執事たちの(その後の)恋愛事情


第十六章




第一話:

〜わたしが見る景色〜

侑人さんの隣で、彼の優しい声に起こされた朝…。

「よかった、夢じゃなくて…」というのがわたしの第一声だった。

侑人さん、首をかしげたけど、わたしが夜中に目が覚めて考えたことを話したら、
急にギュッと抱きしめられて………で、起きるのがちょっと遅くなっちゃった…。

(もう、侑人さんったら…)

明日は早起きしようねって昨日話してたのに、いつも通りというか、むしろ遅め…?

けど、彼の言い分では、それはわたしが『可愛いこと』を言ったからなんだって…。


わたしたちは、一緒にキッチンに入って、私がスクランブルエッグとサラダを作る間に、
侑人さんが手早くテーブルの用意をして、紅茶を淹れてくれた。

執事さんとしてではないけれど、やっぱりその動作は優雅で、テーブルセッティングも、
料理を盛ったお皿を並べるその動きも、いちいち見惚れてしまう。

「?…どうかした、春迦…」

わたしの視線に気づいて彼が手を止めた。

「あ・ううん、なんでもない…ただ…」

「なに?」

「うん、お屋敷での朝食では、わたしがダイニングに行くと、もうすっかり用意ができてるのが普通だったから…。

いつも侑人さんたちがこんなふうに用意してくれたんだなって思ったら、それが目の前でされてることが嬉しくて。」

「こんなことで喜んでくれるんだ、春迦は…でも、そう言ってもらえると嬉しいね、ぼくも…」

侑人さんはそう言ってわたしに微笑みかけると、再び手を動かす。


焼き立てのクロワッサンは母屋からの差し入れ。

パンだけは母屋のパティシエさんが焼いたのが一番おいしいから甘えることにした。

わたしたちが朝食を別にすると聞いて、義兄さんはがっかりしたみたい。

さっき、パンを届けてくれた中岡さんがそう言って苦笑いしてたっけ…

「そろそろ慎一郎さまにも少し『妹離れ』してもらわないと、夫の出る幕がないからね。」

なんて、侑人さんが涼しい顔で言ったから、中岡さんの方が照れて赤くなっていた。


テーブルにつき、『いただきます』といって二人だけの食事がはじまる。

「うん、卵、いい感じにフワッとしてて美味しいね。」

「ホント?よかったぁ…久しぶりだし、電磁調理器とかって初めてだから火加減わからなくて…」

「そうか、母屋の厨房はガスコンロだからね…でも、上手にできてる。」と、微笑む侑人さん。

何でもないやりとりなんだけど、わたしたちにはとても新鮮に感じる朝の食卓風景。

母屋では、婚約以降、侑人さんもわたしと一緒にダイニングで食事をしていた。

でも、当然、そこには、義兄さんや姉さん、二人がいないときでも、中岡さんか真壁さんはいつも控えていた。

だから、本当に二人だけのこういう朝食は初めてで、わたしはついつい侑人さんの様子を見てしまう。

「ねぇ、春迦…」

「え…なに?侑人さん。」

「そんなに見つめられると、食べにくいよ…春迦が作ってくれた料理を落ち着いて味わえない…」

「ご・ごめんっ…」

わたしは慌てて自分のお皿に目を移して、照れくさいのをごまかすため慌ただしく卵を口に運ぶ。

「そんなに急がなくても大丈夫。今日、財団の方は二人とも休みにしてあるから…」

「え?そうなの?」

「理事長も専務も今日は珍しくアポイントメントがなくて内勤だけだったしね。」

「じゃ、役所に行って、そのあとはどうするの?」

「婚姻届を出して、それから、最初の二人の仕事にかかる…かな。」

「?」

侑人さんの言葉に胸が高鳴った…。




第二話:

〜わたしが見る景色〜

そのあと、役所の窓口が開いてすぐ、わたしたちは婚姻届を提出した。

窓口の女性が『おめでとうございます』って言ってくれたのがとても嬉しくて…。

だって、このとき『樫原春迦』になったことを、人から初めて祝福された気がしたから。

「ね、侑人さん、それでこれからどこへ行くの?最初の仕事って何?」

侑人さんが運転する車の助手席で、わたしは少しはしゃいでしまう。

「これから『生活』が始まるにあたって…」

「わかった、もしかして、買い出し…とか?」

「正解。」

そう言って、侑人さんがにっこり笑う。

わたしたちの離れには生活に必要な器材は取りそろってるけど、食料品は買わないと料理も作れない。

今朝も卵とか野菜とか、とりあえず母屋の厨房から分けてもらっていた。


着いたのは、外資系の会員制スーパー。

広いフロアを大きなカートを転がしながら歩くと、それだけでもワクワクする。

こんな普通のことなのに、わたしと侑人さんの間では今までこういうデートはなかった。

だって、『お嬢さま』と食料品の買い出しは無縁だもの…

「春迦、楽しい?」

「うん、とっても…!」

肉とか野菜とかパスタとかをカートに入れながら、わたしは侑人さんに笑いかける。

「ねぇ、侑人さん、今晩、何食べたい?」

「春迦が作ってくれるものなら何でも。」

「えーっ、それ、一番困る答えなんだけど…どうしようかな…」

侑人さんはそんなわたしを見て、少し申し訳なさそうに言った。

「はりきってくれてるのはとても嬉しいんだけど、春迦…たぶん今夜は母屋に呼ばれるよ。」

「あ…そう言われると、確かにそうかも…婚姻届出したの知ってて義兄さんがほっといてくれるはずがないよね…」

「そうだね、おそらく、きちんとしたディナーなると思うよ。」

「侑人さんわかるの?」

「うん、真壁からメールが来た。」

「え?真壁さんから?」

「そう、だから夜までに必ず屋敷に戻ってくれって。」

「そうなの?…うーん、なんかちょっと残念、ちゃんと侑人さんの奥さんになって初めての夜なのに…」

「えっ…春迦…」

(あ・侑人さんちょっと赤くなった。わたし何かまたへんなこと言ったかな?)

侑人さんは軽く咳払いして、平静な表情を取り戻すと、私の耳元でささやく。

「夕食はとにかく、そのあとはちゃんと新婚初夜をきみの期待に添うよう努めるから安心して。」

「え?しょっ初夜って…えぇーっ?…えっと『奥さんになって初めての夜』……あ、えっと、そ・そういうことじゃなくて…」

真っ赤になってしどろもどろになるわたしを見て、侑人さんは楽しそうに笑う。

「わかってるよ、春迦。でも、ときどき、きみの言葉はドキッとさせてくれるから…。」


それから、私を見据えて、少しだけ改まって言う。

「それが無意識なのは知ってるけど、これからは少し気をつけた方がいいね。

 ぼくになら何を言ってもいいよ、でも他の男にはやめて。夫としてはちょっと心配。」

(あ・最後の方は目が笑ってない…でも妬かれてるのかな?そう思うと嬉しいかも。)

「はい、気をつけます。でも…」とわたしもつけ加える。

「侑人さんも、他の女の人に引っ張られないように気をつけてね、昨日のパーティーのときみたいに…

 その…妻としては…かなり心配だから…」

侑人さんはちょっとびっくりした顔になる。

「言うようになったね、春迦…。」

「だって…あのときは、侑人さん、マダムたちに食べられちゃうかと思ったもの…

 義兄さんも、『侑人はイケメンだからモテるのは仕方ない』みたいなこと言うし…」

「慎一郎さまが?そんなことを?」

侑人さんは苦笑する。

「学生のころ、二人で並んでいれば、いつだって慎一郎さまの方がずっとモテたのに…」

「そうなの?」

「でも、ご本人は気づいてないことがほとんどだったけどね…」

「あ・なんか義兄さんらしい。」

「慎一郎さまが自分から好きになって夢中になったのは、夏実さまだけだよ。」

「それもなんか…義兄さんらしいね…けど、ということは…」

「?」

「侑人さんも、義兄さんほどじゃないけど、ちょっとはモテたってこと…だよね?」

「……春迦、ホントに切り返しが鋭くなったね…それってぼくの指導のおかげかな?」

「たぶんそうです。で、実際…どうだったの?」

「さぁ、どうだったかね…」

「あ・また、ずるい…」

「でも、これだけは言えるよ、ぼくも、自分から好きになって夢中になったのは春迦だけ。」

そう言ってウィンクしてみせる侑人さん。


(もう、やっぱり、かなわないよ。)

わたしはその一言で顔が熱くなって、次の言葉を続けられなくなった。

「よし、大体、1週間分くらいの食材は買えたね、じゃ、これで帰ろう。」

「う・うん…」わたしはうなずいて、侑人さんの後に続いた。




第三話:

〜わたしが見る景色〜

お屋敷に帰ってホッと一息ついていると、侑人さんの携帯に連絡が入った。

「はい、中岡?…今夜のドレスコード?…うん……えっ…間違いないね?」

(なんだろう…侑人さん、ちょっと驚いてる。)

「そうか、わかった…大丈夫だよ、問題なく用意はできるから。うん…ありがとう。」

通話を終えた侑人さんがこちらを向いて微笑む。

「春迦。」

「何かあったの?侑人さん…」

「今夜のディナーはドレスコードがホワイトタイ着用だって…。」

「え…ホワイトタイ…?」


そこで突然、侑人さんが執事の樫原さんに戻った。

「お嬢さま、ドレスコードのおさらいです。ホワイトタイ指定時の男性の服装は…?」

「あ…えっと…夜の正礼装で…黒の燕尾服…ズボンは側章入り…」

「はい、それから?」

「白のシャツとベスト、白の蝶ネクタイ限定…でジャケットのボタンはかけないのが正式…でよかったっけ?」

「大変よくできました。…では、女性は?」

「えーと、男性に合わせる形で、ローブデコルテのロングドレスで基本は無地…?」

侑人さんは満足そうな笑みを浮かべて誉めてくれる。

「さすが、春迦お嬢さま…学んだことをきちんと覚えておいででしたね。」

「もう、やめてよ、侑人さん…ていうか、ホントに今夜はそれなの?」

「今日のディナーは、一応『婚礼祝い』の晩餐だから正礼装でと慎一郎さまがね…。」

侑人さんもわたしも、まさかの正礼装指定に恐縮してしまったけれど、でも、それが義兄さんの
九条院家当主としての最上級の祝福の気持ちだろうからといって、侑人さんはあえて遠慮しなかった。


夕方、身支度をはじめて、黒の燕尾服に白の蝶ネクタイと白ベストを来た侑人さん…

執事服もテイルコートだったけど、やっぱり、全然違うし、カッコいい。

財団の関係で一応作っておいた燕尾服だそうで、実際に着ることはまずないと思っていたみたい。

「まさかこういう私事で着ることになるとはね…」と少し照れながら苦笑いしていた。

わたしはアイボリーのローブデコルテのロングドレスにレースの手袋。

仕度が終わって姿見の前に二人並ぶと、もうそのまま新郎新婦状態だった。

思わず、お互いに顔を見合わせて笑ってしまう。

「要するに…義兄さんは、こうなるのを見越していたんだ…」

「入籍したということは、今日が結婚した日として記録されるわけだから…当主として、
 きちんと形にして祝福してくださろうというお心遣いだよ…」

「ちょっと照れちゃうけど…ここまでのドレスアップなんて滅多にないから嬉しいな…。」

侑人さんはわたしの後ろに回ると、そっと両肩に手をのせる。」

そして鏡に写るわたしを見ながら、

「春迦、とても綺麗だよ。ぼくは幸せだね、花嫁姿のきみを二度も見られることになった。」

そう言って、スッと身をかがめてわたしの肩に口づけた。

たったそれだけのことなのに、わたしの心臓は飛び出しそうなくらいドキドキした。

「あ・春迦、真っ赤になった…」

「ゆ・侑人さんっ…もう、誰のせいでそうなってると…」

「もちろん、ぼくのせい。他の男がそんなことしたら、ただではおかないよ。」

しれっとしてそういうことを言う侑人さん…でもそれが侑人さんだし、そう言われるのも妻としては嬉しいかな…




第四話:

〜わたしが見る景色〜

ディナーは、義兄さん夫婦とわたしたちの4人で、とても和やかだった。

真壁さんも中岡さんも正装のディナーにふさわしい、レベルの高い給仕をしてくれて、
改めて、九条院家の格式を認識したかも…。

(わたしってやっぱりすごい家のお嬢さまをしていたのね…)

その家の家令だった侑人さんだって、普通なら知り合えるような人じゃない。

雲の上っていうか…こうしてここに二人でいられるのは、神さまがくれた奇跡だと思う。


食事が終わり、場所をサロンに移して、食後酒を片手に話に花をさかせていたとき
ふと義兄さんが、わたしの手のエンゲージリングに目を止めた。

「それは、侑人がプロポーズしたときの、あの、バラのダイヤだね?」

「そう。結婚式のときまでマリッジリングはつけないから…」

世間的にはわたしたちはまだ婚約状態なので、わたしは侑人さんからもらったダイヤモンドのリングをつけている。

これだって、あのパーティーで婚約発表される前は、外にはつけていけなかった。

だからこうして堂々とつけられるようになって、わたしは今までの分を取り返すように常にこのリングを身につけている。

「春迦ちゃんがその指輪をつけていれば、とりあえず侑人は安心なわけだ、ヘンな虫が寄り付かなくなるから…」

「はい、さようでございますね。」

義兄さんの、ちょっとひやかすような言葉を、侑人さんはわるびれることもなく笑顔で肯定する。

「でも、春迦の方は心配なんじゃないの?樫原さんが結婚指輪をつけるまで…?」

姉さんの言葉に、わたしは昼間の侑人さんとのやりとりを思い出して顔が熱くなる。

侑人さんはそれをすぐに察して、義兄さんに言う。

「そういえば、慎一郎さま、一昨日のパーティーの折り、何か春迦の不安をあおるようなことをおっしゃったとか…?」

「え?不安をあおるなんて、穏やかじゃないな…そんなこと何か言ったっけ?」

わたしはちょっと下を向いてつぶやく。

「義兄さん言ったじゃない『侑人は結構なイケメンだから、前へ出るようになったらモテても仕方ない』って…。」

「あらやだ、慎一郎さん、そんなこと言ったの?」

姉さんがちょっと呆れたような声を出した。

「あぁ、あのことか…だって、実際、侑人はマダムたちの人気者だったろう?」

「たしかに状況はそうでしたが、そのせいで春迦の心配事が増えました。
 わたくしに限って、 他の女性に気持ちが向くようなことは決してございませんので、
 そういうお言葉は、今後はどうぞお慎みくださいませ。」

「そうよね、樫原さんは身持ち固そうだもの。」

姉さんの言葉に義兄さんが笑う。

「たしかにそうだ、学生時代だって、侑人に猛烈にアタックした子が何人もいたけど、
 全然きみは取り合わなかったからね、女の子たちが可哀そうなぐらいだった。」

「え?侑人さん、そんなことあったの?」

わたしの問いに侑人さんは微笑んで、義兄さんにやんわりと反論した。

「慎一郎さま。慎一郎さまは最後までお気づきになりませんでしたが、彼女たちの本命は、
 いずれも慎一郎さまだったのですよ。」

「え?」

義兄さんは目を丸くした。

「慎一郎さまに何を言ってもやっても、まったくその気持ちに気づいてもらえないので、
 彼女たちは、慎一郎さまの近くにいたわたくしに、気がある素振りをしただけです。
 わざと慎一郎さまに見せつけて、嫉妬を感じさせようとしたのでしょう。」

それを聞いた姉さんが笑い出した。

「いかにも、慎一郎さんらしいわねぇ。全然気づかなかったの?」

「いやぁ…今の今までまったく知らなかったよ…それは、侑人に迷惑をかけたね。」

「わたくしは、あのときも今も変わりません。周りからどう騒がれようと、自分で本当に大切と思った人以外には、
 一切、気持ちは惹かれません。」

「うん、たしかにそうだね。春迦ちゃん、軽々しくへんなこと言って悪かった。
 侑人は絶対大丈夫だから、安心して。」

「そうね、ありがとう義兄さん。話を聞けてよかった…」

わたしがそう言ってソファですぐ隣に座る侑人さんを見ると、彼は、わたしの手に自分の手をそっと重ねて微笑んだ。

そうして、わたしたちの歓談は夜遅くまで続いた。