第十四章
| 第一話: |
〜わたしが見る景色〜
翌日は土曜日で、財団はお休み。
そして、今日10月30日は、侑人さんの誕生日。
昨日、義兄さんたちからのサプライズのあと、侑人さんはずいぶん遅くまで、
お屋敷の事務処理を中岡さんや真壁さんたちとしていたみたい。
わたしは、侑人さんのために、今日はケーキを焼くつもりで、いつもより少し早起きした。
本当は、二人でどこかに出かけたいところだったけど、彼の連日の激務を見ていたら、
休みの日はせめてちゃんと休んでもらわないといけない気がして、
お屋敷で、二人だけでお祝いしようと思っていた。
昨日の夜のうちに、厨房のパティシエさんに頼んで、材料はそろえてもらってある。
はりきって厨房に行くと、真壁さんと中岡さんがもうそこにいた。
「おはよう、中岡さん、真壁さん!」
「あ・お嬢さま、おはようございます。」
中岡さんがさわやかな笑顔で挨拶してくれると、お茶の仕度をしていた真壁さんも手を止めて言う。
「おはようございます、お嬢さま、今朝はお早いのですね。」
「うん、だって今日は、侑人さんの誕生日だから、これからケーキを焼こうと思って。」
二人とも、そろって『あっ』っていう顔をする。
(そうだよね、普通は気にしないよね、上司の誕生日なんて。)
とはいっても、あれ、そういえば、二人がもういるのに侑人さんがいないって珍しいかも?
財団はお休みでも、土日はいつも誰よりも早く起きて、お屋敷を見回っているのに…
「ねぇ、今朝は侑人さん、まだなの?」
「あ…その、樫原さんはですね…」中岡さんがなんだか慌てている。
わたしはそれで、はっと気づいた。
そういえば、ここのところずっと、週末の朝の義兄さんたちのお茶は侑人さんが淹れていた。
せめてそれぐらいしたいからって、休みに関係なく、朝のお茶を用意していた。
それを、真壁さんが用意してるということは…
「真壁さん、侑人さんどうかしたの?」
真壁さんは仕方ないというように軽くため息をついて言った。
「樫原さんは、昨夜わたくしどもとの作業のあと、明け方までお一人で仕事をされていたようですが…
そのあとご気分が悪くなったそうで、まだお部屋です。」
わたしは真壁さんの言葉を最後まで聞くことなく厨房を飛び出した。
「お嬢さま…!」
中岡さんが呼ぶ声が聞こえたけど、それどころではなかった。
(侑人さん…!)
だからあれほど大丈夫?っていったのに…それに、わたしに内緒ってひどいよ…
わたしは侑人さんの部屋の前につくと、ノックの返事も待たずに飛び込んだ。
「…え?」
そこには、執事服に着替えて、すっかり身支度を整えた侑人さんがいた。
「!?…春迦、なに、どうしたの?」
「侑人さん…!なんで着替えてるの?具合悪いんでしょ?」
「え…春迦、どうしてそれ…」
「厨房に行って、真壁さんからきいたの…」
「そうか…大丈夫だよ。夜中、ちょっと寒かったから、仕事してて風邪ひいたみたいなんだ。」
「頭痛が少しきつかったので真壁に連絡して旦那さまのお茶を頼んだけど、
そのあと薬を飲んで少し横になっていたらだいぶ楽になったから…。」
侑人さんは、わたしに心配をかけないように微笑んでいるけれど、わたしは違和感を感じていた。
「ダメ…侑人さん…」
「春迦…?」
「今日は起きちゃだめ…だって、侑人さん、顔が赤いよ?熱あるんでしょ?」
「多少の熱ならなんてことないよ。」
「多少ってどれくらい?」
「え…」
「熱、どれくらいあったの?」
ふと、侑人さんのベッドの枕元に体温計を見つけて、彼からとり上げるようにしてその数字を見た。
「ちょっ…侑人さん9度近くあるじゃない!もう、絶対寝てなきゃだめ!」
そして、携帯で真壁さんに連絡する。
「春迦…大丈夫だから…」
「大丈夫じゃないよ、そんなに熱があるのに…!」
電話に出た真壁さんは少し驚いたような声だった。
『お嬢さま、いかがされました?』
「真壁さん、侑人さん熱がすごいの、お医者さまを呼んでもらえる?」
「春迦っ…ホントに…っ!?…だいじょうぶ…だ…から…」
ドサッという音がして、振り返ると、侑人さんがベッドに倒れこんでいた。
「!?…侑人さんっ!!!」
| 第二話: |
〜樫原が見る景色〜
不覚だった。
つい、仕事に夢中になって、明け方の寒さに気づいたときには悪寒を感じ、
もう身体がどうにもならないほど、だるく重くなっていた。
ここのところずっと寝不足で体力も落ちていたのだろう。
体調管理も仕事のうちと、日頃から使用人たちに言っていながら、ていたらくもいいところだ。
何より、春迦に心配をかけてしまった。
朝、春迦がぼくの部屋へ飛び込んできたとき、市販の風邪薬でどうにか動けそうな状態にまでなっていたが、
春迦が真壁に医師の依頼をしたのを聞いて慌てたら、一時的に血圧が下がったらしく、
めまいとともに、目の前が暗くなってぼくは倒れこんだ。
幸い、ベッドに倒れたからケガはなかったが、外に出ていたら危なかったかもしれない。
駆けつけた医師の診察では、過労に風邪が重なったと診断されたらしい。
らしいというのは、目が覚めたときにはもう医師は帰ったあとで、そばには半分泣き顔の春迦がいただけだったから。
「ごめんね…春迦、心配かけた。」
と、春迦が横になっているぼくに飛びついてくる。
「侑人さん…よかった、死んじゃったらどうしようって思った…」
「春迦…それはちょっと大げさかな。」
「だって、いきなり倒れたんだよ、救急車呼びそうになったけど、真壁さんがとんできてくれて、
すぐにお医者が来るから落ち着いてくださいって止められたの。」
「そう、真壁が…」
「うん、中岡さんがお医者さんを迎えに行ってくれてる間に、
真壁さんに手伝ってもらって侑人さんをベッドの中に寝かせたの。」
見上げると、ぼくの執事服がきちんとハンガーにかけられていた。
(着替えまで手伝わせてしまったのか…申し訳ないことをしたな…)
「あとで真壁と中岡にもお礼を言わなきゃならないね…」
「うん、中岡さん、お薬も取りにいってくれたの。」
春迦がぼくから離れて、そばに置いてあった薬袋を見せる。
「侑人さん、これ飲まないといけないから、何か食べて。」
「うーん、食欲ないんだけど…」
「だめ、何か食べないと、体力つかないよ。」
「春迦…すっかり奥さんになってる。」
「もう、こんなときに茶化さないでよ…」
「ごめん、でも本当に今はあまり食べたくないんだ。」
熱があるせいか、どうにも食べ物を受けつけない感じがしてそう抵抗すると、
彼女は、それじゃあといって部屋を出て行き、やがて、マグカップに何かを淹れて戻ってきた。
「はい、侑人さん…」
「それは…ジンジャーティー?」
「うん、真壁さんに作り方きいて、わたしが淹れたの…飲めそう?」
「それは飲まないとね…」
少し身体を起こして、春迦からカップを受け取り、それをゆっくり口に含む。
温かいお茶が、熱で乾いた身体にしみ込んでいくようでホッとする。
「おいしい…?」
ぼくの様子をうかがうような春迦に微笑んで応える。
「こんなおいしいお茶は初めて…」
「またそういうこと言って…」
「本当においしいよ、心も身体も、暖かくなる感じがする。ハチミツ入れたの?」
「うん、栄養あるし、マヌカハニーだから風邪にはいいって真壁さんが…」
「マヌカハニーか…だったらこれはもう薬と変わらないね、ありがとう、春迦。」
ぼくはそのとき、まだ半分、熱に浮かされながらも、かつて感じたことのない幸福感に包まれていた。
(たまに寝込むのも、それほど悪いものじゃない…)
そう思わせてくれる春迦の存在が、ぼくにとってどれほど大事か、再認識していた。
〜慎一郎が見る景色〜
朝食を終えて、ぼくは、寝込んでいる侑人の様子を見に行った。
侑人のそばには春迦ちゃんがずっと付き添っている。
甲斐甲斐しく婚約者の面倒を見ようとする彼女の姿をみたら、可愛くて仕方なくなる。
傍で見ているぼくがそうなんだから、面倒を見られている本人にすれば、もっと彼女を愛おしく思ってるだろうね。
「侑人、どう、具合は?」
ぼくの突然の訪問に侑人は少し驚いて、起きようとした。
「あぁ、いいよいいよ、そのままで。おまえが寝込むなんて初めてだからさ、ちょっと様子を見にきたんだよ。」
「申し訳ありません、慎一郎さま。」
「真壁から大体のことは聞いたよ。まったく、鬼の霍乱というか…それにしても、働き過ぎだよ、侑人。」
「時間に追われて、少しだけ無理をしたことは認めます…」
「侑人の身体はもう侑人だけのものじゃないって、ちゃんとわかってる?」
「慎一郎さま…」
「おまえが倒れて、春迦ちゃん、医者が来るまで泣いて泣いて大変だったんだよ?」
「え…」
「に・義兄さんっ、そんなこと言わなくていいから…」
「どうして?ぼくの可愛い義妹を、きみの婚約者は大泣きさせたんだよ?」
そして再び侑人に向かって言った。
「春迦ちゃんは、足が震えるくらい心配してたんだ。」
侑人は申し訳なさそうに春迦ちゃんとぼくを見た。
「本当に、申し訳ございませんでした。これからは必ず自重いたします。」
まぁ、そう言ったところで仕事の鬼の侑人のことだから、どこまでも自分の責務は完璧に果たそうとするんだろうけど、
とりあえず、ここは一言、説教する場面だ。
「昨日のぼくのプレゼントが、おまえの気持ちにプレッシャーを余計にかけたかな?」
「いえ、決してそのようなことは…今回はどこまでも、わたくしの自己管理の足りなさが招いたことです。」
「侑人…ホントにおまえは、そういうところでは素直になれないね。」
「……」
「今後は、財団の方はとにかく、屋敷の執務は、適当に手を抜きなさい、侑人。」
「…旦那さま」
「必要なら、会計士を一人、屋敷に回すから、経理の月末処理はそっちに任せて、
おまえは使用人たちの人事面の管理だけするようにしたら、少しは事務量が減るだろ?」
傍で聞いている春迦ちゃんがうんうんとうなずいている。ぼくは続けた。
「今までとまったく同じように、家令の執務全般をするのは、どう考えても無理があるよ。」
侑人は少し視線を下に向けて考えていたが、やがて顔をあげた。
「はい、慎一郎さま、仰せのとおりにいたします。」
「やっと素直になる気になった?」
「えぇ、春迦のことを考えたら、そうしなければいけないと存じます…」
「よし、それじゃあ、おまえが良くなったら、離れに引っ越しだよ。」
「はい?」
「春迦ちゃんが二度とこんな思いをしないように、もう二人は寝起きをともにしなさい。」
「はぁ…しかし、それは…」
「これは当主命令。そもそも、別々に生活してるから、おまえは毎晩明け方まで仕事をしてたいたんだろう?
一緒にいたらそんなことはできないよね?」
「それは…そのとおりでございますね…」
「これは、今回春迦ちゃんを泣かせた罰だよ、侑人。観念して言うことをきくんだ。」
「慎一郎さま…」
「一緒に生活して、二度と、ぼくの義妹をこんなことで泣かせないように。いいね?」
侑人は苦笑を漏らして応えた。。
「はい、承知いたしました。つつしんでお約束いたします。」
ぼくが侑人の部屋を出ると、春迦ちゃんが追いかけるように出てきた。
「義兄さん、ありがとう。侑人さん、すんなり納得してくれてよかった。」
「春迦ちゃんに泣きながらお願いされたら、ぼくはなんだってするよ。きみの笑顔をとりもどすためにね。」
「侑人さん、ちゃんと結婚するまで生活は別々って、言うことをきいてくれないから…」
「春迦ちゃん」
ぼくは彼女に向き直る。
「侑人がそう言う気持ちも、ぼくはわかるんだよ。
侑人にとっては、きみはもちろん大事だけど、九条院家やぼくの気持ちもないがしろにはできないんだ。
婚約したからあとはすべて夫婦同然でいいとは、とうてい考えられないんだ、そういうやつなんだよ、侑人はね…。」
何をするにも人一倍器用な侑人の、唯一不器用なところといえるかもしれない。
その不器用さに対して、ぼくは何度、『命令』という形で背中を押してきたことだろう。
だいたい、そうでもしなければ、この二人、そもそもつきあうことさえなかっただろう。
お互いにお互いを思いながら、ずっとお嬢さまと執事を続けていたと思う。
(まぁ、これもまた、当主の役目かな…)
「春迦ちゃん、こうなったら、早くきみたちが結婚できるように、ぼくも考えるよ。」
そう言われてちょっと赤くなった彼女を可愛く思いながら、ぼくはある決心をしていた。
| 第三話: |
〜わたしが見る景色〜
午後、侑人さんはお医者さまの薬が効いたみたいで、ずっと眠っていた。
わたしは、それでもまだなんだか心配で、侑人さんのそばを離れられなかった。
中岡さんや真壁さんがそんなわたしを気遣って、食事やお茶を運んでくれたのだけど、
お腹がすかないっていうか、胸がいっぱいであまり食べられない。
「お嬢さま、もう少し召し上がらないと、今度はお嬢さまが倒れてしまわれますよ。」
夕方前、食器を下げにきた真壁さんにたしなめられる。
「真壁さん、せっかく用意してもらったのにごめんなさい、なんだか食べる気が起きなくて…」
「お嬢さま…」
真壁さんの顔が優しくなる。
「心配ありません、お嬢さま。樫原さんはそれほどヤワな方ではございません。
わたくしの人生で出会った人物の中では、パワーもしぶとさも最強です。
今は少しだけ弱っておいでのようですが、すぐ全快されますよ。」
と、わたしの後ろで声がした。
「聞こえてるよ、真壁…。」
真壁さん、ものすごくびっくりしたみたいで飛び上がった。
「!!…か・樫原さん、いつお目覚めになったんですか…!」
「うん、春迦が『ごめんなさい』って言ったあたりかな…」
「っ…!」
「侑人さん、気分はどう?」
そばに寄ったわたしは、侑人さんのおでこに自分のおでこをくっつけてみる。
「…春迦…」
「うん、熱、下がってきたみたい、よかった…!」
「春迦、そんなふうにされたら、また熱が上がりそうだよ…ぼくだけじゃなくて、真壁もね。」
(あ…)
わたしは、真壁さんがいるのも忘れて自分がしたことに、かなり恥ずかしくなる。
(真壁さん、目を丸くして固まっちゃった…)
「え…あ…で・では、わたくしは、これで…!」
「真壁…」
「は・はい…」
侑人さんはゆっくり身体を起こすと、真壁さんの方を見て言う。
「今日は、世話をかけて申し訳なかったね。でも…
おまえたちがいてくれて本当に助かった。ありがとう、真壁。中岡にもよろしく伝えて。」
「樫原さん…」
真壁さんはやわらかい笑みを浮かべた。
「いいえ、当然のことです。では、ご夕食に何か消化のいいものをご用意して、
お嬢さまの分と一緒にのちほどお持ちいたします。」
そういうと、いつも通り、とてもきれいな一礼を残して部屋を出ていった。
「そうだ、侑人さん…」
わたしは侑人さんのそばに寄って…
「お誕生日おめでとう、侑人さん…!」
そう言うなり、彼の頬にキスをした。
(あ・侑人さん絶句してる…)
「…そういえば、今日は…そうだったね…忘れてた。」
照れくさそうにつぶやく侑人さん。わたしは、彼のベッドの脇に腰掛ける。
「そうよね、本当は今日、ケーキを焼くつもりだったの。それで二人でお祝いしたいなって…
だけど、こんなことになっちゃったから作れなくて…」
侑人さんは、下を向いたわたしの顔をやさしく両手で包んで言う。
「春迦、ぼくは今日、ケーキより何より、最高のプレゼントをもらったよ。」
「え?」
「こうしてきみが、一日中、ぼくに付き添ってくれたこと。食事もろくにとらずにね…」
「侑人さん…」
「これ以上のプレゼントはないと思うよ。今日のことはずっと忘れないから…」
わたしは嬉しくて、侑人さんに抱きついた。彼はそっとわたしの髪を撫で、静かに抱きしめてくれた。